【エピソード4 第6話】

 高い木々が陽の光を遮り、湿った風が冷たく頬を撫でる。

 つい小一時間前まで、エアコンの効いた部屋で楽しくしていたというのに、一体全体この状況は何なのだ。マジで俺がなにをした。


 苔むす薄暗い大地から飛び出した見たこともない巨大な木の根に、何度も足を取られそうになりながらも、先を行く少女を追いかける。


 アバリールとかいう聴いたことのない国の王女だという小柄な少女は銀色のポニーテールをひょこひょこと揺らしながら、どんどん進んで行く。

 慣れないけもの道にこちらはついていくのがやっとだ。


「ちょっと、フィリス。もう少しゆっくり歩いてくれないか」


 たまらず後ろ姿に声をかける。

 くるりと振り向いたフィリスは疲労困ぱいな俺に気づいて、慌てて駆け寄ってきた。


「ご、ごめんなさい。慣れない道ですもんね。でも、まだ30分しか歩いてないですけどぉ」


「うるせぇ。こっちは普通の高校生だ。体力も知性も金も根性もねえよ。文句あっか」


「なんの自慢にもなってませんよ。でも、急ぎたいんです。ちょっと心配なことがあって……」


「心配なこと?」


「ええ……」頷いたフィリスはその青く澄んだ瞳を右に左にせわしなく動かしている。


「先ほども言いましたが、ゴダール神殿へたどり着くまでに魔群合衆の暗殺部隊から攻撃を受け、私以外の仲間は死にました。全滅を装って暗殺者の攻撃をやり過ごし、神殿にたどり着いたのですが、もしかすると勇者様を召喚したことを彼らに感づかれたのかもしれません。実は先ほどから何者かの気配を感じています」


