13話 困惑

「ふふっ、君は本当にかわいいですね〜?」


 迷宮から出て少し。


 ゴンドラに揺られながら、アリアが上機嫌に語りかける。

 その顔は心なしか赤く染まって見える。


(何故だ? いったいどうなっている??)


 語りかけられた当の本人。

 ベヒーモスは、今の状況を理解できないでいた。


 自分の主人の危機に。

 思わず目の前に飛び出し、スキルを使ってしまったベヒーモス。


 そして、それに驚き目を見開くアリア。


 当然、自分がモンスターだとバレてしまっただろうと、ベヒーモスはうな垂れた。


 対し、アリアは……


「まさか君は――!」


 そう言って、ベヒーモスから距離を取る……かと思いきや……


 むにゅん!!


 彼を持ち上げ、胸の中に抱擁してしまったのだ。


(ご、ご主人、いったい何を……? ご主人はモンスターである我が輩が怖くないのか……?)


 困惑するベヒーモス。

 だが、アリアは……


「助けてくれてありがとう……」


 胸の中で小さく収まるベヒーモスに感謝の言葉を告げると、ゴブリンメイジの死体など目もくれず、迷宮の外へと歩き出した。


 そして今に至るわけである。


(クソックソッ!! チビ猫め、そこを代わりやがれ!!!!)


 アリアの、むにゅむにゅメロンの中に抱かれたベヒーモスを見て、船頭の男が心の中で呪詛を紡ぐ。


 だがそれと同時に、感謝もしていた。

 何故なら、アリアがベヒーモスを胸に抱いているせいで、たわわな果実が“むんにゅり”と美味しそうに形をくずしていたからだ。


 男とは複雑な生き物なのである。


 そうこうするうちに。

 ゴンドラは都市の中心、商業区へと到着。


 アリアは船頭に礼を言うと、来た時と同じように軽やかなステップでゴンドラを降りた。


 何やら船頭の男が、「今晩よかったらご飯でも……」などと、口説いてくる声が聞こえてくるが、ベヒーモスの頭を撫でるのに夢中だったアリアの耳に聞こえることはなかった。


 はたから見れば、無視された状態の船頭の男を、他の仕事仲間の男たちが指差して笑う。





「お〜い姉ちゃん! エールのお代わりくれ!!」

「うひひひ……いい尻だな。ちょっと揉ませろよ」

「ちょっと! 勝手に触んじゃないよ! 次やったらひっぱたくからね!!」


 商業区の中心に立つ“冒険者ギルド”。

 中には酒場が併設されており、仕事終わりの冒険者たちと給仕の若い女との間でそんなやりとりが交わされる。


 そんな中、静かに扉が開けられた。

 普段であれば、ひと目やると興味を失い、宴を再開する男たちだが、今回はそうはならなかった。


 扉を開けた者。

 それが絶世の美少女エルフ、アリアだったからだ。


「おい見ろよ、アリアちゃんだ」

「相変わらず可愛いよな〜」

「歩くたんびに、おっぱいがぷるんぷるんしやがるぜ!」

「ん? なんか胸に猫を抱えてねえか?」


 酒場の席から、そんな囁きが聞こえてくる。

 しばらく前に、アリアがこの都市に冒険者になるためにやって来た日から、ギルドの男どもの大半は彼女に夢中なのだ。


 聞こえてくる下卑た喧騒に。

 ベヒーモスの機嫌はさぞかし悪い……かと思えば――


(ふぁ……ご主人の胸の中、あったかいなりぃ〜〜……)


