言伝屋
ルカカ
第1話 想い想われ
「言伝屋にご依頼をなさいますか」
ーはい
「わかりました。では内容をご確認の上、こちらの書面にサインをお願いいたします」
ー……これでいいですか
「えぇ。お名前はタツミ様でよろしいでしょうか」
ーはい
「送り主はソーニャ様でお間違いないですね」
ーはい、お願いします
「では、これから〈言の葉の砂時計〉にメッセージを集音させていただきます。準備はよろしいですか」
ーはい
「それでは、どうぞ」
コト、砂時計が返され砂が静かに流れる
その一粒一粒に言葉が刻み込まれる
〈あの世〉から〈この世〉への、一度だけのメッセージ
コンコンコンコンコンコン
扉を叩く音に、ソーニャはモゾモゾと起き出した。
窓の外ではやっと太陽が昇り始めたようで、淡いオレンジの光が町を包んでいる。
(こんな朝早くに?)
疑問を覚えながらも、ソーニャは軽く服装を整えて、髪を束ねながら扉に近づいた。そっとノブを回し、完全には開かずに隙間から声をかける。
「あの、なんのご用でしょうか」
「朝早くにすいません。こちらはソーニャ様のお宅で、間違いないでしょうか」
透き通った硝子のような透明感のある声は、男なのか女なのか区別がつかなかった。
「……私がソーニャですけど」
ソーニャは警戒して、扉の隙間を小さくした。相手はそれに気づかないのか、ペラペラ喋っている。
「あぁ、そうでしたか。私、言伝屋と申します。怪しいものではございませんよ。タツミ様より、ソーニャ様宛てのメッセージを預かってまいりました」
「…………え?」
(いま、なんて……)
ソーニャは扉を全開に開きたくなるのを堪えて聞き返す。
「タツミ……と、言いましたか?」
「はい。そのお話も含めて、できれば中でお話をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
「ふっ……ふざけないでください!」
気づくとソーニャは大声で怒鳴っていた。
「からかい半分でその名前を出されて、笑って言い返せるほど、私にとっては過去の話じゃないんです!」
でも相手の方は動じた気配が一切ない。
「とにかく帰ってください」
ソーニャは扉を閉めようとした。が、相手は素早く、隙間から足を突っ込んできた。
「タツミ様と出会ったのは、大学卒業間近の日。大学の中庭の隅っこ。そうでしょう?」
「なんで、それを……」
「タツミ様がお話してくださったからです。お願いします、話を聞いてください」
その切実な、でも美しい声にソーニャの心は揺らいだ。一瞬の躊躇い。それからキッと覚悟を決めた顔をして
「わかりました……どうぞ」
扉を開いた。
そこにいた言伝屋を名乗る人物はー
艶やかに輝く銀の髪、切れ長な瞳は深海の蒼色、血のように真っ赤な唇。肌は透き通るほどに白く滑らかだ。まるで精巧な人形のような、でも人形にはない意思のある瞳を持っている。
中性的な顔立ちで、声と同じく性別の見分けがつかない。
(男?女??)
我知らずに混乱してソーニャは立ち尽くした。
「あの、どうかなされましたか」
戸惑ったように声をかけられて、ソーニャはハッと我に返った。
(み、見惚れてた……)
「いえ、どうぞ中へ」
見惚れていたことが気まずくてソーニャは深海の瞳から目を逸らした。来客用のスリッパを出し、リビングに案内する。
「そちらの椅子にかけてください。お茶を用意しますから」
ソーニャがキッチンに向かおうとすると
「あぁ、すいません。私は〈この世〉の食べ物は食べれないのです。失礼ではありますが、ご遠慮させていただきます」
丁寧にキッパリと、不思議な断りが入った。
「はぁ、そうなんですか」
ソーニャはなんだか決まり悪さを感じながら、自分も椅子に座った。
「では、さっそくお話をさせていただきます。まずは、私について疑問をお持ちだと思いますので、こちらのほうで文書にさせていただきました。どうぞ」
「……どうも」
