寿命を対価に魔法を放て

町村雅樹

故郷を捨てて、異界を尋ねる

 ――昔、人を殺してしまったことがある。

 その原因は、俺が瓦礫の中で生き埋めになったからだ。

 身体は無事だったが崩れて積み重なった残骸は重く、脱出したくても倒れたまま体勢を動かすことも出来ずにいた。

 視界は暗闇に支配され、いくら助けを叫んでも誰も答えてくれず、食事は口に出来ないのに、排泄だけは垂れ流すしかない状況。

見る事は出来なくとも、耳からはサイレンやら人の怒号が聞こえていたので、外の世界で大変なことが起こっているようだ、というのは理解できた。

 つまるところ、助けを求めているのは俺だけではないと知ったのだ。

 だから俺は、生き延びる確率が上がる言葉を叫ぶことにした。


『助けてください、ココは何人も生き埋めにされているんです』と。


 嘘だった。

 押し潰されている死体は多かったが、生き埋めになったのは俺だけだと知っていた。

 ……そんな人生最悪の嘘に反応してくれたのは、一人だけ。  


『ちょっと待っててください、今、助けますから』 


 騙されて救援に来てくれた人は成人女性だった。

 こちらを安心させるような声と、人が来てくれた事実に俺は安堵した。

 しかし彼女は、俺を助けることは出来なかった。

 直後に起きた瓦礫の崩落に巻き込まれて、そのまま死んでしまったのだ。

 これが俺の犯した最初の殺人。

 そして、ソレが贖罪の始まりだった。

 助かった後、事情を知った他人からは『嘘つきの人殺し』と非難された。

 身内からは『なんてバカなことを』と罵られた。

 何年も何年も、償う為の行動を心がけろと言われ続けた。

 ……正直に言おう。俺はそんな環境から逃げ出したかったのだ。

 ――たとえ、ソレが別の世界に行く事になろうとも。


『貴様の願いを叶えよう。ただし、この世界から去ることになるが』


 ある日、そう言いながら目の前に神様と名乗る存在が現れた。

 それは黒い軍服を身に纏い、その背中からは蝙蝠の羽根を生やした少女だった。

 戸惑う俺に、彼女は言葉を続ける。


『大きな罪悪を持った人間よ。我が、その後悔から救う道を示そう。その命を以て、多くの人を救うのだ。さすれば汝の苦悩は消える。その為の手段を、我が授けよう』


 まさしく天啓だと思った。

 だって初めて救うと言って貰えたのだ。このまま生き続けるよりは報われる。

 藁にも縋る気持ちで、俺は勢い良く頷く。

 ……そして。


「あれ?」


 気がついたら、俺は豪華絢爛な部屋にいた。

 三人は住めるマンションの一室を、そのままワンルームにしたくらいの広さ。

 けれど生活感はない。

 まずベッドが無いし、タンスも無い。目に付くのは本棚と大きな事務机だ。

 足元には俺の使っていた毛布より柔らかい絨毯が敷かれ、いったい何をそんなに照らしたいのか壁一面のガラス窓があった。

 ……そこから見える景色は海のような青い空に、緑溢れる雄大な草原である。

 しかし、だ。

 思わず見とれる風景を背景にしながら、集中できない。

 それよりも圧倒的な存在感を放った人物が、俺に視線を向けていた。


「初めまして、異世界からの来訪者。そしてようこそ、ティマイオス王国へ」


 そう語るのは、砂漠のような色の髪を腰まで伸ばした人だった。

シャープな眼鏡を付け、黒い軍服を着こなし、男の俺から見ても息を呑むほど格好良い容姿をしている。

 ……そんなレビューの最中、相手からも俺の第一印象が伝えられた。


「しかし驚いた。どんな人間が来るか期待していたが、可憐な乙女が呼び出される事になるとはね」

「――――」


 飛び出す筈だった質問が、ショックで胸の奥に引っ込んでしまった。

 ここは異世界であるはずだ。何しろ、あの神様とそういう契約をした。

 つまり俺を知る者など居ない新天地。なのに、まさか聞き慣れたトラウマ案件なんて耐えられない。


「……俺は、男です」

「あぁ、ショートカットであることが実に惜しい。もし長髪であれば、淑女として持て成しただろうに」


 ……そんな言葉を聞いて、青汁より苦い数々の記憶が蘇る。

 悔しいことに、確かに俺は良く女性に間違えられることがあった。

 しかし、そんな不愉快を味わう為に異世界にまで来た訳では無い。


「……そういう余計な感想よりも、俺は貴方が誰なのか知りたいのですが」

