どろはく

加湿器

どろはく

でろでろ、げろげろ

今日も私は泥を吐く。


父が笑いながら話していた事だ。

私がうまれたとき、真っ先に口から出たのは、真っ黒なへどろだったそうな。

まったく笑い事ではないと思う。

ただ、こんな父だから。私みたいな子供が生まれたのかもしれない。


でろでろ、げろげろ

バケツの中が、真っ黒になる。


私は泥はき病だ。

誰にそう言われたわけでもないが、他に呼び名も無いので、私はそう呼んでいる。


悲しいとき、嬉しいとき、私は泥を吐く。

この世のどこからか現れた、真っ黒なへどろが。私を諌めるように口からあふれ出す。

涙も、笑顔も。真っ黒な吐き気にすべて塗りつぶされていく。


お前に泣く権利は無いのだ、と。

お前に笑う権利は無いのだ、と。


母には大変な迷惑をかけてきた。

私がこんにちまで大病も無く生きてこられたのは、ひとえに母の力である。

この女性が母でなければ、とっくに泥を詰まらせて死んでいたであろう。


もっとも、そのほうが母にとってどれだけ幸福であったか。

当事者である私にすら、計り知れない事である。


真っ黒なバケツを抱えて、夜の河原を歩く。

母が離婚をしたいと言ったとき。

私も父も、決して止めることは無かった。 今からもう4,5年も前の話である。


そのころすでに、小賢しい子どもだった私は。母の気持ちがわかったつもりでいた。

自分がどれほど特異であるか。

自分の為にこの人がどれだけのものを犠牲にしているのか。

わかったつもりでいたのだ。


ただ、どうか自分を忘れてほしいと。

自由に生きてほしいと。

伝えたそのときに、母の瞳に宿った悲しげな光の理由だけは。

そのときの私には、わからなかった。


小賢しい子供は、心を動かさぬすべを覚えていた。

悲しめば、怒れば、喜べば。その分だけ泥は。私を苦しめる。母を苦しめる。

だから、別れのそのときも、私は涙を見せずにいた。


ただ。


一日に吐き下した泥が、バケツ一杯に収まらなかったのは。 後にも先にも。その日が最初で最後である。

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