俺に純文学を書け、だと?
翌日。
昼間から、シャーロットを駅前の繁華街に連れ出した。
アニメショップ、漫画喫茶、たこ焼きの屋台など、ジャパニーズ・カルチャーを満喫させる。
妹氏の出で立ちは、普通の女の子コーデ。
といっても金髪碧眼の美少女だ。
何を着ても目立ちまくりである。
そんな美少女が、冴えない男(=俺)と寄り添って歩く姿は、街中を騒然とさせたに違いない。
すれ違う人間たちが、みな驚愕の表情で俺たちをガン見していく。
四〇歳にして初のヒーロー気分である。
ひゃっほう。
その後、学校帰りの萌々と合流する。
場所は駅前のマック。
歩道の向こうから、駆け足気味でやってきた萌々を見て、俺はギクッとする。
なにしろ萌々は、あの機長氏と同一人物である。
芯から腐敗したキモオタである。
なのに見た目は、頭のてっぺんから爪先まで今風のJK。
清楚な黒髪ロングに、グレーのスクールブレザー。
膝上一五センチくらいのチェックスカートに黒のソックス。
目がくらみそうなギャップだ。
ううっ。
おじさん、人間不信になりそうだ。
萌々は、俺の内心を知るべくもなく、
「お待たせっ」と無邪気に手を振った。
時刻は夕方近く。
マックの店内では、JKたちがツイッターのネタになりそうな会話を楽しんでいる。
俺たち三人は隅のテーブルを占拠する。
向かいの椅子に座った萌々は、Mサイズのコーラにストローを差しつつ、
「コタローさん、まだ出してないよね?」
俺はじろっと上目遣いで、
「何を出すというのだね、萌々ちゃん?」
「例のプリント用紙!」
「ああ、そのことか。主語をすっ飛ばすから、変な誤解をしたじゃないか」
ぐひひ。
我ながらキモいおっさんだな。
萌々と合流した理由は他でもない。
「ぼくのゆめ・わたしのゆめ」と題する例のプリント用紙をチェックしてもらうためだ。
いよいよ今夜、竜宮塾長にそのプリント用紙を提出するのだ。
塾長がプリント用紙を受け取れば、晴れて俺はバイトを続けることができる。
受け取りを拒否したらバイトはクビだ。
つまり、今夜の結果次第で、俺の人生の行く末が決まる。
まさに天下分け目の関ヶ原。
確実な勝利のためには、萌々の意見も欠かせない。
そのための作戦会議である。
「昨晩書き上げたのが、こいつだ。萌々ちゃんの検分をお願いしたい」
俺はナップサックから、例のプリント用紙を取り出す。
「どれどれ」
萌々は手を伸ばして受け取ると、食い入るように読み始めた。
俺は萌々の反応を期待しつつ待つ。
(どうだ? 俺のほとばしる熱いパトスの味わいは?)
ところが萌々の顔に浮かんだのは賞賛ではなく失望だった。
「コタローさんの熱意は分かるけど……。『ラノベ作家』はマズいよ」
「な、なぜだ?」
「だってお祖父ちゃん、オタク文化を目の敵にしてるから」
「たしかに……」
萌々の言う通り、竜宮塾長は昭和の堅物教育者である。
アニメやゲームの類には厳しい。
萌々が重度のオタクになったのも、塾長の厳格な方針への反発かもしれない。
「でも、あの爺さん、ラノベって単語すら知らないだろ?」
「知ってるはずだよ。だって以前、生徒のラノベを没収したことがあったから」
むぅ。
それはマズい。
「つまり、俺に純文学を書け、というわけだな? 教科書に載っているような」
「それが無難だね」
しゅわしゅわ。
俺のハートからパトスが霧散して、一気に賢者モードへ。
「まっ、ラノベも純文学も両方書けば良いんだよ。とりあえずプリント用紙は書き直しといて」
と萌々は上司みたいに指示した。
仕方ない。
背に腹は代えられぬ。
俺は親友を裏切るような気持ちで、「ラノベ作家になる」という部分を「作家になる」という表現に書き換える。
やっと萌々からOKが出た。
すると、俺の隣でフライドポテトをもぐもぐしていたシャーロットが、
「ところでお兄ちゃん。純文学は書けるのですか?」
「さあ、どうかな」
意外と書けたりしてな?
俺はネット歴二〇年の古強者だし。
にちゃんねるに書き込むようなノリで重苦しいことを書けば、「これぞネット時代の純文学!」とか激賞されるかもしれんぞ。
そして、まさかの芥川賞もあり得る。
金屏風を背に、受賞インタビューだ。
NHKニュースに登場して、全国のお茶の間に向かってガッツポーズ。
「じゃあ、お兄ちゃんに質問をしてみましょうか。ロシアの文豪トルストイの代表作は?」
「『罪と罰』だろ」
俺は即答した。
現役塾講師をナメんな。
シャーロットがガクッと肩を落とした。
萌々もハンバーガーをぱくつきながら、
「プッ」と笑う。
えっ、違うのか?
「『罪と罰』はドストエフスキーです」
シャーロットはため息まじりに言った。
そうだった。
大丈夫か、俺。
「じゃあ。二問目の質問です。『恥の多い人生を送ってきました』という書き出しで知られる文学作品は?」
あっ、その文章なら知っているぜ。
にちゃんねるで何度も見たことがある。
ふふん、なるほど。
ひっかけ問題ってわけか。
俺はニヤリと笑いながら、
「それ、文学作品じゃなくて、にちゃんねるのコピペだろ?」
「はぁ……」
シャーロットは深刻な表情でうなだれる。
萌々も呆れ果てた顔で、
「『人間失格』でしょ、太宰治の」
「そ、そうなのか……」
よく知ってるな、君ら。
今度、俺に個人レッスンしてくれ。
「どうやらお兄ちゃんには純文学は無理っぽいですね」
「そのようだな……」
「その程度の知識で純文学を書くつもりかって突っ込まれますよ」
萌々も、うんうんと同調する。
「『ワシを愚弄する気か!』って、目の前でプリント用紙をビリビリ破り捨てられるかも」
「ひえっ!」
俺の背筋に薄ら寒いものが走る。
そんなことになれば、当然バイトはクビだ。
そしてアパートを追い出され、河原のブルーシートだ。
どうする、俺?
ふっ。
どうもしないぜ。
俺の夢は、そんなヤワじゃねぇ。
ガシッとテーブルの両端を掴んで、俺は力強く宣言する。
「俺は、それでもラノベを書くぜ」
そうだ。
たとえホームレスになっても、俺はラノベを書きたい。
石にかじりついてでも、あのスペースオペラを書き上げたいんだ。
めらめら。
俺の熱い魂が蘇る。
シャーロットが呆れたような口調で、
「ふふ。ヘビのように執念深いですね、お兄ちゃん」
「そりゃな。夢を持った人間は雑草みたいにたくましいんだ」
俺の辞書に後退の文字はない。
不可能の文字はあったとしても。
シャーロットは、若手の経営コンサルタントみたいな口調で、
「でも、がむしゃらに前に進むだけでは道は開けないと思います。こういう時、アメリカ人なら、どうすると思います?」
「銃の乱射でもするのか?」
「まさか。取引ですよ」
「取引かよ。でも俺には、手持ちの札なんて何もないぞ?」
「ふふ。そういう時は、相手の弱みを見つければいいのです」
とシャーロットは天使の笑顔で腹黒いことを言った。
さすがは現役アメリカ人。
敵に回したら怖そうだ。
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