甘い友人と佐々木さん

桂木 狛

ベルギーチョコバナナクレープ

「なぁーゆぅー」


 夕焼けに言葉と白球が放られる。


「なぁーにぃー?」


 白球を言葉と一緒に投げ返す。


「夕はご飯にシチューかける派―?」


「かける派―」


「まじー? 一緒じゃん!」


 どうでもいいことで京が喜ぶ。京もかける派みたいだ。


「じゃあさぁー食べにおいでよー」


「おー食べるー」


 というわけで、今晩は城ケ崎家でシチューをご馳走されることになった。

 俺と京はキャッチボールを終了して、帰路につく。


「夕の家はみんなかける派?」


「いや、俺だけ」


「まじかー、やっぱかける派は少ないのかなー」


 実際はどうなのか分からないけど、かけない派のほうが多い気がする。

 そんな統計、あるのかも分からないけど。


「京の家はまだシチューするんだな」


「んー? するよー?」


「シチューって冬の食べ物って感じしない?」


 俺の思い込みかもしれないけど、シチューとおでんは冬のものなイメージだ。

 暑いときにはシチューなんて食べたくないし、見たくもない。


「ウチは季節関係なく食べるけどなー」


「そっか」


 やっぱり、思い込みなのかもしれない。


「ただいまー夕連れて来たよー」


 京の家に着いた。シチューの匂いが軒先にも漂っていた。


「おじゃまします」


「夕だー!」


「おわっ」


 部屋に入ったところで、ふいにタックルを決められる。


「千種ぁ、元気だなー」


「夕も元気だね」


 まだ小学生の千種は姉にもまして元気いっぱいだ。


「ごめんね、夕くん。千種がはしゃいじゃって」


「いえ、段々慣れてきたので」


「そお? 夕くんが来てくれると助かるわあ、千種にかまってくれて」


 春乃さんはこの二人の母親という割には、おっとりした人だ。

 京も歳を取ったらこうなるのだろうか。


「千種はどんどんお姉ちゃんに似てきてるなあ」


「えー、お姉ちゃんより夕の方がいいなー」


「ほらー、夕も千種も早く食べないと冷めるぞー」


 京が千種を小脇に抱えて食卓に連れていく。

 女子小学生とはいえ、そこそこ重いだろうに、京は軽々と持ち上げてみせる。


「いただきまーす」


 城ケ崎家のシチューはとろりとした口当たりで、ご飯にかけるために作り出されたようなシチューだった。

 よく見ると、城ケ崎家は皆かける派で、このシチューができるのも納得できた。


「いやー今日もうまかったなーやっぱ、シチューはかけるものだよなー」


 一人、シチューをおかわりしていた京は満足げにソファにもたれていた。


「ごちそうさまでした。ほんと、毎度毎度押しかけてきてすいません」


「良いのよぉ、夕くんが来てくれた方が賑やかでいいわあ」


 春乃さんの優しさが胸に響く。どうやったら、天使のようなこの人から京が生まれてくるのだろう。


「そうだぞー、夕が遠慮することなんてないんだからな」


 まあ、なんだかんだ言って京も優しいんだけど。


「ねえ、訊きたいことがあるんだけど」


「ん? どうした? 」


 何やら、思い切った様子で千種が話そうとしている。何か訊きにくいことだろうか。


「お姉ちゃんと夕はいつになったら結婚するの?」


「ぶっ」


 思わず、吹き出してしまう。京も同じようだ。


「い、いやー結婚? とかは考えてなかったなー? なー、夕?」


「あ、ああ、そういうのはもっと大人になってからって言うか、俺たちには考えるのもまだ早いって言うか」


「しないの? 結婚」


 結婚なんて一ミリも考えたことなんてなかった。

 それはそうだろう、俺たちは付き合ってもいないのだから。


            *


 先に言い訳をするなら、俺と京は男女の仲とかそういうことではないのだ。

 一緒に昼食を取るし、放課後は一緒に遊ぶ。

 お互いの家にも行ったことあるし、バレンタインには手作りチョコを渡しあったりもした。

 それでも、俺と京は付き合ってるとかそういうのではないのだ。

 京の短髪はよく似合っていて良いなって思う。

 けど、それは好きな女の子にときめく気持ちとは違う。

 その感情を明確に表す言葉は見つからないけど、良いな、かっこいいなって思う。

 誰にも信じてもらえないけど、俺と京は友人なのだ。

 でも、千種があんなことを言うのも当然かもしれない。

 俺は京とは今の関係が心地いいし、特別な関係になりたいとかは望んでいない。

 でも、客観的に見たらそんなのは独りよがりな言い訳で、京といたいのなら付き合うかどうかは決めるべき、ということなのだろう。


「あ、あのさ、さっき千種が言ったこと、気にすんなよな」


 俺が帰るとき、京がぶっきらぼうに言った言葉。それは、今のままで良いということなのだろうか。

 今のまま、友人のままで。

 決めないといけないことと、決めたくないこと。

