第3話
修行のような気持ちで書いているこの文章にもいいねをしてくれる読者がいるのはまたとない幸運と思うしかないだろう。閑古鳥の鳴くようなこの場所に、勇気ある読者のような気がする。その勇気に乾杯。私も勇気ある読者でありたい。
ふと、上手な嫌われ方について書いてみたくなった。もちろん、是非読んでもらいたい。内容は余り他で見ないものになると思うが保証はない。
割と物心ついたころから自分は嫌われたり、恥としての扱いをされることが多かった。しかし恵まれた環境により、いつも守られていた。守られていたのは就職して間もなくまで続いた。今は性格も大したことがない事がばれてしまい、身内以外から相手されなくなった。その身内も厄介者扱いをしているかもしれない。しかしそれは良い事だ。何が良いかと言うと、身内がみんな自分より性格が良いという事になるからだ。実際そうだと思う。しかし以前は
自分が一番性格がいい
自分が一番性格がいい。世の中の心ない人の影響を受けないようにしよう
何を基準にそう思い込んだが。今でももちろんどこかでそう思ってる。
恐らく多くの人はそう思ってるのではなかろうか。
私って優しい、そういう人の性格が悪いと思ったことがあったが、そうとも限らないしそう言える素直さは性格がいいともいえるのではないだろうか。
ものの見方は角度を変える事によって変わる。
自分の経験上、一番嫌われそうな人って、自分勝手わがまましてるのに自分が一番性格がいいと言う人…表面上はそうだけど、結局最後まで受け入れられないのは色んな事を恥をかくのを気にして、割にネットで普段と違う毒を吐いてて、言う事も的を得てないのに偉そう、自分は大したことがないといいつつ、顔は性格がいいのは自分だ、そういうタイプ、つまりそれは私の事であるが…上手に嫌われてないタイプかと思う。
もう嫌われてて私は私ですって人は、気持ちいいと言われて仲間も結構多い。
嫌われてると言うのは正確な表現ではなくて、とりあえずその人を見たら嫌われてる事にしようみたいな感じか。
嫌われてようが話がしやすいし性格がわかりやすい方が一緒にいて楽しい。
楽しい人を本当に人は嫌いになるだろうか。
結局話してみたら嫌いではない、好きではないけど一緒にいると気分が良くなる。みたいな感じになると思う。
だから、上手な嫌われ方は主義主張はハッキリしてて人としてどうなのかという事も平気で言うけど、一緒にいる人とは明るく話すし、話してる相手を下げない、下げてもそれ以上、気分をあげる何かを持ってる…そんな感じの嫌われ方だろうと思う。
しかしそこでふと考える。
いっそのこと、本当の嫌われ者で徹底して自分を貫いてみると、別の視点が花開くのではなかろうか。
無理に上手な、表面的には嫌われてて人気者になろうとするから自分が辛いのであって、嫌われてても自分が楽な位置が本当はあるはずで、一番いけないのはいつまでも自分が辛い位置に留まって頑張る事なのではないかと。
別に開放的になろうが偏屈になろうが自分が楽ならそれでいいのだ。
なので自分にとって上手な嫌われ方をもっと模索する必要があると思う。
一番いいのは、自分は性格のいい悪いを杓子定規で測るタイプ、そういう方が好き、やりやすいと思う事だ。そう考えるといつの間にか他人の
「性格が悪い」
と言ってくる意味がわからなくなる。
いやそうじゃなくて、自分は性格を杓子定規で測るタイプで、色々考えているうちに何をしていいかわからなくなっちゃうんです。
みたいな言い訳をしてみると
「なんだ、そんなの、深く考える必要ないじゃない」
心の中の他人が答えてくれる。
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