第62話 虚飾と暴露




 勇者"拳王"ナツは魔王城を訪れる。

 魔王城の扉をノックすると、扉を開いて現れたのは猫耳を付けたメイド、魔王側近のトーカであった。


「あら、ナツ様。どうされたんです?」

「…………すまない。魔王はいるか?」

「留守にしてますけど……。」

「…………そうか。分かった。日を改める。」


 ナツが会いたかったのは魔王であった。

 魔王が留守であると分かった以上、魔王城に用はない。ナツはそのまま帰ろうとしたのだが……。


「待って下さい。折角来たんですし、上がってお茶でも如何ですか?」

「…………いや、遠慮する。魔王と話したいことがあっただけだ。」

「まぁ、そう言わずに。外、寒かったでしょう? 酷い顔色ですよ。」


 ナツはトーカに言われて、初めて自身の顔色が悪いことに気付く。この場から去るつもりでいたのだが、驚き自身の頬に手を当てて足を止めたナツの腕をトーカが掴む。


「ほら、上がって下さい。」

「……いや、その……。」


 その好意を迷惑だとは思っていない。しかし、どうしても気分が乗らない。

 断りたい気持ちもあるが、断るのも悪いという気持ちもあり、結局ナツは強引なトーカの引っ張りに屈して魔王城の中に入ってしまった。

 入ってしまった以上仕方が無い。寒い外から温かい魔王城内に入り、若干身体の緊張も解けたナツは、諦めたようにコタツに入った。


「丁度お茶を淹れていたので。緑茶ですけどいいですか? 少しお時間いただけるなら紅茶やコーヒーも出せますが。」

「……あ、ああ。緑茶で大丈夫だ。」


 ナツが答えると、すぐに湯飲みにお茶が注がれて提供される。


「……ありがとう。」

「いえいえ。」


 ナツはお茶に口をつける。身体の中から温まる優しい温もりに、ナツはほっと一息をついた。


「お茶請けは如何ですか? 丁度羊羹とどら焼きがあるんですけど。」

「………………いや、結構。」

「今ちょっとどら焼き食べたいと思いましたよね?」


 ナツはぎくっとした。

 確かに、デッカイドーにはないどら焼きの名前を聞いて、久し振りに興味を持ったのは事実であった。その内心をピタリと言い当てられて、思わずナツは動揺してしまった。ふふふ、と楽しげに笑い、トーカは襖の方に行き、ガサゴソと何かを漁った後に皿に載せられたどら焼きを持ってくる。


「はい、どうぞ。」

「…………いただきます。」


 断る間もなく持ってこられたので、ナツは素直に好意を受け取る事にする。

 ナツが久し振りのどら焼きを口にすると、こんなに甘い物だったかと少し驚き、すぐに湯飲みのお茶を啜った。


「甘すぎました? まぁ、この世界では甘味を頂く機会も多くないかも知れませんし、久し振りに食べると驚くかも知れませんね。」


 またも、甘すぎたという事を見抜かれる。

 ナツは普段から感情の機微を表に出さないように心掛け、実際にその心中を周りに察せられることなく生きている。

 しかし、何故かトーカはナツの心中を見抜いてくる。思えば、以前の焼肉パーティーの時にも何かを察した様に声を掛けてきていた。


(……まさか、トーカは人の心が読めるのか?)

(そのまさかですよ。)


 声を聞いたわけではないのに、頭の中に聞こえてきた声を聞いてナツはぎょっとして辺りを見渡した。

 目の前を見ると、トーカがにやにやしながら頬杖をついて見つめてきている。


(……まさか、この声も?)

