第146話 雪解けの頃に




 かつては雪が降り止まなかった極寒の大地、デッカイドー。

 それよりも更に昔、世界には数多の神々がいた。

 神々は人々に様々な恵みをもたらした。

 人々に生きる為の糧を授け、人々に美しいものを見せ、人々を災いから守り、人々に愛を与えた。

 人々は神々に感謝し、信仰を捧げ、人と神が共存することで世界は均衡を保っていた。


 しかし、いつ頃からだろうか。

 人々は神々の事を忘れてしまった。

 その時から、世界から多くの恵みが失われた。


 雪が降り止まなくなった世界に、ひとつの災いが舞い込んだ。


 災いを前にして、世界を守らんとする英雄達が立ち上がった。

 英雄達は災いと立ち向かう中で、神々との絆を思い出す事になる。


 英雄達の中には、かつて神々と言葉を交わした巫女の子孫がいたのだ。


 巫女の尽力により神々の力を借り、英雄達は世界の危機を退けた。

 そして、取り戻された神々との絆は、かつて存在した雪の降らない日々を取り戻す。




 雪が降らない日は次第に増えていく。

 灰色の雲に覆われた空から光が差す日が増えていった。

 雪が降らない日が増えるにつれて、降り積もった雪は次第に溶けていく。

 雪の白に埋もれていた土は、草木が次第に見えてくるようになった。

 肌寒さは次第に薄れ、火を焚かずとも済む日さえある程になっていった。




 とある暖かい日。

 長らく眠っていたそれは目を覚ました。

 寝惚け眼でそれは枕元に置いた時刻とききざみの魔石に手を伸ばす。


「ふぁぁぁぁ……よく寝たぁ。」


 それは時刻の魔石をぱっと見る。

 そこに刻まれた年月日と時間を見たそれは、寝惚け眼をごしごしと擦る。

 ベッドの上で横たわる身をよっこらせと起こし、毛布で半身を覆ったままで眉間にしわをよせてじっと魔石を凝視する。


「…………。」


 それは一旦膝に魔石を置いて、両の手で頬をパンパンと叩いた。

 少し強めに、頬がほんのり朱に染まる程度の力強さで頬をつ。

 痛みを感じたそれはきゅっと目を瞑った。先程よりも覚醒してきた頭で、再び膝に置いた魔石をぱっと手に取る。

 そして、改めて覚めた目で魔石を凝視する。


「…………。」


 魔石を一旦枕元に置き直して、それはベッドからするりと抜け出す。

 既に肌寒さはない。肌寒さもなくなったので目を覚ましたので当たり前ではあるのだが。

 それはすたすたと部屋の中を歩いて行き、部屋に設けられた蛇口を捻る。

 庭先に設けた井戸に繋いだ水道からは水がとくとくと溢れ出る。ひんやりとした水を手に掬い、ぱしゃりとそれは顔に何度かかけた。

 目が覚めるような冷たさで、一気に目がしゃきっとする。先程まではやはり少し呆けていたのだろう。傍にしまっていたタオルを手に取り顔を拭い、更にコップに水を注いで一杯ぐいっと飲み干せば、完全にそれは覚醒した。


 どくどくと心臓が熱い血を全身に流す。口から飛び出そうな程に速く心臓が走っている。


 さっきまでのは悪い夢だ。悪い夢であってくれ。


 そう願いながら再びベッドに戻り、それは枕元に置いた時刻の魔石を手に取った。


 時間だけが進んでいる。時刻の魔石はどうやら壊れてはいないらしい。

 そして改めて年月日を見直して、それは凍り付いてしまったかのように固まった。


「……ねっ……ねっ……!」


 ガッと頭を抱えて、女は叫ぶ。


「寝過ごしたあああああああああああ!!!」


 女はボリュームのすごい桃色の髪を掻き乱す。

 

「なんで!? なんでなんでなんでなんで!? なんでこんなに時間が経ってるの!? 百年以上寝過ごしたってそんな事ある!? やばいってやばいって! これ怒られるやつ!」


 百年以上寝過ごした、その言葉通り女が以前に眠りについてから既に百年以上の時が経過している。

 それだけの時を生きている女は当然人間ではない。


 足元まで届くのではないかという桃色の乱れ髪。きらきらとした緑色の瞳。顔の整った美少女であるが、ゆったりとした寝間着の後ろには蝶のような羽が畳まれている。

 セレスという名の女神は百年以上の時を経て長い長い眠りから目を醒ました。


 しばらく頭を抱えてパニックに陥っていたものの、セレスはやがて恐る恐る枕元に置いていた通話・録音の魔石に手を伸ばす。定期的に活動し、それ以外は長い眠りにつく女神セレスは通話の魔石に録音魔法を備え付けて持っている。