「これは失礼。私は国王陛下から伯爵の地位を賜り、この西方の要塞を任されているモートという。以後、よろしく頼むよ」


 右手を胸に当て、深々とお辞儀をするモートさん。

 友好的なようでいて、マネキンみたいな無機質の笑顔に背中が寒くなる。

 ……それでもキチンと挨拶されたなら、ソレを返すのが礼儀というものだ。


「はじめまして、モートさん。俺は九郎と言います。ところで、何で俺はここに居るんでしょうか?」

「ああ、どうか私のことは伯爵と呼んで欲しい。しかし、ふむ。君は自分の事情を理解していないのかね?」

「……神様と名乗る女の子と契約して、此処に飛ばされた事は理解しています」

「では、それ以外については?」

「ここに来れば、俺の目的が果たせると聞きました。けれど、どうやってそれを成せるのか尋ねるようとした瞬間、気付いたら此処に居ました」


 ……文字通り見知らぬ国で、風習や文化も知らない。

 そんな事情を理解した伯爵は眉をひそめて、溜息を吐く。


「コレは困ったな。だが同時に君を召還したアレが同行していない理由は納得だ。君の処遇について説明するのが面倒で、姿を眩ませたのだろう」

「アレって、神様のことですか?」

「おっと、すまない。些細な質問に答える暇はないんだ。とりあえず初歩的な確認をしよう。この国は今、未曾有の危機に瀕している。君は、それを救う為に召還された」

「……え、そうなんですか?」

「そうだとも。我々は国民を救う人材を欲し、君はその基準に合格して招かれた。もし私の言い分に納得できないのなら、遠慮無く言いたまえ」

「……いえ。確かに俺は人助けを願って此処に来ました。まさか国という規模とまでは思いませんでしたが、より多く救えるのは良いことです」

「…………」


 一瞬、伯爵がマネキンのような顔を晒した。

 しかしソレを指摘する前に、ニッコリと誤魔化される。


「それは素晴らしい。利害の一致というわけだ」

「はい。だからこれは文句と言うよりは質問です。本当に俺なんかが、多くの人間を救うことが出来るんでしょうか?」

「君を召還した者がそう言ったのなら、そうなるだろう。アレは人外の存在だ。契約者と結んだ望みを叶える能力はある。君の努力次第だよ、励みたまえ」


 コチラに期待するわけでも媚びるわけでも無い、平坦な声。

 別に特別待遇が欲しい訳では無いが、あまりにも事務的な対応。


「少し、他人事みたいな説明ですね。国を救えという割りには」

「熱烈に歓迎する気は無い。我々が仕事を与え、君は働き、アレが報酬を払う。そういう関係だと認識したまえ。気に入らないなら、辞退してくれても構わない」


 ……つまり俺でなくても、救ってくれれば誰でも良いと言う事だ。

 まぁソレはコチラも同じ事、嫌われていないだけマシである。


「少し戸惑いますが、そうすることで俺の目的が果たせるのなら、構いません。

たとえ国を救うなんて難題だろうと、引き受けます」

「ほう。自分の望みの為なら、命さえ惜しくないと?」

「……命って。それだけ危険な目に遭うって事ですか」

「国の危機とは、そういうものだ。安全の保証は無い。こんな風に、ね」


 口元を釣り上げてパチン、と指を鳴らす伯爵。

 その瞬間、ピシッと空気が固まるような音とともに。

 ――時が止まった。

 空気の流れは死んで、周囲の情景は色彩を失って灰色と化す。

 世界が停止し、俺の身体も石化したように動かず、呼吸が出来ない。


「これは魔法といってね。君が我が国を救う為に必要な手段であり、今は君を試す悪意の技術だ」


 そう言いながら伯爵は、見えない何かを掴むように握り拳を作る。

 と同時、俺の首は誰かに締められたかのように痣が産まれ、圧力が食い込む。


「この世界で君を守るモノなど皆無だ。役に立たないなら、容赦なく捨てる。さて、無抵抗のままで居る君が、我々の期待に応えることが出来るかな?」


 質問に答えたくても声は出ず、俺の身体は死体のように冷たくなっていく。

 このままの状態なら俺は殺されるだろう。

 しかし怖い、訳じゃない。

 絶望感には程足りない。相手に生かされているという自覚さえ芽生える。

 なにしろ、伯爵の目には殺意が宿っていないのだ。


「……そろそろ身体が持たないか」


 再び伯爵が指を鳴らすと、世界は色彩を取り戻した。

 同時に身体が動く。その開放感が凄まじい。

