残された成果

 気が付けば、見知らぬ天井を眺めていた。

 ……これで二回目の経験だ。

 自分が倒れてベッドで寝ていたと自覚して、誰かが側に居る事も察した。

 首を湯湖に向けてみると、人間状態の神様が居る。


【ようやく気が付いたか、クロー。三日ぶりの起床だが、気分はどうだ?】

「……おかげさまで良好です。ところで、ここどこですか」


【新アッカド基地、つまり帝国の置き土産だ。貴様の功労を称えて、基地の中で二番目に良い個室が与えられている。しかし我にとっては苦痛だった。何しろ名実共に南方の最前線だというのに、特に必要とされない日々だったからな】


 腕を組みながら不機嫌な態度を取る神様だが、特に興味は無い。

 俺はベッドから起き上がり、情報収集する為に部屋を出る事にした。

 だがドアノブに手を掛ける直前、神様がソレを制止する。


【まぁ、待てクロー。慌てて外に出ずとも、お前が目覚めた時の予定は既に出来上がっているのだ。病み上がりは、自分の体調管理を優先しておけ】

「……俺以外、既に準備が整っているって事ですか?」

【そうとも。これから我らはアッカド基地から離れ、王都に向かうのだ】

「……何を言っているんですか、神様。まだ戦いは終わっていないのに」


 納得の出来ない計画に、俺は抗議するつもりで振り向く。

 そこで気付いた。

 俺に説明している神様こそが、今の現状に怒りを感じているのだと。


【文句など無意味だ。お前が寝ている間に、大方の問題は片付いたのだから】

「え?」

【帝国の勢力は女将軍ごと南方から消えた。魔物も雑魚しか居ない。巨大な脅威は去っているのだから、我らの出番は終わった。決定権を持つ連中がそう決めて、迷惑なことに次の行き先を指示してきたのだ。クローの意思など関係なく、な】

「待ってください。当事者じゃない人達が決めた事に、イーシュさんやソフィア姫は大人しく従ったんですか」

【その二人には決定権など無いからな。寝込んでいる貴様を馬車で王都まで護送するという暴挙を止めるのが精々だった。まぁ病人と同じ扱いを受けた我に比べたら努力した方だがな】


 自虐の笑みを浮かべる神様から目を逸らして、俺は再びドアに手を伸ばす。

 俺以外の手筈が済んでいるなら尚のこと、外に出なければ話は進まない。


【我の気遣いなど無用ということか?】

「心配しなくても俺は元気です。それよりも俺の為に苦労された人達に、御礼を言いたいと思ったので」


 役立たずと思われては心外だ。俺はまだ戦える事を伝えなかれば。

 ガチャリ、とドアを開けると見張り役なのか、武器を持つ兵士が立っていた。


「クローさま。お目覚めになったのですか」


 ……確か名前はウガリさんだったか。

 そうやって目の前に居る人物の顔と名前の一致させている合間、彼はじっと観察するように俺を見ていた。


「どうかしましたか?」

「いえ。クローさまの意識が戻り次第、お連れしろという命令をイーシュ隊長から受けていましたので、クローさまの了解を得ようと窺っておりました」

「では遠慮せず、そうしてください」


 ――まぁ、そこからの流れは早かった。

 見覚えのある場所まで案内され、部屋に入れば円卓テーブルにイーシュさんとソフィア姫が着席しており、主人の背後を守護するようにエレナさんが控えていた。


「どうも、おはようございます」

「えぇ、おはよう。その様子だと、身体に支障は無さそうね。クロー」

「なんだったら、今から魔物退治が出来るくらいには元気ですが」


 ドアを閉めて、何となく空いている席にストンと座る。

 結果、あきれ顔のソフィア姫と向き合い、左隣で難しい顔をするイーシュさんの言葉を拝聴する事になった。


「……む。その必要は無いと、デミウルゴス様から聞いてはいないのか?」

「いえ。王都に行く予定があるとは聞きましたけど、まさか即日出発というわけではないでしょう?」

「だからといって魔物退治をする暇も無いわ。貴方が目覚めた以上、明日には王都に向かう用意を完了させておく必要があるの。各方面から、早く出立しろって無言の圧力も日に日に増していたところだしね」

