天上の星と地上の夢


 帰宅のバスの中。

 最後尾のロングシートに、俺を中央にして三人並んで腰掛けている。


 シャーロットが決まり悪そうに、

「この際だから白状しますけど、例の動画、実はステルスマーケティングなのです」


「ステマ、だと?」


「はい。わたしを売り出すための。だから真に受けちゃだめですよ」


「ど、どういうことだってばよ」

 体温が感じられそうな密着距離まで金髪娘に詰め寄る。


「無名のわたしの動画を、大物俳優のクリスがたまたま見つけて紹介するのです。すると『この子は一体誰だ』って注目を集めるでしょう」


「な、なるほど……」


「今頃、ゴシップメディアが『この少女の素顔に迫る』という記事を書いている最中ですよ」


「要は出来レースかよ。そんでもって、君は芸能界に電撃デビューするって算段か?」


 シャーロットは、こくりとうなずく。


 なんてこったい。

 クリスの次はステマか。

 お兄ちゃん、また目の前が暗くなる。


「つーか、ステマなんかやらなくたって、君なら勝手に売れるだろ?」


 シャーロットは首を横に振って、

「ショービジネスで成功するには、サプライズとストーリーが大切だそうですよ。アメリカ人は、ミラクルやサクセス・ストーリーが好きですから、それに合わせたプロットが用意されているのです」


「むむっ。大胆かつ組織的な犯行だな」

 感心すると同時に怖気がした。


 だってよ、もしステマがバレたら大変なことになるぜ。

 ネット住民はステマに容赦ないからな。


「で、ステマは誰が仕組んでるんだ?」


「クリスやわたしの所属しているエイジェンシーです。優秀なスタッフが揃っています」


「優秀な奴がステマなんかやるか?」


「皮肉ですよ」

 とシャーロットは自嘲した。


 にしても、胸糞の悪い話だ。

 なにがミラクルだ。

 なにがサクセス・ストーリーだ。


 エージェンシーだかビタミンCだか知らないが、いたいけな少女を商品みたいに扱いやがって。

 お兄ちゃん、ぷんぷん。


 怒ったのは俺だけじゃなかった。

 ご当地アイドルの萌々も激おこだ。


 ロングシートの端から、刺々しい眼差しをシャーロットに投げつけ、

「それってさ、不正じゃないの?」


「違法ではないですが、不公正かも知れませんね」


「似たようなものでしょ。夢に対する冒涜だよ。人道に対する犯罪だよ!」


「なんとでも言ってください……」

 金髪娘は申し訳なさそうに肩をすくめる。


 気持ちが収まらない萌々は、

「あんたは、こんな悪質なステマを許してもいいと思ったりするの?」


「わたしは指示通りに歌って踊っただけですよ。と言うか、こんなステマ動画に出演するのは嫌だったんですけど」


「だったら断れば良かったじゃん。それともAVみたいに出演強要されたの?」


 こらっ、萌々ちゃん。

 喩え方が露骨すぎるだろ。


 シャーロットは顔を赤くして、

「ずいぶん迷ったんですよ。お兄ちゃんに観てもらえるかも、と思ったから協力しただけです」


「ふぅん。じゃ、もうコタローさんに観てもらえたんだから、動画を消したら? ていうか今すぐ消しなさい。じゃないと、にちゃんねるに晒すよ?」


 こらこらっ。

 それは脅迫だ。


 シャーロットは涙目で、

「消したくても、動画はエイジェンシーが管理しているから、わたしにはどうにもできないのですよ……」


 俺は、怒り心頭の萌々に向かって、

「まあ芸能界なんて、元々やくざみたいなとこなんだろ。割り切るしかないぜ」


 萌々はローファーの踵でバスの床をとんとん蹴りながら、

「分かってるけどさぁ……。あー、もうっ! 夢を見るほど現実を突きつけられるなんて、とんだ皮肉だねっ」


 そうだ、現実は皮肉屋だ。

 十七歳で真実に気づくとは、さすが。


 しかし、ものは考えようである。

 このステマ作戦によって、シャーロットはいよいよ世界に羽ばたいて行けるのだ。

 赤い絨毯の敷き詰められた、一般人が決してたどり着けない有名セレブの世界へと。


 それが世の摂理ってやつなのだろう。

 天上世界の人間と、地上を這いつくばるおっさんが、一つ屋根の下で暮らしてはいけないのだ。


 そしてなによりも、俺はお兄ちゃんとして、シャーロットの幸せを最大限に考えてやらねばならない。



 バスの車窓から外を眺める。

 ビルの窓や電線が、夕日を反射してきらめいている。


 ごちゃごちゃしてるくせに何もない。

 二十年間、ひたすら衰退するだけだったこの町に、シャーロットは場違いすぎた。


(天女の羽衣を隠すようなクズい真似はするまい──)


 ふと気がつくと、シャーロットが俺の顔を覗き込んでいた。

 目と目が合った。


 金髪娘は穏やかに微笑して、

「どうしたのですか、お兄ちゃん。冴えない顔していますね」


「当たり前だろ。せっかく一緒になれたのに、君はまた遠くに行っちまうんだからな」


 それが俺たちの宿命だったんだ。

 君は天上の星になればいい。

 俺は地上で自分の夢を目指すから。


 ところが、シャーロットは耳を疑うようなことを言った。

「遠くには行きませんよ。お兄ちゃんと離れ離れにはなりたくないですから」


「ええっ? 俺と一緒にいたいのか?」


「はいっ」


「芸能界の話はどうするんだ?」


 金髪娘は、あっさりとした口調で、

「なかったことにしますよ。ずいぶん迷ったんですけどね……。でも決心しました。エイジェンシーとの契約も、打ち切りにしようと思います」


「だ、ダメだ!」

 俺は即座に言った。


「なぜですか?」


「なぜって、こんなビッグ・チャンスは何度もやってこないからだ。世の中にはな、一度もチャンスがやって来ない奴だって山のようにいるんだ」


「ふふっ。本心からそう言っているのですか?」


 俺の心を見透かすように、シャーロットはいたずらっぽい笑みを浮かべる。


 まさか。

 本心なわけ、ないだろ。


 シャーロットは、一点の迷いもない晴れやかな表情で、

「わたしはまだ、あの夢を諦めていませんよ」


「あの夢?」


「もう忘れたのですか? アニメの声優になるって夢です。いつかお兄ちゃんのラノベがアニメ化された時、わたしがそのヒロイン役になるのです」


 そうだ。

 君には声優になるという夢があった。


「もちろん忘れちゃいないさ。でも、本気だったのか?」


「本気ですよ」

 とシャーロットは目を輝かせる。


 宝石のような青い瞳の奥には、夢追い人の情熱が宿っていた。


「同じ星を追いかけている限り、わたしたちの心は一つです」


「そ、そうだな……」


 俺はラノベ作家に。

 君は声優に。

 お互いの夢を追いかけている限り、いつか出会えると信じられる。


 たとえ天と地ほど遠く離れた場所にいたとしても──


 だが、結果として、俺には何が正解なのか分からなくなってしまった。


 シャーロットはセレブの世界へと羽ばたいて行くべきなのか?

 それとも、俺の元で、俺とともに夢を追いかけるべきなのか?

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