第13話 無力な僕

「アリアナーッ!」


 僕はたまらずに駆け出していた。

 空中でアディソンの上位スキル『魔神の吐息サタン・ブレス』を浴びたアリアナが地面に落下して動かなくなった。

 アディソンが口から吐き出した緑のきりがまだアリアナの体にまとわりついている。

 僕は無我夢中でアリアナに駆け寄っていった。

 だけどそんな僕の足に何かが絡みつき、僕は足をすくわれて派手にスッ転んでしまった。


「フガッ! アイタァッ!」


 僕は顔面を見事に地面に打ちつけて、その痛みにうずくまりながら自分の足首を見た。

 僕の足に絡みついていたのはキーラのむちだった。


「おいボンクラ。ここは戦場だ。一般NPCの分際で出しゃばるんじゃねえよ」


 そう言うとキーラはむちを手繰り寄せ、僕はズリズリと地面を引きずられながらキーラの元に引き寄せられた。

 イダダダダッ!

 背中の皮がむけるっ!

 

「邪魔すんな。何も出来ない奴は指でもくわえながら震えて見てな」


 そう言うとキーラは足で僕の体をクルッとひっくり返し、うつ伏せにして背中をドンッと踏みつけた。


「うぐっ……ア、アリアナ」


 背中に強烈な圧迫感を受けて地面にいつくばったまま僕は動けなくなってしまう。

 それでも僕は必死に顔を上げてアリアナに視線を送った。

 アリアナは地面に横たわったまま動けなくなっていて、苦しそうにうめき声をらしている。

 見ると彼女の装備である自慢の道着はところどころ溶けて肌が露出していた。

 くっ……あれはヤバイ。

 危険なダメージだぞ。

 僕の視線に気付いたらしいキーラが頭上から意地悪な高笑いを響かせる。


「ハッハッハ。アディソンの魔神の吐息サタン・ブレスは強烈な溶解液だ。Aランクのアリアナだからあの程度で済んでるが、弱い奴ならあっという間に溶けちまうぜ」


 アリアナのステータス・ウインドウを見るとライフゲージはもう残り少なく、しかも体が麻痺まひ状態に陥っていてしばらくの間は動けないだろう。

 アディソンがそんなアリアナに近付いていく。


「勝負ありですね。ミジメな敗北ぶりですよ。アリアナ。あきらめてワタクシたちの軍門に下りなさい」


 そう言うとアディソンはふところから捕縛用のロープを取り出した。

 アリアナはそれに抵抗するように、動けない体を必死に動かそうとして悔しそうに歯を食いしばっている。

 それに構わずアディソンがロープを軽く放ると、それは空中でまるでへびのように自ら動き、一瞬にしてアリアナの体をぐるぐる巻きにしてしまう。

 アリアナは懸命に抵抗するけど、あんなにガッチリ縛り上げられたら、もう逃れる術はないだろう。


「ア、アリアナーッ!」


 僕はあせって、無駄だと分かっていても声を張り上げずにいられなかった。

 ア、アリアナが連れていかれちゃう!

 あんなに嫌がってるのに。

 せめてタリオを装備できれば僕も戦いに参加できるのに。

 悔しくて僕は自分の額を地面に打ちつけた。

 そんな僕の頭上からキーラは奇妙なものを見るかのような口調で言った。

 