「じゃあ魔物は放置するんですか? また襲いかかるかも知れないのに」


 我ながら間抜けな悪足掻きだ。

 俺の心情など筒抜けなのか、子供を諭すような態度でイーシュさんが口を開く。


「安心してくれ。姫殿下の進言によって我が隊の環境は改善された。南方領主達が派遣した援軍と共に吾輩達で対処するとも」


 予想していたことだが、イーシュさんはアッカド基地に残るらしい。

 まぁ何にせよ、ソフィア姫達でさえ南方の危機は脱したという認識を持っていることを理解し、溜息混じりに現実を受け入れた。


「俺は御役御免って奴ですか。まだ戦えるのに」

「……むしろ有用だと認められたから王都に呼ばれるのよ、貴方は」

「どういう意味です?」

「モート伯爵が、ご丁寧にも貴方が活躍した成果を中央政府に報告したのよ。今度は王都で発生している問題を解決させる気でね」

「モート伯爵が?」

「そうよ。貴方が倒れた当日に使者を派遣してきたの。あの最小の労力で浮利を得る狡猾な陰険魔術師が王都までの旅支度を手配していたと知った時、私は殺意を抱いたわ」


 どうやら俺が寝ている間にモート伯爵が介入していたようで、ソフィア姫は露骨に不機嫌な態度を隠さない。

 どういう経緯か詳細を聞くと地雷を踏みそうなので、とりあえず俺は当たり障りのない方向に舵を切った。


「……まぁ必要とされるのは嬉しい限りですけど、王都とやらはアッカド基地より危険なんですか?」

「さすがに腐っても王都、魔物の脅威なんて滅多にないわ。でもより厄介な不安定要素が盛り沢山よ。政治屋や神官達、貴族。いいえ、平民さえ毒になりかねない魔窟ね」

「それはそれは。助け甲斐のありそうな環境で何よりです」

「……クローを見ていると、自分の感性の方が変なのかと疑ってしまうわ。貴方の言葉は為政者としては喜ぶべきだけど」


 俺としては本音を語ったに過ぎないのだが、複雑そうな顔で俺を見るソフィア姫。

 しかし、すぐさま彼女の表情が切り替わる出来事が起きた。

 コンコンというドアを叩く音が室内に響く。


「失礼します。異界の魔法師殿が目覚めたと聞いてご挨拶に参りました」


 という声が耳に届いたと同時に、ソフィア姫が大きな溜息を出す。

 その空気には嫌悪感がたっぷりと含まれていた。


「……はぁ。早速、来たわね。クローに対しての値踏みと、明日にでも王都に送還しようという追い出し宣言に違いないわ」


 ソフィア姫の予感は、見事に的中した。

 様子を伺いに来た南方の領主たちから、余計なお世話というレベルで準備万端の旅支度を用意され、翌日には出立するよう告げられたのだ。

 ……この後の出来事は権力者達と食べた夕食が豪華だったこと以外、あまり記憶に残らなかった。

 政治的な出来事が何度かやり取りされていた筈だが、興味が無かったのだ。

 ――そして、あっという間に翌日の朝を迎える。


「さて、予定の時刻となったけれど。クロー、準備は良いかしら?」

「……あとはイーシュさんに別れの挨拶を送るくらいなものです」

「そう。なら私は先に乗ってるから、あとは貴方に任せるわ」


 俺に告げると、ソフィア姫はエレナさんが操縦するワイバーンへと向かった。

 ……自国の姫が帰路に就くというのに、周囲は静寂だ。

 アッカド基地にいた兵士達は持ち場から離れられず、有力者達は厄介払いをした喜びを悟られたくないのか姿を消している。

 ……出迎えは、基地の責任者を任されたイーシュさんだけだ。


「すまないな、クロー。恩人の見送りだというのに、吾輩しか参加できなかった」

「ソフィア姫も俺も、特に気にしてませんよ。もう御礼は充分、頂きましたから。まだ足りないと思うなら、次の機会までに用意して置いてください」

「……あぁ、部下にも伝えておこう。クロー、吾輩はお前に出会えて良かった。再び、こうやって相見える日を楽しみにしている」


 そう言ってイーシュさんは手を差し出してきた。

 人付き合いの少ない俺にでも判る、別れの挨拶だ。


「そうですね。俺も同じ気持ちです」


 自分の腕を伸ばして、握手を交わす。

 別れが惜しくないと言えば嘘になるが、気持ちの整理は済ませている。

 だがら繋がった指が離れるのに、大した時間はかからなかった。


「じゃあ、そろそろ俺も行きますね」

「あぁ。だが最後に一つ、尋ねても良いだろうか」

「なんでしょう?」


 お互いに、未練の残らない最後を迎えられた。

 ……そう思っていたからこそ、イーシュさんの質問は意外だった。


「いやその、だな。吾輩は、お前の良き友人で居られただろうか」


 何が恥ずかしいのか、イーシュさんは紅潮した顔を逸らす。

 その様子を見ても、俺は質問の意図が判らず首を捻った。