渡された一枚の紙にはデカデカと『言伝屋について』とあり、下には説明がされている。
(準備よすぎじゃん)
驚きつつ、文書に目を通す。
〈あの世〉とは死者の魂が行き着く、時の止まった世界を指します
〈この世〉とは肉体を持った魂が生きる、時の巡る世界を指します
言伝屋は〈あの世〉の方が〈この世〉の方へ伝えたい最期のメッセージを届けます
しかしメッセージを伝えることができるのは一度きりです
また〈この世〉の方から〈あの世〉の方へメッセージを伝えることはできません
メッセージは〈言の葉の砂時計〉によって本人の言葉が保存され届けられます
〈言の葉の砂時計〉を再生できるのは一度きりです
「これって、つまり……」
「はい。私はタツミ様よりメッセージを預かっております」
トン、と机の上にシンプルな砂時計が置かれた。くもりのない硝子のなかでは、雪のように真っ白な砂がキラキラと輝いている。
「この砂の一粒一粒にソーニャ様へ宛てられた言葉が込められています。ソーニャ様がこの砂時計を返せば、メッセージが再生されます」
ソーニャに言伝屋の言葉は届いていなかった。砂時計だけにその視線は釘づけだ。
「今すぐ聞かせてください!」
ソーニャは言伝屋へと身を乗り出した。言伝屋は少し驚いたように目を開き、それからそっと微笑んだ。
「落ち着いてください。私のほうにも手順というものがあります」
「あ……すいません」
頬が熱くなるのを感じながらソーニャはストンと椅子に座った。
「メッセージをはやくお聞きになりたい気持ちはわかります。ですが、その前にタツミ様の生前についてお話してもよろしいでしょうか」
その言葉にピクッとソーニャの肩が揺れた。
「…………それはタツミが望んだことですか」
「はい。私はタツミ様のご希望に沿った行動をしています」
「……なら、お願いします」
気が進まなさそうにソーニャが頷いた。はい、と言伝屋はその紅の唇で語る。
「タツミ様はダルゴーナの大戦において、当時のジャイナ国より徴兵されました。そして梅雨の頃、タツミ様の所属していた第十一部隊は、狙撃班としてアニリア島に派遣されました」
ソーニャは視線を落とし、唇をキュッと噛み締めた。
言伝屋は文を読み上げるように淡々と、全てを過去形で語る。それは終わったことを示す、ダルゴーナの大戦もタツミの命も。
「そこでタツミ様は、敵国のアニリア島の子どもの上に瓦礫が落ちてくるのを見、自らの身を投げ打って子どもを助けようとしました。子どもは危機一髪のところで助かりまたが、タツミ様ご自身は頭を強打していて、お亡くなりになられました」
目を閉じる。
轟々と心のなかで名もない感情が嵐となって暴れる。この感情は怒りとも哀しみとも似て非なる何かだ。
(でも、今はまだ底に沈めよう)
嵐が落ち着くのを待ってから、ソーニャはまた言伝屋と向き合う。
「ありがとうございます」
皮肉を込めて、頭を下げる。いえ、と言伝屋は首を振った。
「こちらこそ、こんな話をお聞かせしてすいませんでした。これで全ての手順は踏みました。もう、メッセージを聞いていただいてかまいません」
その言葉に、パッとソーニャの腕が伸びた。
「ただし再生は一度のみです。お聞き逃しのありませんよう、ご注意ください」
ソーニャは笑った。
「私がタツミの言葉を聞き逃すわけないじゃないですか」
細い指で砂時計を持ち上げ、クルッとひっくり返した。
ソーニャ、タツミだよ。
言伝屋さんからだいたいの話は聞いたよね。君に辛い話を聞かせてしまって、すまないと思う。でも、きっと君はちゃんと聞いてくれたよね。ありがとう。
まずは君に謝るよ。
絶対に帰ってくるって約束したのに、破ってごめん。また泣かせてしまったかな。僕が戦争に行くと知って、君が初めて涙を見せたとき、もう二度と泣かせないって決めたのに、それすらも守れなかった。
本当にごめん。君は許してくれるかな。
……ねぇ、君は知ってる?
