騙された男

「おお、天井が高いですねぇ。その上で彫刻とか絵画とか書き込んでいて、実用性のないエンターテイメントっぷりを感じます。じつは要塞ではなく、観光名所と言われても驚かないスケール感は、いったい誰が得するのでしょうか」


 石の床に足を弾ませながら、俺は砦の内部構造に驚いていた。

 大勢の兵士が横並びに歩いても余裕のある、広くて長い廊下。

 等間隔に並ぶ、通路を照らす為の松明。

 壁には、ガラスの無い偵察用の窓。

 無骨ではあるけど、丈夫そうな木製のドア。

 どれもこれもが時代を感じさせる建築物で、俺は胸を高鳴らせてしまう。

 その様子を見て、隣を歩いている案内役は呆れた顔で溜息を吐いた。


【まるで空腹の子犬が餌を喰うような瞳の輝きだ。見知らぬ世界に、不安は無いのか】

「いやだな、自分から望んで異世界に来たんですよ? 文句なんて言えません」

【それは観光気分でいられる今だけだ。この世界で生きていけば、必ず身の危険も出てくる。後悔だってするだろうさ。故に、油断だけはするなよ】

「もしかして、心配してくれてます?」

【ばーか。貴様は我が財産だ。勝手に壊れては困ると言うだけのこと】


 口は悪いが、思った以上に親しみのある態度を見せる神様だ。

 多分、俺にステータスとかあったら神様への好感度が上昇している事だろう。


「ところで、神様」

【どうした? 何の説明もしないままの我に対して恨み言か?】

「いえ。なんで神様は伯爵のパシリをしてるンですか? あの感じ、上司にこき使われる部下という感じでしたが」

【パシリではない。我は慈悲深い故、欲深くも優秀な相手の言うことは聞く性分だ】

「では、優秀ではない人の願いは?」

【それは神の寵愛を受ける資格のない者という事だ。平等など存在しない】


 不機嫌そうに語る姿を見て、俺は静かにそうですかと頷く。

 ……と、次の言葉を考える間もなく神様の足が、ピタリと止まった。


【やれやれ。目的地に着いてしまったか】


 気怠げに呟く神様が見つめる先には、綺麗な彫刻のある立派な門が聳え立っていた。

 しかし他の部屋のドアとは違い、この建物の通路と同等の大きさにも係わらず頑丈な扉で締め切っているのは、不思議に過ぎる。


「まるで、何かを守っているかのような部屋ですね。ほら、あそこに門番みたいな方が居るくらいですし」


 目視したモノを確認するように指を指す。

 おそらく、体格的に考えてあれは女性だろう。


【あぁ、その通りだ。さて、今からアレを倒すぞ】

「え?」


 聞き返しても返事はなく、神様は既に行動していた。

 右手を前に突き出して、何か唱えながら門へと足早に駆ける。


【我が誘うは堕天より産まれし破滅の水、我が意を汲みし傀儡の鞭なり】


 ――途端。

 神様の前方に、黒い泥で出来たヘビが何匹も地面から溢れた。

 ヘビ、といっても似ているのは姿だけで、大きさは人間を遥かに超えている。

 おそらく一匹が暴れるだけでも、目の前の扉はぶち破られるだろう。

 ソレが八匹、あれ程広かった通路を完全に埋めたその全てに神様は命令を下す。


【さぁ冥府の蛇よ、あの者を喰らうが良いッ】


 泥ヘビたちの一斉攻撃は、まさに殺到するという言葉が相応しいほどの勢いで女性の姿を完全に覆い隠してしまう。

 ――即死、だと思った。

 巨体に押し潰され、その隙間から血肉が滴り落ちる光景を幻視してしまう。

 だがヒュン、と鳴る剣の一閃が俺の予想を切り捨てる。


「接近戦で私に挑むとは、じつに無謀ですね」 


 絡み合いすぎて黒い球体になった泥ヘビ達から、涼やかな声が聞こえる。

 その直後、肉を割く音と共に泥ヘビが無数の悲鳴を上げた。


【ちっ、無傷か。結界でも張っていた訳でもあるまいに】


 悔しそうに床を蹴る神様。

 その視線の先では、泥ヘビだったものは黒い塵となって空気に溶けていく。

 しかし幻のように消えたモノよりも、その景色を作った女性の方が脳裏に焼き付く。


「謝罪より悪態が出るとは、随分と勇ましいことです」


 呆れた様子で神様を睨むその人は、俺より二歳ほど上だと思う。

 馬の尻尾を連想させる束ねた桃色の髪に、太ももより上にある短いスカート。

 金属製の胸当て、軽装の防具、腰には細長いレイピア。

 まさしく女騎士というに相応しい容姿だ。


「そこから動く事を禁じます、デミウルゴス。邪神風情が、この扉の前まで何しに来たというのでしょうか」

【唸るな、番犬め。お前に用は無い。そもそも我は、あの根暗に用事を様子を頼まれたから来ただけだ】

「……伯爵様も人が悪い。そんな理由で私が素直にココを通す訳が無いのに」

【知っているとも。だから実力行使に出たのだ】

「えぇ、そこが驚きです。貴方、いつの間に魔法が使えるようになったというの?」

【生け贄、ではないな。使徒が出来た。ならば魔法も使えるさ】

「嘘。異世界召還でもしない限り、貴方に使徒なんて出来るはずありません」

