12話 街を這う影

 気を取り直したのか、ペローナは再び全身から幸せオーラを放出してライラに抱きついた。

 背の高いライラは慣れた様子でペローナの頭を撫でて幸せオーラを受け止める。コサメと話していた時は凛としていたライラも、ペローナを抱きしめる姿は慈愛に満ちていた。


「寂しかった?」


「そう見える?」


「だって、ペローナは私が大好きだろ?」


「ふふふ」


「何かおかしい?」


「ライラはそんなかっこいい事言って恥ずかしくないの?」


「いつもこんな感じだろ?」


「私以外にはそういうこと言っちゃだめだから! 絶対だよ」


「ああ。私が好きなのはペローナだけだからね」


「この私たらしめ!」


 ペローナとライラはみるみる内に幸せ空間を作り上げてしまい、私たちが入りこむ隙間もなくなってしまった。

 私とコサメはただ石像のように幸せな二人の姿を目に焼き付けるのみである。


「いつもあんな感じなのか」


「大体ね」


 何となく見てはいけないものを見ている気はするが、別に見ていて嫌な気分になるわけでもない。そのため、私は暖炉にあたりながら二人だけの幸せ空間を眺めている。

 私は今まで生きてきてここまで人と人が親しく触れ合っているのを見たことがない。

 幸せというのは一見得難いように思えるが、こんな風に手にしている人もいるのだ。


「ペローナ、今晩はシチューにしようか」


「うん、いいと思う。今日は特に寒かったものね」


「じゃあ、後で一緒に作ろう」


「うん!」


 ライラはペローナを抱きしめていた腕を解くと、すました顔で小さく頷いた。それを合図に幸せ空間は一旦閉じられ、ライラは凛とした顔に戻っていた。


「で、君は誰だ?」


 ライラはペローナから離れると、私に向き直って訊ねた。言葉こそ硬いが、その裏にはとげとげしさは感じない。特別な警戒も見せず、あくまでさらりとした空気を纏っていた。


「初めまして。ヒソラと言います。このあいだからコサメと一緒に暮らしている者です」


「ああ、例の人か」


 ライラは興味深げに眉を上げると私の身体をさっと見回した。

 そして何かに納得したのか、ライラは一度頷くと手を差し出した。


「コサメをよろしく」


 私は幾らか戸惑いながらもライラの手を取った。ライラの手は細くしなやかで、まだ冷たさの残る長い指が滑るように私の手を包んだ。


「傷が多いだろう? 私の手は」


 確かにその真っ白な手には傷跡が残っていた。真っ白な雪原を汚す足跡のようだ。


「私も女だからな、嫌な手だと思うよ。傷なんてない方が良い」


「でも、それで救われた人もいる」


「救えてなんかいないさ。私にできることがこれくらいしかないだけだ」


「そのくらいのことができない人の方が多いだろう」


「だからと言って私が人を救っていることにはならないさ。救いたいとは思っているけどね」


 ライラの話しぶりはどこに本心があるのか分からない。煙に巻くようなことを言うのに、その目は混じり気のない光が宿っている。


「目の前の大切な一人を幸せにする。それ以上に素晴らしい事なんてそうないさ」


「コサメは良い家族を持ったな」


 ライラは人好きな笑みを浮かべて私の髪をくしゃくしゃと撫でた。私を受け止めるライラの匂いは私の強張っていたところを溶かす。頭に響く鼓動がゆっくりと感じられた。


「他の人といちゃいちゃするの禁止!」


 嫉妬交じりにペローナが私の身体をライラから引きはがす。ライラに全身の力を委ねていた私は僅かにふらつきながらも心地よい時間に別れを告げる。


「いや、これくらいは良いだろう?」


「いいわよ。その代わり私の機嫌は悪くなるけど」


「ああ、ごめんよ。後でいっぱい撫でてあげるから」


「じゃあ、お風呂入った後にマッサージしてくれる?」


「いいよ。作業で肩が凝っただろう?」


「私もいっぱい揉んであげるね」


「嬉しいな。楽しみにしてるよ」


 何となく私がダシにされた感はあるが、私が原因で険悪な空気になるよりずっとマシだ。まあ、私ごときにこの強靭な幸せ空間を破壊するのは到底無理だろうが。


「そういえば、ライラは今まで何をしてたの?」


 盛り上がっている二人にコサメは何食わぬ顔で質問を投げかけた。それなりに付き合いが長いため、この幸せ空間にも慣れているのだろう。


「峠の農場で事件があってな。その調査だ」


「峠の農場ってあの大きなリンゴの木があるところでしょ? 私たち、ついさっきその近くに居たんだけど」


「そうなのか。危ない目には合わなかったか?」


「特にそういうのはなかったかな。いつもより寒くて凍えそうにはなったけど」


 そう言うと、コサメは突然表情を変えた。さっきまでの軽い雰囲気は霧散し、魔法使いの顔になっていた。


「もしかして、殺人?」


「ああ。そこの農場主が殺されたんだ。ナイフで一刺しだ」


「犯人は捕まったの?」


「いや、まだ捜索中だ。ただ」


「ただ?」


「犯人の目星は付いている」


 張り詰めた空気が流れる。ライラとコサメは険しい顔で何か思考を巡らせているようだ。


「先日、とある殺し屋がリベルに入ったという情報が入ってきた。殺し屋の名前はカバネ。腕の立つ殺し屋で、要人の暗殺も請け負っていたらしい。カバネは絶対にナイフだけで人を殺す。そして今回の事件でも使われた凶器はナイフだけだ」


「ナイフなんてよくある凶器じゃないのか」


「コサメは分かると思うが、ナイフで人を刺してもそう簡単には殺せない。だが現場には争った痕跡もなく、遺体には一つしか傷口がなかった。これはどう考えてもプロの仕事だ。カバネがリベルに潜伏している情報がある以上、カバネを第一に疑うべきだろう」


「カバネの人物像は?」


「カバネという名前は誰かが後から付けた俗称で、身元は分かっていない。分かっているのは黒髪で黒い服を纏い、肌が恐ろしく白いということ。それとナイフで人を殺すこと。後は女性であるというくらいだ」


 全身から嫌な汗が滲んだ。背中を蛇が這うように悪寒が巡り、手足から血の気が引いていった。


「大丈夫か、ヒソラ」


「ああ、大丈夫」


 私の脳裏でセーハの言葉が繰り返し鳴り響く。

黒ずくめでナイフを持った女。セーハが追っていた殺し屋が本当にこの街に居る。それも私たちの近くで。簡単に命を殺めながら。

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