「おまえ。NPCのくせに変な野郎だな。そんなにあのアリアナを助けたいのか。それともそのクソ忌々いまいましい正義感はプログラミングされたおまえの性質なのか?」

「ア、アリアナは嫌がってるんだ。無理やり仲間に引き入れたって君たちの望む通りに動いてなんてくれないぞ」

「バーカ。アリアナは象徴なんだよ。存在するだけでクラスタにとってプラスになるんだ。お飾りでも何でもいいんだよ」

「そんな……そんな扱いで彼女が喜ぶわけ……うわっ」


 そう言いかけた僕の体をキーラはむちで縛り上げると、その肩にかつぎ上げた。


「な、何するんだ?」

「おまえのそのキモイ正義感とやらが本物かどうか試してやる」


 彼女はそう言うと僕を担いだままアリアナが倒れているやみの玉座の近くまで歩いていく。

 その辺りではすでに溶岩流の多くは冷えて固まっていたが、一部ではまだ残された溶岩が熱を放っていた。

 キーラはむちで縛り上げた僕の首根っこをつかむと、凝固し始めてシューシューと高熱の蒸気を吹き出している溶岩流の真上に僕の顔を突き出した。


 ううっ……あ、熱い。

 高熱の蒸気にあぶられて僕は息が出来ずに思わず顔を背けた。

 キーラはそんな僕の顔を無理やり溶岩流の近くへ押しやろうとする。

 う、うぷっ……苦しい。


「おい。どうだ下っ端兵士。苦しいだろ。馬鹿な奴だ。他人事にいちいち首を突っ込まなけりゃ、こんな苦しい目にあわずに済んだのによ。けど、これで気が変わったろ。アリアナのためにこの溶岩流に顔を突っ込む度胸はねえよなぁ?」


 そう言うとキーラは僕をいたぶるように、グツグツと煮え立つ溶岩流の間近に近づけさせる。


「言えっ! 自分が間違っていたと。他人のために体を張る勇気なんて自分にはないと。言ってみろ! アリアナを見捨てて自分は助かりたいと。自分は偽善者だったと。それが言えたらこの熱さと苦しさから逃れられるぞ。さあ言え!」


 キーラは僕の心をへし折って屈服させようとしている。

 苦しい。

 熱くて死ぬほど苦しい。

 逃げ出したい。

 新鮮な空気を吸いたい。

 冷たい水を飲みたい。

 つらくて逃げたくて涙が溢れ出てくる。

 そんな僕の耳にアリアナの叫び声が聞こえてきた。


「アル君! もういいから! 私のことはもういいから! あなたたち! アル君を放して! 私をクラスタに入れたいなら好きにすればいい。彼は関係ないでしょ!」


 アリアナの言葉に僕は必死に歯を食いしばった。

 こんな形でアリアナを不本意なクラスタ加入なんてさせたくない。

 もう耐えきれないほどつらかったけど、僕は逃げたくなかった。

 頭上からキーラの呆れたような声が聞こえてくる。


「へぇ。互いにかばい合うか。偽善もここまでくると超絶キモイな。おいアディソン」


 キーラの呼びかけにアディソンはうなづくと、縄で縛られて地面に横たわるアリアナの髪をつかんで無理やりその顔を上げさせた。


「アリアナ。こいつをよく見ろ。おまえが快くアタシらのクラスタに入らないからコイツは苦しい思いをするんだ」


 そう言うとキーラは左手で僕の首根っこをつかんだまま、右手で僕の首筋に手をかけた。

 な、何を……うぐっ!

