第35話

 シュウウウウウ–––––––…


 轟く風音。竜巻のように吹き上げ、空を晴らしてゆく。


 そして、しとしとと降り注いでいた雨は止んだ。


 雲はスミレを中心とするように、周りに避け、満点の星空がのぞいた。


 ただ、空を仰ぐ余裕は、リアンには無い。


「スミッ……ぐっ、ぁがっ、 げほげほっ」


 彼は取り込んだ魔力を使い切り、さらに傷口が開く程動いた為に、既に限界を通り越していた。地面に血が滴り落ちる。肺がやられた––––リアンは意識が朦朧とする中、必死に顔を上げてスミレの姿を確認しようとした。


 まず、彼女の正面と背後に大鬼と竜牙兵が一体ずつ佇んでいる。巻くような突風に戸惑っているのか、目をしばたかせていた。リアンは次に、もう一体の大鬼と対峙している姉妹を探す。

 そして、目に入ったのは、弱りきった大鬼と、座り込んでいる姉妹だった。大鬼は衰弱しながらも、まだ拳を振るえる力は持っているようだ。邪険な震え声が、麻痺しかけたリアンの耳に届く。彼は手放していた剣の柄の方に手を伸ばす–––

 が、うまく掴めない。


「や、め…––!」


 –––が、その直後、


「ギァ、ァァァァァァァァアッッツ!!!」


 信じ難いことに。

 リアンが再び視線を大鬼に送ったときには、奴は、宙を虚しく舞っていたのだ。



 攻撃を受け入れ、目を閉じていた姉妹は恐る恐る瞼を上げた。

 しかし、二人の目の前には奴はいない。


「「え……?!」」


 この場の誰もが、状況を理解することができなかった。


 が、スミレだけは、

 この光景に目を見張る事も、なかった。



 リアンは暗転しようとする頭を必死にむち打ち、スミレに呼びかけようと口を開く。しかし声がうまく出せない。身体中の痛みとけん怠感で身体はびくとも動かない。「…! …!」通常に戻った瞳で訴えかけていると、姉妹が彼に気付いて駆け寄ってきた。


「だ、大丈夫ですか?!」

「スミ…レ、が……」


 姉妹は手分けをして彼を仰向けにさせ、妹であるヒーラーは神の奇跡を起こそうと手を組んだ。姉の弓使いは「あの方の応戦をしてきます」と叫ぶ。リアンはとっさに首を振った。


「い、い。あ、れは、スミレ、ひとり、で、も」

「そうですか…?」


 ヒーラーは目を閉じ、治癒魔法の詠唱を始めた。リアンはその間も、目を凝らす。そして、次の瞬間その目を疑った。


「……なにが、起こって…!」


 銅等級弓使いはサイドテールをはためかせ、そのあまりにも強い空気の振動に、身震いした。



 スミレを囲っていたはずの、二体のモンスターは、

 既に、事切れていた。

 そして、体の一部が細かい粒子に変わっている。


 弓使いは困窮し、足踏みをするようにして辺りを窺った。…が、何ら変化はない。––そう、その事は、スミレがやったのだと物語っている–––––…


「…–! リ、リアンさん、どうですか?!」

「ぐ………ッ」

「まっ、まだ動いちゃダメですっ!!」


 ヒーラーは体を起こすリアンを慌てて止めるも、リアンはその声がまるで聞こえていないように、動きを止めない。彼は立ち上がると、ふらふらとおぼつかない足取りでスミレの元へ歩み出した。傷は引いたものの、失血による衰え、疲労困ぱいで、今にもぱたりと倒れてしまいそうだ。


「待って…! 完全に治った訳じゃないんです!!」





 –––––––なにが起こっている?


 スミレの瞳、色が違った。山吹色よりも、もっと濃い、橙色…

 それに髪色も。苺色だった。今は、血よりも紅い紅色に…


 今。速過ぎて、見えなかったけど……


 スミレは矢を五本、射た。


 確実だ。大鬼に二本、竜牙兵に三本、それぞれ急所に命中していた。


 瞬き一回にも満たないその一瞬の間に…五本。


 彼女は、何をした?


