君と俺の決断

 シャーロットの策略の全貌が判明した。


 塾長をけしかけて、俺をクビにする。

 俺が途方に暮れたところで、シャーロットが天使みたいに手を差し伸べる。

 俺はその手に必死にしがみつく。


 なかなかクレバーじゃないか。

 そうでもしなきゃ、俺を竜宮学習塾から引き剥がすことはできないからな。


 でもよ。

 俺を入社させるなんてクレイジーだよな。


 俺はシャーロットの青い目を覗き込む。

「いっとくが、俺はノースキル・ノーマネーだぞ。そんな俺を迎えてどうする?」


 んん?

 どうするどうする?


 金髪娘は、わずかに視線を外しつつ、

「亀吉パパはもう七〇代です。それでお兄ちゃんを後継者にしようと考えているのです」


「俺が後継者? あっという間に会社が傾くぞ?」


「優秀な部下がいますから、お兄ちゃんは社長の椅子に座っているだけでいいんですよ」


「な、なるほど」

 神輿は軽い方がいいってか。


「亀吉パパは、奇跡の不老体質によって、カリスマを発揮してきました。だから、後継者は、同じ不老体質を持っているお兄ちゃんが望ましいのです。それに、わたしとしても、お兄ちゃんにどうしてもアメリカに来てほしかったのです」


「金もスキルもないこの俺に?」


「はい。お兄ちゃんなら……」

 と、シャーロットは急に言いよどむ。


「俺なら?」


「お兄ちゃんなら、クリスとの結婚に反対してくれると思ったからです」


「け、結婚?」

 突然の驚愕ワードに俺は戸惑う。


「はい。このままだと、わたしはクリス・キングと結婚させられてしまうのです……」


「ぬ、ぬぁんだとぉ?」

 いきなり足払いを食らったみたいな衝撃だ。


「実を言いますと、わたしとクリスは、親同士が決めた許嫁なのです……」


「い、許嫁……」


 ぐぉおおおおおっ!

 どす黒い感情が俺の全身を駆け巡る。


 推しアイドルに彼氏の存在が発覚したとか、ヒロインの過去の恋愛遍歴が発覚したとか、そんな時に感じる感情だ。


 俺は震える声で、

「でもよ、君はまだ十五歳だろ? 結婚には早くないか?」


「アメリカには結婚の年齢制限がありません。たとえ十五歳未満でも結婚できるんです」


 ひえっ!

 じゃ、明日にでもクリスと結婚可能ってわけか。


「で、君自身は、クリスと結婚したいのか?」


「嫌です」

 と金髪娘はきっぱり言う。


「だ、だよな……」


「それだけはどうしても嫌だったのです。でも、パパもママも周囲の人たちも、みんなクリスとわたしを結婚させたがっています」


「ひでぇ連中だな……」

 俺は眉を思い切りしかめる。


 シャーロットは、すがるように青い目を俺に向けて、

「だから、お兄ちゃんだけが、わたしの唯一の希望なのです。お兄ちゃんなら、きっと結婚に反対してくれるかもって……」


「そ、そういうことだったのか……」


 俺は、シャーロットが初めて俺のアパートに来た時のことを思い出す。

 その第一印象は家出娘だった。

 それは的外れではなかった。


 シャーロットは、クリスとの結婚から逃げたくて、俺のところに来たのだ。


 ならばもう、俺に迷いはない。


 俺は断固とした口調で、

「分かった。そんな婚約は破棄しちまえばいい」


「お兄ちゃんは、クリスとの結婚に反対してくれますか……?」


「当り前だっ」

 俺は拳を握りしめる。


「君に望まぬ結婚を迫る輩は、ハリウッドスターだろうと魔王だろうと、容赦なくぶちのめしてやるっ!」


「お、お兄ちゃん……!」

 シャーロットの顔に、輝きが浮かぶ。


「君はここに残れ。アメリカへは帰さない」

 俺は上官みたいな口調で言った。


 が、しかし。

 シャーロットは、なかなか首を縦に振ろうとしない。


「ど、どうした?」


「わたしがここに残ると、みんなの迷惑になりますから……」


「なぜだ?」


「パパたちは、わたしを連れ戻しに来るでしょう。クリスやエージェンシーの人たちも黙っていないと思います……」

 シャーロットはそう言って、寂しげな顔に戻った。


 くそっ。黒船来襲かよ。

 こうなったら、シャーロットと二人きりの逃避行か?


