文子、本性を発揮する


 俺と文子が高校三年生の頃。

 すなわち今から二〇年以上前のこと。


 当時の俺は、進路に迷っていた。

 東京の大学に進学するか、地元・浅間市に残るか。


 一方、文子は、東京の大学に進学する意思を固めていた。


 俺は文子のことがずっと好きだった。

 運命の恋人とも思っていた。

 そこで俺は、思い切って文子に告白することにした。


 もし告白が成功したら、文子とともに、俺も東京の大学に進学しよう。

 もし告白に失敗したら、つまり振られたならば、俺は地元の浅間市に残ればいい。


 そして告白の日。

 俺は、校舎の四階に文子を呼び出した。


 他に誰もいない廊下で、窓の外を二人で眺める。

 俺は、人生最高の勇気を振り絞って、

「お、俺、実はな。文ちゃんのことが……」


「ん?」

 文子はセミロングの黒髪を翻して、真っ黒な瞳で俺の顔を正面から見た。


「お、俺と付き合って、くれるか……?」

 キョドりながらも、なんとか言い終えた。


 よく出来たドラマなら、セーラー服のヒロインが、空を見上げながら、

「うん、一緒に東京に行こう!」と爽やかに答える場面だ。


 だが、これは俺の黒歴史である。


「その前に、コタロー君に聞きたいけど……。コタロー君の将来の夢って、何?」


「夢って?」


「将来、何になりたいかっていうこと」


「いや。特にないけど?」


 文子は急に白けた声になって、

「そうなんだ。私、夢がない人って好きじゃないんだよね」


「えっ」

 その時、青空に飛行機雲がたなびいていたのを妙に覚えている。


 かくして俺の告白は失敗に終わった。


 その後、文子は東京の大学へ進学した。

 卒業後はカメラマン志望のイケメンと結婚をした。

 そして二人の間に萌々が生まれた。


 俺は、そのカメラマン志望の男の写真を萌々に見せてもらったことがある。

 ぶっちゃけ、俺の完敗だった。


 結局、文子は運命の恋人でも何でもなかったわけだ。

 そうさ、俺の一方的な勘違いだったのさ。


 ちなみに文子自身の将来の夢は、物書きになることだった。

 小学校から一貫していた。


 告白が失敗に終わった後、しばらくして文子に尋ねてみた。

「そういや文ちゃんは、まだ物書きになりたいんか?」


 まあね、と文子。

「夢と言うか、使命みたいなものだけど」


「使命? なんだそりゃ」


「告白してくれたご褒美に、コタロー君に教えてあげようかな?」


「教えてくれ」


「私のお祖父ちゃんがね、物書きになりたかったんだ。でも戦争に行って、夢を叶えられなかった。だから私が代わりに物書きになろうと思っているの」


「へぇ、大したもんだ。それで、文ちゃんは今、小説とかを書いているのか?」


「小説よりエッセイの方が好きかな。なんて言うか、サラッとしたのを書きたくてね。コンテストに出してるんだ」

 とかなんとか、文子は言ってた。


 その後、文子はエッセイストとして本を出したり人気ブログを書いたりして、少女時代の夢を叶えたのだった。


   ☆


 暗い回想はここまでにしておこう。

 話は現在時点に戻る。

 場所は文子の部屋。


 萌々は、怪訝そうな顔で、文子と俺の顔を交互に見比べている。


(二人の間に、どんな過去があったの?)

(ひょっとして、秘められた恋?)

 などと言わんばかりの顔だ。


 ふっ、正解だよ、萌々ちゃん。

 俺と文子との間には、秘められた恋があったのだ。

 俺の一方的な恋だったけどな。


 二〇数年前、文子に告白して振られたことは、萌々は知らない。

 と言うか萌々に知らたらまずい。

 ずっと笑いのネタにされる。


 俺は文子の背中に強力な念波を送った。

(いいか文子。萌々には絶対に言うなよ)


 俺の念波が、文子に通じたようだ。


 文子はキーボードを叩く手を止めた。

 それから二度三度、肩のストレッチ。

 その態勢のまま、しゃべりだした。


「今だから言うけどね、コタロー君。もしあの時、嘘でもなんでもいいから、コタロー君が夢を語ってくれたら、OKするつもりだったんだ」


 一瞬、冷や汗が出た。

 直後、俺は叫ぶ。

「ま、待ったぁ!」


 忘れてた。

 こいつはサディストだった。


 萌々はきょとんとした表情で、

「んん? OKって、どういうこと?」


 文子は冗談でも言うような口調で、

「実はね、高校の頃、コタロー君が私に告白したんだよ」


「えええっ、マジぃいいい? で、で、どうしたの?」


「夢のない人は嫌いって断ったの」

 と文子はさらりと言ってのけた。


「その後は?」


「何事もなかったように、元の関係に戻っただけよ」


(き、鬼畜だ、このエッセイスト)

