神さえ断つ刃
翌日。
セレネ将軍に連れられて、俺達は目的地へと辿り着いた。
「……これが、魔物を生み出すと言われている遺跡?」
案内された風景を見て、感慨深そうにソフィア姫が呟いた。
――それを一言で表すなら、朽ちたピラミッドというべきだろうか。
新アッカド基地の二倍はある、石材で出来た三角形の建築物である。
周囲には魔物を象った石像、建造物の中央には昇り階段が作られていて、頂上には光り輝く何かが鎮座していた。
残念ながら、目を凝らしても光を反射していて良く確認できない。
「……すみません、あの天辺にある物って何ですか?」
「不明ですね」
「え。すぐ目の前にあるのに、ですか?」
「詳しく調査しようにも、ここから先には防御結界が張られていますから」
そう言ってセレネ将軍は、遺跡に向けて手を伸ばした。
しかし、そこから先に進まない。
まるで透明な壁があるように固い音を立てて、指先が阻まれている。
「このように結界の膜は無色透明で周囲の風景に溶け込んではいますが、実際にはカップをひっくり返したような半円形状の壁があります」
ドアをノックするようにコンコンと結界を叩きながら、セレネ将軍は面倒くさそうに溜息を吐いた。
「自分たちとしても、発見した以上は様々なことを試しました。しかし堅牢な結界を上手く突破できず、ずっと立ち往生しているのです」
「へぇ、なるほど。あれほど偉そうに語っていたのに、実際は入り口さえ確保できていない訳。ふーん、先を越されたと思ったけれど、じつは横並びだったようね?」
ソフィア姫が、ニコニコと嬉しそうに笑い始める。
ようやく主導権を取り返せるチャンス、と目論んでいるようだ。
「最悪、雑用を押し付けられる事も想定していただけに、これは嬉しい誤算だわ。前人未踏の遺跡を突破できるかどうかは、まさに私達の努力次第という訳ね。家名を使用してまで必死に引き留めるのも納得よ。目の前にある宝箱を開けない悔しさは、冒険家では無い私でさえ理解できる」
「お恥ずかしい限りだ。しかしその不名誉も、貴方達との出会いで返上できると思っています。その為に、此処まで案内したのです」
「……拍子抜けするくらい殊勝な態度ね。結界破りは私達にしか出来ないと言う事?」
「話が早くて助かります。まぁ、貴方達にもメリットのある話だ。結界を破り遺跡の調査を完遂した場合、自分はティマイオスから撤退する事を約束します」
予想外の報酬を提示されて、ソフィア姫達はザワ、と色めき立つ。
その様子を見たセレネ将軍は不敵な笑みを取り戻して、再び舵を取る。
「元より長く留まる気はありません、何事も区切りは必要だ。魔物が異常発生する原因を取り除けば、自分たちの役目は終わり。そうなれば、新アッカド基地も貴方達の物だ」
「……随分と美味しい話ね。一部とは言え南方の領土を実効支配しているのに、その財産を捨てる? 魅力的だけど蠱惑で甘美な毒としか思えない」
「たしかに新たな領地は惜しい。しかし、あのモート伯爵が王族である貴方を寄越した時点で潮時と言う事でしょう。不必要に長く留まれば、間違いなくあの男が自分たちを排除する。ならば恩を売れる内に渡して、義理を作る方が得策です」
「……そう、貴方からすれば時間切れが迫っていると言う事ね。なら、もしモートが出しゃばってくるのを待つ為に、私達が断ると言ったら?」
「ならば、この場で貴方達を斬ります」
即決即断。
セレネ将軍は引き抜いた双剣をこちらに向けて、気軽に脅し文句を放った。
「あまり自分を困らせないで欲しい。ただでさえ不安定な時期に、王女の死亡という悲しみを国民に背負わせたくは無いでしょう?」
「支離滅裂ね。あれほどモートを敵に回したくないと口にしていたのに。私を傷付ければ帝国ごと滅ぼそうとするわよ、アレは」