「唐突な言葉で混乱させて、すまないな。だがいざ別れ際に過去を振り返ったとき、吾輩はクローには助けられてばかりだった。それがどうにも心残りなのだ」

「気にしないでください。俺は救援部隊として此処に来たんですから」

「うむ、それは判っているのだ。だが吾輩は、友人になろうと言ってくれたクロー個人の役に立ちたかった。今となっては、最初に悪態をついた事を後悔している」

「…………」


 俺も感謝をしてます、と言いかけて止めた。

 なんとなくだが、それを聞いてもイーシュさんは喜ばない気がしたのである。

 イーシュさんのように過去を振り返りながら、俺はゆっくりと口を開いた。


「後悔や心残りだなんて言わないでください。イーシュさんと対等な関係を築けたと思っている俺が馬鹿みたいじゃないですか」


 と言って、冗談っぽく笑ってみせる。

 嘘も打算もない、正真正銘の本心から出た気持ちだ。


「そうか。吾輩とクローは対等だったか」

「イーシュさんは違ったんですか?」

「いや、その言葉に救われたよ」


 曇っていた表情から一転、イーシュさんは晴れやかな顔を見せる。

 結局、何に悩んでいたのかは不明だったが、解決したのなら良かった。

おかげで、俺も温かい気持ちで出立できそうだ。


「では今度こそ、お別れです。これ以上はソフィア姫に怒られてしまう」


 俺はイーシュさんに背を向けて、ワイバーンの待つ方向へ足を進めた。

 友人が出来た、仲間が出来た、思い出が出来た。

だから今日を過去に、俺は明日を目指す為に歩いて行きたい。


【変わったな、クロー。自滅を望んだ男が、未来を思うようになったか】


 今まで杖に徹していた神様が、唐突に声を掛ける。

 なにやら言葉の意味が難しいので、俺はお返しに小言を呟く。


「神様も変わった気がします。なんだか、杖が重くなりました」

【それは我の影響ではない。貴様の命の価値が変わったからだ】


 哲学者みたいな台詞の返答に困っていると、ワイバーンの翼によって巻き起こる風がフワリと身体から通り抜けた。

 ……言うまでもないことだが、出立場所に辿り着いたのだ。


「もう心の準備は整ったのかしら、クロー。私から見ると、まだ物足りない様子を感じるのだけれど」


 ワイバーンの背中に設置された台座へ腰掛ける、ソフィア姫からの質問。

 俺の顔を見て何を読み取ったのか不明だが、指摘された事など思い付かない。


「悩む必要など無いわ。ほら、ただ後ろを確認するだけなのだから」


 神様どころかソフィア姫まで抽象的なことを言いだして、俺は閉口する。

 もはや未練もないし心残りだって無いはずだ。

 ……そう自分に言い聞かせていても、何故だか身体は背後を振り返る。

 最初に認識したのは太陽の光だった。


「――――」


 視認した光景が眩しくて、俺は目を細めてしまう。

 ……それでも、ぼやけた風景に映る『複数の』人影はハッキリと理解できた。


【持ち場を離れる危険を犯して、よくぞ集まったものだ】


 神様の感心した声を聞き流しながら、俺は視覚に映り込む風景を焼き付ける。

 影法師みたいな人間達がこちらに向かって、手を振っている。

 逆光によって表情は判別できないが、声だけはハッキリと俺に届く。


「さようなら、クロー」


 ……あぁ、ようやく理解した。

 きっと俺には、この言葉が足りなかったのだ。

 ほんの少しだけ、寂しさに胸を締め付けられる。だが満足だ。

 ついぞ俺が言えずにいた別れの挨拶を、イーシュさんが贈ってくれた。

 アッカド基地に来て良かった。この人達を、助けられて良かった。


「えぇ。さようなら、イーシュさん。ありがとう、アッカド基地の皆さん」


 コチラも負けじと手を振って、再び俺は前を向いて台座へと触れる。

 登る足取りは軽い。たとえ再びこの地を踏めないとしても、忘れる事はない。


「誇りなさい、クロー。あれが貴方の作った成果よ」


 果たして何を察したのか判らないが、ソフィア姫が優しい笑顔を向ける。

 ただ何となく、そんな態度が嬉しくて俺は穏やかに口を開いた。


「じゃあ、出発しましょうか」 


 その言葉を待っていたかのように、ワイバーンが勢い良く翼を広げた。

 バサリと音を立てて浮上する翼竜は、あっという間に空を駆け上がる。

 目指すは王都。

 めまぐるしく変わる眼下の景色を見ながら、次の目的地に思いを馳せよう。

 きっと、アッカド基地みたいな素敵な居場所でありますように。 

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寿命を対価に魔法を放て 町村雅樹 @hitoikiganbaru

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