旧市街の罪人
14話 階段館の魔法使い
「死神の力?」
私は朝食を取りながらコサメに死神の力について訊いた。
コサメも魔法使いだ。死神の力が存在するのなら、その名前くらいは知っているのではないかと思ったのだ。
しかし、コサメの反応は鈍いものだった。
「まず、死神なんているの? とても想像できないんだけど」
「魔法使いなのに死神の存在は否定するのか」
「そう言われても、会ったことないからね」
「そういうものか」
「そんなもんだよ」
「まあ、こういうのは知ってそうな人のところに行くのが一番じゃない?」
「誰か知っているのか」
「死神になってしまいそうな人だから、何か知っているかも」
よく分からないが、とりあえず会ってみるに越したことはない。
存在自体が不確かなものだ。無駄足の一つくらい当然だろう。
「じゃあ、すぐ行こう」
「うん」
コサメと私はパンと目玉焼きを平らげ、そそくさと食器を片付けた。
コサメは一日中やる気のない目をしているが、家事は淡々とこなしていく。ほとんどの動作は適当に見え、実際適当なのだが、その適当を次々とこなすことによって見事に家事を片付けていくのだった。
そんなコサメを横目に私は部屋の掃除をして、身支度を整えた。
私がリビングでコサメを待っていると、アヒルのアンドレイが足元にやってくる。今日も見事なまでに白い羽をふわふわさせながら精悍な顔をしている。
「ぐぁ!」
アンドレイは突然私に向かって大きな声を出した。
「どうした?」
「ぐぁ」
アンドレイは私に何かを訴えかけているようだ。
「どうしたんだろう」
私はアヒルではないため、アンドレイの言いたいことは分からない。
「ぐぁ」
すると、アンドレイは私の足を嘴で突き始めた。
アンドレイは懸命に突いては、時折真顔で私を見つめる。
「なるほど」
私はアンドレイを持ち上げると、膝の上に乗せた。
「ぐわぁ」
アンドレイは落ち着きを取り戻し、私の膝の上でじっと動かなくなった。
私の膝の上にアンドレイの温もりが広がる。アンドレイの羽毛は見た目通りふわふわしていて、揉み心地が良い。
「何やってるの」
私がアンドレイの羽毛を堪能していると、いつの間にかコサメが部屋の中に居た。
「アンドレイが膝に乗りたいって言うから」
「へえ」
コサメは興味深げにアンドレイの頭を撫でた。
「良かったなあ、アンドレイ。世話してくれる人が増えて」
「ぐわぁ」
「嬉しい、ってさ」
「それはよかった」
コサメはアンドレイを持ち上げると、一人掛けのソファに座らせた。
「ヒソラも分かるようになるよ。アンドレイの言っていること」
「アヒルはみんなこんな感じなのか?」
「アンドレイが話し好きなだけだよ。喋らないのもいるよ」
「そういうものか」
「そんなものだよ」
私はちょこんとソファに座ったアンドレイを見た。深々と一人掛けのソファに座っている様はアヒルの王様のようだ。
「さ、行こうか」
「うん」
私はコサメの言葉を合図に玄関へと歩き始める。
「行ってきます」
私が扉に手をかけると、後ろから「ぐわぁ」とアンドレイの声が聴こえた。
家から一歩外に出ると、日差しが眩しいほどに降り注ぐ。光を浴びて家の前にある色とりどりの石畳も星のように輝いている。
「日が当たると暑いね」
「まったく、服装に迷う季節だよ」
コサメはやれやれといった様子で坂を下り始める。コサメは白いニットに薄いねずみ色の外套を羽織っている。首元にはマフラーがぐるぐると巻かれ、髪を弛ませている。
「あんまり魔法使いっぽい服は着ないんだね」
「とがった帽子に黒のローブみたいな?」
「うん。杖か箒を片手に持って」
「あんなの普段は着ないって。慰霊祭じゃないんだから」
コサメはけらけらと笑う。
「大体、あの格好じゃなくても魔法は使えるし。稀に拘っている人も居るけど」
「ライラとか?」
「あー、ライラは真面目って言うか趣味って言うか。なんか、あの子はあの格好で魔法使いをするのが楽しいみたいなんだよ」
それは何となく理解できそうな気がする。ライラは魔法使いらしく振舞っているような気がした。もしかしたら、外で魔法使いをやっているときと家でペローナと居るときで切り替えをしているのかもしれない。
「でも、すごく似合ってたよ。ビシッとしてて」
「ライラは堂々としてるもんなあ。何でも全力でやれば様になるってことかな」
「でも魔法使いらしい格好の人が少ないってことは、街で魔法使いと会っても気付かないってこと?」
「まあ、そうだね。さすがに顔なじみの人たちは誰が魔女か分かると思うけど、初めてこの街に来た人は見分けがつかないだろうね」
つまり、私がリベルを歩いていても誰が魔法使いなのかは分からないということになる。もしかしたら、リベルに来る前にも私は魔法使いと会っていたのかもしれない。
「これから会う人も魔法使い?」
「うん。アレムクルスって名前のおじさん。私たちはアレムさんって呼んでる」
「そのアレムさんが死神になりそうなのか」
「まあ、色々あってね」
私たちは迷路のような路地を進む。コサメは一番近い道を選んでいるのだろう。しかし、あまりに入り組んでいて私一人では家に帰れそうにない。
「分かると良いね、死神について」
「そうだね」
何も分からない私にとっては不気味で仕方がない。私に死神の力が宿っているなんて。
「よく、魔法使いは死神とか悪魔とかと一緒にされるんだけど、実際は全然関係ないんだよね」