 アリアの抱擁の心地よさと、はだけた谷間から直接伝わってくる温もりに、意識おぼろであった。


 だが、そんなベヒーモスの目が覚めるような出来事が起こる。


「わははははは! これはこれは、アリア嬢。今日も見目麗しい!」

「か、“カスマン”様……」


 笑い声をあげ、近づいてきた男に。

 アリアは「う……っ」と声を上げる。


 上質な革の装備の上に、装飾された軽鎧を着した男。

 顔は中の下といったところ。

 髪には整髪料をベッタリつけ、オールバックにしている。


 カスマン――


 この都市に住まう貴族の子息で、他の男たち同様にアリアに惚れている内の1人だ。


 貴族でありながら、冒険者稼業をしており。

 その階級はCランク。

 金に物を言わせて高性能な武具を揃え、現在のランクに上り詰めたとされている。


 少し前から、アリアはこの男に言い寄られている。

 内容は……


「どうだろう、私のパーティに加わってくれる気にはなったかな?」


 そう、冒険者パーティへの誘いである。


 だが、アリアは理解している。

 この男が、アリアを冒険者としてではなく、女として見ていることを。


 現に、カスマンの視線はいつもアリアの大きな谷間や、尻から脚へかけてのラインを行ったり来たりしている。


「申し訳ありません、カスマン様。せっかくのお誘いですが、前にも言ったようにわたしは男性の方とパーティを組む気はありません」

「そう言わないでくれ、アリア嬢よ。大丈夫、優しく・・・してやるから……」


 言いながら手を伸ばしてくるカスマン。

 その行き先は、アリアの腰だ。


 突き飛ばしたい衝動に駆られるアリアであったが、思いとどまる。


 相手は貴族。

 もし、反抗的な態度を取れば、何をされるか分かったものではないからだ。


(この下衆が! ご主人に気安く触るでない!)


 だが、そんなことなどモンスターであるベヒーモスに関係ない。

 さらに言うならば、カスマンが貴族であるなど知りもしない。


 アリアの胸から、ひょいっと飛び降りると。

 今まさに彼女の腰へ触れようとしている手に……ガブリ! と喰らいつく。


「うぎゃぁぁぁぁ!? なんだこの猫は! 離れろぉぉぉ!!」


 手に喰らいつくベヒーモスを振り落とそうと。

 カスマンは慌てて手を振り回す。


「にゃおん(ここだ)!!」


 カスマンが手を振り上げるその一瞬。

 ベヒーモスは噛みつきを解くと、勢いそのままに宙へと舞う。


「子猫ちゃん!?」


 アリアが心配そうな声を上げるが、それは無用だ。


 ベヒーモスは落下すると同時に身をひねり。

 カスマンの顔面めがけ飛んでいく。


「あぎゃぁああああああああ――――ッッ!!??」


 響くカスマンの絶叫。


 その顔にはベヒーモスがひっつき。

 ガリガリガリガリガリガリッ! と爪を立てている。


「この……ッッ!!」


 カスマンが拳を振りかぶった。


「にゃん(甘いわ)!!」


 歴戦の騎士であるベヒーモスがそんなものに当たるわけがない。


 直撃の寸前。

 カスマンの鼻っ面を蹴り飛ばし、アリアのメロンの上に、ぽよんっと収まってみせる。


 バキッ!!


 その直後、鈍い音が鳴り響いた。

 見ればカスマンが自らの顔面に拳を突き立てているではないか。

 完全なる自爆である。


「お〜の〜れぇぇぇぇぇぇ…………殺してやる!!」


 鼻血を垂らしたカスマンが、物騒なセリフを吐く。

 そしてあろうことか、腰から剣を振り抜いた。


 どうやら怒りが頂点を突き抜けてしまったようだ。

 なんとしてでもベヒーモスを殺すつもりのようである。


(ひっ……!?)


 ベヒーモスの顔がこわばる。


 だが、どういうことだろうか。

 その視線はカスマン……の後ろ・・へと向けられている。


“ねぇ、カスマンちゃん? ギルド内で剣を抜くなんてどういう了見かしらん?”


 その声は、その場にいる者の深層心理まで響き渡った。

 まるで脳内に直接語りかけられているかのように……


「お、お前……いや、あなたは……」


 恐る恐る背後を振り返るカスマン。

 その顔には、ありありと恐怖が刻み込まれていた。


(ば……化け物……ッッ!!)


 それがベヒーモスが、その者の姿を見た率直な感想だった。

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