 途端に強烈な圧迫感が気管を締め付け、僕は息が出来なくなる。

 キーラが僕の首を両手で締め上げているんだ。

 い、息が……出来ない。


「オラッ! この野郎が窒息するぞ! アリアナ! おまえの大事なお友達が苦しがってるぜぇ? ヒャッハッハ!」

「や、やめて! アル君を放して!」

「嫌だね。もっと苦しめ! ヘタレ野郎!」


 アリアナの悲痛な叫びにも構うことなく、キーラはさらに力を込めて僕の首を締め付ける。

 今の僕はライフゲージがないから窒息死することはない。

 でも耐え難い苦しさに気が……遠くなって……きた。


「おっと気絶するなよ。まだまだ苦しみ足りないだろ?」

「プハッ! ゴフッ! ハ、ハヒュウゥゥゥゥ……」 


 キーラは僕の体が力を失う寸前で右手を離した。

 途端に気管に入ってくる空気が僕の肺に吸い込まれていき、僕の頭と体が悲鳴を上げる。

 頭がクラクラして眩暈めまいに視界が揺れていた。

 僕が呼吸を取り戻したのを見るとキーラが再度、僕の首を締め付けようと手を伸ばしてきた。

 苦しさで頭がボーッとする中、僕の視界の中でアリアナが顔をクシャクシャにゆがめながら何かを叫んでいる。

 その顔は悲しそうで悔しそうで、アリアナがそんな顔をしているのを見た僕はハッとして咄嗟とっさに目の前に迫るキーラの右手の指に噛み付いた。


「フヌアッ!」

「イッ……イッテェェェェ! 何だこのクソ野郎! 放せっ! 放しやがれ!」


 キーラは怒りの声を上げて僕の頭を残った左の拳でゴンゴン殴りまくる。

 激しい衝撃に思わずキーラの指を口から放した僕は必死に声を上げた。


「アリアナ! 入りたくないクラスタなんて入らなくていいんだ! なりたい自分になれなきゃNPCになった意味ないだろ!」

「ア、アル君……」


 呆然とした顔でこちらを見つめるアリアナに僕は苦しみの中で出来る精一杯の笑顔を向けた。


「黙ってろカス! よくもアタシの指を薄汚ねえ口でしゃぶってくれたな。この変態野郎がぁ」


 キーラが怒りに声を震わせながら僕の首根っこをつかんで強引に僕を立たせる。


「おいアディソン! もうコイツやっちまっていいだろ! キモ過ぎるぜコイツら」


 これにアディソンも同意の声を重ねた。


「まったくです。気に入りませんね。その態度。誰かのために犠牲になるなどという薄ら寒い動機でワタクシたちの高貴なるクラスタに加入されるなど心外です。お姉さま。吐き気をもよおす茶番はもうオシマイにしましょう。その兵士を灼熱地獄に投げ込んでください。悲鳴を上げてもがき苦しむ兵士を見ながら、アリアナの加入の意思を再度確認するとしましょうか」

「あいよ」


 途端にキーラはむちを解いて僕の体を空中高くに放り投げた。

 僕が落下する先にはグツグツと煮えたぎる溶岩流が赤々とした光を放ちながら待ち受けている。

 僕は恐怖に体が凝り固まってしまった。

 一般NPCである僕にはライフゲージがなく、死ぬことはない。

 だけど痛みを感じる機能はあるんだ。

 高熱の溶岩流の上に落下したら……それ以上のことを考える前に僕の体は溶岩流に向かって落下していき、熱気に包まれていく。

 もう……ダメだ。

 

 その時だった。

 何かが空気を切り裂くような鋭い音が鳴り響く。

 洞窟どうくつの彼方から僕に向かって一直線に飛ぶそれは一本の剣だった。

 そして剣は僕の首のすぐ横をすり抜けると、兵服のえり首を貫き、そのままの勢いで僕は大きく飛ばされたんだ。

 息をつく間もなくその剣は洞窟どうくつの壁に突き立ち、僕を壁にはりつけにした。

 な、何だ?

 驚いて自分のえり首を貫いている剣に目をやろうとする僕の視界に、ウネウネとうごめく生き物が飛び込んでくる。


「う、うわっ! な、何?」


 よく見るとそれは白と黒のへびだった。

 僕は息を飲み、そのへびと剣をじっと見据えた。

 鈍く光る金色の刀身とその周囲を囲むようにうごめく白と黒のへび

 戦闘用というよりも祭事用のようなおもむきのその剣を僕はよく知っている。

 それは魔女ミランダの所持品にして、僕がこの世界で唯一装備できる剣だった。


「タ、タリオだ……」

 

 そうつぶやいた僕の耳に聞き慣れた少女の声が鳴り響く。


「私の洞窟どうくつを勝手にサウナにしてくれたのは、どこのどいつかしら?」


 やみの玉座に即時帰還モードの文字が表示され、玉座に腰をかける格好でその少女は現れた。

 僕は息を飲み、両目を見開いたままうめくような声を絞り出したんだ。


「ミ……ミランダ!」


 そう。

 このやみ洞窟どうくつの主にして恐ろしいやみの魔女・ミランダが帰還を果たしたんだ。

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