「どうせ破滅するなら盛大な方が良いだけですよ。それに選択権は貴方達にある。協力すれば損害はないし、利益のある美味しい話だ。断る方がどうかしている」
……その台詞に温泉での会話を思い出し、嫌な予感が過ぎる。
この人が与えてくる選択肢は、実質一つ。
選ばされる頃には、すでに状況は袋小路のように詰んでいるのだ。
そして、その推測は当たった。
「あぁ、そうそう。自分が夕刻までに戻らなければ、貴方達の基地や人里を襲撃するようカドモス達に伝えています。これまでの人命救助で得た信頼は無くなりますが、その分だけ油断した相手を簡単に葬れますね?」
この言葉が放たれた瞬間、周囲の空気は殺意という成分に塗り替えられた。
……そんな錯覚をするほどに、息苦しい雰囲気が充満したのである。
「ほぅ、冗談にしてもそれは聞き捨てならんな。最初から帝国に親切心など期待していなかったが、こうも露骨に人の命を交渉材料に使うなら、それは敵対するには充分だ」
「同意見です。仕掛けるなら援護しますよ、イーシュ殿」
不穏な声を出すイーシュさんと、無愛想なエレナさんが戦闘準備を開始する。
このまま放置しては、目的地を無視した殺し合いが確実に発生してしまう。
なんとか押し留まっているのは、ソフィア姫が制止するように二人の前に立ってセレネ将軍を真正面から睨み付けているからだろう。
「イーシュ男爵もエレナも抑えなさい。私は別に交渉を放棄したつもり、無いから」
「しかし姫殿下、セレネ将軍は吾輩の部下達を危険に晒すと挑発してきたのです。揺さぶりであろうと、こればかりは看過できません」
「そうです姫様、止めないでください。このままでは、敵の要求に屈する弱者の汚名を被ることになります」
「……落ち着きなさい。私が欲目を出したら、牙を剥かれただけよ。べつに決裂したわけでも無いわ。そうでしょう、セレネ将軍」
「まぁ自分としても、まさかここまで過剰反応されるとは思いませんでしたが。どうにも駆け引きは苦手だ。貴方もそうではありませんか? 姫殿下」
「えぇ、そうね。元を辿れば私の失言が原因。それは認めるけれど、貴方も不用意よ。家名や家紋に誓約しておいて、その脅し文句はあんまりだわ。貴方、代々継承され続けた気品や誇りを、自分勝手に踏みにじる気なの?」
「姫殿下にとっては残念なことでしょうが、仮にカドモス達が王国の人間を斬り付けても自分の制約には違反しません。何故なら自分は「アッカド基地の人命を魔物の脅威から必ず守る」と口にしたのです。だから人間の行う殺害行為は当てはまらない」
「――――」
刹那、ソフィア姫達の顔から血の気が引いた。
俺からすれば言葉遊び染みた屁理屈にしか聞こえないが、事情に詳しい人間からすれば重大な失態であることは明白だ。
だからこそ、セレネ将軍は余裕を崩さず言葉を続けるのだろう。
「非難される謂われはありません。交渉もまた争いごと。先程ソフィア姫が協力を渋ったふりをしたのと同じで、相手を出し抜くのは当然だ。宣言の内容を精査し、確認しなかった其方の落ち度です」
「悔しいけど、反論の余地が無いくらい身に堪えたわ。でもこれで予定通りに協力したところで、アッカド基地の安全が保証がされていないと理解も出来たけれど」
「そこは否定はしませんが、そこまでするなら戦争になってしまう。自分としては出来るだけ避けたい事案だ。姫殿下達が素直に自分の指示に従えば、全て平和に解決です」
そこから会話が途切れ、不穏な空気がより濃くなった。
お互いに様子を窺い、次の行動を模索し合っている。そしてソレは恐らく悪い方向で進行中に違いない。
だから俺はそれを断ち切る為に、道化みたいな態度で口を出すことにした。
