3話 魔法使いとの出会い
「ありがとうございました。何から何までお世話になってしまって」
「いいんだよ。俺も一人に飽きてたところだったんだ。それにシドさんの話も聴けたしな」
私たちはリベルに着いた。セーハには人混みの中で助けてもらった上に、馬車の運賃まで出してもらった。あまりの親切さに頭が上がらない。
「じゃあな。良い人生を」
「はい、また」
セーハは最期までさっぱりとした笑顔を浮かべていた。
助けてくれたこともありがたかったが、セーハのような人に会えたことが何より嬉しい。
私はリベルまでの道のりをただの移動としか考えていなかったが、セーハと出会ったことで立派な旅になった。
「さて、行くか」
私は地図を取り出して行き先を確認する。
今いる場所はリベルの縁だ。行き先のアクイア家は内側に進んでいかなくてはいけない。
まずは大通りを進もう。知らない街で迷ったら収集が付かなくなる。
それにしても大きな街だ。
いや、大きいというより高いと言った方が良いだろうか。
子どもが適当に積み木を積み上げたような建物が上空まで連なって私を見下ろしている。思わず空を見上げたくなるような街だ。
セーハの話だと整然とした街並みを想像していたが、それとは幾らか違う。
独創的というか、前衛的というか。「ここは建物の耐久性を研究するために造られた街です」なんて言われたら信じてしまいそうだ。
視線を下げると、そこは人と馬車の行き交う街の景色が広がる。
まだ昼間だからだろうか、さほど人は多くない。その代わりに猫の姿が目に付く。屋根や道で丸くなっている猫、目の前を横切っていく猫、にゃあにゃあと楽しそうにじゃれあっている猫。
私は猫を横目に道を進んでいく。
* * *
地図を片手に現在位置を何度も確認する。
慣れた人は一度地図を見ただけで目的地にたどり着けるのだろうけど、私はそうもいかない。
私は旅も街を歩き回るのも初心者だ。地図を見ながらでないととんでもない所に行ってしまうだろう。地図を見ていてもたまに現在位置が分からなくなるのだから。
アクイアの家に行くには坂を上らなくてはいけないようだ。
段々と小さくなっていく道に不安を募らせながら坂を上る。道幅が狭くなり、陽の光が当たらなくなる。
少し湿っぽい空気を肌に感じながら歩いていると、いつのまにか一匹の白いアヒルが私の前を歩いていた。
ぴたりぴたりとアヒルが石畳を鳴らす。
アヒルの割には機敏な歩みで、私と同じくらいの速さだ。
もっとも、歩幅が短いアヒルは私の倍の速さで足を出さなくてはいけない。その忙しない歩みに連動してお尻も左右に揺れている。
一体どこに行くんだろう。
アヒルは私の前を歩き続ける。立派なお尻を左右に振って。
アヒルは私と同じ場所で、同じ方向に曲がった。時には力強い足取りで階段を上り、横からちょっかいを出してくる猫には翼を広げて威嚇した。
人間の私でも疲れを感じる坂だ。アヒルには相当な負担だろう。
それでもアヒルは歩き続ける。素早く、力強く。
道が開け、光が石畳に反射する。アヒルは光を全身に受け、白い羽を輝かせて立ち尽くしている。
アヒルはじっと前を見つめた。その先には一軒の家があった。
木や草花に囲まれた家は丸い扉を覗かせてひっそりと建っている。家の前の石畳は様々に彩られ、光を受けてつやつやと輝いている。
「あっ」
私は扉に付けられたプレートを見て目を見開いた。『アクイア』と書かれたプレート。この家こそが私が目的地であった。
「ぐぁ」
アヒルが私を見ている。行け、ということだろうか。
私はアヒルに促されるまま扉へと近づき、ノックをする。
私とアヒルは扉の前で立ち尽くす。降り注ぐ日差しが暖かい。
程なくして、扉の向こうから物音が聴こえてきた。
「はいはい」
扉が開く。中から顔を覗かせたのは若い女の子だった。
「えーと、どちらさま?」
女の子は金色の髪をかき上げながら面倒くさそうに訊く。
「ヒソラ・クーロンです。お話は聴いていますか」
「ああ、養子に来ることになったって人?」
「そうです」
「入って」
扉をくぐると、そこには想像以上に広い空間が広がっていた。部屋の真ん中には緑色の絨毯が敷かれ、その上には二人掛けのソファやローテーブルが置いてある。隅には火の付いていない暖炉があり、部屋の奥にある丸い窓からは外の景色が見える。
「紅茶と水、どっちが良い? 私は紅茶を飲みたいから紅茶を飲むけど」
「紅茶を淹れてもらえますか」
女の子は隣の部屋へと入っていく。水音と共に華やかな香りがこちらの部屋まで漂ってくる。
私が部屋を見回していると、女の子が紅茶をもって現れた。女の子の後ろにはさっきのアヒルが付いてきている。いつのまに入ったのだろう。
「はい」
女の子はローテーブルに紅茶を置き、ソファに座った。
「ほら、立ってないで座ったら?」
私が立ち尽くしていると、女の子は私を見てソファをぽんぽんと叩いた。隣に座っていいということだろう。私はややぎこちない仕草でソファに座る。
「ご家族はどちらに?」
「あれ、聴いてないんだっけ」
「何のことでしょう」
「うちの両親、今家に居ないんだよ。仕事でどこか遠くに行ってる」
「では、お帰りはいつ頃になるんでしょうか」
「さあ、分からない。元からあんまり家に居る人じゃないし。あの様子じゃ何年も帰って来ないかも」