実は僕らの仲って全て君から始まってるんだ。
初めて出会ったとき声をかけてきたのは君、電話番号も君が教えてくれた。告白だって君がしてきたし、初デートも君が誘ってくれた。それからのデートもだいたいは君からの提案だ。
僕の立場がないよね。まったく、君は僕以上にカッコいいよ。
だからね、これだけは僕から言いたかったんだ。今さら遅いけど、聞いてほしい。
………………あー、緊張するな。ちょっと待って。
スゥーハァースゥーハァー
……い、言うよ。
ソーニャ、僕と結婚してください。
………………て、照れるな。
えっと、本棚の裏を見て。そこに白い箱があるよね。そのなかに僕からの結婚指輪があるんだ。本当は戦争から帰ってきて、カッコよく言うつもりだったんだけどね。もう無理だから。……本当は僕が指輪をはめてあげたかったんだけどなぁ。
君の返事は知ってるよ、イエスでしょ。ていうか、それ以外だったら僕泣いて、毎晩君の枕元に立つからね。
……これから僕が言うのは、夫からのお願いだと思って聞いてよ。
君の世界は〈時〉がどんどん過ぎていくよね。それに負けないで。君もどんどん前に前に進んでいって。
前に進むのに、指輪が邪魔だというなら棄ててくれてかまわない。壁を越えるのに、僕との思い出が重いのなら忘れてくれてかまわない。
そうして進んだ先で、僕よりもカッコよくて君にお似合いの人がいたら、僕のときみたいにアタックしてゲットしなよ。僕にかまう必要なんてないからね。
だから、だからどうか、君の世界の〈時〉を止めないで。
哀しくて辛くて苦しくて、それでも前に進むことを忘れないで、諦めないで。
僕から君への最期のお願い。
きっと君は僕の身勝手なお願いに怒って、それから叶えてくれるんだよね、僕の奥さん。
ねぇ、これだけは忘れないでほしいな。僕はこれまでずっと君を愛してきたし、これからもずっと君を愛し続ける。この魂が浄化されて、記憶が消えて、僕の存在が無くなっても、それでも君への想いは消えないよ。永遠にね。
ソーニャ、僕の愛しい人。
こんな僕を愛してくれて本当にありがとう。
砂時計の最後の一粒が音もなく流れた。
リビングは静まりかえっている。
言伝屋は黙ってソーニャに白い箱を差し出した。どうやら本棚の裏から見つけてきてくれたらしい。
どうしようもなく震える手で、ソーニャは箱を受け取る。ゆっくり蓋を開けると、そこには指輪がキラキラと輝いていた。
ソーニャは指輪を握りしめて、唇を噛み締める。
「私も……愛してるっ、ずっと愛してるっ」
溢れそうになる涙を必死に堪える。じわっ、と口の中に血の味が広がった。
「これから私はタツミ様に、メッセージを届けた、と報告をしてまいります」
黙ったままだった言伝屋が急にそう言った。
「メッセージをお届けすることはできませんが、私が一言二言ほど言付かることはできます。なにかタツミ様へ言いたいことはございますか」
ソーニャは驚いて顔を上げた。
「言いたい……こと……」
(たくさん、ある)
〈言の葉の砂時計〉を使っても足りないほど。
(それを全部まとめて、伝えたいたった一つのことは……)
ソーニャは泣きそうな笑いそうな顔で言伝屋を見た。
「タツミに、言ってください。全部イエスだよ、と」
約束を破ったことを許すか、結婚してくれるか、前に進むか、進むための覚悟はあるか、全てに対して「イエス」とソーニャは答えた。それが一番伝えたいこと。
「わかりました」
言伝屋は神妙な顔で頷く。
「しっかりとお伝えいたします。それから、〈言の葉の砂時計〉はただの砂時計となりましたが、回収してもよろしいでしょうか」
ソーニャは言葉を発せず、ただ首を横に振った。
「そうですか。では大切にご使用くださいね」
立ち上がった言伝屋は、銀の髪をなびかせながら玄関に向かった。
スリッパを棚に戻し、ブーツをきっちり履いて
「おじゃましました」
と一礼して去っていく。
扉が閉まる音がリビングに響いて、それから
ワァァァァァァァァアアアア
ソーニャは泣いた。
抑制していた名もない感情が暴走し、心の蓋は全開に開く。自分にすら隠し通していた涙が、姿を現わす。
机に突っ伏し、涙が枯れるまで泣き、涙が枯れても泣いた。嗚咽だけが漏れ、声すらも枯れてしまうまで泣いて、泣き疲れてソーニャは気を失うように眠った。
リビングに陽の光が射し込み、ソーニャの薬指にはまった指輪を美しく煌めかせる。
「タツミ様、ご依頼内容が全て完了いたしました」
ーそうですか、お疲れ様です
「ソーニャ様から言伝がございますよ」
ーえ?
「全部イエスだよ、と」
ー………………ソーニャ、ありがとう
「ソーニャ様はお強い方ですね。私が去るまで、一度もお泣きになられませんでした」
ーえぇ、あいつは俺より強くて、カッコいいんです
「タツミ様はお幸せでしたか」
ーもちろん
「思い残すことはございませんか」
ーもちろん
「良い人生をお過ごしになられたのですね」
ーはい、すごくすごく幸せで楽しい人生でした
「では、こちらへお進みください」
ー……わかりました
目の前に金色の扉が開かれた。
この扉のなかで魂は何年もの時をかけて浄化され、無垢なる魂となり、また新たな生を受けることになる。
それが人の魂の輪廻。
だが人の想いというのは、魂が何度浄化されようとも、何百年の時が経とうとも、褪せることなく遺り続け、後世に伝え続けられる。
その手助けが言伝屋のお仕事なのです。
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