(はい、正解です。)


 トーカはくすくすと笑った。


「心の中で呟いてないで、口で会話しましょうよ。」

「……驚いた。トーカにはそんな力があったのか。」

「あれ? 覚えてませんか? 前にも一度イタズラした事あったんですけど。」

「……ああっ!」


 ナツは思い出した。

 以前に鍵を開けっ放しで留守になっていた魔王城にナツが来た時、心に直接語りかけてくる声が聞こえた。女神と名乗ったその声は、てっきりナツをこの世界に送った女神ヒトトセのものだと思っていたのだが……。


「あれもトーカだったのか!」

「うふふ。」


 犯人はトーカであった。悪戯っぽい笑みを浮かべて、トーカはネタバラシをする。


「丁度外で用事があって窓から見てたんですよ。それでちょっぴりイタズラをね。あの時は急に心の声で女神に意味分からない妄想の話をするから私もドン引きしたんですけど……まぁ、最近魔王様に話は聞きました。あれ、事実なんですね。」


 ナツは女神ヒトトセに選ばれて転生した勇者である。

 心の声の会話でナツが話したそれを妄想だと思い、ナツをヤバイ人だと思っていたトーカであったが、最近魔王にナツの事実を聞かされて誤解が解けていたらしい。

 それと同時に打ち明けられる、トーカの持っている能力。


「私は他者の心を読むことができるし、他者の心に語りかけることもできるんですよ。」


 ナツはドキリとして尋ねる。


「……まさか……今までも全部見てたのか?」


 その質問にトーカはにやにやとしながら答える。


「何か見られちゃ困る事でも考えてました?」


 ナツは咄嗟に思い返す。

 自分がトーカと共にいた事がある時の事を。

 鍋や焼肉の時だけだったか。しかし、留守を預かっていた時にも盗み聞きされていたというし、意外なところで見られていたのではないか。

 その時に何かマズイ事を考えた事はなかったか。


 そんな風に思い悩むナツを見て、くっくと楽しそうにトーカが笑った。


「あはは。そこまで怯えなくても変な事考えてるのは見たことありませんよ。いつでも見える訳じゃなく、意識しないと見えないので。」

「……そ、そうか。」

「実はナツ様がハル様の事を好きだって事くらいしか知りません。」

「!?」


 知られたくなかった事がしっかりバレていた。

 あからさまに動揺するナツを見て、したり顔のトーカ。


「ようやく少しは顔色が良くなってきましたね。」


 ナツはぐっと悔しげに顔を歪めると、ふぅ、と息を吐いてお茶を飲んだ。

 此処に来た時は思い悩んで暗い顔をしていたのだが、気付くとからかわれて取り乱し、どぎまぎして顔を赤くしている。

 ひとしきり遊んだ後に、トーカは悪戯っぽい笑みを柔らかい笑みに崩して、何気なく尋ねた。


「ところで何にお悩みなんです? わざわざ魔王様を訪ねてくるなんて。」


 その問いにナツの表情が硬くなる。

 ナツと同じ転生者達が置かれている現在の状況。

 古くからある預言者一族との対立し、立場を悪くしている同郷の者達。

 同じ勇者のハルやアキを巻き込む訳にはいかず、何も手出しのできない自分への葛藤。


 色々な事を知っている、色々な事のできる魔王であれば、何か知恵を貸してくれるのではないかと僅かな期待を持って魔王城を訪れた。

 しかし、見た目は普通の女の子であるトーカを目の前にして、本当なら魔王も、魔王達も巻き込むべきではないのかとナツは思い直す。

 喋るべきではないのかも知れない。そう思ったナツをトーカはじろりと睨み付けた。


「だから隠し事したって無駄なんですって。私の前で考え事した時点でおしまいです。」

「……あ。」

「なるほどなるほど。面倒な事になってるんですね。」


 どうやら全ての事情を見抜かれたらしい。ナツは慌ててコタツに乗り出す。


「い、今のは忘れてくれ。余計な事に巻き込みたくない。」


 トーカはふぅんと素っ気なくお茶を啜る。

 

「別に何か手伝うとも言ってませんけど。」

「あ、ああ。そうか。それならいい。」

「手伝わないとも言ってませんけどね。」

「なっ……!?」


 くっくと笑うトーカ。今の一連の会話もからかわれているのだとナツは気付く。

 今までは本心を隠して振る舞う事ができた。しかし、トーカの前ではどうにもうまくいかない。感情をあちこちに振り回されてしまう。

 まるで小悪魔のような女の子だ。ナツがそう思うと、トーカがくすくすと笑い声を漏らす。


「そう呼ばれた事もありましたねぇ。」


 トーカは昔を懐かしむようにお茶を啜る。

 

