機長氏の正体が発覚する


 振り返れば、シャーロットが俺の真後ろにいた。

 コタツで寝ていたはずなのに。


 シャーロットは中腰になって、俺の肩越しにノートパソコンの画面を覗き込んでいる。

 暗い台所に、液晶画面の光で照らされた青白い顔が浮かぶ。


 俺は思わず全身をビクッと震わせて、

「い、いつの間に……。背後霊かと思ったぜ。コタツで寝てたんじゃないのか?」


 シャーロットは好奇に満ちた青い目で、

「ふふ。お兄ちゃんが夢中でチャットしてるから、つい見に来ちゃいました」


「なに、ネットのフレンドにラノベ執筆の相談をしててな……。で、いつからそこに?」


 機長氏とのツイート合戦を見られたら冷や汗ものだ。

 シャーロットのことを、ゲス顔で自慢したからな。


「三分前からです。だから、ネットフレンドとのチャット内容は見ていませんよ」


「そ、そうか」

 俺は胸をなでおろす。


 シャーロットは、俺の真横に膝をついて、パソコンの画面に顔を近づける。


「実は、そのネットフレンドについて気になることがあるのです。その人のアカウントを見せてくれますか?」


「だ、ダメだ」

 と俺は即答。


 俺と機長氏の、煩悩にまみれたアカウントは、この無垢な妹君には見せられぬ。


 シャーロットはたちまち不審顔になる。

「むぅ。お兄ちゃんのリアクション、怪しいですね。ほんとにフレンドなんですか? ほんとは恋人じゃないですか?」


「んなわけないだろ。まだ疑ってるのか」


 どんだけ嫉妬深いんだ、君は。

 天使みたいな顔してるくせに。


「だったら見せてください」


「いや、ダメだ」


 すったもんだの末、俺は根負けして、機長氏のアカウントを開示した。

 妹の頼み事は断れない甘々お兄ちゃんなのであった。


「このアニメアイコンが機長氏だ。ただし三秒以上は見るなよ、SAN値が低下するから」


「ではさっそく検証に入ります。……ふんふん、たしかに冒涜的なアカウントですね。思わず発狂しそうです」


 と、シャーロットは嬉々として機長氏のアカウントを覗き込む。


 ふわり。

 金髪の毛先が俺の手に触れる。


 十秒後、シャーロットは俺に向かって満面の笑みを浮かべ、

「ふふっ。機長氏の正体が判明しました」


「ええっ、奴の正体が分かっただと?」


「はい。彼は、わたしの思った通りの人物でした」

 シャーロットは彼の部分を強調した。


「ひょっとして、奴は宇宙人なのか? スカリー捜査官」


「機長氏は、宇宙人どころか、お兄ちゃんの知り合いですよ」


「ま、まさか。俺の知り合いに、あんな気持ちの悪いオタクはいねーぞ?」


 これは本当だ。

 心当たりは全くない。


 シャーロットはいたずらっぽい笑みで、

「うふふ。それがいるんですよ。巧妙に一般人を装っているから気づかないだけです」


「き、気になるじゃねぇか。もったいぶらず教えてくれよ……」

 俺は懇願する。


「というか、この町に住んでいて、なおかつわたしとお兄ちゃんの共通の知り合いなんて、約一名しかいないのですが。もう答えを言ってるようなものですね」


 えっとえっと。

 考える間もなく、一人の顔が思い浮かぶ。

 あの黒髪のアイドル顔が。


「まさか、も、……」


「そうです。機長氏の正体は、ずばり河合萌々です」

 シャーロットは自信たっぷりに断言した。


 ま、マジか。

 botや業者でさえフォローをためらうような、あのキモオタアカウントが萌々ちゃんだと?


 俺は、瞬間接着剤を流し込まれたみたいに固まった。

 って、そんなわけあるかぁあああ!


