静止流星、君の白い頬

八面子守歌

0. 開幕前週、

第0話 春の少し前

 中学を卒業した翌日に、俺は普通ではない女の子と出会った。


 あれからもう二週間が経とうとしている。時の流れるスピードは早い。


 春休みは明後日で終わってしまう。俺には時間がないのだ。


 自分の思っていることを伝えたくて、それだけのためにここまでやって来た。


「俺は椎奈しいなさんのことが好きだ。好きになったからこそ……顔を見たい」


 小高い丘は夕陽の光に包まれている。すなわち、俺にも目の前に立つ椎奈花穂かほにも光が差していた。


 真っ白なはずのマスクはオレンジ色にほんのりと色づいている。真っ黒なアイマスクは、光のせいでより一層黒みが増しているような気がした。


「私も好きだよ。だから……本当に嬉しい。でも、それなら、なおさら分からない。事情を知ってるのにそんなことを」


 椎奈さんの声は、か細くて震えている。吹き抜ける風の音が少しでも強ければ、かき消されていたかもしれない、とふと思った。


 髪が黒くつやめきながら揺れている。どんな表情をしているのかは分からない。目も鼻も口もまゆも頬も、相変わらず覆い隠されているのだ。


「素顔を見せた状態の……本当の椎奈さんを知りたい」


 顔が強張っているのを感じた。恥ずかしさもあるけれど、それだけじゃない。


 怖いのだ。椎奈さんがどう思っているのか全く分からなくて、恐ろしい。


「この格好のままで記憶を重ねていくよりも、私の顔を見るほうがいいの?」


 椎奈さんの声は上擦うわずっている。アイマスクの裏面はもしかすると、涙で濡れているのかもしれない。そう思うと、途端に心臓が締め付けられたように感じて、息苦しくなった。


「うん。また会えるから。記憶が消えても、もう一度最初から重ねていけばいい」


 俺はゆっくりと囁いた。


 静かだ。周囲にはベンチと電灯しかなく、俺たちのほかには誰もいない。互いに黙すると静寂ができあがってしまう。耳鳴りがしてしまうほどの静けさだ。


「据衣丈くんは滅茶苦茶だよ。ほんとに」


 ふふっと椎奈さんが声を漏らした。俺もつられて口元が緩む。不安定な声音は、リコーダーの穴をうまく指で塞げなかったときの外れた音に似ている。


「わかった。見せるよ」


 全身の皮膚が粟立あわだった。心臓が飛び出してしまいそうだ。


「初めて出会ってから、もう二週間ぐらい経つよね」


「ああ。毎日のように会ってたよな」


「本当によくしてくれて、ありがとう。いつも一緒にいて楽しかった」


「俺のほうこそ、ありがとう。この先もきっとまた遊べるから」


「うん」


 椎奈さんはマスクとアイマスクの紐を一緒に指へかけた。髪を耳へかける仕草に似ている。


「それじゃあ、いくよ?」


 綺麗な高音が鼓膜を揺らした。俺は、ああ、と返事をする。


「また……な」


「うん。バイバイ」


 椎奈さんはそう言って、マスクとアイマスクを顔面から離し始めた。


 椎奈さんのサラサラな前髪がアイマスクの動きに合わせて、はらりと舞う。椎奈さんの色白な手が右から左へゆっくりと移動し、そして――。


 真っ白な頬についているしずくが夕陽に照らされて一瞬だけ光を放つ。すぐに輝きを失って、あごのほうへと垂れた。


 それはまるで静止せいし流星りゅうせいのようだった。

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