おっさんと美少女たちのオタ充な日常

ミカン星人

第一章 人生で初めての夢

さようなら、俺の30代


 三〇代最後の日。

 普段通り昼過ぎに起き、夕方から午後九時過ぎまで塾講師のバイトに勤しむ。

 バイトが終わると、六畳一間のボロアパート「昭和荘」へ帰宅する。


 昭和荘は、仕事場の塾教室から徒歩一分の距離にある。

 昭和時代のオンボロ物件だ。


 季節は四月の中旬。

 夜はまだ肌寒い。

 部屋のコタツには布団を装着済み。


 俺はそそくさとジャージに着替え、冷蔵庫から取り出したストロング○の缶を持ってコタツの中に滑り込む。

 コタツの上には、晩飯も兼ねたポテトチップスと、お下がりのノートパソコン。


 さっそく電源を入れてネットに接続──

 とまあ、ここまでが幾度となく繰り返されてきたルーチンである。

 一人暮らしの学生と同じ生活だ。


(俺たち独居人間は、日本社会に漂う夜光虫みたいなものだな。連帯を感じるぜ──)


 だが俺は我に返る。

 そうだ。

 今日は特別な日じゃねえか!

 今日が終われば俺の三〇代は終わる。

 永久に。


 三〇代と四〇代は決定的に何かが違う。

 明日になれば別の生物に進化しちまう。

「うわぁあああああっ!」

 俺は自らの運命に恐怖した。


 時計を見る。

 午後九時三〇分。

 まずい。

 あと二時間三〇分で俺は四〇代になる。

 三九歳の青年から、四〇歳のおっさんにクラスチェンジ。


 ひぃいいい!

 絶望のあまり、俺は天井を仰ぐ。

 カチリ。

 時計の分針が一歩動いた。


 やばい、何とか手を打たねば──


 そうだ、こいつがあるじゃないか!

 金もスキルもないおっさんの最終兵器・ストロング○。

 通称・飲む福祉。


 発泡酒と同じ価格帯にもかかわらず、二倍のアルコール度数を誇る。

 このストロングな福祉飲料をグイッとやれば、身も心も明るくなる。

 強いアルコールのおかげで、嫌なことはみんな忘れちまうからな。

 ははは。


 俺は350ml缶のプルトップをカシュッと引き上げる。

「グッバイ、現実」


 遺言のようにつぶやくと、グビッと度数九%のアルコールを流し込む。

 ふぅ。黄泉帰ったぜ。


 ポテトチップスの袋をビリッと破って、一枚だけ口に運ぶ。

 パリッとした舌触りと、うす塩味が一瞬の幸せな気分をもたらす。

「う、うめぇ……」


 ところで、ポテチ一枚あたりの値段は、ご存知だろうか?

 俺の計算では約一円五〇銭。

 たった一円五〇銭で、こんな天にも昇る至福が得られるとは、貧乏も悪くない。


 後はネットがあれば完璧だ。

 俺はノートパソコンのマウスを握りしめ、ブラウザを立ち上げる。

 戦闘準備、完了ッ。


 コタツにインターネット。

 ポテトチップスに飲む福祉。

 現実と戦う勇者にとって、この上なく頼もしいアイテムたちだ。

 まさに無敵の人。


 俺は虚空に向かって思わず唱える。

「ステータス、オープン!」

 すると俺の脳内に、ずらずらと文字列が表示された。


 宇良島小太郎(三九歳一一ヶ月)

 体力:三五

 器用:三八

 敏捷:四〇

 知力:四三(以下略)


「ををっ? 俺のステータス、やけに高くねーか?」

 と思ったが、よく考えたらステータスの数字は偏差値だった。


 こんな低スペック、やってられっか!

 思わず人生のリセットボタンを探しそうになる。


 待て、早まるでない。

 見よ、勇者。

 君にはコタツがあるではないか。

 防御力は二倍増だ。


 インターネットもある。

 接続すれば仲間が召喚できるぞ。

 そしてポテチに福祉飲料。

 瞬く間にHPもMPも全快だ。

 もはや俺に死角なし!


 ひょっとして、俺の生活水準って意外とハイレベル?

 物質的にはともかく、精神的な充実度に関しては、昔の王侯貴族と遜色がない。


 そう。

 今の塾講師のバイトがある限りはな。



 俺が働いているのは、「竜宮学習塾」という個人経営の零細学習塾である。

 経営者の竜宮恭志郎は、すでに七〇代。

 いつ塾を閉鎖しても不思議はない年齢だ。


 もし今のバイトがなくなったら?

 ブルブルッと俺は首を振る。

 考えたくもねぇよ、そんなこと!

 よって、考えないようにしている。


 いかんいかん。

 また弱気になってきた。

 MP回復だ。

 俺は再び福祉飲料を口に流し込む。


 オーケー、もう大丈夫。

 すっかり立ち直ったぜバニー(誰だ)。


 時計を見る。

 午後九時四五分。

 もう怖くはない。


「さよなら三〇代! かかってこい四〇代!」

 俺は時間の濁流に向かって吠えた。


   ☆


 と、その時だった。


「た~いへんっ! 大変、大変、大変だぁあああああ~!」


 アニメキャラのような声が、ドアの向こうから聞こえてきた。


 むむっ、その声はっ!

 俺は上体を反らせドアの方に顔を向ける。


萌々ももちゃんではないかっ!」


 萌々ちゃん。

 フルネームは河合萌々かわいもも

 竜宮恭志郎の孫娘だ。

 俺の元教え子でもある。

 苗字が違うのは、母方の孫娘だからだ。


 直後。

 ボロアパートのドアが勢い良く開いた。


「こっこっコタローさんっ! 大変なことになったっちゃ!」

 萌々ももが仁王立ちで叫んだ。


 ちなみに、この河合萌々は現役の女子高校生である。

 今夜の出で立ちは、グレーのブレザーに膝上二〇センチのチェックスカート、黒のソックスという学校帰りの制服姿。

 重めの前髪を右に分けた清楚なセミロングがよく似合う。

 今風のアイドル顔だ。


 えっ、なになに?

 キモくて金のないおっさんのアパートに激カワ女子高校生だと?

 なんつーご都合展開だ。


 しかし俺はつとめて冷静に、

「なったっちゃって、君は仙台人か? それとも鬼型宇宙人か?」


「ちょっと噛んだだけだっちゃ! 昭和ネタをやってる場合じゃないのっ!」


 萌々はムッとした顔で怒鳴ると、土間に靴を脱ぎ捨てて、ドカドカ上がり込んできた。

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