   ☆


 と、その時だった。

「その気遣いなら、無用よ!」


 塾教室の入り口の方から、ドスの効いた女の声が飛んできた。


 俺たちは一斉に入口の方を向く。


 文子の姿がそこにあった。

 俺の幼馴染にしてエッセイスト。


 文子は、ゆったりした部屋着に身を包み、腕組みをしながら、教室の扉にもたれかかっている。

 さっきから立ち聞きをしていたらしい。


 文子は余裕たっぷりの顔で、

「私を誰だと思っているの?」


 そうか!

 文子は人気ブロガーでもあったんだ。

 こいつの情報発信力はあなどれない。


「『売り出し中のハリウッドスターに黒い噂が』という記事にしたら、PVをがっぽり稼げるんじゃないかしら?」

 文子は挑戦的な笑みを浮かべる。


 うう、恐ろしい。

 敵に回したら厄介なタイプだ。


 竜宮塾長も文子に続いた。

 こほん、と乾いた咳払いをしてから、決然とした口調で、

「私も文子の手伝いをしよう」


 ついさっきまで自分の机でうなだれていた塾長は、すっかり威厳を取り戻している。


 塾長はシャーロットの方を向いて、

「我々のことは心配する必要はない。君は自分の夢を全力で追いなさい」


 なんという頼もしさだ。

 まるで宇宙戦艦の艦長のようだ。


 もちろん萌々も黙ってはいなかった。

 現役アイドルらしい黄色い声で、

「あたしもあんたの味方だからね!」


 萌々ちゃん!

 俺の胸に、熱いものがこみ上げる。


 思えばシャーロットと萌々は、事あるごとに喧嘩してきた。

 でも今、二人は友達だ。

 夢を持ち、未来を見つめる同志だ。


「あたしは草野球レベルだけど、少しは力になれるかもよ?」


 う、嬉しいぜ、萌々ちゃん。

 君がいれば百人力だ。

 俺も勇気百倍だ。


 心強い支援者に取り囲まれたシャーロットは、両手を胸の前で組み合わせ、

「こんなわたしのために……! ありがとうございます……!」


 俺は優しい声で、

「もう心配はいらないぜ。みんな、君を家族のように守ってくれるからな」


「は、はい……!」

 シャーロットは、青い瞳を潤ませる。


 俺は金髪娘の顔を見ながら、もう一度、気持ちを確かめるように言う。


「俺たちと一緒に、来てくれるか?」


「はい……! ずっと、お兄ちゃんと一緒に……!」

 シャーロットは、感極まって言葉を途切れさせる。


 俺は、黙ってうなずきながら、両手を差し伸べる。


 すると金髪娘は、引き寄せられるように、俺の腕の中に自分の体をあずけて来た。


 その華奢な背中に、俺はそっと手を回す。

 そして、できるだけ優しい声でささやく。


「……俺と一緒に、夢を目指そう……!」


 シャーロットは、俺の肩に頬をくっつけながら、こくりと無言でうなずいた。



 ひとしきり抱擁を味わったところで、シャーロットは塾長の方を向いて、

「というわけで塾長さん、お兄ちゃんのアルバイトを続けてあげてください」


 塾長は、うむ、と静かにうなずく。

「いいだろう。夢を持ったものを応援するのが、私の仕事だ」


「ありがとうございます」

 シャーロットは塾長に向かって深々と頭を下げる。


 すると萌々が声を弾ませて、

「やったね、コタローさん!」


「ああ。これでホームレスの心配はなくなったぜ」


 俺と萌々とハイタッチで快挙を祝った。

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