 俺は、喉が渇いたようにゴクゴクと酸素を飲み込んだ。

 空気がとても美味しい。久しぶりに生きている事に感謝した。


「どうだね、あっけないほど命の危機に陥った感想は?」


まるで、実験動物を観察しているかのような態度で喋る伯爵。

 こっちの命を粗末に扱った割りに、悪気もなければ謝罪もなかった。

 おそらく伯爵にとっては俺という存在など、その程度なのだ。

 だが、粗末な扱いは元いた世界で慣れたものだ。

 腹は立たない、むしろ感動と興奮があった。


「凄いですね。こんな体験、生まれて初めてです。どうしたら、俺もこういう魔法を使えるんでしょうか」


 喜びに浮かれた熱が冷めないまま、勢い良く伯爵に詰め寄った。

 対して、興味深そうに眉毛を釣り上げて俺を見るモート伯爵。


「……ふむ。怒らず、恐れず、楽しそうに追求してくるとは喜ばしい」


 あぁ、この顔は知っている。

 値踏みだ。俺に利用価値があるのか計っているのだ。

 だが構わないし、不快どころか光栄だった。

 少なくとも、今の俺には計られるだけの価値があると言うこと。

 ……そんな心の内を読んだ訳でもないだろうけど、伯爵は優しげに笑う。


「死の恐怖を上回る君の願いに、興味が湧いてきたよ。よければ教えて欲しい」

「……判りました。それで、少しでも俺のことを信用して貰えるなら」


 嘘を混ぜること無く、俺は清算したい過去を簡潔に伝えた。

 自分勝手な嘘で人の命を奪った罪を償いたい、その為の人助けなのだと。


「……なるほど。生き延びる為に吐いた嘘で、人を失い、それを後悔している訳か。しかし命を惜しんで虚言を叫んだ君が、命を失うリスクを背負えるのかね?」

「いえ、むしろ死ぬリスクがあるのは歓迎できます」

「なぜ?」

「だって、それくらい酷い目に合わなければ人を殺した罪は許されないでしょう?」


 他の誰でも無い、俺自身が納得しない。

 償う為の対価は当然のことだ。犠牲のない謝罪に価値などないのだ。


「大した精神力だ。しかし残念ながら、まだ物足りない」

「……それは魔法の才能が、という意味ですか?」

「それ以前の問題でね。君がここで活動する為の、許可が必要なのだ」

「伯爵の権限で何とかなりませんか」

「残念ながら、私は受付のような存在でね。その審査の後、君の未来は別の人物の手にあるんだ。まぁ謁見の手配はすぐ済むよ。今から適任者を呼ぼう」


 話を切り上げると、モート伯爵は合図するように両手をパンパンと叩く。

 ――途端、幾重の文字が重なった円形の魔方陣が床に出現した。

 蒼い閃光が地面から迸り、小さな電流を伴って俺の目を眩ませる。


「――さて。案内は任せるぞ、デミウルゴス。今度は逃げるなよ。きちんと、客人を持て成すように」

「ん?」


 デミウルゴス。

 聞き慣れない筈なのに、とても聞き覚えのある言葉に俺は首を捻った。

 などと疑問を抱いている最中、竹の子の如く魔方陣からニュッと顔が出てきた。

 不機嫌なネコのような鋭い視線が、俺に突き刺さる。


【こんな雑用で我を呼ぶな、人間風情が】


 耳、というより頭の中に届く声。

 人よりも遥か高い尊厳を含むソレを、伯爵は見下すような態度で打ち消した。


「私は砦で最も暇な存在に仕事を振ったまでだ、使い魔風情が文句を言うな」

【使い魔ではない、神だ】

「聞く耳は持たんよ。彼を例の部屋まで案内しておけ。秘密裏に召還者の処遇を決めてしまうと、もし露見した時に猛反発されて計画ごと潰されかねん。それは是非とも避けたいからね」

【チッ。貴様の言った条件に見合った相手は連れて来たのだぞ、我は】

「だからこそ、最後まで責任を持ちたまえ。神を名乗りたいのなら、最初の信徒を見捨てるな」

【むぅ】


不満そうにプクーと頬を膨らませ、風船が浮くように魔方陣の中から湧き出るデミウルゴスさん。

 その姿は腰まで伸びた紫色の髪、陶磁のように白い肌に、モート伯爵と同じ黒の軍服を着ていた。

 ……だが、今はそんなことが重要なのではない。


「一体どこに隠れてたんですか、神様?」


 聞き覚えがあるどころか、見覚えのある姿を発見して俺は戸惑った。

 ――そう。

 目の前で小間使いのような扱いを受けている方こそ、俺を異世界召還してくれた神様なのであった。

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