 狭間に浮いた俺の気持ちは、ただ揺れるだけで、決めないと決めることすら、決められずにいた。



            *


「夕、おはよ!」


 京は変わらない元気さで、俺の背中を叩いた。

 京の笑顔を見ると、心にかかった靄がちっぽけに感じられて、自然と肩が軽くなる。


「おはよ」


「なぁー、古典の小テストやばいんだけど、夕できそうかー?」


「あぁ、まあ」


「じゃあ、教えてくれよー古典の小林、小テストでも追試するから困るんだよなー」


 なんだか、あまりにも悩んでることの次元が違い過ぎて拍子抜けする。

 いや、どっちの悩みが高度とか、そういうのはないんだけど。


「あれ、三限だったよな。昼休みに教えてあげるから一緒に勉強しような」


「おう! ありがとな!」


 京がクラスの女子たちの方へ向かっていく。

 女子の中で騒ぐ京と片隅で本を読む俺。

 俺が京と付き合う? いやいや、そういうのじゃないって。

 授業が始まってからは、淡々と流れてくる情報を頭に入れていく。

 俺はそんなに真面目な生徒ではないけど、今日はこうしていたい気分だ。


「夕―ご飯食べよーぜ」


 昼休みに現れた京は、いつものように俺の前の席に座る。


「弁当じゃないんだな」


「今朝は忙しかったからなーみんな寝坊しちゃってさ」


「それは災難だ」


 購買で買ってきた焼きそばパンをうまうまと食べる京を見ながら弁当を食べる。

 悩みなんて一つもなさそうなこの顔を見ていると、なんだか和む。犬でも見てる気分だ。


「おい、なんか今、良からぬことを考えてただろ」


「いや、うまそうに食うなあって」


「ん、そうか? まあ、嫌いなものとかないしなー」


 俺はこのメシを食うことばかり考えている霊長類に勉強を教えないといけない。

 でも、京は基本アホだが短期間の集中力は凄く、直前に頑張れば大体ギリギリでなんとかなる。


「ほら、ちゃんと勉強しないと、放課後なくなるぞー」


「うっし! 頑張る!」


 テストに出そうな単語を京に教える。

 古典の範囲はそんなに広くないし、山を張っておけば追試にはならないだろう。


「ほら、憶えたか? もう時間ないぞ」


「うーん、なんか問題出してみて」


「かなし」


「しみじみと愛おしい」


「きよらなり」


「上品で美しい」


 いくつか問題を出してみたが、大体合っているようだった。正答率は8割くらいだろうか。


「これなら大丈夫なんじゃない?」


「なんかさあ……」


「ん?」


 珍しく京が神妙な顔をしている。


「古典ってエロいことばっかりしてるよな」


「いいから勉強しなさい」


 どうしてこんなやつに「京」なんて雅な名前が付いているんだろう。

 名前負けというか、名前を全力で殺しにかかっているようだ。


            *


 6限後のホームルームで小テストの返却がされた。100点満点で60点未満が追試を受けることになる。


「京、どうだった? 」


「ゆうぅー……」


 京は可哀そうなほどしょぼくれていた。捨てられた子犬みたいだ。


「ダメだったのか」


「うん、解答欄がズレてて」


「は?」


 京の解答を見ると、確かに解答がズレていた。

 最初の3問だけあっていて、残りの7問はすべてペケが付いている。


「なんでこんなことに」


「4問目が分からなくて飛ばしたんだけど、5問目を4問目の解答欄に書いてしまって」


「それでズレたと」


 京の言う通り、4問目から解答がズレている。だから、30点なのか。


「でも、これズレなかったら合ってるじゃん」


「うぅ、だから辛いんだよぉー」


「ご愁傷さまです」


 可哀そうではあるが、これも京に知能を身に付けさせるためだ。仕方あるまい。


「じゃあ、すぐに終わらせてくるから! 待ってろよな!」


「いってらっしゃい」


 見事、補修と追試を受けることになった京はとぼとぼと指定の教室に歩いていった。

 仕方ない、ここで待っていよう。


「あの」


 教室で独り本を読んでいたところ、呼びかけられる。声の方を向くと、女子の姿があった。


「なんでしょう」


「えっと、憶えてますか。去年同じクラスだった佐々木です」


「あー、はい」


「本当ですか?」


「薄っすらとですが」


「ふふっ、よかったです」


 佐々木さんは小さくてさらさらとしたボブのよく似合っている女の子だった。

 たしか、初めて見たときはリスみたいな子だと感じたはずだ。


「で、どうかしました? もしかして、俺がここにいたら邪魔だとか」


「いや、そうじゃなくって、えっと」


 なんだか佐々木さんはすごく言いにくいことを言おうとしているみたいだ。

 焦らせるのも良くないから、佐々木さんに決心がつくのを待つことにしよう。


「あの、私、中村くんのことがずっと好きで……よかったら、付き合って欲しい、です」