「別に、このまま俺は協力しますけど? 一宿一飯の恩と言いますし、お世話になった以上は手伝わないといけません」
シィン、と。
とても静かな、それでいて戸惑いの様子が手に取るように分かる沈黙が訪れた。
少し間を置いて、理解に苦しむ顔をしたイーシュさんが一言呟く。
「クロー、正気か?」
「でも結界を斬らないと、お互いの目的は果たせないんでしょう? 争いたいなら結界を壊し終わった後でも良いじゃないですか。仮にこのまま俺達が戦って勝ったとしても結界の解除方法が分からなければ、何の意味も無いですよ?」
【むぅ。言われてみれば、どうやって結界破りを行うのか不明瞭ではないか。帝国の将軍も匙を投げ出す程だ、まともな解除ではあるまい】
俺と同じ結論を口にした神様の言葉を聞いて、イーシュさん達もこのまま戦う危険性に気付いたようだ。
その空気を察して、セレネ将軍も冷めた顔のまま優雅に微笑む。
「ありがとう、クローくん。自分で言う手間が省けました。貴方達の想像通り、遺跡の結界は特殊な方法でなければ解けないし、ソレを知っているのは自分だけだ。ここまで言えば結論は一つでしょう?」
猫が獲物をいたぶるような、こちらの反応を楽しんでいる嗜虐性を含んだ視線が身体に刺さって痛い。
しかし反感を抱くわけにはいかない。少なくとも、このまま四対一で戦っても勝ち目は無いと断言できる。
……そう思うことが出来たのは、あの墓場での戦いを目にしたからだろう。
悔しいが、現状では相手の方が上手だと認めるしかない。
そしてその認識は、おそらく俺以上にソフィア姫が理解できたはずだ。
何しろ、今まで見たことがないくらい悔しそうに顔を歪めている。
「……目算が甘かったわ。自分では優雅に飛んでいたつもりだったけれど、実際は蜘蛛の巣の中で藻掻いていたようなものね。どう足掻いても結末は変わらない。良いわ、当初の予定通り協力して結界破りを実行しましょう。エレナと男爵も我慢して従って」
「で、ですが姫さま」
「これ以上の抵抗は諦めて。言い分としてはセレネ将軍に軍配が上がるわ。何しろ、実際に遺跡からは魔力の乱れが感じられるもの。これほど大きな歪みは放置するだけで魔物を生み出す。貴方達だって、そこは否定しないでしょう?」
ソフィア姫にそうまで言われては、イーシュさん達も戦意を納めるほか無い。
……不本意そうな二人が渋々と警戒を解く。
それを見計らってから、ソフィア姫は話し合いを再開した。
「さて、こちらの準備は整ったわ。これ以上、話を蒸し返したりしないから結界の解除方法を聞きたいのだけれど。それとも、私の権限で王都から専門の技術者を派遣させるような政治的な要素が不可欠なのかしら?」
「それには及びません。貴方達が並の戦力なら捨て置きましたが、仮とは言え神の使徒がいるなら話は別だ。その力を利用させて貰います。もとより、モート伯爵はそのつもりでクローくんを南方に寄越したのでしょう」
セレネ将軍の発言によって、その場に居る全員の視線が俺に押し寄せる。
ただその中で複雑そうな顔をしていたソフィア姫が特別、印象に刻まれた。
「……まぁ、そうよね。旅の始まりからして私はオマケだったもの。伯爵にしても将軍にしても本命はクローただ一人だけだたっという事ね。でも、ソレは何故?」
「では百聞は一見にしかず。まずは一度、自分の成果を披露しておきましょうか。みなさんは、少し後方に避難してください」
そう言ってセレネ将軍は双剣を、すぐさま結界に向かって斬りつけた。
大した間もなく、ガキィンと岩を叩いたような鈍い音と共に弾き返される。
「さて、ここまでは説明した通りですが」
気落ちした様子もなく、セレネ将軍は集中を高めるように目を瞑ると、ゆっくりと深呼吸して、詠唱を吐いた。
