第34話

 スミレは、リアンが大鬼一体に苦戦している間に、既に大鬼三体と竜牙兵一体を難なく倒していた。つまりは、あと残るは大鬼四体と竜牙兵二体–––––、やりきらなければならない。…と、リアンは焦燥に駆られて思わず歯を食いしばった。周囲を見渡せば、会場に残った数少ない人間を探すモンスターがいる。

 リアンは自分に注意を引くため、空中に浮遊していた魔法灯に捕まって飛び上がり、勢いをつけて移動をした。速さを変えた魔法灯に反応した竜牙兵が、振り返ってリアンを睨む。

 眼球のない、闇。見慣れていなければ恐ろしさに身を強張らせてしまう。リアンは覚悟を決めると、魔法灯から飛び降り、剣を振りかざした、




 瞬刻–––––。





 竜牙兵の眉間に、白い矢が深々と刺さったのだ。


 それがどこから、どのように飛んできたのかなど判らないほどの。

 得体の知れぬ威力とスピードだった。

 これを射たのはやはり––––。


「–––スミレっ!」



 リアンは歓喜の表情を浮かべ、振り返る。やはりそこにはスミレの立ち姿があった。勇猛に弓をつがえ、次の矢を取り出す。––まだ竜牙兵は倒れていなかった。


 そしてまた間髪入れずに一撃。心の臓を狙われた竜牙兵は左によろめく形で避けようとした。リアンは今度こそと走り、竜牙兵の左足首にやいばを入れた。重心を傷付けられ、竜牙兵は首を振って呻る。そこに、スミレの矢が風を切りながら飛んできて、その首辺りに刺さった。



「––リアン、次です!」


 まだ竜牙兵が完全に倒れないうちに、スミレはリアンに促す。リアンは戸惑いながら彼女について行った。竜牙兵は憎しみのこもった咆哮を上げながら、二人の方に槍を突き刺そうとする。が、その攻撃は虚しく、槍が二人に届くまでに黒い砂として消え去った。



 –––あと、大鬼四体、竜牙兵一体だ––


 リアンは密かに拳を握る。

 いける。でも…!



 と、コンビ2人は残る大鬼のもとへ向かった。


「大鬼は人を襲い、時には喰います。室内の人々はみな逃したはずですが、建物が倒壊した今は分かりません」


 淡い赤色の髪をなびかせて、スミレは冷静に告げた。リアンは心臓の音が徐々に高まっていくのを感じながら、柄を握りしめた。生まれつき視力は良い。前のめりになって走りながら、目を見開いて遠くを見つめる–––––


「! スミレ! さっきの姉妹がいます!」


「そうですね」


 リアンは、ここまで来ても平静さを貫くスミレに肝を抜かれた。そこそこ長い間共にしてきたが、こうして戦う時、彼女はいつも「自分ひとりで」、他の力を借りずにこなしていたように思うのだ。ただ、今の彼女はあの姉妹を信用しているように見えた。…しかしリアンはそのように思い至らない。先ほど目の当たりにした、あの姉妹の新人なりの弱さを懸念材料として見ていたからである。だから、早く逃してやらねばと焦った。


 加速するリアン。そして、スピードは同じのスミレ。


 リアンは居た堪れず、足に重心を置いて飛躍の姿勢を取った。


「リアン」


 体を貫くような鋭利で滑らかな声で、リアンは思わず静止する。


「大丈夫。よく見てください」


 リアンは、鼓動が落ち着いた心臓に手に当てて、もう一度目を凝らした。


「…!」

「戦えている。あの姉妹は、も才能があります」


 つまり、あの銅剣を抱えた新人の剣使いよりも、素質があるということだ。リアンは彼の自慢話を思い出す。「あと一年で〈一番星冒険者〉に––––」彼は我が物顔でそう宣言したが、スミレには「そうなれる人には」思えなかった。



「……あの大鬼は二人に任せましょう。やはりこちらも、二人でまとまって行動した方が良さそうです」


 一体一体に時間をかけていられないのだ。リアンは顎を引いた。


「「互いの健闘を祈ります」」


 それきり、二人は声を交わさなかった。




 まず、近距離戦闘が向いている剣使いが、飛躍と走行を併用してターゲットに一気に近付く。彼はもう一人の弓使いが急所を狙えるように、重心となる脚に障害を与え、注意を引く––––剣使いが持つ、よく光を反射する銀剣はの目をよく引いた。