 なんだか予想外のことに、俺は照れる佐々木さんを見ながら、まばたきをすることしか出来なかった。


「あの、返事は後でいいので。待ってます!」


 返事をする間もなく、佐々木さんは走り去ってしまった。なんだか恋する乙女みたいだ。

 遠のいていく足音は人気のなくなった校舎に響いてなんだか物悲しい雰囲気がする。


「……髪、伸びたなあ」


 程なくして、話し声が溢れ出してきた。どうやら、追試が終わったようだ。


「夕! 帰ろ!」


 教室の入り口で京が呼んでくる。追試からの解放感でやたらと笑顔だ。


「おう、帰るか」


「頑張ったから甘いもの食べたい!」


「それは追試を回避したときに言えよ」


「えー甘いもの食べたいなぁー」


 京はこう見えて甘いものが好きだ。

 それでいて代謝が良いからか、いくら食べても全く太る気配がなく、至って健康的な体つきだ。


「仕方ないなー」


「おっ、さすが夕! 大好き!」


 京が背後から抱きついてくる。身長が同じぐらいあるせいか中々の包容力だ。


「じゃあ、コンビニ行くか」


「おー!」


 コンビニの前でソフトクリームを食べているとき、横でベルギーチョコバナナクレープを頬張る京をちらと見た。

 夕日に照らされた京の白い肌はつやつやと光を映し、長いまつ毛のかかった瞳は見ているとなんだか胸の奥底がざわめくようだ。


「さっき、告白された」


 今、京に言って良いのだろうか。

 迷いはしたものの、このどうにもならなさを伝える相手は京以外には見当たらなかった。


「まじで! すごいじゃん! 誰? 同じクラスの子?」


 京の反応が予想道理で少し安心する。


「2組の佐々木さん。去年同じクラスだった人」


「うわ、めっちゃ可愛い子じゃん! 良かったな!」


 京は自分のことのように喜んでいる。そっか、これは喜ばしいことなのか。


「やっぱ、付き合った方が良いよな」


「私だったらねんごろになりてえなーいいなーあんな可愛い子とねんごろなんて」


「何言ってんだよ」


 古典のテストを引きずりながら喜んだり羨んだりする姿を見て、俺はこれで良いんだと思った。

 良いことなんだ。これは、喜ばしいことなんだ。


            *


「佐々木さん、ちょっといい?」


 翌日の放課後、俺は教室から出てきた佐々木さんを呼び止めた。


「は、はい」


「来て」


 佐々木さんの大きな目が見開く。

 佐々木さんの顔を見ていると、何も話せなくなりそうだから言葉少なに歩き出す。

 屋上へと続くドアの前で立ち止まり、佐々木さんの方を振り向く。


「俺と、付き合ってください」


 佐々木さんが息を呑む。


「はい」


 笑ったように泣く彼女は震える手を伸ばし、両手で包み込むように俺の手を握った。


「よかったあぁ」


 佐々木さんが泣き崩れるのを胸で受け止める。

 支えるために出した手が髪に撫でられたのが分かった。

 滑るように当たったその髪は、いやでも目の前にいるのが女の子だと意識させる。


「その、ひとつ、いいですか? 」


「ん、なに」


 佐々木さんの手に力がこもる。潤んだ瞳が俺をじっと見ていた。


「私も、下の名前で、呼んでもいいですか? 」


「下の名前?」


「はい」


「うん、いいよ」


 佐々木さんの耳が赤くなる。こうしていると本当に小動物みたいだ。


「夕くん」


「なに?」


 照れくさくなったのか、佐々木さんは俺に顔をうずめて何やらもがもがと言った。

 頭をぽんぽんと撫でると、何も言わない代わりに、身体が少し熱くなったようだった。


「じゃあ」


「はい」


「帰ろっか」


「はい!」


 学校を出ると、空は朱に染まり、たまに吹く風は冷たく感じられた。


「肌寒いな」


「来週には温かくなるみたいですよ」


「へぇー、じゃあ、シチュー食っといて正解……」


「シチュー? 食べたいんですか?」


「あー、いや、こっちの話」


 佐々木さんの手を握る。返事をするように佐々木さんが手に力をこめた。

 小さな手は皮膚すらも俺より繊細そうで、儚いものを愛おしく思う人の気持ちが少しだけ分かった気がした。


「ふふっ」


「どうしたの?」


「いえ、こんなこと初めてで」


 家まで送る道すがら、佐々木さんが俺に見せた表情は優しさを具現化したようだった。

 人が慈しむ姿はこんなにも愛おしいだなんて、知りもしなかった。


「あっ、着きました。ここです」


「じゃあ、また明日」


「はい。またね、夕くん」


 佐々木さんが小さく手を振る。さっきまで握っていた手が寂しくなった。

 一度掴んだ体温は簡単には手放せない。

 これからもこういうことを繰り返すのかと思うと、何かそこにあったものが抜けてしまったような気がした。

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