第3話 バーバ・ヤガーの秘密

 すみちゃんの藍色の小型車は、国道を勢いよく走っていく。すみちゃんは少しだけ乱暴運転だ。雑だと言ってもいい。横断歩道を行く人が一人もいないのをいいことに、角をぐいっと曲がり、そのままスピードを上げていく。わたしたちは、隣町にある市立図書館を目指していた。

「ねーねーすみちゃん」

「何ー?」

 運転は乱暴なのに、すみちゃんの受け答えは相変わらずおっとりしている。前を向きながら、すみちゃんはにこにこ笑っていた。

「メイクしないの?」

 わたしの一言に、すみちゃんは「うっ」とうめいた。どうやら痛みを感じる言葉だったらしい。

 すみちゃんは肌がきれいだ。ママより三つ上だから、三十八歳。その割にはしわが深くないししみもない。けれど化粧っ気があまりにもないのが気になってしまった。わたしが住む街ではこの年頃の人は結構濃いメイクをしているし、ママも会社員だから眉毛も唇もしっかり塗っている。人それぞれなのだと思うのだけれど、すみちゃんの顔はあまりにも殺風景に見えた。

 すみちゃんは、「あー」と悲しそうな顔になり、「雪もかー」とつぶやいた。その言葉が気になり訊いてみたら、すみちゃんがこう言った。

「メイク、してる」

「えっ」

「皆そう言うけどー、わたし、メイクしてるの」

 失礼なことを言ってしまったと気づき、わたしは言い訳の言葉を探し始めた。でも、すみちゃんはあまりにも自然な顔をしている。確かにわたしはすみちゃんの寝起きの顔を見たことはないけれど、わたしが小さいときからすみちゃんはこんな顔をしているし、変わっていない。わかりようがないと思う。

「軽くパウダーはたいて、口紅塗ってるの」

 なるほど、唇は淡いピンク色に光っている。それにしても、すみちゃんは薄化粧だ。まあ、魔女が完璧なメイクをしてビジネスウーマンのようだったらちょっと違うと思うから、これはこれでいいのか。

「すみちゃんはさ、肌きれいだからいいと思うよ」

 そう言うと、すみちゃんは大喜びした。と言っても顔を輝かせて「やったー」と言っただけだけれど。

 それにしても、すみちゃんを見ていると疑問がたくさん浮かぶ。例えば、「どうして独り暮らしをしてるの?」とか。

「ねえ、すみちゃん」

「んー?」

「あの写真の男の人、誰?」

 わたしのその言葉を聞くと、すみちゃんは黙った。

 午前中、すみちゃんが絵を描く部屋で持ってきた本を読んでいた。すみちゃんの「アトリエ」の壁にはたくさんの絵や写真が額縁に入れられて飾られている。その奥にある大きな机で、すみちゃんは仕事をしていた。夢中になっていたからわたしの行動に気づいていなかった。わたしは読書を一休みし、すみちゃんの壁を眺め始めたのだ。

 絵や写真は大体が有名な画家や写真家のものらしい芸術的な作品ばかりだった。わたしだって知っているゴッホのひまわりの絵や、ピンクのバラの花を一本だけ詳細に描いた水彩画、背中が大きく見える黒いドレスを着た女の人の写真、花を持ったかわいい女の子や、老夫婦の写真。どれもレプリカやプリントだと思うが、大小の額縁に入れられたそれらの作品は、壁一面にあってとてつもない迫力だった。

 その中の一角に、額縁に入っていない写真を見つけた。不気味ささえ感じる球体関節人形の写真の下に、ちらりと見えたのだ。わたしはすみちゃんを見、後ろ姿がこちらを振り向かないのを確認し、めくってしまった。

 何てことのない写真だった。すみちゃんと男の人が、古臭いピースのポーズを取って、ちょっと硬い表情で写っているだけ。男の人は穏やかそうな顔をしているけれど、それ以外何の特徴もない。中肉中背の体型で、すみちゃんと並ぶとあんまり変わらないくらいだ。それが雑に黄色い画鋲で留められている。

 すぐに訊こうと思った。でも、すみちゃんは絵に夢中になっていたので訊けなかったのだ。

「何でもない写真だよ」

 すみちゃんは冷たささえ感じる声で、答えた。わたしはそれ以上の言葉を待った。けれど、すみちゃんはそれからしゃべらなかった。

     *

 市立図書館は、わたしの街の図書館に比べたらとても小さい。けれど、空間を広々と取ってある点はとても気に入った。わたしはすみちゃんと歩きながら児童書のコーナーに行く。

 すみちゃんは図書館に着いてからは話しかけてくれるようになった。余計なことを言ってしまったと思っていたので、わたしはとてもほっとしていた。すみちゃんは児童書のささやかなコーナーを指差し、「ナルニア国物語」は読んだ? と訊いてくれた。

「ううん。わたし、もっと古い話のほうが好きなんだ。『時の旅人』とか『おちゃめなパッティ』とか」

「珍しいね。今時新しい児童書がいっぱい出てるのに」

 すみちゃんは驚きながらもわたしが好きそうなコーナーに連れていってくれた。岩波少年文庫のコーナーだ。わたしはじっくりと本棚を眺め、頭の中で読んだことのある本とない本を分けた。それから、「モモ」を一冊選んだ。ついでに、「狼王ロボ」の単行本も。シートン動物記は最近ハマっているシリーズだ。

 すみちゃんは美術書や写真集を全部で三冊借りてきた。どれも大きくて重そうだ。それにわたしが選んだ児童書を足して、まとめて借りてくれることになった。

 これでたくさん読めるぞ、とほくほくしながらも、わたしはさっきすみちゃんにしてしまった質問の答えが、知りたくてたまらなかった。

 すみちゃんはどうしてずっと一人で暮らしているのだろう。あの人は恋人だったのだろうか。なら、どうして今二人は一緒にいないのだろうか。

 魔女というのは孤独な人のことを言うのだと、何かの本に書いてあった。魔女狩りに遭って殺されてしまった人たちは、孤立しているだけの善良な人々も多かったのだと。

 すみちゃんが魔法を使っているという証明はできない。でも、すみちゃんは善良で、一人を好んでいるのは確かなのだ。

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