「てっきり、悪魔の一匹くらいは飼っているかと」
「いたら飼ってみたいかもね。でも、実際は悪魔も死神もいるかどうか分からない。悪いことを全部悪魔のせいにしている気もするし」
「でも、魔法があるんだから死神がいてもおかしくない気がする」
「そうだよねえ。私たち魔法使いも魔法が何なのかよく分かってないくらいだし」
「そうなのか」
「だって、私たちも当たり前に生きているけどこの世界がどうなっているかなんて完全には分からないでしょ? きっと詳しく調べている人がいるんだろうけど、私たちはただ使えるから使うだけ。魔法はそういうものだよ」
魔法がなぜ存在しているのかは分からない。だから、死神がいてもおかしくはないということだろう。例え死神の力が私に宿っていても何も不思議ではないというわけだ。
コサメは路地をずいずいと進んでいき、ぴたりと立ち止まった。コサメの目の前には色とりどりの花々で飾られた扉が立っている。白塗りの壁にアーチ窓が並ぶその建物は高い壁に挟まれてひっそりと建っている。
私はコサメに付いて建物に入っていく。中はよくある屋敷のようであり、特に魔法使いらしいところはない。
「多分こっちかな」
屋敷の通路は細長く、二人すれ違うのがやっとな幅だ。脇には白や黒の扉があり、コサメは時折扉の方を見ながら奥へと進んでいく。
通路には窓がないため薄暗い。所々に燭台があり、赤い蝋燭が薄明かりを灯している。
薄闇には板張りの床を鳴らす私とコサメの靴音だけが響き渡る。立ち並ぶ扉の向こうから音はせず、何の気配も感じない。
朽ち果てた館ならともかく、屋敷は隅々まで綺麗にされている。ここに誰かが居ることは明らかなのに、すっかり空っぽになってしまっているような空気が流れている。
「ようやく見つけた」
コサメが立ち止まる。その視線の先には上へと続く階段があった。
「この上にいるのか」
「そのはず」
コサメは腕組みをしながら階段の先を睨んでいた。
階段は折り返しになっているようで、今の私たちには踊り場までしか見えない。だが、折り返しているということは私たちの真上に部屋があるということになる。
「うーん」
「どうしたんだ。早く行こう」
「まあ、そうだね。上ってみよう」
コサメはしぶしぶといった様子で階段に足をかけた。相変わらず屋敷の中はしんと静まり返り、私たちの声しか聴こえない。
「幽霊でも出そうだな」
「昼間くらいお休みいただきたいところだけどね」
「ああ、そういえば幽霊は夜にしか出ないんだっけ」
「どうだろ。本当は昼間も活発に動いていて、単に私たちが見えてないだけかもしれないし」
「夜になったら私にも見えるのか?」
「見えるときには誰でも見える。それが幽霊」
私たちは階段を踊り場まで上り切った。
踊り場の壁にはアーチ窓があり、外の光が差し込んでいる。窓からは向かいにそびえるレンガ造りの建物が見え、下を覗き込めば道を走り回る近所の子どもたちの姿があった。
「ヒソラ」
コサメに呼びかけられて、声のした方へ振り向く。
すると、そこにはコサメの背中と果てしなく続く階段が当たり前のように存在していた。
「なんだこれは」
「嫌な予感が当たった」
「どういうことだ」
「この屋敷ではよくあることなんだよ。残念なことにね」
コサメは空高く伸びる階段を見上げ、ため息をついた。
一体どこまで続いているのだろう。終わりの見えない階段を前に私は早くも引き返したい衝動に駆られた。
「この屋敷はアレムクルスそのものなんだよ」
「それは比喩かい?」
「いや、紛れもない事実。アレムさんは家に居過ぎたせいで精神が家と一体化してしまったんだ」
「ふむ」
「アレムさんの精神と一体化した家は、アレムさんの気分次第で構造が目まぐるしく変わる。今は何か途方もない考え事をしているのか、階段が途轍もなく長くなってしまっているみたい」
この街に来てからというもの、私は魔法や巨大ウサギといった未知の存在を目にしてきた。
しかし、今私が目にしている光景は最も非常識な光景だ。
どこまでも伸びる階段は果たして終わりがあるのかも分からない。こうしている今も伸び続けているような気もする。
「伸び続けた階段はどうなる?」
「今見えているのは屋敷の中だけで起きているんだよ。だから、屋敷の外はいつも通り平和で平凡な世界のまま。屋敷だけがこじれまくって迷宮みたいになっていく」
「一種の幻覚みたいなものなのか」
「まあ、そんなところだね」
階段は果てしなく伸び続ける。私たちの足ではどれだけ時間と体力を消耗しても遂にたどり着くことはないだろう。
「どうするんだ」
「困ったねえ」
「こうなることは考えてなかったのか」
「まさかここまでこじれているとは」
コサメはやれやれといった様子で自分の頭を撫でた。
そしてとぼとぼと階段の方へと歩き、一段目に座り込んだ。
「まあ、ゆっくり待てばいいさ」
コサメは呑気に笑って、隣に座れと言わんばかりに階段を叩いた。
この金髪の少女は意外と図太いところがある。階段が天井を突き抜けんばかりに伸び続けていることなんてどうでもいいようだ。
そしてコサメはにやりと口を緩めると、いらずらっぽく視線を私に投げた。
「昔の話をしよう」
自信ありげに口から出たのは、何の脈絡もないような一言だった。
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