第22話

[辺境の村・黒の洞窟にて]


 この世界において銅等級モンスター・小鬼ゴブリン。彼らは繁殖型であり、大鬼によってグループ分けされ各地に棲んでいる。その一部が、このひっそりとした暗い森の中の洞窟を見つけて、棲み家にしているということだった。その洞窟は、村の人間が食料を保存する目的で開拓した所だった。しかし、たちまちその食料は、大量で頭の冴える小鬼ゴブリン達によって食い荒らされてしまい、村は未曾有の食料危機に直面している。

 小鬼ゴブリンは、更に近場の村の家々を荒らしに回り、村の一部を破滅に追い込んだ。中には攫われた娘もいるという。彼らの任務には、その娘達を助けるという内容も含まれていた。



 ゴブリンの洞窟は、実に構造となっている。入り口から入ってすぐに、三つの別れ道があった。ひとつ間違えただけで、周到に待ち伏せしている奴らに不意を突かれて襲われる。

 そうとなってはいけないように、彼らはすでに対策をこなし、後ろから迫ってくる背の低い奴、そして中間層の大きさであった敵達を倒していった。

 リアンの手には、プラチナが縁取る高価そうな羅針盤が握られていた。赤色に塗られた針がさすのは–––二人が進むべき道しるべだ。彼らが分岐点に立った時、どの道に行けばいいのか示してくれる魔法仕込みの羅針盤。スミレは弓を番えたまま前に進み、リアンは柄をしっかりと握って銀剣を構えていた。


 ここまで二人は、二十数匹の小鬼ゴブリンをねじ倒してきた。矢を放ち、隙をつき、頭から剣を貫き、辺りは奴らの断末魔で満ちていた。

 しかしまだまだ奥の方に潜んでいるようだ。

 スミレは目を閉じて、不気味なタペストリーが掛けてある壁に近付いた。僅か息を弾ませるリアンは、ここまで問題なしに進めたことに安堵して、羅針盤を丁寧に確認していた。


「…この壁の向こう側に、人間の気配を感じます。恐らくそちらに捕らえられた人達がいますね。リアン、私はそちらに行くので、あなたはそれを頼りに前に進んでください」

 スミレは羅針盤を視線で指し、壁に手をついて深呼吸をした。彼女がこれから何をしようとしているのか見当もつかなかったが、リアンは言われた通り前に進むしかなかった。彼は頷くと、どこで落ち合うのか訊くのも忘れて飛び出した。彼は羅針盤を覗き込み、走る。スミレの気配が遠ざかると共に、小鬼ゴブリン特有の臭みが強くなる。リアンはいつでも剣を抜けるよう、腰に意識を持っていっていた。黒の洞窟の暗闇は、深まっているようだった。




 しばらく走り–––––一匹の小さな小鬼ゴブリンに遭遇した刹那、背後から壁の砕ける轟音が地面を揺らした。リアンは相棒が今何をしたのか想像しながら剣を抜き取り振りかぶった。




「…ハァッ、ハァッ……次で…二十九か」


 剣を鞘にしまいながら、リアンは頭の奥に蘇りつつある古い記憶を思い出そうとしていた。

 しっかりと繋いでいた手が、呆気なく離された。後ろに手を伸ばしながら、名前を呼んだ。

 ただ、それきりの事だ。それなのに、なぜこの時に思い出すのか? …分からない。


 ただあの時の失望は、はっきりと心に刻まれている。それでもそれが、自分を苦しめるものになっていないのは、手を繋いだ相手が生きていたから–––––


「…ははっ、何、考えてんだか」


 彼は伸ばしている金髪を掻いた。

 は、消えかけた古傷のように薄い。しかし、自分の体には本能として、繋いだ手は離してはいけないと義務として命令され体に刻み込まれているようだ。それが今自分をこんなにも混乱させているのか。小鬼と対面している時に、毎回毎回思い出す、手の温もりが消える瞬間を。


 リアンは革手袋をはめ直し、再び暗闇の中にのまれていった。





 ♦︎♦︎





 いざ、壁を壊す時、スミレは未だに自信を持てていなかった。この壁に、人質が寄りかかっていたらどうするか。気配はきちんと調べたはずなのに、壊す寸前になって迷ってしまう。

 すると、分かりやすく力は鈍って、音を抑えることが出来なかった。


 小鬼たちが、ギャアギャア煩く喚き、手当たり次第といったところかスミレに襲いかかった。スミレは矢を手で持ってそれらを計五匹始末した後に、三名の人質を確認した。

 そこで初めて、リアンとの落合場所を確認し忘れたのに気付く。

 が、今村の人間が力なく横たわっている前で、何もしないわけにはいかないので、スミレは一旦洞窟から出る選択をした。





 三人を担ぎ上げて洞窟を出、リアンを追いかけようと、彼女は来た道を引き返す。

 そこまでは、なんら変哲もなし、彼女は道を覚えて、壁を壊した所まで進んだ。そこから先は、彼女が積んだ小鬼退治の経験を武器に、真っ直ぐに進むほかなかった。


 その直後だった。スミレは突然背中が軽くなり、後ろに仰け反ってから、やっと、気付いた。


 ––––小鬼の気配には、誰よりも敏感だと思っていたのに。道も、合っていたはずだ。

 スミレは、今から二十年前にこの気持ちを味わったことを、今、同じ気分に陥って思い出した。


 目の前で、誰かと誰かの手が引き離されたこと。


 それを、自分は見ているしか出来なかったこと。


 その絶望が、今、弓を握って振りかぶった後に、背中から覆い被さってきた。

 今二人は生きているだろうか? もしかしたら、黙って見ていた私のことを恨んでいるだろうか。

 せめてその二人が、誰なのかを知れたら。

 私はもっと、何かできたはずなのだ。


 今更……。


 だから、リアンにはそんな人間になってほしくない。

 それに彼は、私よりもずっと人間らしく、そして私よりもずっとずっと、…。



 小鬼相手に、尻餅を突いて、みっともなく、大切な弓で己を守るこの様は。

 昔とどこも、変わらない。





 ♦︎♦︎





 三十匹目まで始末したところで、自分はそこまで前進してないにもかかわらずスミレが追いついてこないという事に違和感を抱いた。

 そんなリアン、複雑な思いを抱えたまま引き返す。

 こちらには万能な羅針盤がある、引き返す事も簡単だ。


 リアンは走り出した。


 ややあって。

 彼は思わず立ち止まった。

 煩い鳴き声と、靴の擦れる音。

 スミレが、必死に対抗しながらも、虚ろな瞳で弓を握っている。

 その背中には、いつもの矢が無い。小鬼に取られたようだ。その小鬼といえば、ピカピカと綺麗に磨かれている矢をまじまじと見つめ、白木の矢を汚く汚している。


 全身が、ぞわりと総毛立った。許さない。スミレはそれを、弓使いになった頃から使っていると聞いた。それを今、毎日丁寧に手入れしていたものを今、この卑劣で汚い生き物に触られ、弓には切り傷までついているじゃないか。

 スミレのものを、スミレを–––––。

 リアンはそのままの状態で、走り出した。

 スミレの弓は、折れてしまった。

 あまりにも脆い、繋がれた手と手のように、真っ二つに、切り裂かれてしまった。











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