第24話

[国境付近・国道を結ぶ列車内にて]


 魔導による熱で動く機関車は、国を超えて伸びる大きな川をまたぐ橋をゆるやかに渡っていく。国からの資金で、割と高級な車両に乗ることができた冒険者二人は、列車の長旅に備えて読本を広げたり、思うがままに窓の外をぼうっと眺めていたりと好きに過ごしていた。生まれが貧乏な身、リアンは、普通の列車とは居心地が違う心地の良い雰囲気に、心底嬉しそうな顔をして何度も座席の座面を触っている。


 弓矢のコレクションが書かれた分厚い本を広げて、頬杖をつくスミレは、明るい朝の光を苺色の髪に反射させていた。彼女の傍には、スパークリングワインのグラスがあった。


 二人は今日の夜にはギルドの方に帰れる予定だ。

 リアンの頭の中に、電話越しに聞こえた幼馴染の嬉しそうな声が響き渡る。混乱していてあまり気に留めなかったが、あとあとから思い返すと随分と声を弾ませていたものだ–––––。リアンは思い出して、ついくすりと笑ってしまった。


 頬杖をついたまま顔を上げるスミレに、リアンは掌をかざして、本当は平然と「何でもないです」というつもりだったがやはり–––サナには失礼だが笑えてしまう。声が震えてしまった。


「何かありました」とスミレ。相変わらず抑揚のない喋り方だが、一応尋ねているつもりらしい。


「いえ、いえ」


 リアンは自身の口を押さえることで、笑いを収めた。




 ♦︎





 列車は川を越え、いよいよ国境を越えるという時、ちょうど時期であるこの国境付近ではある現象が起こっていた。


「あっ、見てください! あれ!」


 大きな車窓からそれを目撃したリアンは、初めて見るその天気現象に目を見張った。対して、今まで何度もこれを見てきたスミレは「ああ、」と声を漏らして頷く。


「今の時期限定の〈リューマジ〉ですね」

「りゅー…まじ?」

「〈リューマジ〉は、リューマジックの略です。ああいう風に、龍のような形の長い雲が国境に沿って浮かんでいて、霧が降り注ぐんですよ。大昔、魔法使いが暑さから身を守るために自分の上にその雲を作った事から言われているそうです。諸説ありますが」

「へえ…」


 ぺらぺらと説明を続けながら、その景色に釘付けになっているスミレを、無意識に、リアンは窓の外と交互に見つめていた。


 二人がここまで、この景色に見とれるのにも頷けるのは、今、列車が走っているのが空中だからだ。先程川の橋を渡ったあと、線路は空中に伸びていた。

 その列車の窓から見えるのは、頭上近くの、朝日を浴びる細長い雲だ。遠い地平線に続き、青と紫に色を変えながらうねり、優しい雨を降らせていた。


 隣の座席の方にいた五人組のグループが、大きな声で何やらやりとりしている。


「あそこらへんはねえ、気温がマイナス十度くらいになるらしいわよ」

「じゃあうちらの光魔法も凍っちゃうかもね」


 やや沈黙があってから、一人が車両中に響き渡るような大声で歌い出した。


「おろかな…まほうつかいは〜……くもをつくり……かげをつくり…ぼうけんしゃは…けんをふりかざし……ひかりを〜…つくる……」


 魔法使いらしい一人の歌声に、グループは盛んに手拍子を始めてはやし立てたが、スミレ達を含めて周りにいた乗客は押し黙り、窓から視線を外して俯いた。

 どうやらこの一行は、無知な観光客らしい。この車両に座っている人々はその一行を除いて皆、自国の歴史を知っているから、この騒ぎを止めることも、逆にのることも、できなかった。



 聴くに耐えず、リアンは耳を両手で塞いだ。幸い、一行からは見えない位置にいた。スミレは聴こえないようにしようとはせず、しかし不快そうに唇を軽く噛んで再び本を広げた。


 彼女の歌は続く。

 これは一億年前、魔法軍らによる大戦争が勃発した時、この国を守るべく出陣した、レイラー率いる魔法軍に対立する敵国の軍が歌った不吉な歌だった。魔法軍は作詞作曲した軍人を魔法の力で鎮圧して、国によって処刑されたが、軍や、チャンプの人々にとっては忘れられない、心を痛める死の歌となっている。


「愚かな王の国は邪悪な大魔法使いの手の中に


 黒雲が立ち込める大陸に、我が国の光が差し込む


 もう救いようがない


 哀れな魔法使いは、光にすがって堕ちる」


 と、当時の魔法軍をこけにしたような酷い歌詞が、敵国で盛んに歌われたそうだ。終戦後、チャンプの王はこの歌に禁止令を打ち出して歌われる事を阻止したが、それから一億年も経った今、薄れてきてしまっているのかもしれない。