 そしてリアンは大鬼の爪の攻撃を剣身に受け、後ろに飛び退りながら足首に突き技を喰らわせた。


 そしてその風を切る勢いのまま、もう一体の方に走り出す__



 しかしリアンは、過ちを犯していた。


 この突き技を喰らわせたとしても、大鬼がそう弱ることはない。

 つまり、この大鬼は一度目をつけた者は確実に狙うことができるのだ。


「っ…!」


 しまった、焦りすぎたとリアンは再び立ち止まった。が、あと瞬き一つする間に大鬼の繰り出す攻撃がくる。


 やられる––––


 が、この一瞬の間でリアンは判断した。


 彼は爪の斬撃を胸から腹にかけて受けながら、真上に飛躍した。頭上に運良く魔法灯が浮かんでいたからだ。


 焼けるような、鈍く強い痛みに耐えきれず呻き声が出る。斬られたのは胸で、傷も浅いが全身が痺れる痛みだ…それに先程の背中の痛みも残っている。


 だが、もう止まることはできない。


 ここまできて、どこまで俺は頑張れるのか。



 むしろ、知りたい気持ちだった。


 彼はもう一体の大鬼の方向へ視線を送った。


「…!!」


 壊れた建物の外壁、その向こうにギルドの受付嬢が座り込んでいた。

 怯えた悲鳴を上げている。

 そして、そんな彼女の頭を潰さんとして、大鬼が掌を地面へ–––––


「–やめろ……っ!!」


 リアンの瞳の赤色が濃く、––血の色ように濃くなった。


 彼は魔法灯もろとも落下する。魔法の効力が切れてしまったのだ。しかし、この魔法は使うものが死んだとしても消えることはない。


 …しかし、魔力が吸い取られたのなら、効力は無くなるのだ。



 リアンは鞘を音が鳴る程強く握りしめた。彼自身でも、ここまでの握力を引き出せる事は知らなかった。そしてこの力は魔力から生まれていると感じていた…––。 


 そして、リアンは何も感じなくなった。

 意識が飛んだ、といってもいい。

 猛烈な怒りが、彼の力を引き出し、我を忘れさせた。



 ギルドの受付嬢が彼の存在に気づき、安堵の表情を浮かべて助けを乞う。が、彼の様子がおかしいことに勘付いて、再び怖気付き、顔色を変えてしまった。


 リアンはまともな息継ぎをしないまま車輪のように剣を回転させ、硬い大鬼の手首を切り落とした。


「ひっ…リアンさっ…」

「逃げろ!」


「早くっ!」

「…!」


 瞳に大量の涙を浮かべ、受付嬢は走り去って行った。


 大鬼の怒りを買ったリアンは、剣を正面に構える。

 彼もまた、煮えたぎるような怒りを腹に抱えていた。

 剣の金属音が、無機質にこだました。






 魔法灯に捕まってこちらを離れるリアンを追いかけはじめる大鬼。スミレは矢を抜き取り、ゆっくりと弦を引いて矢を射た。小雨を切り裂くようにしながらしなる白木の矢は、ドッ、と静かに大鬼の首に刺さる。そしてスミレはリアンの五倍程の速さで飛躍し、大鬼の首元に到着するや否やその刺さった弓を引き抜いた。


「グガッ…?!」


 動脈を切り裂かれ、大鬼は首を抑えて悶える。吹き出した血を、スミレは避け切れなかった。腕で防いだが、頰に返り血がへばりつく–––スミレはわずかに顔を歪め、宙を蹴って後ろに下がった。


 ––––このまま出血多量で死ぬはず



 スミレは大鬼に背中を向け、残る竜牙兵に対峙した。


 このグレードアップされた竜牙兵は、この会場を襲いにやってきてから動いていない。これまでずっと、このコンビの戦闘の様子を窺っていたのだ…スミレは眉を寄せ、ターゲットを注視した。


 竜牙兵の体の中心には、心臓ともいえる紫色の霊魂の様なものが浮かんでいる。不気味に光を発するそれは奴の弱点だ。しかしそれを討伐するには、この硬い骨を打ち破らねばならない。