 俺はその場に崩れ落ちそうになる。


 萌々は憐憫の眼差しを俺に向けて、

「そ、そっか……。コタローさん、振られちゃったんだ……」


 俺は最後の力を振り絞って、

「ははは。今となってはいい思い出さ」


 心にもないことを言って効いていないアピール。

 いい思い出どころか黒歴史だ。


 突然、萌々が何かを思い出したように、

「あっ! ということは! ひょっとして、お父さんと別れたのも、同じ理由?」


 エッセイスト文子は、パソコン画面の方に視線を動かして、

「そうよ。あいつ、世界的な報道カメラマンを目指すって言うから結婚したのに、会社の中で小さくまとまろうとしたからね」


(な、なんてやつだ!)

 俺は文子を甘く見ていた。

 旦那まで振ったとは。


 かつて写真で見たカメラマン志望のイケメンに、ほんの少しばかり同情した。


   ☆


 萌々は、一〇秒ほど呆然としていた。

 やがて泣きそうな声で、

「……。何それ。ひどいじゃん……」


 文子は平然とした口調で、

「ウィンウィンよ。だって、私たちを養うために、夢を捨てて小さくまとまるのは、あいつにとっても不本意だっただろうし」


 萌々は文子を睨みつけて、

「ウィンウィンって何? マッサージ器具? あたしは全然ウィンじゃないじゃん!」


「あんたも、男を選ぶ時は、そいつの夢が本物かどうか、しっかり見極めた方がいいわよ」


「……」

 萌々は、それ以上言い返せずに、氷の彫像のように固まる。


 文子は追い打ちをかけるように、

「コタロー君のことも、放っておけばいいのよ。本人が夢や志を持たない限り、立ち直りっこないんだから」


「な、な、……」

 萌々は酸欠になったみたいに口をパクパクさせる。

 俺もブクブク泡を吹きそうになる。


「ていうか、なんであんたは、そんなにコタロー君に肩入れするの? ひょっとして好きになっちゃったの?」


 萌々はとたんに顔を紅潮させて、

「な、なに言ってんの、このババア!」


「違うの?」

 文子は薄ら笑いを浮かべた。


 お、恐ろしい奴だ。

 自分の娘まで、その嗜虐的嗜好の餌食にするとは。


 萌々は両手の拳を握りしめて叫ぶ。

「ち、ち、違うに決まってるでしょ!」


 いや、そんなに全力否定しなくても。

 俺に惚れたっていいんだぜ。


「じゃ、なんで?」

 とサディスト文子。


「こ、コタローさんに恩返しするために決まっているでしょ! コタローさんのおかげでアイドルになれたんだから!」


「ふぅん。でも、このままじゃ、コタロー君のためにならないのよね。いっそギリギリのところまで追い込んだ方が……」


「いい加減にしてよ、この鬼ババアッ!」

 萌々は、清楚なセミロングの髪を揺らしながら絶叫した。


 あちゃぁ。

 このままでは親子関係が決定的に壊れてしまいそうだ。

 それは俺の望むところではない。


 時計を見ると、すでに午後十一時近い。

 ここらが潮時だな。


「なあ、萌々ちゃん、今日はこの辺にしとくか」


 萌々は、怒りの余波のまま、

「で、コタローさん、これからどうするの? もうバイトはあきらめるの?」


「いいや。今から塾長に頼みに行く」

 あの爺さん、まだ教室で残務をしているはずだ。


「もしダメだったら? ホームレスになるの?」


「ダメだったら、それまでだ。なに、なんとかしてみせるさ。俺もいい大人だからな」


 子供みたいな外見だけど。

 それに、これ以上、この二人に迷惑をかけたくないしな。


「じゃあな、萌々ちゃんに文ちゃん」

 俺は二人に挨拶をして、部屋を出た。


 萌々は、文子に向かって、

「べぇっ!」と舌を突き出した。

 それから子犬のように俺を追いかける。


「待って、コタローさん。あたしもお祖父ちゃんのとこに行くから」


 俺は廊下に立ち止まって、

「構わんけどよ。後で、文ちゃんと仲直りするんだぞ」


「嫌だよ」

 と萌々はそっぽを向いた。


 こうして俺たちは、隣の敷地にある竜宮学習塾の教室へと向かった。


 いよいよ魔王・竜宮恭志郎との対決だ。

 俺の人生がかかった一戦となる。

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