9話 山小屋にて

 結論を述べるなら、私がコサメに率いられて坂を上ったり下ったりする羽目になったというくらいのことだ。

 ライラへの贈り物はお守りに決まり、コサメは心当たりがあると言った。コサメが言うにはウェズンという石には人を守る効果があり、お守りにはうってつけなのだそうだ。

 ただ、その石はどこでも手に入る代物ではなく、山を探し回る必要があるらしい。成り行きに巻き込まれた私は、街からひたすら歩き続ける羽目になった。


「本当にこの山にそのウェズンとかいう石があるのか?」


「うーん、この山にあるとは聴いたんだけどなあ」


「山のどこに?」


「木の下とか?」


「きのこでもないんだから、木の根元にひょっこり生えたりはしないだろう」


「石探しも難しいね」


 コサメはあまり深いところまで考えていなかったらしく、そのせいで私は無駄足を踏み続けている。この調子だと今日中に家に帰れるかも怪しいものだ。


「はあ、そろそろ休憩にしようか」


「それが良いかもしれないな」


 ここは一度立ち止まって計画を立て直した方が得策だろう。このまま適当に歩き続けてはくたびれて動けなくなってしまいそうだ。


「どこか丁度いいところがあるといいけど」


 私たちは山の中腹くらいまでは来ているだろうか。空気は驚くほど澄んでいるが、どこを歩いても代り映えのしない景色だ。


「ウサギの一匹でもいたらいいのにな」


 寒いせいか、山をどれだけ歩いても獣と遭遇することはない。やはり、生き物は暖かいときにだけ動くべきなのかもしれない。


「あっ」


 コサメの声に釣られて前を見る。


「あっ」


 そこには一軒の山小屋が建っていた。


「行ってみようよ」


「ああ」


 思わぬ助け舟だ。危険を感じないわけではないが、それよりも早く寒さを凌いで休みたい。それに表に薪が積んであることを考えると、中には暖炉があるのだろう。今の私にとって、入らない手はない。


「おじゃまします」


 山小屋の中は温かな空気に包まれていた。どうやら先客がいるらしいが、その姿は見当たらない。


「誰かいますか? 怪しいものじゃないですよ」


 そう言われてのこのこ出てくる者はいないだろう。そんなのは余程のお人よしか馬鹿のどちらかだ。


「早く出てこないと小屋ごと燃やしちゃうよ」


 とんでもないことを言う魔法使いだ。そんなことをしたら、山火事は免れられないだろう。

 さすがにそれはまずいと思ったのだろう。テーブルの奥から一人の青年が両手を挙げて出てきた。


「ああ、警戒しなくていいよ。私たちは暖を取りに来ただけだし」


 青年は初めこそ訝しげな目で私たちを見ていたが、私たちの様子を見て拍子抜けして警戒するのを止めたようだった。


「私はコサメで、こっちはヒソラ。本当に怪しいものじゃないから安心してね」


「僕はエル。よくこんなところまで歩いてきたね」


 エルは小屋の奥から椅子を引っ張り出すと私たちの前に置いた。


「ゆっくり休みなよ」


「ああ、そうさせてもらうよ」


 椅子に座り、暖炉に当たると今すぐにでも眠ってしまいそうだ。快適過ぎて、しばらくは動くに動けないだろう。


「こんな冬の山奥で何してるの?」


「ウサギの生態調査だよ。年に数回行っているんだ」


「ウサギ?」


「この辺りには、ケルビンクロウサギというウサギがいてね。僕たちの住んでいる町に下りてきては作物を荒らしたりするんだ」


「それでウサギを見張っているってこと?」


「ウサギの習性が分かれば、町に来ないようにできるかもしれないからね」


「そのウサギはそんなに危険なのか」


「とても大きくて凶暴なんだ。それに雑食だからなんでも食べつくしてしまうし」


 ウサギと言えば可愛いものかと思っていたが、この山のウサギはそうではないらしい。いくらウサギでも、そんなに恐ろしいのはごめんだ。


「君たちは何をしにここまで来たの?」


「私たちは石を探しているんだよ。ウェズンって石なんだけど」


「ウェズンって守り石の?」


「そうそう。もしかして何か知ってるの?」


「ウェズンはケルビンクロウサギの巣に転がっていることがあるんだよ。ケルビンは山肌に洞穴を掘って巣にするんだけど、その時にウェズンが掘り出されるらしいんだ」


「ってことは、エルに付いていけば石が見つかるってこと?」


「確証は出来ないけどね」


 ウェズンが地層に埋まっている以上、私たちが山をいくら探したところで見つかることはないだろう。かと言って、山を掘り返すのも骨が折れる。ここはウサギの巣に行った方が見つかりそうだ。