「誰かにつけられてるってこと!?」


「微弱ながら魔力を感じます。ただ、反応は一つですから単独の斥候かもしれません。できれば本隊に連絡を取られる前に撃退したいところなのですが」


「つまり? あれか? 戦うってこと?」


 無言の答えを持って、フィリスが森の茂みをにらむ。マジかよ、バトルかよ。展開が早えな。

 怯えながら緑の向こうを見る。

 得体の知れない何かがいるかもしれないと思うと恐ろしい。

 フィリスが毅然とした声をあげた。


「……出てきなさい!そこに隠れているのはわかっています!」


 フィリスの視線の先の茂みが揺れた。


「ふふふ。よーく、わかったわねぇ~」


 どこかで聞いたような気味の悪い低い声。

 出てこいって言われて出て来るやつがいるのか、って思ったけど、相手も中々に律儀なやつだったみたいだ。


「そ、その声は……」


「あたしよーん! あなたのハニー。クロコディランよぉ~ん!」


「げ!!ワニ女!!」


 茂みから現れたのは俺が召喚された神殿で襲いかかってきたワニの怪物だった。


「いやぁ~ん。覚えていてくれたのねぇ、ダーリン!」


 身の丈三メートルはあろうかという巨大な二足歩行のワニ。『でかい。怖い。きもい』の三拍子そろった怪物だ。

 それがくねくね身をよじり俺に投げキッスを送る。ちょっとマジで吐き気。バケツねえかな。


「ここまで追いかけてくるなんて、執念深いですね」


 フィリスが俺を庇うように前に出ると、クロコディランは笑みを浮かべてフィリスを見下ろす。


「あんたに用はないわ。ガキンチョは帰ってママのおっぱいでも吸ってなさい」


「むっ!誰がガキンチョですか!私はもう成人の儀を受けています! 立派なオトナですっ!」


「ホホホホ。そんなちびっ子でもオトナだなんて、人間は本当に滑稽な生き物だわねぇ」


「デカけりゃ良いってものでもありません!」


「大は小をかねるのよぉ~ん。さ、ダーリン。あたしのおっきな愛を受け取ってくださいませぇ」


 剣山の如き牙を覗かせて俺の顔を見る。そして小首を傾げて悩ましげにウインク。

 身の毛もよだつとはこのことだ。


「この方には指一本触れさせません! さあ!どこからでもかかってきなさい!」


 小さいけれど、とっても頼もしい。フィリスが両手を広げて立ちはだかった。


「ぐふふ。いいわ、小娘ちゃん。まずあなたから相手してあげるわ。ダーリン、待っててね。すーぐ、抱きしめにいくからねぇん」


 怖すぎ。こんなどこだかわからない世界でバケモノに好かれるなんて。

 絶望にくれる俺をよそに、睨み合う二人。馬鹿でかいワニ女と華奢な少女。

 体格差がありすぎて、まともに戦ったら勝てる気はしないが、そこは魔術士のフィリス。


「先手必勝!灼熱の大蛇マグナカルテッ!」


 両手を突き出して叫ぶとフィリスの手のひらからゴワッと炎が舞い上がる。


 熱風とともに現れた炎の柱は獲物に襲いかかる大蛇のごとくクロコディランに向かう。


 伸びる炎。

 クロコディランが両手をクロスさせ防御態勢を取るのが見えたが、魔術の炎はその巨体を包み込んだ。


「やったか!?」


 火炎を見つめ呟く。けど考えてみれば、やったかって聞いて、やってた試しってほぼないよな。世の中のエンターテイメント的に。


「ふふふ、やぁーねぇ。こんなの痛くも、痒くも、熱くもないわぁ」


 ぶんっと太い腕を勢い良く振り払うと、炎は簡単に掻き消された。


「な、なんですって!?」


「全然、魔力がこもってないじゃないのぉ」


 余裕の表情のクロコディラン。ダメージは無いみたいだ。


「くっ、魔力が回復していれば、あなたなんて……」フィリスは悔しそうに唇を噛む。


 そういえば、フィリスは神殿に着くまでに敵対組織と戦闘を行なっていたとか。度重なる連戦で魔力を使い果たしたのかもしれない。


「魔術士が魔力を残しておかないのは明らかなミスね、ふふふ。だからガキンチョだというのよぉ」


 手の甲を口に当てて、高笑いするクロコディラン。SMクラブの女王様みたい。いや、もちろん行ったことはないけど。


「さーて、じゃ、次はあたしの番ねっ!」


 そう言うとクロコディランは暖気運転のようにブルルっと全身を震わせた。そして、太い尻尾を八の字を書くように振り回し、周りの木々をなぎ倒していく。なんてパワーだ。

 あまりの迫力に後ずさる。


「さぁ、行っくわよぉ!」


 大地を揺らし飛び上がったクロコディランは間合いを一気に詰めた。

 岩石のような腕が振り上げられ鋭い爪がフィリスに迫る。


「……あまいっ!」フィリスは後方に跳躍。すんでのところでクロコディランの攻撃を避けた。


「魔術士だからって体術が不得意だなんて、思わないでよね! って、キャッ!!」


  着地したと思ったフィリスの体がフッと消える。


「え!! フィリス!?」


「消えた!? なんですって!? まさか空間転移!?」


 クロコディランも驚きの表情を見せている。 


 しかし。


「きゃーー!!」


 間抜けな悲鳴が遠ざかって行く。なんだなんだ、どーした!?

 声のする方に慌てて近づく。茂みで目視できなかったけど、フィリスが着地したところから先は急斜面になっていたみたいだ。

 どうやら彼女は足を滑らせて下へ滑り落ちたみたいだ。って、マジ? 


 クロコディランも何が起こったのか一瞬わからなかったようだが、フィリスの叫び声が遠ざかっていくと、状況を把握したのか、肩を震わせて笑い始めた。


「おーっほっほっほ。地形の把握もできてなかったのね。おバカさん。でも、これで邪魔者はいなくなったわねぇ!」


 じゅるり、と舌なめずりをしてこちらを見る。

 やばすぎ。総毛立つ。

 絶体絶命じゃん。


「さ、ダーリン。これで邪魔者はいなくなったわねぇ。ぐひゅひゅ。さあ、愛し合いましょうっ!」


「い、い、い、嫌だーーっ!!」


 叫んだ。もう腹の底から。

 叫ぶと同時に、背を向け逃げ出した。


 絶対嫌だ。あんなワニ女に抱かれるなんて!


「あらー、追いかけっこぉ? もう照れ屋さんなんだからぁ、待ってぇ!ダァリーンっ!」


 嫌だ嫌だ!最悪だ!


 背後から聞こえる楽しげな声に恐怖しながら、俺は獣道を走った。


 

 地獄の鬼ごっこが始まった。

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