女の子は平然と言っているが、私は少なからず驚いている。まさかこの家の両親がいないなんて。居るのはこの女の子一人とアヒルが一羽。
「私のことは何かの間違いでは?」
「ううん、お父さんが君を養子に引き取ったのは本当のこと。私も最近聴いたんだけどね」
「二人で暮らせということですか」
「正確には二人と一羽だけど。こいつはアンドレイ。そして私はコサメ。よろしく、ヒソラ」
「はい、お願いします」
私はコサメに軽く一礼した。初めは私を嫌がっているのかと思ったけど、そうではなさそうだ。
「あと、そんなに畏まらなくていいよ。私の方が年下なんだし」
「どうしても癖で。気を付けるね」
「慣れないなら、徐々にで良いよ。ヒソラ」
「なんだかくすぐったいな」
私は今まで年下の人と会うことが少なかった。
そのため、コサメにどう接していいのか分からない。いきなり妹が出来たと言われても、自然と他人行儀になってしまう。
「あと、ついでだから言っておくね」
「うん」
「私、魔法使いなんだ」
「へえ」
「あれ、あんまり驚かないんだね」
「だって、いかにも魔法使いが住んでいそうな家だから」
「なるほど」
コサメが拍子抜けした顔をする。私の反応が思ったより薄かったからだろう。
でも、この部屋を見た人はきっと魔法使いの部屋だと思うはずだ。
部屋の戸棚には謎の液体が入った小瓶や爬虫類の尻尾、鮮やかな色の石などが並び、壁には怪しげに曲がった杖や箒が立てかけてある。
ここまであからさまだと、さすがに魔法使いの部屋だと気付く。
「やっぱり変な部屋かな」
「風情があっていいと思うよ」
「本当?」
「紅茶が美味しく感じられる」
「でしょ? やっぱり、魔法使いは紅茶に限ると思うんだよ」
「そうだ、クッキーがあるから一緒に食べようか」
「いいね。私、甘いもの好きなんだ」
私は気を取り直して手土産のクッキーを鞄から取り出す。これは父が持たせてくれたものだ。
私が好きなお店のクッキー。父は「これは必要不可欠ではないがあった方が嬉しい。そういうものは尊い」と言ってクッキーを私に渡した。合理的な父らしくない言葉にも思えたが、合理的な人だからこそそんなことを考えたのだろう。
クッキーの箱を開けると色とりどりのクッキーが現れる。中心部に透き通ったジャムが乗った白いクッキーは色も形も美しく、思わず頬がほころぶ見た目だ。
「きれい」
私はコサメが目を輝かせているのを見て、たまらなく嬉しくなった。胸の奥がふっと暖かくなる。
「二人だけだから余りそうだね」
「これなら全部食べたいかも」
私とコサメがクッキーに見惚れていると、上から腕が伸びてきてクッキーをひょいと摘まんだ。
「おお、これうまいな」
見上げると、そこには見るからに快活そうな女性が立っていた。
「キエナ、いつから居たの」
「扉の向こうにはずっと居たんだけど、入りにくくてさ」
「そっか、もう浄化の時間か」
「クッキー食べてからにしようよ。折角、お兄ちゃんが持ってきてくれたんだろ?」
キエナという女性は私の方を見てにっと笑った。
「えっと、お姉さんですか?」
「あはは、お母さんって言わなかったのは褒めてあげるよ。でも、私とコサメは赤の他人。私は居候みたいなものさ」
「ヒソラといいます。今日からこの家に来ることになりました」
「話は聴いてるよ。コサメのお兄ちゃんなんだろ? よろしくね」
キエナが首を傾けると、髪がさらりと揺れた。会ったばかりだというのに、この人はいつの間にか懐に入り込んで笑っている。不思議な人だ。
「それじゃ、もう一枚いただきましょうかね」
キエナが二枚目のクッキーを口に放る。
「あっ」
それを見たコサメは思い出したようにクッキーに手を伸ばした。放っておいたらキエナに食べつくされてしまうと思ったのだろう。
「高級な味がする」
クッキーを食べたコサメの顔はわずかに蕩けていた。「おいしい?」と訊くのも憚られる顔だ。コサメはひとつふたつと食べては紅茶で喉を潤し、またひとつクッキーをかじった。
幸せそうに食べる姿を見て、私もクッキーに手を伸ばす。口の中でバターの風味とアプリコットが混ざり合い、柔らかな味が広がった。さっくりとした食感との相性も素晴らしい。
「こんなに美味しいもので私を篭絡しようとするなんて、酷いね」
「いや、私は美味しそうに食べるコサメの顔を見ただけで満足だから」
「ふーん」
コサメは私の顔を訝しげに見ている。何か癇に障ることを言ってしまっただろうか。
「でも、本当にお菓子で篭絡されるわけじゃないだろ?」
「どうだろ」
「お菓子で篭絡される妹は兄としては心配です」
「まあ、大事なのはお菓子じゃないんじゃない?」
「というと?」
「誰と食べるかだよ。重要なのは」
「なるほど」
言われてみれば、今日のクッキーは一人で食べるときより美味しく感じられた。今まではクッキーを食べるのは一人のときか母といるときだった。歳の近い人と一緒に食べるのは今日が初めてだ。
「兄妹仲が良くて羨ましいねえ」
キエナはクッキーを頬張りながら、私とコサメの間でしみじみと頷いている。
「折角できた兄妹だからね」
コサメはにやりと口元を緩め、紅茶を啜る。
兄妹、という言葉が妙に耳に残った。
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