「でも、そのウサギは凶暴なんだろう?」


「お腹が空いているとね。ケルビンが巣から出たのを見計らって石を探した方が安全だろうね」


「そうだな。そうしよう」


「大丈夫だよ、私が魔法で守ってあげるから」


「えっ」


 エルは突然立ち上がると、私たちを驚いた様子で見ていた。


「もしかして、魔法使いなの?」


「うん、そうだよ?」


「住んでいる場所は?」


「リベルだけど」


 どうしてそんなことを訊くのかは私には分からなかった。エルは何か真剣な顔で何度か頷くと、その澄んだ瞳を私たちに向けた。


「分かった。ケルビンの巣まで案内しよう」


「良いのかい?」


「うん。目的地は一緒だからね。それに、ここで会ったのも何かの縁だし」


「ありがと! 助かるよ」


 私たちに断る理由なんてものはなく、エルの申し出に甘えることにした。どう考えても、エルにとっては厄介な同行者が二人増えただけだ。利点はそれほどないだろう。でも、それをわざわざ言うのもどうかと思い、私はウサギの巣まで黙って付いていくことにした。


 ウサギの巣への道すがら、エルはケルビンクロウサギについて話をしてくれた。ケルビンと呼ばれるそのウサギは身体が恐ろしいほどに大きく、体長は人の背丈のまでもあるという。雑食ではあるものの積極的に狩りを行うことはあまりなく、草や木の実を食べるのだそうだ。

 ただ、恐ろしいのはその食欲だという。身体が大きい分山の食糧だけでは足りず、冬場は常に腹を空かせて彷徨っているらしい。

 そして、お腹を空かせているケルビンは人を襲う。


「だから、今ケルビンに会ったら命の保証はできないかな」


「空腹が行き過ぎると人も襲うというわけか。コサメ、大丈夫なのか?」


「まあ、いざとなったら逃げればいいし」


 何とも心もとない魔法使いだ。お守りのためにウサギの犠牲になれば、目も当てられないだろう。


「ほら、そんな暗い顔しないで。明るく行こうよ」


「意外と前向きなんだな」


「幸福は前向きな人にやってくるのだよ」


「へえ、良いことを言うね。コサメさん」


「でしょ?」


 エルが感激しているのをよそに、私は昨日のことを思い浮かべた。

 コサメは『ヒソラは私が幸せにしてあげる』と言った。よくあんなことが言えると思う。その言葉を信じるかはともかく、あんな言葉をかける人は初めてだ。

 幸せにするなんて、本気で言っている人が一体どれほどいるだろう。


「コサメ」


「ん?」


「魔法使いっていうのは、変わり者が多いのか」


「うーん、そうかもね。変わり者だよ」


「やけに素直なんだな」


「だって、変わっていない人なんていないでしょ?」


「それもそうか」


 木々を分け入って斜面を下ると、草と砂利で覆われた広場に出た。木々や岩に囲まれた広場には所々に白い花も咲いている。その奥にはぽっかりと山肌に穴が開いていた。


「あれがケルビンの巣か」


「うん。ようやく着いたね」


 ここに来るまで、私は道とは言えない場所も通り抜けてきた。エルがいなければここにはたどり着かなかっただろう。


「かなり大きいね」


 穴の大きさは私たちより二回りほど大きい。大きさから察するに、エルの言っていたことは本当なのだろう。できれば家主とは会わない方が良さそうだ。


「見たところ、中にケルビンはいないようだね」


「いつごろ戻ってくるかは分からないの?」


「それが分かれば良いんだけど」


「さすがにあの巣の中で出くわすのは避けたいところだね」


「それなら、一人見張りに立っていた方が安全だろうな」


「見張りなら僕がするよ。ケルビンの鳴き声が聴こえてきたら知らせる」


「いいの? もし鉢合わせたら危ないよ?」


「そのときは、助けてね」


 私にはどうしてエルがそんなに危険な役目を引き受けるのか分からなかった。だた、エルの覚悟を決めた表情を見せつけられると、止めさせるわけにもいかなかった。

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