11話 おかえりなさいと言いたくて
「寒いな」
「寒い禁止―」
「早く風呂に入りたい」
「だねー」
山を下りた私たちはウェズンを抱えてリベルの街を歩いている。山の中もそれなりに寒かったが、この街を吹き抜ける風はさらに冷たく感じられる。
今両手に抱えている石が陽だまりのような温かさを持っていたらどれほど心地いいだろうか。
魔法も万能ではない、というのはコサメと居て何となく分かってはいるが、人を暖める程度の魔法くらいはあってもいいのではないかと考えてしまう。
「ほら、もうすぐだから頑張って」
「ああ、そうだな」
思わず足が硬直してしまいそうになる私の背中をコサメが押す。雪が積もっているわけでもないのに私の足は言うことを聴こうとしない。
膝はがくがくと震えるだけで素直に曲がってくれない。私は厄介な両足を引きずるように歩き続ける。
「それにしても、ライラが村を助けていたとはね」
「エルが居てくれて良かったよ。あのままだったら、一日中探し回らないといけなかっただろうし」
「考えるだけでうんざりするな」
「ライラが村を助けてくれたから、エルは私たちを助けてくれた。エルの助けを借りた私たちは今からライラへのプレゼントを私に行く。上手くできたものだね」
「意外とそんなものなのかもしれないな」
「あとはライラが喜んでくれるだけだね」
私はライラという魔法使いを知らない。
だけど、ライラはこれからも村を助けようとするだろう。
何かある度に駆け付け、当たり前のように人々を助けるのだ。そして、礼はいらないと言って去るライラにペローナが贈り物をする。そんな風に回り続けるのだろう。
そうこう言いながらとぼとぼ歩いているうちに、私たちは眼鏡屋『ウッドラビット』に戻ってきていた。
看板を見た私は救われた心地で扉へかじかむ手を伸ばす。ドアノブは木製とはいえこれ以上ないほどに冷え切り、感覚を失いつつあった私の手にとどめを刺した。
扉が甲高い音を立てながら開く。私とコサメはなだれ込むようにして扉をくぐった。
「わっ、大丈夫ですか?」
突然現れた凍えかけの客人にペローナは驚いた様子で駆け寄った。
ペローナは最早扉を閉める余裕すらない私たちの代わりにドアノブを引き寄せ、慌ただしく階段を上っていった。
私とコサメは暖炉の前に陣取ると、身を寄せ合ってがくがくと震える身体を温めた。
冷え切った手足は温まるにつれてくすぐったいほどに感覚が蘇っていく。寒さのせいで若さすらも失ってしまった私たちは「あー」とか「うー」とか言って顎と声を震えさせた。
「コサメさん、ヒソラさん、ご苦労様でした」
ペローナは階段を下りて来ると、私たちに毛布をかけてくれた。
「ありがとう」
「いえ、こんなに寒いときに山に行ってもらったなんて本当に申し訳ないです」
「気にすることはないよ。お陰で私も面白いものが見れた」
「面白いもの?」
「でっかいウサギがいたんだよ。ペローナより大きいやつ」
「へえ!」
身体が温まってきたのか、コサメは機嫌よさげに身振り手振りをして話した。コサメは夢中で話しているようでありながら、しっかりと暖炉に手を当てて熱を浴びようとするためいつになく忙しなく見える。
「そのでっかいウサギの巣穴にこの石はあったんだよ。それもいっぱい」
「暗闇で光を灯すと一面に埋め込まれた石が一斉に光るんだ。ウサギは恐かったけど、あれは綺麗だった」
「ウサギさんはそんなに素敵なところに住んでいたんですね。会ってみたいなあ」
「相当凶暴なウサギだから危ないよ? 見た目はただの大きなウサギだけど」
野生の動物は恐ろしい。あんなに可愛らしい顔をしていても村を襲い、人々を苦しめるのだから。
「でも、よくそんな所に行けましたね?」
「近くの村の人が見張ってくれたんだ。お陰で生きて帰ってくることができたよ」
実際には、誰かが餌を与えていたお陰でウサギはそれほど凶暴ではなかった。
だが結果的にそうなっただけで、無防備に見張りを置かずに入ることも一人だけで巣に潜ることもしようとは思わなかっただろう。
「その村の人はライラに助けられたことがあるんだって。だから、リベルの魔法使いを助けてくれたって言ってたよ」
「へえ、そんなことがあるんですね」
「だから、この石にはライラに助けられた人たちの想いが詰まっているわけだよ」
「そうですね」
ペローナは黄色く輝く石を見つめた。眼鏡の奥にある瞳は石の光を閉じ込めたようで、幾つもの色が混ざり合った光を湛えていた。
「きっと喜ぶと思います」
「霧払いは罪人を救う仕事。誰からも感謝されるような仕事じゃない。それは私もライラも嫌というほど知ってるし、求めてもいない。だけど、私たちも人間だからね。どうしようもなく嬉しいものだよ。認められるってことは」