 リアンは目の前が黒く霞んでゆくのを感じる。

 そして、気を失う直前に見たのは、

 、彼女の的違いな顔だった。



 ––––––

 そう、私は潰れそうだった

「神子」であるという重圧。

 その称号レッテルを呼び名としてかけられるたびに。

 街で盛大に歓迎されるたびに。

 感謝され、尊敬され、畏怖の言葉をかけられるたびに。


 深い深い沼にはまってしまったんだ。

 息苦しい。弾ける事も許されない。手を伸ばしても、光はこの手に差し込まない。


 そしてその称号のせいで。

 …兄の、温かい眼差しをも失ってしまった…–––



「顔を上げてください。俺たちは、この任務を遂行しなければならないんです」

「わたしたちは歩き続ける。落とし穴も壁もいっぱいあるだろうけど…–––勝てると信じて」



 …それでも手を差し伸べてくれる人が、いる

 ……ツバキ、さん。リアン…


 –––私は決めたから

 今度こそ–––。




 風は徐々に弱まり、スミレの髪はふわりと一度舞い上がり、落ち着いた。瞳は元に戻りかけているが、しゃっくりが止まらない。

 スミレは意識を失い倒れているリアンの元にゆったりと歩み寄った。

 そしてただ一言––––


「私は兄と仲直りします」





 ♦︎




[冒険者ギルド別館・救護室にて]


「り、リアンく、さんの容態はっ?」

「正常だそうよ。あとは目を覚ましてくれれば」


「よ、……

 よかったあぁぁ…!」


 サナは病人ベッドの傍らでしゃがみこんだ。

 その先輩カリーナは綺麗な栗色の髪をはらう。


「良かったわ、ほんとに。…そういえば、リアンさんに助けられた新人が言ってたわよ…」

「なんて?!」

「…うるさいわよ。怪我人がいるのよ?


 ……「目の色が変わってた」って」


 サナは目を丸く見開いて、呆気にとられる。


「目の色が…? リアンくんの目は、赤色だけど」

「そう。赤黒くなったみたい。それに別人の様な…形相だったらしいわ」


「… ……」


 サナは眉を寄せて、ベッドに横たわるリアンの顔を見つめた。傷を負った頰はもう治癒されており、寝顔も穏やかである。規則正しい寝息を立てて眠っている。この姿からは、想像ができなかった。


 ガチャ、そこで病室に誰かが入ってきた。サナは振り返るやいなや「あっ!」と顔を輝かせた––

「スミレさん!」


 入ってきたのは弓と矢を持たないスミレだった。戦いから一夜明け、スミレは一時帰宅の状態から戻ってきたのだ。


「お怪我は…」

「大丈夫です。それよりも」


 スミレは病人ベッドに視線を移す。彼女は少し辛そうに目を細めた。


「リアンさんはもう大丈夫ですよ。…あの、スミレ様はあの時、リアンさんの様子を見知っていましたか?」


 カリーナが、不安げに上目遣いで問うと、スミレは首を傾げたのち、ゆっくりとかぶりを振った。


「…いいえ。何か」

「はい。様子がおかしかったと…」

「そうですか…。…あ、魔法灯、かもしれません。

 魔力を魔法灯から吸い取って、姿が変わったと–––」


「魔…力…–––」


 サナは俯き、黙り込んだ。



「あの、すみません……話は別になるのですが、

 私、大鬼に追い詰められた後ののです」


 この沈黙を破ったのは、スミレの告白。


 受付嬢たちはきょとんとした。そう、彼女たちはこのことを把握していなかったのだ––––あの場にはリアンとあの姉妹しか居合わせていなかったのだから。


 スミレは静かに続ける。

「…走馬灯の様なものをみて、暗闇の中で––––––気が付いたら、戦いは終わっていました。そばで、リアンが倒れていて」


 –––サナはスミレの話す姿を凝視しながら、心の中で首を傾げた。


 なんだか、お顔が晴れやかになった様な?