「まぁ、小さい頃はこの力を使ってやんちゃしたものですよ。父の浮気を暴いて家族をバラバラにしましたし、色々と人を手玉に取って弄びましたし、大量の虫や動物達を従えて人類を制圧したりもしましたし……。」

「…………本当に?」

「冗談ですよ。」


 くすくすとトーカが笑う。完全に遊ばれている。

 ナツの思考は全て読まれてしまう一方で、トーカの言葉の真実はまるで見えない。一方的に負けているような気分になって、ナツは苦い顔をした。


「まぁ、冗談はこれくらいにして。」


 一体何処から何処までが冗談なのか。

 両手を搦めて肘をつき、手に顎を載せてトーカは真面目な顔になる。


「ナツ様はいつも本心を隠しすぎだと思いますよ。」

「……え?」

「今の私との会話でも、殆ど本音を隠すか嘘を吐いてばかりだったじゃないですか。」

「……そ、それは……。」


 ナツは歯痒そうな顔をする。

 ナツにも自身に本音を隠しがちな性質がある自覚があった。

 それは意識してそうしている。転生する前、前世の時に経験した数々の記憶。

 取り立てて目立ったエピソードがあった訳ではない。

 幼少時から、自分が正しいと思った事を口にしてきた。自分が間違っていると思った事を口にしたことは一度たりともない。

 それが正義であるとナツは信じていた。

 しかし、正しい言葉は時に耳障りの悪い言葉にもなる。

 繰り返し、繰り返し、自身の正しさと歯に衣着せぬ物言いをうっとうしがられる事が増えた。

 そんな中で次第に学んでいったのだ。

 『この世には、口に出さない方がいいこともある。』、と。


 それ以降、ナツはずっと本音を隠してきた。

 徹底的に考えてから、最低限意思疎通の出来る言葉だけを発し、十を考えても一しか口に出さないようになった。

 本心を見せないように表情も隠し、次第に心の動きに顔が引き摺られないようになった。


「そういうところが、"虚飾の勇者"って事なんですかね?」

「……そうなのかもな。」


 自分自身の本心さえも偽ってしまう。決して誰にも本心を悟らせない。

 故に"虚飾の勇者"。

 女神ヒトトセに与えられた称号の意味を、今更ナツは理解した。


「私は本音で話す人の方が好きですけどね。」


 トーカはぽつりと呟くように言った。


「優しい顔をして励ましてくるのに、内心では哀れみ見下してる。親友面して大好きと言ってくるのに、心の中では都合の良いやつと思ってる。心が見えてしまうからですかね? 私はそういう方が気持ち悪いです。」


 ナツはその言葉を聞いてちくっと胸を刺された気がした。


「耳障りのいい建前ばかり有り難がらずに、正しいと思ったなら本音で話したっていいじゃないですか。それで理解してくれない相手なら、こっちからやればいいんですよ。」


 ふふん、とトーカは笑ってみせる。


「私の事が嫌いな奴は、私だって嫌いです。好かれるように振る舞う必要ってありますか?」


 ナツは何も言えなかった。そこまで割り切った考え方はナツにはできなかった。

 誰にでも良い顔をしようと、誰にでも受け入れられようとしてきて作られたのが今のナツである。


「まぁ、良い子なナツ様には分からないですよね。でも、私は悪い子ですので。」


 魔王の側近の小悪魔は笑った。

 人目を気にしない生き方、ナツが選べなかったものである。

 

