第6話
[ホワイト区・居酒屋『暖』にて]
「ん?」
ジョッキを手放した一人の美女が笑顔を崩して暖簾の方を見た。
ガッシャーン!
「うわっ、お客さん!」
店員はきちんとジョッキを受け取っていなかったらしく、ガラスのジョッキは床に真っ逆さま、凄まじい音を立てて落ち、粉々に砕け散った。美女は無反応、入り口に突っ立っている青年は「ひゃっ」と肩を上げた。
青年–––––––リアンは冷や汗だらけの頭を抱えたい衝動に駆られながら考える。
(これは幻覚?幻聴?何が起こってる?)
いまいち状況が掴めないでいた。
いちいち頰をつねるまでも無い……これは現実であった。
目の前にいる苺髪の美女–––––スミレ。
リアンはやっと現実に辿り着いた。
店員がガラスの破片を片付け、もう一度新しいビールを持って行くまで、スミレは「ごめんなさい」と謝りながらリアンに手招きしていた。
「な、何ですか」
リアンは帰ろうとしていた。この意味のわからない現実から逃避しようとしていた。が、この美女のお願いに答えない訳はない。
「何って?この店に食べに来たんでしょう、一緒に飲みましょう」
クールであった筈のスミレはその面影もなく、ただ受ける印象は「飲んべえさん」である事だ。
「い、いや……」
遠慮いたします、の一言が言えず、リアンは再び後退った。人違いでありたいと望むリアンは、愛想笑いを浮かべながら首を傾げてみる。が、スミレはそれを察しなかった。
「でも、この店以外開いてませんよ」
「うっ……」
「ほら、ではここにどうぞ」
スミレが指差したのは、カウンター席。リアンはスミレの隣という事に多少のときめきを感じながらも遠慮がちに席に座った。
「俺酒飲めないんですけど……」
素早く手を挙げ、発言すると厨房の店員はアルコール以外のメニューをリアンに差し出した。
「何だ、お酒飲めないんだ」と心底がっかりしたようにスミレはジョッキの傍に置かれるつまみ、スルメを摘んで口に放り込んだ。
いっぽうの事リアンは、まだぐるぐると混乱する頭を必死に動かしていた。
スミレのあんな顔やあんな声は初めて聞いた。俺はあのクールさが好きだったのに。
リアンの中にあるスミレという憧れの像は消えかかっていた。
♦︎
『これはソフトドリンクです』と書かれたマドラーを掻き回しながらリアンは頭を掻く。
隣の白美人、スミレも無言で熱燗のお猪口を啜った。彼女の傍には米酒『雪月花』の大瓶が乗っている。それにはもう半分の酒しか入っていなかった。一時間という短い時間にて、彼女は一人でこれを飲み切ったのだ。リアンは恐ろしさを感じ、椅子を少しスミレの反対側にずらした。
蜜柑色の果実ジュースを飲み、リアンは頬杖をつく。
この時間、二人は一言も会話を交わさなかった。無言で飲み物を飲み、つまみをつまみ。リアンは、出された鳥釜飯をぼそぼそと食べながら腹を埋めていた。
リアンはスミレに対して幻滅しかかっていた。いや、もうしていた。
スミレはただ、酒が好きだというだけである、リアンはスミレの全てを知らなかった。だが少し夢見がちである青年はこの姿に絶望に近い感情を覚えていた。
果実ジュースを飲み終わったリアンは、そそくさと立ち上がり、スミレに軽くお辞儀をして会計を済ませ店を出た。
その間は約三十秒、実に短い別れだった。
再び戻りつつある賑わいの中、リアンは襲いかかる眠気と疲れと戦いながらオレンジ区へと急ぐ。タイムセールを告げる衣服店の店員はその様子を見る様子もなく空に向かって叫ぶ。
誰もリアンに振り向かない。
スミレが通れば誰もが振り返り、声を掛けたり写真を撮ったりする。価格サービスなんて日常茶飯事だし、今日の出来事も全てスミレが解決したと思っている。リアンの活躍など、人々の目には入らない。
でも–––––と、リアンは再び強がる。
俺も倒したのだ。それに……スミレを呼び捨てで呼べるのは俺しかいない、筈だ。
思い込みながら弱い自分を勇気付ける。
惨めな事だと分かっていても。
結果、リアンはスミレを追うことを諦めた。
もう一度、ダンジョン攻略に打ち込むことに決めたのだ、自宅にて散々悩みを連ねた後。
一方のスミレは、気にせず変わらない様子で、飲んべえとして居酒屋でハシゴをした。
その事を、街人は知っている。
知っているからこそ、スミレを尊敬しているのだ。
––––––––"最強"と称される美女、実はお酒大好き飲んべえさんでした。
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