 録音魔法で過去に来た通話を遡れば、丁度眠りについた翌年に入った通話の記録が残っていた。


『シュンプじゃ。起きているかの。起きたら連絡を寄越してくれ。』


 それを聞いた途端にセレスはぞっと青ざめる。

 しっかりと、寝過ごした最初の年に連絡を寄越すように伝言が残っている。

 翌年以降は伝言が残っていないのが余計にセレスの危機感を煽る。


 シュンプ。通話の主もまたセレスと同じ女神である。

 それもセレスよりも更に古い時代の大先輩であり、セレスの役割の上位に位置する、人間で言うなら直属の上司のような存在である。

 その上司の通話を百年以上スルーしていた。セレスが青ざめる理由も分かるだろう。


「え、これキレてるよね? 翌年連絡ないの絶対にキレてるよね? いや、私だって百年スルーされたらキレるよ! やっべぇどうしよう! 絶対キレてるって! これ下手したら解任までいくんじゃ……? いや、下手したら殺される? ははは、まさかシュンプ先輩に限ってそんな事……するよね。するよあの神は。出来る限り惨たらしい方法で見せしめのように殺されるよ。どうしようどうしようどうしよう!」


 セレスは一人で取り乱している。

 あれやこれやと言い訳を考えたり、詫びを入れる方法を考えたり、逃げる方法を考えたり、なんとか失態を取り返す方法を考えた後に、セレスはハッとした。


「……ちょっと怒らなさそうなところにまずは確認を取るか?」


 シュンプにいきなり通話する勇気はない。

 そこで、一旦怒らなさそうなところに連絡を取り、様子を探る事を思い付く。

 思い立ったら行動は早い。セレスはすぐに思い当たる神に通話をする。

 呼び出し音がプルプルとなる。実に百余年振りとなる通話が繋がるか不安に感じたものの、通話は無事に繋がってほっと一息つくセレス。


「もしもし……?」

『おっ、セレスじゃ~ん。おひさ~。』

「お、おひさ~……?」


 通話先から気さくな挨拶が帰ってくる。

 思いの外軽い挨拶でセレスは拍子抜けした。


「……ネモは最近どう?」

『最近? まぁ、普通だけど。ってか急にどしたん?』

「え、えっと……みんな怒ってない?」

『怒ってる? 何を?』

「……百年以上寝坊したこと。」

『……ああ、そゆこと。』


 通話先の女神、ネモは「あはは。」と軽い調子で笑った。

 どうやらセレスの気にしているところに気付いたらしい。


『別に誰も怒ってないというか……"春の担当"は多分最近起きたのが多いんでない?』

「え? ど、どゆこと?」


 事態が飲み込めないセレス。


『セレスも最近目が覚めたんよね?』

「う、うん。」

『セレスも春が来たら目が覚めるタイプっしょ?』

「う、うん。」

『春が来てなかったんよ。』

「……うん?」


 セレスは何を言っているのか理解しかねて怪訝な顔で聞き返す。


『だから、春が来てなかったんよ。百年ちょい。』

「……え? え? え? え?」

『巫女の家系が断絶しちゃってさ~。結構な数の神が拗ねちゃったんよね~。そんで、世界がもう冷え切っちゃって。』

「え? マジで!? 巫女いなくなっちゃったん!? 私の仕事は!?」


 巫女。大地の神々と言葉を交わす人と神の架け橋。

 それがいなくなってしまっては、セレスは仕事をこなす事ができない。

 巫女を通じることで彼女の仕事は初めて成されるのである。

 巫女がいなくなった事で春が来なくなったという一大事も引っ掛かったが、セレスの目下の焦りは自身の役割が果たせない事にあった。

 そんなセレスに「あはは。」と軽く笑ってネモが語る。


『それが、つい最近に巫女の血筋が見つかったみたいでさ~。そのお陰で機嫌損ねた神も戻ってきてようやく春が戻ってきたってワケ。』


 それを聞いてほっと一安心……とはいかない。

 セレスは話を聞いてがくんとベッドに腰を落とした。


「……そっか。百年以上経ったんだもんね。そりゃ巫女も代替わりしてるか。」


 セレスが交流していた巫女は既にこの世にはいない。

 最後にあったのは、眠りにつく直前の春の事だった。

 また一年経てば会えると、「またね。」と挨拶を交わしてセレスは眠りについた。

 まさか百年以上目覚める事もできずに、そのまま永遠の別れとなるとは思わなかった。

 今、巫女の血を引く者がいるとしても、あの日再会を約束した巫女とはもう会えない。

 その事実にセレスはようやく気付いた。

 通話先でその意気消沈を察したのか、ネモはしばらく黙りこくる。

 

 しばらくの沈黙の後に、ネモは通話を再開する。


『とりま、シュンプパイセンに連絡しな? 別に怒ってないと思うから。』

「……うん。あんがと。」

『んじゃ、切るよ。またね。』

「うん。またね。」


 とっとと用件だけ話して通話を切るのはネモなりの気遣いなのか。

 それを察して、セレスも通話をすぐに切った。

 ベッドにどさっと倒れ込み、枕に顔を埋める。


「……そっか。」


 巫女には神々と対話できる力があるだけではない。

 巫女には神々に愛される才能がある。

 神々の多くが巫女に好意を抱き、セレスもまたその一柱であった。




 頬を叩いて、冷水で顔を濯いで、さっぱりとしたはずのセレスの視界はぼんやりとまたぼやけていた。




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