「――我が与えしは天の羽衣。常世を喰らう王の権威にして、常勝無敗の証なり。汝、その身に纏うは、霊獣の翼にして蛇王の牙なり」
……明らかに魔法の詠唱、しかしその効果は炎や雷を打ち出す事ではなかった。
それは変化だ。
セレネ将軍の額からは山羊のような角が生え、鎧の隙間から下半身にトカゲのような太い尻尾が伸びていく。
それはほんの少しだけ、魔物が産まれたときの光景を想起させた。
白昼夢のような回想の間もセレネ将軍の異形化は止まらず、白い肌から赤色の鱗が浮き出て表面を浸蝕していく。
余りにも異様な容態に開いた口が塞がらずにいると、イーシュさんが寒さに耐えるような震えを伴って呟く。
「間違いない、これは竜化の護身だ」
「……なんですか、それ。イーシュさんの使う魔法と似た名前ですが」
「吾輩の魔法と比較するのも烏滸がましい。姿だけでなくドラゴンと同等の能力を得られる、強化系の魔法で最高峰の呪文だ」
それだけ言うとイーシュさんは再び口を閉ざす。しかし変化したセレネ将軍をジッと見る目線は、普段よりも熱を持っているような気がした。
「これは自分が使える唯一の魔法、そしてコレの最大の威力で結界を斬ると」
言葉は途切れ、剣で切り込む動作に変わる。
イメージとしては、ハンマーで砕くような勢いさえあった。
「ハッ」
大地ごと張り裂けそうな斬撃は、今度は弾かれる事なくズバッと振り下ろされる。
瞬間、周囲に巨大な衝撃波が発生した。
【グ、これは結界内部に貯まった魔力の歪みと魔法による一撃によって生じる突風だ、吹き飛びかねんッ】
神様の愚痴通り、足が浮きそうになる程の風圧に晒される。
身体を屈めて必死に耐えるが、まるで大気で出来た津波のようだ。
直撃した結界の周囲など、覆い茂っていた木々が全て破裂するほどの被害である。
そして、その成果は。
「ちょっと、結界が破れてるじゃないッ」
ソフィア姫の驚きの声は、その光景を見た俺達の代弁でもあった。
分厚い刃が、明らかに敷地内へ侵入していたのだ。
ただ一人、結果を出した張本人だけが酷く冷静な声で結果を伝える。
「一時的に結界を破ることは可能です。まぁ、ここまでが限界なのですが」
それが合図であるかのように、竜化していたセレネ将軍の変化が解けた。
と同時、ゴムを押さえ付けていたかのような弾力を伴って、剣が弾き戻される。
「まったく、じつに忌々しい結界だ」
勢い余って手中から離れ、空中でクルクルと落ちる剣を掴み取るとセレネ将軍は再び斬りつけるが、やはり見えない壁に遮られた。
と同時、突風も綺麗に止んで周囲は静寂を取り戻す。
「……さてと。ここまで御覧頂ければ理解できたでしょう。この遺跡の厄介さが」
溜息混じりに双剣を収めたセレネ将軍が、こちらを窺うように振り向いた。
……先程の化け物染みた姿は消え去り、鋭利な美顔が俺を覗いている。
ソレを見て、驚きから苦い表情に戻ったソフィア姫が口を開いた。
「確かに難儀ね、修復機能が備わった結界なんて初めて見たわ。しかもこの様子だと、一定以下の威力だと無効化する仕様ってことかしら?」
「えぇ、その通り。ちなみに、一定の威力は上級魔法と同等です。逆に言えば、それ以上の破壊力があれば結界を破ることが出来るでしょう」
「それって最上級魔法ってことよね。それなら別にクローじゃなくても構わないわ」
「結界内部の魔力の乱れを考慮しなければ、確かに問題ありません。しかし自分が試した通り、大きな魔法を使用した分だけ反動が起こります。最上級魔法を放てば突風どころの被害では無く、土地ごと吹っ飛ぶ可能性が高い」
「ちょっと待って。それじゃ通常魔法を利用しないで、一体どうやって結界を破壊しろって言うのよ」