「そもそも萌々ちゃんには、アイドルグループの公式アカウントがあるだろ」


「女の子なら、裏アカウントの三つや四つ、持っていますよ?」


「か、かもしれんが。でもよ、なんで機長氏が萌々ちゃんになるんだ? さては、俺をからかってるな?」


 シャーロットは余裕の笑みで、

「ふふ。決定的な証拠を見つけたのですよ。『@qtkityo』というアカウント名がそれです」


「その文字に何か意味あるのか?」

 俺にはさっぱりだが。


「はい、大ありです。まず『qt』はcutieのスラングです。つまり日本語で『可愛い』という意味になります」


「キューティーハニーのキューティーだな」


「そうです。続いて、『kityo』ですが、これは漢字にすれば分かります。木と兆、つまり『桃』です。お兄ちゃんは『機長』なんて言ってますけど。……というわけで、この二つの単語をならべると『可愛い桃』となります」


 俺は冷や汗をかきつつ、

「つ、つまり、どういうことだってばよ」


「つまり、『@qtkityo』イコール『河合萌々』というわけです。お分かりいただけましたか(にっこり)」


 しゅごごごっ!

 俺は得体の知れない擬音を発しつつ、湿気った打ち上げ花火みたいに床に転がった。


 有無を言わさぬ決定的な証拠だ。

 今まで機長氏と取り交わしたレスの数々が、刑事ドラマのエンドロールのように俺の脳裏に流れ始める。


 なんという羞恥プレイだ。

 ネットの世界で仮面を被っていたつもりが、全裸の自分自身を晒していたとは。


 一〇歳も年齢を詐称する卑しい根性も、アニメキャラに欲情する歪な性癖も、すべて萌々の前にご開陳だ。


 ああ、この世の終わりだ。

 俺の人生、まだ始まってもいないのに。


 シャーロットが心配そうに、

「大丈夫ですか、お兄ちゃん。相当ショックを受けたようですが……」


 俺はゆっくり体を起こしつつ、

「な、なんとか致命傷で済んだぜ……。でも、よく気付いたな、シャーロット・ホームズよ」


 俺なんか、機長氏と二年間も会話していたのにな。


 清純派JKの萌々が、「コポォ」とか「デュフフ」とか腐ったツイートをしているところなんて想像すらできない。

 というか想像したらムラムラしてきた。


 シャーロットは、ふふんと鼻を鳴らして、

「今日の昼間、お兄ちゃんが機長氏とチャットした直後に、萌々がこのアパートに駆け込んで来ましたよね。その時に、これは怪しい、と思ったのですよ」


「そうだったのか。あの時は、修羅場回避に全力で、怪しむどころじゃなかったからな」


「そもそも、人口が三十万人に満たないこの町のオタク同士が、広大なネット世界で出会うっていうのも不自然です。萌々の方から接触してきたんじゃないですか?」


「たしかに、機長氏の方から話しかけてきたんだが。……でも、なぜ萌々ちゃんは、『@kotaroo』が俺のアカウントだと分かったんだろうな?」


 名探偵曰く、

「何かの隙に、ノートパソコンを覗き見られたのでしょう。だってほら、気になる人のアカウント名って、どんな手段を使ってでも知りたいですよね?」


 ううむ、たしかに。


 それはそうと、もう一つ、俺に分からないことがある。

 どっちが萌々の素顔かってことだ。


 キモオタの機長氏の方なのか?

 それとも清純派アイドルの方なのか?


 なんとなく前者のような気もするが。

 なにしろ、機長氏はすごく楽しそうにオタトークしてたからな。


 それをシャーロットに尋ねると、

「どっちも萌々の素顔ですよ。女の子には、アカウントの数だけ素顔があるのです」


 と、名言っぽいことを言う。

 千手観音かよ、女の子ってのは。


 俺は金髪娘の顔を斜めから覗き見ながら、

「てことは、君もいろんな素顔を持っているのか?」


「持っていたらどうします?」


「どうしよう」

 戸惑う俺。


「ご心配なく。今お兄ちゃんの前にいるわたしは、素顔のわたしですよ」

 と、シャーロットは微笑んだ。

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