 彼女の身に、何が…


 ややあって、廊下の方が少し騒がしくなった。


 カリーナが扉を開けて外を覗く。それから、「こっちですよ!」と、音の正体を導いた。––––戸惑いながら入ってきたのは、弓使いとヒーラー、姉妹だった。


「わ、私たち、入ってきていいんですか…?」


 リアンも含めて六名、五畳弱の部屋に詰め込まれている。まだ二十にも満たない少女二人は、リアンとスミレを交互に見つめながらおどおどしだした。


「もしかして、あの時の私を見ていましたか」


 唐突にスミレが問いただす。妹は小さく飛び上がると、「ええと…」と口籠った。姉の方が妹に寄り添い、「はい」ときっぱりと頷く。弓使いである姉は、スミレに憧れていた。


「…スミレ様は、「神子」ですよね?」


「…

 はい」


「… ……弓矢の神から産まれたのなら、あの時の『変貌』は恐らく〈目覚め〉です。それに、覚えてらっしゃらない……なら、、目覚めさせたのだと思います」


「……力、ですか」

「何の力かは、分かりませんが…」


 二人の弓使いは顔を見合わせ、首を傾げる。サナはそんな二人の姿を見つめながら、自分の記憶を辿っていた。


 きっとありきたりな力ではない。

 固有スキル––スミレの変貌は、『スミレ自身が持っていた』術技だったといえる。

 なら…–––彼女だけの特徴は–––


「もしかして…

 –––お酒、でしょうか」


 顎に指を当てて言い表したのは、本人、スミレ。

 サナは考えるのをやめ、立ち上がった。 


「––私も、そう思ってましたっ!」


「ええ? そう…なの? お酒? 確かにあの場にはワインがいっぱいあったけど」


 そうです、ほぼ確実に、とスミレは二度頷いた。


「意識が戻った後も、しゃっくりが出ていたのです。それに、空の瓶が足元に落ちていました」


「…………」


 ヒーラーはすっかり参ってしまった様に、視線をお互いとスミレに何度も移し替えている。それもそうだ、そもそも二人はスミレが大のお酒好きだということを知らなかったのだから–––。カリーナは、彼女がたびたび酒蔵巡りに国を出ていたのを知っているのでなんとか飲み込めたが、酒がスミレを目覚めさせたというのはにわかに信じ難かった。  


「…

 信じられない…!」


 弓使いは、おもむろにスミレの両手を掴んだ。驚きを隠しきれず、スミレはえっ、と、それから言葉をなくしてしまった。


「やっぱり凄い人ですっ、スミレ様は!! ––神子は普通の場合なら、〈目覚め〉はその神子を産んだ神様が促すものなんです。だから神子の意思とは関係なく目覚めることが多いと聞きます。…けれどこの方は、お酒の力を借りて、『ほぼ自分の力で』目覚めたんですよ! ––だからスミレ様は、他の方とは違う––「特別」なんですよ!」

 

 きらきらと輝く瞳を間近に受けて、スミレは暫く言葉をなくして立っていた。



「…

 ……ありがとう」


 病室は静寂に包まれる。が、少女の無限の尊敬の心で、部屋は温かく、清らかになった。––心をそのまま写した様に。



 サナは再び気づく。

 スミレは、変わった。

 –––ずっと前から、いつも優しかった。思いやりの心が強かった。

 でも今は–––

 優しく強いだけじゃない。

 自分の気持ちを大切にしてる。



 変わった、んだ

 本当の意味で、目覚めた–––…



 ♦︎



「う……ぅ」


 ギシッ…

 ベッドが軋む音で、その場の全員は頭の回線を切り替えた。


「リアンく––さんっ!」


 サナは自力で上半身を起こそうとするリアンの肩を持った。その横でカリーナはからかうように肘でサナをつつく。顔を紅潮させて、ためらいながらリアンの顔を覗き込み、安否を問うた。