「一応、補足しますが純粋な物理破壊も無意味でした。そうなると魔法とは異なる超常定理でなおかつ最上級魔法クラスの威力が必要となりますが、それがいかに困難なのかは貴方達も知っての通りだ」
「いや、俺は知らないんですけど」
なんか当たり前のように話を進められても困る。
とはいえ話の腰を折りたくもないので、文字通りの神頼み、縋る視線で神様を見た。
指名した当事者は面倒くさそうな顔をして、渋々と口を開く。
【元々、上級魔法の使い手は少ない。ましてや上級魔法以上を扱える術者は一国に三人も居るまい。それと同等の威力を魔法無しで作り出す超人など、皆無に等しい。つまり、この結界を完全に破るという望みは絶望的という訳だ】
「なるほど、そうなんですか?」
確認するようにセレネ将軍に顔を向ける。
すると『概ね正しいですが、補足が必要です』と返ってきた。
「確かに人の手には余る案件ですが、そこな邪神の力を借りれば結界破りは不可能ではありません。何しろ、魔法とは異なる系統の奇跡が行えます」
【貴様、まさかと思うが】
「白々しい態度ですね、デミウルゴス。元より使い捨てる予定だったでしょうに。その境遇と末路に対する同情と憐憫で、手心を加える気ですか?」
【――黙れ。魂ごと焼き尽くされたいのか】
チリチリと熱さえ感じる怒りで暴れそうな神様を、ソフィア姫みたいに手で制する。
どうやらセレネ将軍の発言が気になるのは俺だけじゃないようで、神様を除く全員が黙って耳を傾けていた。
「魔法師クロー。自分が貴方に期待しているのは魔法とは別種の術式、神の加護と呼ばれる特殊能力の発動です。コレさえあれば、結界破りは容易いでしょう」
少しの間、周囲は沈黙のカーテンに包まれた。
最初に口を開いたのはソフィア姫だ。
「……神の加護。噂で聞いたことがあるわね、守護神に選ばれた者にしか使用できない禁呪という話だけれど」
記憶を辿って呟くソフィア姫に、セレネ将軍はあからさまに馬鹿にした視線を向けて鼻で嗤った。
「ふん、噂ですか」
「なによ。常識を知らない子供を見るような顔ね? 他国では、そんなに神の加護とやらは重要なのかしら?」
「その通りです。まぁ無条件で守護神からの恩恵を受けていた国民には、不要で過ぎた力でしょうとも。しかしクリティアスを含めた六カ国においては、確かな奇跡として存在しています。まぁ使用できる者など、一国に三人も居ませんが」
「……随分と稀少すぎる力じゃない。どうせ一部の権力者くらいしか知り得ない知識を一般的だと嘯くのはどうかと思うわ」
馬鹿にされた事を根に持った呟きをするソフィア姫だけど、今はその感情に付き合う暇は無い。ただ、俺にも不満はあった。
「最初からそう説明してくれたら良いのに。遠回しな物言いは苦手です」
「手っ取り早い方法を黙っていたのは、デミウルゴスの方ですが。まぁ隠していた事情も理解できます。今の貴方では使用条件が厳しいでしょうからね」
「どうせ寿命が大幅に減るとか、その程度なのでは?」
「いいえ。寿命を減らす必要などありません。ねぇ、デミウルゴス?」
セレネ将軍の挑発めいた視線にチッと舌打ちした神様は、それでも観念したように頭を掻きながら発言する。
【……魔法が寿命を消費するのに対し、神の加護は信じる心を対価とする。そう言う意味では、身体に害は起きない。だが、それを安全だと勘違いするなよ】
「どういう意味ですか?」
【我が権能が、貴様の心の中に降臨するのだ。人格の乗っ取りに等しい暴虐だ。その代償として人間の精神は摩耗する。身体では無く心が壊れるのだ。人間性を失い、生きた人形となり下がる。それは寿命が減るよりも残酷なことだ】
「なんだ、その程度の事だったんですか?」