【だから、その異世界召還を成功させたのだ。貴様、我の隣に居る奴が見えぬか?】

「……もしかして、そこに居る女の子を指して言っているのですか?」

「男です」


 即答すると同時に、俺は悲しみに満ちた表情を向けた。

 視線が合う。

 何故か、女騎士さんは頬を染めて顔を逸らしてしまった。


「そうですか、困りましたね。えぇ、由々しき事態です」

「え?」

「困りました。貴方、見れば見るほど私の飼ってるペットに似ています」

「ペット?」

「えぇ。ワイバーン、つまり翼竜です」

【ワイバーンと言われて誰が喜ぶものか、トカゲに羽の生えたヤツの事だぞ】

「…………」


 さすがに俺も、ペットと似ていると言われて嬉しがる感性は無い。

 とはいえ、トカゲに羽が生えた姿の動物は単純に見てみたかった。


「まぁ、ともかく。接近戦を得意とする私が、貴方に限っては苦手になりそうです」


 先程まで凛々しかった顔は、気不味そうに汗を掻いている。

 だが困っているのは俺も一緒だ。


「……あの。すみません、そもそもココに何の用なんです?」


 聞き慣れない言葉も気になるが、今は立ち往生する方が嫌だった。

 だが俺の質問は、第三者によって遮られてしまう。


「――ちょっと。さきほどから騒がしいわよ、エレナ」


 壁のように分厚いドアから、目の前で話しかけられたみたいに声が聞こえる。

 不思議に思って目を凝らすと、ドアの取っ手の付近で風車のようにクルクル回っている魔方陣に気が付いた。

 ……どうやら、ソレがスピーカーの役割を果たして音が聞こえるようだ。


「さっきの地鳴りで、ティーカップの中身が零れたわ」

「も、申し訳ございません、御怪我はありませんでしたか。ソフィア様」

「そんな謝罪よりも報告が先よ。ここからでは外の様子は判らないけれど、どうせミウルが来ているのでしょう?」

【おいこら。我のことをミウルと略すなと言っているだろう。我はデミウルゴスだ】

「その声、やっぱりね。……良いわ、部屋の中に用があるのでしょう。エレナ、入室は許可するから邪魔しないであげて」

「な、姫様、どうかご再考を。とうとう邪神が使徒を連れて来たのです、このまま迎え入れるなど危険すぎます」

「……嘘。それってつまり、異世界召還が成功したってこと?」

「はい、姫様。信じがたいことですが、あの邪神の主張は正しかったようです」


 慌てた様子で魔方陣に向かって話す女騎士さんの様子を見ながら、俺は頷いた。

 なるほど、部屋の中にはお姫様が居るのか。

 ……しかし、そんなことよりも気になる事ができたので口に出す。


「神様。なんかさっきから、人から受ける扱いが悪くありませんか?」

【そうとも。我もそれを改善する為に此処に来たようなモノだ】


 あっさりと認める神様。……うーん。この方、本当に神様なのだろうか?

 などと自問している最中に、いつのまにか状況は進展していた。


「エレナ。貴方の心配は嬉しいけれど、もう決めた事だわ。私が、自分の責任でそうすると選んだの」


 責任。それは何故だか、とても脳裏に焼き付く言葉だった。

 と同時、ガコンという重い音を響かせながらドアが開錠されていく。


【ふふ。生意気だが話のわかるヤツだ。指導者の器とは、こうでなくてはな】


 神様が満足そうに胸を張りながら、堂々と部屋へと入る。

 ソレを不本意そうに睨んで追従する女騎士さんを観察しながら、俺も後に続く。

 ――そして、出会った。

 伯爵が居た部屋と同様、間取りの広い空間。高い天井、綺麗な絨毯(じゆうたん)。

 星のように輝く調度品の数々、部屋の中央にある、丸いテーブル。

 きっとどれもが高価な品物なのだろうが、全てがオマケのようなチープさえ感じる。

 だって、そこには純白のドレスを着た女の子が居た。


「初めまして、ミウルの使徒さん。私の名前はソフィア・エル・ティマイオス。このティマイオス王国における第一王位継承者。つまり王女を務めている者よ」


 そう言ってドレスの裾を摘み俺にペコリと頭を下げると、彼女の金髪が輝く小川のようにサラッと下へ流れ落ちる。

 そんな何気ない情景が、絵画に残したいと思えるほど美しい。

 頭には金細工の冠(かんむり)をして、胸には宝石のペンダントをかけている。

 きっと、これらは俺では一生かけても買えはしない衣装だろう。

 ……だが、それらを着飾る彼女本人こそが最も高い価値がある、ということは馬鹿な俺にでも判ることだった。


「さて、名前は後で聞くとして」


 会釈が終わったのか、ソフィアと名乗った少女が顔を上げる。

 赤い色をした綺麗な瞳と、視線が絡み合う。


「ところで貴方、自分が騙されている自覚はあるのかしら?」


 そんなもの、もちろん無い。

 だから俺はフクロウのように首を傾げるしか無かった。

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