「それで、ナツ様の本音は何なんですか? 別に答えたから何をする訳でもなく、ただ聞きたいだけです。どうぞ気にせずお答え下さい。」


 本音が見えない相手だからこそ、ナツは取り繕う事を選んできた。

 身勝手な我が儘も己の中だけで噛み殺してきた。

 しかし、目の前にいるのは建前の通じない相手、取り繕ったところで何の意味も無い。

 ナツは話し始めた。


「……同じ境遇にある転生者達を助けたいと思っている。しかし、預言者一族と敵対する事でハルやアキを巻き込む事は避けたいと思っている。そもそも、助けたいという想いはあるが、俺が何ができるのか、どうしたらいいのか分からない。ただ、彼らの事を見て見ぬ振りをするしかない自分を情けなく思っている。藁にも縋る思いで魔王を訪ねてきたのはその為だ。答えを貰えるとは思えなかった。それでも、魔王なら何か助言をくれるかもと思った。ただ、この不安と大きな問題を誰かと共有したかっただけかも知れない。此処に来てから無意味で無責任で身勝手な事をしているなと気付いた。だが」

「ちょ、ちょっとそれは一気に話しすぎですけど。」


 一気に来たのでトーカが若干引きつつも、バンとコタツを叩いて身を乗り出す。


「小難しい話しないで、もっと分かりやすく言えばいいんですよ! 『どら焼きが食べたい!』みたいに! 『同じ境遇の仲間が困ってるので助けたい!』、『でも他の仲間には迷惑を掛けたくない!』、要はこういう事ですよね!?」

「あ、ああ……そうだ。」

「ナツ様は理屈っぽすぎます! 本心っていうのは理屈よりも先に来るものなんです! 理屈っぽく話す前に出てくるものが本心なんです!」


 トーカの気迫に押されてナツが仰け反る。

 しかし、彼女言っている事もナツは分かった。

 筋道立てて考えて、それから言葉を出すようにしていた。

 何かを理由にして最初から諦めたり踏み止まったりしていた。

 そんな理屈を抜きにして、ナツは思うがままを口にする。


「俺はあいつらを助けたい。あれこれ雁字搦めにされてもそれが本心だ。」


 トーカはくすりと笑みを零す。


「じゃあ、もう一つ質問です。相手への迷惑なんて一切考えずに、本心で答えて下さい。」


 乗り出した身を後ろに戻して、トーカが問う。


「助けて欲しいですか?」


 トーカの問いにナツは少しだけ言葉を詰まらせたものの、誤魔化さずに真っ直ぐ答えた。


「助けて欲しい。」


 トーカはにやりと悪い笑みを浮かべる。


「じゃあ、助けてあげます。」

「……え?」


 思わぬ返事にナツは呆気に取られた。

 助ける、という言葉を魔王からではなく、トーカから聞くとはナツも思っていなかった。そんなナツの内心を見て、トーカはじろりと睨み付ける。


「ナツ様は私を舐めてますね。これでも私、魔王軍幹部なんですよ。」


 見た目は猫耳カチューシャを付けたメイドの格好をした普通の女の子。

 心を読み、心に語りかける力を持つだけの人間にしか見えない女の子。

 魔王軍幹部と言われても説得力はまるでない彼女は、くすくすと小悪魔の笑みを浮かべた。


「御覧に入れましょうか。私のとっても怖いところ。」


 危ない事に手を出しそうなトーカを止めるべきかとナツは考える。

 しかし、止めるよりも先に、トーカは「しっ」と口に指を当ててナツを黙らせる。


「危ない事なんてしませんよ。」


 口に当てた指を立てたまま、トーカは目の前に手を出す。

 すると、どこからかひらひらと白い蝶が飛んでくる。

 蝶はトーカの指にとまる。


「この一匹の蝶を飛ばすだけです。それだけで、面白い変化が起きますよ。」


 にわかには信じがたい言葉であった。

 トーカはコタツから出て立ち上がる。そして、魔王城の入口に向かうと、扉を開けて白い蝶を外にはなした。


「最低でも三日間様子を見て下さい。何も起こらなくて不安なら、また魔王城まで来て下さい。」


 自信ありげにトーカは言う。

 ナツは半信半疑だったが、トーカの言葉を一旦聞いてみる事にした。

 この時はナツは想像だにしていなかった。


 三日後に、本当に大きな大きな変化が起きてしまう事に。



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