拍子抜けだ。
緩すぎる条件に目を丸くすると、何故か怪訝な顔をしたソフィア姫が口を挟む。
「クロー、本当に構わないの?」
「はい。むしろ、何でそんなに心配そうに見られるのか分かりません」
「ミウルが躊躇うのも無理はないからよ。自分という人格を失うなんて、恐怖以外の何物でも無いわ。普通に考えれば、クローが反発して仲違いしても不思議じゃない話よ」
「……何故ですか?」
「もし精神が崩壊すれば、その覚悟と努力で得られた結果さえ理解できなくなるとは考えないの? 命を犠牲にしてまで叶えたい願いや目標も、もしかしたら実現できないまま消失するかもと不安に思わない?」
「……あぁ、そういうことですか。俺は成功することを前提で考えていましたが」
つまり神様は俺が失敗すると決め付けて、結界の解決策を隠していたらしい。
だから理解できた途端、グツグツと煮え立った鍋のように怒りが湧いてきた。
「馬鹿にしないでください。試さないで諦めるなんて、そんなに俺が信用できないんですか? 俺、そこまで心が弱いつもり無いですよ」
【それ以前の問題だ。己の全てを捧げても良いという信頼や敬意は、時間をかけて育むものだ、人間。貴様と我が出会って、まだ数日だぞ。そんな相手に全て支配されるという屈辱を甘んじて受けるのか? 魔法師クロー】
「それが、必要だというのなら」
【心が強いなどと自分を買い被ってくるくせに安売りしすぎだ、間抜けめ】
罵倒しながら神様の顔が曇る。
まるで哀れな子羊でも見るかのような、悲しい哀愁を浮かべている。
【今まで、全て失敗してきたのだ】
「え?」
【我は口だけは達者な者を何度も見てきた。その全てが、神の加護を受け入れきれず精神を壊して廃人だ。成功する可能性があるなら、喜んで応じよう。だが無意味に失うくらいなら、手を貸さない方がマシだ】
いわゆる経験談というヤツだろう。
神様は過去の出来事を思い出しながら、俺には為し得ないと判断している。
――ふざけた話だ。
「なら、そんな常識は今から捨ててください」
ガシッと、手を握って神様を引き寄せる。
ちょっと勢い余って、抱き寄せるみたいになってしまったが関係ない。
【お、き、きさま、いきなりなにをッ】
まだ文句を言いたそうな感じがあったが、そんなの知らない。
論より証拠、有言実行だ。
神様を連れて俺は遺跡に近付くと、言葉を放つ。
「風の刃に慈悲はなく」
【待て、何をしている、貴様ッ】
慌てる神様の声は無視しよう。
だって、今の俺に誰かと対話できる余裕はない。
冗談では無く、体内の血液がグツグツと沸騰する感覚があった。
右腕の血管から、バシュッと斬られたように血液が吹き出す。
神様という補佐が無い状態で唱える魔法は、俺の想像以上に痛かった。
「……弓より早くその身を喰らう、無色の咆哮」
【止めよ、我を介さずに魔法を放つなど自殺行為だッ。貴様の魔力量は破格だが、技術は素人以下なのだぞ。ましてや上級魔法など、発動する前に身体が枯れ死ぬわッ】
文字通り、それは身に染みる忠告だ。
何しろ、今度は左腕が裂かれたように割れだした。
雨に濡れたように身体から脂汗が止まらないし、何故か鼻から血が流れ始める。
だが、素直に従う気などサラサラない。
「死神の」
【死にたがりめ、使命を果たす前に我を置いて勝手に逝くなど、誰が許すものかッ】
そう言葉を並べ立てながら、必死な形相で俺の口を塞いでくる。
中断した時点で心臓が焼けるように痛いけれど、今は我慢しよう。
神様が俺を見捨てなかった時点で、交渉の余地があると判ったからだ。
【バカな真似を、我が協力しなかった腹いせかッ】
「そうですよ、何を躊躇っているんですか」
【なっ】