 またその鎧に触れることも許さない、奴の「目」。全身が透けている事もあってか、奴は視野が格別に広い。正面から背後まで、見えない瞳が映し出しており、それを欺く事は一番星冒険者でも難航する。


 そう、「あの事件」の時も

 このような、強化された竜牙兵によって––––


 スミレは深呼吸をする。大きく胸を上下させ、顎を引いて目を閉じた。怒りに身を任せては、まともな討伐ができないだろう。

 今は、忘れるんだ。今は。目の前のことだけを見据えろ…––


 スミレの山吹色の瞳孔が大きく見開かれた。彼女から現れた強い闘気に、空気が振動する。竜牙兵はそれを察知し、青光りする槍を片手に握りしめ、吠えた。

 –––両者は同時に動き出した。


 瞬きをする間もなく、スミレは竜牙兵の目の前まで接近し矢を射た。心臓に向かった矢、しかし竜牙兵は掌でそれを落とす。


 ––やはり直接狙うのはムリか


 スミレは飛躍魔法を解き、詠唱なしの炎魔法を繰り出した。炎は弓と矢を覆うが、燃えない。この白木の矢は特別に作られているのだ。溢れる熱気に、スミレの額に汗の玉が浮かぶ。


 これで骨が爆ぜれば––––!


 また同じ場所に矢を繰り出す。竜牙兵も掌で打ち落とそうと掌を下に向けた。そしてその骨と炎が当たる瞬間、微かに焼けるような音が–––


 刹那、ただならない殺気に、スミレは勢いよく振り返って宙を仰いだ。


「……?!」


 そんな、うそ

 動脈を切った…! もう死んでいるはずなのに…!


 –––先程の大鬼は生きていたのだ。


 スミレは身体中を戦慄させ、炎を纏った矢を放とうと、弓をつがえる準備をする。が、もう既に大鬼は掌を振り下ろしており、矢を射る時間はないと物語っていた。


 スミレは先程のリアンと同じ様に、焦燥に支配されてしまう。


 目の前が真っ暗に…––––







 スミレは走馬灯を見た。


「ねえ、スミレはさ。どうして冒険者になったの?」


 ……それは。

 私が「神子」として生を受けたから。産まれた時から弓矢の才を神から頂いたから。…そして強くなる義務ができたから。


「わたしはねえ…。守りたいから、かなあ。

 ほら、モンスターは人を襲うでしょ? だから、誰かが守らなきゃいけないの。わたし、大切な人を失った事があるから……「誰かの大切な人」を守らなきゃ、なんだか気が済まないのよ…」


 –––どうして…

 貴女は最期まで、こんなにも胸を張っていられるの?


 その魔法使いは死ぬ間際まで、杖を手放さなかったと聞く。

 ––かつての一番星冒険者達は、どうしてこの場所までたどり着けたのだろう…




「俺、あなたに憧れているんです。今でも、背中を追いかけたいんです。

 ……だから、そんな顔しないでください」


 リアン、私は

 そんなにもひどい顔をしていましたか?

 …隠し通せなかった。今でも私は悔やみ、自分を責め、怒っている


 憧れられている貴方には、私の姿はどう見える?

 強く……見えるのだろうか


 ああ 今にも

 潰れてしまいそうだった…


 でも、いつも貴方が教えてくれる

「強くなる」ことが、私になにを与えてくれるのかということを

 誰かの為に、こんなにもひたむきで、たゆまぬ努力でのし上がっていく……そんな人達が、私の周りにはいる


 だから私も…

 目を覚さねば



 地面に、割れかけた白ワインの瓶が転がっていた。

 スミレはそれを、目に止まらない俊速で拾い上げ、

 そのまま口につけ、

 一気に飲み干した。




「……?!?! ギァァァァァっっ!!!」


 全身が焼けつく様な痛みで、大鬼は手首を振り上げ絶叫した。



 その、聞いたことのない咆哮で、大鬼を倒したリアンは、やっとのことで我を取り戻した。


「…スミレ?」


 砂煙の合間から、覗いてみえたのは。


 風の渦を巻き起こす、スミレの後ろ姿だった。

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