「……ちょっと、トイレに行ってきます」


 リアンは立ち上がり、よろめきながら車両を後にした。顔を上げてそれを見送り、スミレは本を閉じて再び窓の外に目をやった。

 うっすらと、自分の顔がガラス窓に浮かんでいる。その仏頂面に浮かぶ、山吹色の暗い瞳が、自分に何か訴えかけているようだ。


 それをぼうっと見つめていると、幼い頃から変わらない事を思い出す。


 …お兄様、変わっていなかった。

 私が最後に彼に会った時から、ずっと今のままだった。


 どうして、ああなったのだろうか。

 私のせい、だろうか。



 昔の兄は––––二人がとても、幼かった頃––––、強く優しく、妹をいつも庇うしっかりした少年だった。

 生まれた時から弓使いという才能に恵まれ、初めて弓を握った時から的の中心を射た妹とは逆で、才能がなく、いつも妹に先を越されていた兄だったが、しかし彼は気にするそぶりを見せず、弓の代わりに勉学に励んでいた。



「すごーい、スミレちゃん! また全部命中させたね!」

「比べてお兄さんは、そこまでじゃないわよね」


「妹なんかに負けて、弱いなお前!」

「いつも机にへばりついて…気持ち悪いんだよ!」


 褒め言葉ばかりに気を取られたスミレは、兄の態度が変わってゆくのに気が付かなかった。兄は相変わらず机に向かって勉強していた。スミレは幼くして一流の冒険者を育む学園に入れられ、二人の兄妹としての距離は着実に離れたが、スミレはいつでも優しかった兄を何度も思い出していた。


 転機は、スミレが学園を卒業して故郷に帰った、彼女が十五の暖かい日だった。

 スミレよりもひ弱に見えた兄の容姿が一変したのだ。昔よりも遥かに筋肉が付き、背も高かった。その影響で、そこでは指導力があり、人々をまとめていた。


 スミレはいつも通りに、久しく会う兄に対して挨拶をした。

 もとから暗かった瞳の色がさらに闇に堕ちた––––鈍い彼女でも、すぐに気が付いた。

 兄はその場で妹の手を引いて、人の目のつかない所へ連れて行き、呆然とするスミレに、にこりと笑いかけた。ちょうど影になった場所で、今まで優しい兄が見せたことのない笑顔を目の当たりにして、スミレは直感的に息を呑んだ。

 兄は変わらぬ笑顔で、妹に交渉を持ちかけた。

 優秀な脳と優秀な弓使いの融合は、世界を支配できた。

 その時はまだ、彼の心を知らなかった。





 ビーンズでの攻略を終え、帰り際、妹と兄は直接面と向かい合っていた。


「久し振りだな」

「こちらこそ」


 あっけない挨拶で、その場を離れようとする妹。兄は屈強な掌でがしりと彼女の腕を掴んだ。


「待てよ、ちょっとくらい話そうぜ。

 ……この村にきて、丁度一年半くらいかな。ようやく村人の奴らも落ち着いてきた。びっくりしたよ、なんで報告しなかった? 〈一番星冒険者〉さん」

「……」

「へえ、あくまでも無言を貫こうってか。まあいい。それよりもお前が連れてるあの男、…なんていったっけ? まさかお前にコンビがいるなんて信じらんねえ」

「私の勝手でしょう」


 スミレは吐き捨てると、また踵を返した。


「待てよ、つれねえなあ。

 本当にいいのか? 。後悔するかもよ」


「そんな訳ない!…–––私にはまだ夢がある」

「へー、そんなして?」

「っ……」

「ははは、 ま、いっか。いい声聞けたしな、妹の」

「……」


 彼女は無言でそこを後にした。




「…あの? 大丈夫ですか?」

「–––っ……はい」


「…もうすぐ着くそうですよ」


 リアンは愛想笑いをして、席に着く。いつのまにかテーブルに突っ伏していた。スミレはこめかみを抑えた。


「…あの、スミレ、聞きたいことが……」


 青年は決心して、身を乗り出す。

 嫌われてもいいと、勝手に思った。


「お兄さんとは、どんな感じなんですか?」


 スミレは顔を上げた。驚いたが、とうとう来たか、とわずか受け入れる心もあった。あふれんばかりの夢と希望をそのまま載せたような瞳を見ていると、自分がとても情けなく思えてくる。背けたくなってしまう。


 でも、私は強くなる必要がある。


 彼女は口を開いた。

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