「此処に来た目的は魔物退治とか混乱した社会を鎮めたりとか、色々あるそうですが俺に判ることは一つだけです」
【……言ってみろ】
「遺跡の結界を壊せば人助けに繋がるんでしょう? なら、やるべきです」
【まったく随分と気軽に言い放ちおる。狂人か、貴様は】
「じゃあ、やらないんですか?」
【やらんと言わん。だが我とクローには、もっと互いを知る時間が必要だ。それが成り立つ前に、分の悪い駆けに乗って破産したらどうする】
「できますよ、絶対。俺の全てを賭けます。信仰に敏感な神様の目なら、俺が本気かどうか判りますよね?」
【――――】
神様は絶句して、下を向いて、地面をダンダンと踏んで、イライラした顔のまま俺を見て口を開いた。
【まったく、神をも恐れぬ愚者め。こんな態度を示しておいて、我の何を敬っていると言うのだ】
「俺が仕える神様は、こんな些細なことで動揺しないし、困っているときは喜んで力を貸してくれると信じています」
キッパリと言い切る。
それを聞いた神様は目を点にして、深い溜息を吐いて、諦めたように頭を振った。
【……そんなものは独善だ。ふん、もう知らんぞ。結界破り、出来るものならやってみるが良い】
辛辣な言葉とは反対に、その身体は杖へと変化する。
俺は感謝しながら杖を手にとって、セレネ将軍に向き直った。
「この遺跡の結界を壊せば、アッカド基地や貴方の国に魔物は来なくなりますか?」
「さぁ? しかし遺跡を調査して解明すれば、魔物の生態は変化するのは間違いないでしょう。それについてだけは、自分が保証します」
価値があるのか良く分からない保証だったけれど、無いよりはマシか。
と思うことにして、俺は改めて杖を構える。
ソレを合図とするように、神様の言葉が洪水のように俺の心に流れ込んできた。
「――我が加護は、断絶」
瞬間、さっき実行した杖を使用しない魔法の苦痛がマシだと知った。
それは圧倒的な自意識への暴力だ。
神様から送られてくる魔力に、巨大な滝の水流に飛び込んだのかと錯覚するほど思考がグチャグチャと押し潰される。
もう神様の魔力で満杯なのに、まだ足りぬとばかりに溢れて流れ出す。
次から次へと遠慮無く注ぎ込まれる性で、自分の内側が風船みたいに膨張する。
……きっと、パンと破裂した時点で俺は廃人となるのだろう。
それは困るので、増える魔力を取り込む為に元からある自分を捨てる事にする。
俺の中に残っている過去や感情を廃棄して、もっと神様を受け入れる事にした。
自尊心は要らない、夢や希望も要らない、寿命だって失ってみせる。
至って平気だ、十年前の災害から人生は引き算だと学んだのだ。
俺は無価値である。どんな目に遭っても、ソレは些細なことに過ぎない。
救われたいなどと思わない、努力にあった見返りも邪魔なだけだ。
――大切なのは、人助けという義務だけでいい。
……そこまで整理して、ようやく精神が安定し始めた。
と同時、傷付いた身体が急速に回復していく。
「我が主の祝福に、如何なる領域も阻むこと叶わず」
その言葉を起爆剤にしたかのように、神様の杖が光を帯びて上へと伸びた。
輝きは空を貫く長さになると、幾千の束となって東西南北に広がっていく。
「……これが神の加護。綺麗、昼間から流星を見ている気分だわ」
――ソフィア姫の言葉を聞いて見上げれば、光の線はグニャグニャと形を変えて、空を覆う魔方陣を作り出していた。
その影響で青空は虹のような七色に成り代わって、地上の景色を一変させる。
たった一言の影響で、コレ。けれど詠唱はまだ続くらしい。
「これすなわち、如何なる加護を以てしても、我が攻めを守ること能わず」
理解できない難しい言葉なのに、当たり前のようにスラスラと言えてしまう。
