第三話「マルガレーテ」

――第一日


 雑多な文献や実験器具が積み重なる教授の実験室を抜けると、そこは清潔な――いや、清潔すぎる。むしろ無菌室と言った感じの真っ白な部屋で、部屋の中央には同じく真っ白で飾り気のないテーブルが一つだけ置いてあった。

 テーブルの横には真っ白な椅子が二脚。

 ぼくがその椅子に掛けるのを待っていたかのように、奥の扉が開くと、その少女は現れた。


 部屋の壁と同じ白い肌。プラチナブロンドのまっすぐな髪を肩の長さで人形のように切りそろえ、桜の花びらのような唇にはほのかな笑顔らしき表情が見える。

 青空を映す深い湖のような瞳は、しずしずとこちらへ向かって歩いている最中にも、ずっと僕を見つめていた。

 高価な陶磁器のような指が優雅に動き、椅子を引く。

 呆然と見つめるぼくの前でスカートのすそを整えた彼女は、ふわりと椅子に掛けた。


――これが、人工生命体ホムンクルス


 教授はぼくのことをからかっているのではないか。最初に考えたのはその可能性だった。

 しかし、高額なアルバイト料金を支払ってまで、一学生に過ぎないぼくをだます必然性もそれによって教授の得るものも全く思いつきもしない。

 ぼくはその幻のように美しい少女を無作法に見つめ、錬金学の持つ無限の可能性に打ちのめされ、ごくりとつばを飲み込んだ。


「……はじめまして。マルガレーテです」


 澄んだ硝子ガラスが奏でるような涼やかな声が自然な言葉を話す。

 そのあまりの自然さに、ぼくはぼく自身がここに居る理由を思い出した。


「……ぼくはエドワード・クロウリー。はじめまして、マルガレーテ」


「ええ、エドワード。よろしく」


 彼女はにこやかに笑う。

 しかしその眼は、ぼくのことを興味深げに観察しているようだった。

 たぶん教授以外の人間に会うのは初めてなのだろう。


「……ぼくみたいな人間に会うのは初めて?」


「ええ、はじめてよ。とても興味深いわ」


「ぼくもだよ、マルガレーテ」


 それからぼくは、いくつかの質問を彼女にぶつけてみた。

 そのどれにも、彼女は自然な回答を返す。

 彼女がホムンクルスであることも忘れてしまいそうになった頃、教授の研究室へと続く扉がノックされた。

 ドアが開き、真っ白な部屋へ教授が現れる。

 彼はぼくとマルガレーテにさっと視線を走らせると、いつも通り気さくに笑った。


「エドワードくん。今日は初日だ、これくらいにしておこうか?」


「あ、そうですね。彼女に負担をかけてもいけませんから……」


 ぼくは慌てて席を立ち、椅子にぶつかって転びそうになる。

 マルガレーテは手を伸ばし、ぼくの手を握った。

 やわらかい。人工物とは思えない温かみのあるしなやかな手。

 ぼくは頭に血が上るのを感じた。


「ああ、ごめん、ありがとう。マルガレーテ」


「エドワード、明日も来てくださる?」


「もちろんだよ」


 彼女は嬉しそうに笑い、立ち上がってぼくを見送る。

 後ろ髪をひかれる思いで教授の研究室へ戻ったぼくは、大きくため息をつき、体の中のほてりを冷ました。


「……どうだったかね? エドワードくん」


「いまだに彼女がホムンクルスだなんて信じられません、教授」


「ふむ、それは素晴らしい。では明日もよろしく頼むよ」


 こうして、ぼくらの最初の一時間は、あっという間に終わった。


  ◇  ◇  ◇


――第二日


 白い部屋に入ると、待ちかねていたようにマルガレーテが現れた。

 昨日と同じように椅子に座り、昨日と同じように他愛もない会話を続ける。


 しばらく楽しげに会話をしていると、彼女は思い出したように両手で口を覆った。


「いけない、あまり楽しくてすっかり忘れていたわ。お茶でもいかが? エドワード」


「……あぁ、いただこうかな」


 はたして人工生命体ホムンクルスはお茶を飲むのか?

 そして美味しいと感じ、香りを楽しむのか?


 ぼくは学術的興味をそそられ、彼女が奥の部屋へ立ち去るのを見送った。

 彼女がお茶の用意をしている間、ぼくは改めて部屋の中を見回す。

 まるで病院の無菌室のような、窓ひとつない部屋。

 きっと彼女はここから外へ出たことも無いのだろう。

 飾り気のないテーブルと椅子へと視線を移したぼくの鼻腔を華やかな紅茶の香りがくすぐった。


「おまちどうさま」


 飾り気のない部屋には似つかわしくない、白磁のティーポットからストレーナーを通して紅茶が注がれる。

 爆発的に広がった甘く華やかな香りに、ぼくは圧倒された。


「いい香りだ」


「ええ、教授にお願いして用意してもらったの。エドワードとお茶を楽しみたくて」


「ぼくと?」


「ええそうよ。おかしいかしら?」


「いや……うれしいよ」


 ぼくは紅茶の銘柄やティーセットには詳しくなかったが、彼女の知識は完璧だった。

 紅茶の歴史、銘柄、どんな香りがするのか。

 彼女の知識が完璧すぎたため、かえってぼくにはそれが人工的な知識……人間が興味を持って覚えたものとは違う、ただ情報としての記憶のように思えた。


 その日のテストを終え、ぼくは教授の研究室に下がる。

 教授は昨日と同じように、テストの首尾をぼくに尋ねた。


「ふむ、なるほど。知識が単なる情報なのか、情報を知識として消化しきれているのか、そこに疑問があるわけだね?」


 ぼくの答えを聞いて、教授は興味深げにメモを取る。

 しかし、ぼくはそこで話を止めてしまうことを良しとせず、言葉をつづけた。


「彼女が偽物であるとは思っていません。ただ、もう少し時間が必要なのではないかと……」


「……それも記入しておこう。感じたことは何でも言ってくれたまえ。きみも分かっているだろうが、実験の失敗は次の実験のための有用なデータになる。一番いけないのは、失敗の原因を特定できないことだ」


「次の……ですか」


「もちろんだ。私は今回のホムンクルスが絶対に完璧であるなどとうぬぼれてはいない。そのためのテストなのだよ。わかるだろう?」


 ぼくはうなづいて研究室を後にする。

 次の実験にフェーズが移るとき、彼女はどうなるのだろう?

 どうしても、ぼくはその疑問を教授に尋ねることはできなかった。

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