「––…俺……」


 リアンは暫く空を見つめながら呆然としていた。部屋にいる全員が、彼の様子を注意深く見澄ました。

 ––そんな妙な視線に気付き、リアンは辺りを見回した。


「……

 えっ、と…?…」


 流石に羞恥心が表れ、首に手をやるリアン。そこで痺れを切らしたスミレが前に進み出た。


「大丈夫、みな無事ですよ。あなたは一晩眠っていました。

 ……よく、やりましたね」


「…!!」


 スミレは、少しだけ口角を緩めた。それから、リアンの目の前に手を差し伸べる。リアンはスミレの外面ではなく見るような瞳をして、その瞳から溢れた涙を押しとどめるように、その手に左手を重ねた。



「……ありがと…う…」


 リアンは止まらない涙に戸惑う。拭っても溢れ出てくる冷たくしょっぱい雨粒。どうして止め処ないのか、どうして切ないのか、彼はスミレの話を聴くまで、分からなかった–––––。



 ♦︎



 スミレ、姉妹、カリーナが部屋を後にしたのち、二人残された病室。


 泣き腫らした顔を隠すために、リアンは俯いてシーツの白を見つめていた。サナはベッドの傍らの椅子に座り、時間の経過をただただ感じている。


「……スミレは、目覚めた」


 独り言のようにぼやく、剣使い。


「……俺は

 …怒りだけに、支配されてしまった

 –––そうでもしないと、力が……」


 開かれた拳をじっと見詰め、低いトーンで続ける。


 ––––小さい頃から、剣を握ってもうまく振るえなかった

 取っ組み合いは毎日同じ、負ける。

 そんなの分かってる、想っていた人一人も守れなかったから。

 ……努力だけは、続けた

 努力だけで、ここまで来れた

 でもそれだけじゃ、足りない?

 –––俺は怒りで、取り込んだ魔力で、剣を無限大に強く振るった 

 …… …強くなるためなら、必要なのか?



「神の才を受け継いだスミレとは…違う」

「リアンくん」


 幼馴染みの声だ。幼い時、手を離してしまった。


「……わたし、はさ

 …いつもの、リアンくんが良いなあ」


「……っ!」


 サナはゆっくり、おだやかに立ち上がる。

 勢いよく首を回して幼馴染みの顔とを見合わせたリアンの方へ、両腕を伸ばす–––。



 –––頑張っている彼が好き。たまにからかってくる彼が好き。でも、でもね、一番大好きなのは。

 誰かを守ろうと奮闘しているリアンくんなんだ。



 伸ばした腕を、彼の背中に回した。

 掌で大きく包み込むようにして、自分の心が通じるように。


「よく……頑張ってるよ

 いっぱい…我慢して、たくさん…辛くても

 ……私が、いるからね」


「…… …

 うん…」



 そのまま、柔らかい沈黙。

 振り子時計の音だけが、スローに響き渡る。

 二人は目を閉じ、その心と時を共有し合った。

 過去の思い出と、今に継ぐ気持ちとを。



 …一人でうずくまっていてもだめなんだ

 俺は、守るために強くなるんだ…–––

 何かに、支配されないように。貫かなきゃいけないんだ–––



 リアンの意識は、そこでぷつりと途切れた。まだ疲労が残っていたのだ。


「えっ? り、りりり、リアンくん??」


 肩にぐいぐいと寄り掛かってくるので、サナは目を白黒させて、リアンを半ば乱暴に引き剥がした。


「あ、あれ……?」


 ぐったりと壁に寄りかかるリアン。幼馴染みの筈だが、サナは慌てふためいて、また状況が急変したので、今までの行いに、とてつもなく恥じらいを感じていた。

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