そして呪文の効果は空に伸びた魔方陣をパズルのようにカシャカシャ動かしながら、同時に神様の杖さえ変化させていく。
それは、剣だった。
細長かった銀色の杖が鋼の刃と成り、まるで俺が剣士になったかのような錯覚を覚えさせる。
そしてこんな状態になっても、まだ言葉は終わらない。
「主は裁きて、我は断つ。向ける刃は、主が作りし絶対なる法則」
唱え続けていく内に、剣は己の存在を誇示するように極彩の輝きを帯びていく。
燃え盛る、と言っても良い。
【終盤だ、クロー。扱いには気を付けろよ、その威力は『あらゆる物を切り裂く』ことを可能とするものだ。だが一歩間違えれば結界ではなく、我ら周囲を切り裂くぞ】
神様の忠告に黙って頷く。
というか、それしかできない。俺は今、人生で最も集中して作業している。
人の力を超えた現象というヤツが、それ以外の動作を許してくれない。
だから、ただ紡ぐ。
「――これ、すなわち『神域による加護の断絶』」
刹那、何処から沸いたのか大量の水が剣の刃を包み込む。
直感的に完成したのだと悟った。
言い終えた頃には、百メートルを全力疾走したように息が荒くなっていた。
おかげで完成した喜びに浸る余裕もなく、目的だけを見据えるしか術もない。
しかし。
「これがデミウルゴスの権能ですか。邪神ながらも、素晴らしい輝きですね。何より、まさか術者が無事なまま成功するとは予想外だ。これならば相手にとって不足無し。おかげで、楽しみが出来ました」
……その言葉を放った人物、セレネ将軍を一瞬だけ意識してしまった。
もしこのまま、彼女に攻撃を向けたなら、と。
けれど、それは余計な感情だ。なのでポイッと捨てた。
「俺は、間違える気はありません。これで、一歩前進です」
剣の振りかざす先は、前人未踏を誇った無敵の結界。
神秘に覆われたソレに向かって、俺は今ある力の全てを振り絞って振り下ろした。
――そして。
まず訪れたのは、幾千のガラスが壊れたような粉砕音だった。
次に、剣から七色に輝く魔力が泉のように溢れ出し遺跡へと一斉に流れ込む。
その様相は、この場にある一切合切を飲み込もうと暴れている濁流のようだった。
だがそれも長く続かない。まるで、嵐が過ぎ去ったかのようだ。
十秒も経たずに水は蒸発したように消え、周囲の景色は平常を取り戻した。
……空に浮かぶ魔方陣は無く、神様は杖と姿を戻し、結界の膜も消えている。
「終わったの、か?」
状況を把握したイーシュさん達も、徐々に落ち着き始めていた。
そんな風に分析している最中、元に戻った神様が俺に話しかけてくる。
【正直、驚いた。信仰もない人間が、ここまで自我を失う苦痛に耐えるとはな。まともな人間なら、発狂している。そう言う意味では、貴様は貴重な存在だろうよ】
「それはどうも、ありがとうございます」
【褒めてなどいない。これは忠告だ、クロー。我は奇跡の安売りなど御免だ、何度も使えるとは思うな。何より神の加護とは個人の武力にあらず。決して、神の権能を欲望に向けるなよ。廃人になりたくなければな】
「……気を付けます」
多分、俺が剣を持ったままセレネ将軍に殺意を向けたことを言っているのだろう。
遠回しな注意だが、察するに刃物を人に向けるなという感じに違いない。
「敵を倒すなら魔法で、と言いたいのですね?」
【いや、違うが】
「…………」
まるで不正解だと言われた気分だが、今は忘れよう。
これから集中すべきは、結界が解けた遺跡の事だ。
「さて。楽しみですね、何が待ち構えているのか」
むしろ、何もない訳がないと。
そう信じながら、俺は遺跡の内部へと第一歩を踏み出した。
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