コサメは素気なく宙に言葉を投げた。放り投げた言葉の行方も確認しないままコサメは暖炉に向かい合い、眠たげに火にあたった。
「それに、ライラが喜ばないはずがないし」
「そうですね、ライラは優しいですから」
私にはそのペローナの表情こそ彼女が背負っている罪のように見えた。きっと、ペローナは幸せそうに笑ってライラに精いっぱいの贈り物をするのだろう。それは償いであり、彼女が見た希望への想いなのだから。
「あっ」
ペローナがビクッと扉の方を向く。口元は僅かに緩み、背筋はぴんと伸びている。思わずつま先立ちになって鼻を動かす様子は、しっぽを懸命に振る犬のようだ。
「あっ、隠しておかないと」
我に返ったペローナは私たちの持ってきたウェズンの石を抱え、店の奥へと駆けていった。ペローナが慌ただしく動くたびに、足元の裾が重たげに揺れる。
「こうして見ると良家のメイドにしか見えないな」
「あの子は偉いよ。ライラの趣味にも付き合って」
「でも、ペローナも満更でもなかったりして」
「あの子はライラが喜ぶのを見るのが好きだから。そういう趣味みたいなものだよ」
ペローナが石を作業棚の奥にしまい込むと、そそくさと走って玄関口で待機した。
「すごくそわそわしてる」
「忠犬だね」
「あれで違う人が来たらどうするんだろう」
「ペローナが微妙な顔になり、気まずい空気が流れる」
「そして、客は帰ると」
「そういう習性だから仕方ないよ。お客さんも空気を読まなきゃ」
「そんな無茶な」
「世の中大事なのはタイミングだよ。タイミングこそ命」
ガチャリ、とノブが回る。ペローナは今にも跳びつきかねない勢いで待っている。ゆっくりと扉が開き、暮れ始めた日差しが差し込み始める。
「おかえりなさい!」
扉が開くと同時にペローナは深々とお辞儀をして出迎えた。その後ろ姿からはライラに対する並々ならぬ親愛の情が滝のごとくあふれ出ている。
「あっ」
私とペローナは息を呑んで硬直した。出入り口から視線を動かすことも出来ず、ただ茫然と息をするのも忘れて固まった。
ペローナが深々と下げていた頭を上げる。辺りはしんと静まり返り、外で響く間抜けな鳥の声だけが冬の澄んだ空気を揺らした。
「えっと、はは、どうしたものかな」
出入口では恰幅の良いおじさんが顔を引きつらせて立っている。苦し紛れに漏らした笑い声が白い息とともに虚しく消えていった。
今、ペローナは一体どんな顔をしているのだろう。おじさんは困った顔で目を泳がせているというのに、ペローナは一言も声を出さずに人形のように立ち尽くしている。
「ええと、うん、また今度来るね。よく考えたら、そんなに急なことでもないし、いつでもいいからね。あっ、うん。邪魔してごめんね」
おじさんは物凄く狼狽えながらじりじりとペローナの前からフェードアウトしていった。その間ペローナは依然無言を貫き、私とコサメは精一杯笑いを堪えていた。
無言で立ち尽くすペローナからはどんよりとした空気が立ち込め、さっきまでの多幸感は消え失せている。どんな顔をしているのか見てみたい気もするが、私には今のペローナに近づく勇気はない。
「ねえ、どうするの」
コサメが小声で問いかける。
「どうすると言われても」
この空気では何をしても無駄になる気がする。いや、それ以上に私の心に深い傷を刻み込むかもしれない。
「コサメが行きなよ」
「いやいや、ヒソラなら行けるって。ほら、私はおもしろ担当じゃないし」
「私もおもしろ担当になった覚えはない」
「きっと、ヒソラが話しかければ元気になるって」
私とコサメは醜くもお互いをペローナの方へ押し合って譲らない。下手に面白いことを言おうとしてさっきのおじさんの二の舞になるのはごめんだ。
「ほら、頑張れヒソラ」
「こういうのは女同士の方が良いだろう。それに友達なんだろう」
「そうかもしれないけど、私はそういうタイプじゃないし」
「そういうタイプってどういうタイプだよ。いいから一声かけて来なって」
私とコサメが押し付け合いをしていると、出入り口から声が聴こえてきた。私の聴いたことのない女性の声だった。
「何をしているんだ」
女性はペローナ越しに私たちを見て怪訝な顔をしている。
「久しぶり」
コサメはその女性の姿を認めると親しげに手を振った。それに応えて女性は左手を軽く上げる。
「ライラ! おかえりなさい!」
長い黒髪に切れ長の目。黒いローブに身を包んだその人物こそ、もうひとりの『霧払い』ライラだった。
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