戦争と陰謀

桜宮輝仁

第0話 前史

この小説は実際の人物・団体とは関係ございません。



第一次世界大戦以降大東亜の解放を願い行動を重ねてきた日本はタイ王国との友好関係樹立や孫文氏の後を継いだ汪兆銘総統が率いる支那連邦と交渉を重ね満州の割譲や同盟関係の構築などを行なっていた。

大栄14年のナチス・ドイツによるポーラ ンド侵攻により第二次世界大戦が勃発。

フランクリンDローズヴェルト大統領が暗殺され後任にニュートラルWガーナー副大統領が大統領に就任しアメリカは孤立主義を強固に実行していった

大栄15年にはナチス・ドイツはソヴィエトとの不可侵を結ぶと東に憂いがなくなりフランスや欧州の諸国に侵攻し占領、大アーリア帝国の建国を宣言するに至った。

日本は大アーリア帝国との友好を深めアジアにある大アーリア帝国の植民地を割譲させ、フランスの植民地も交渉により手に入れた。

同時期ソヴィエトも領土拡大を行いモンゴルやバルト三国、フィンランドを影響下に置いた。

大栄16年までにアーリアはイタリアやスペインのファシズム政権と手を組み名実共に欧州全域を手に入れた。

年末には次は我らかと恐れたイギリス政府は「欧州全域の平和と安全の為の提案書」を作成し大アーリア帝国に外交官ルートで渡し、外交交渉による安全の確保を模索するも交渉決裂

大栄18年にイギリス、アメリカ、自由フランスの連合軍によるノルマンディー上陸作戦が決行されるも事前に察知していたドイツ軍により迎撃され計画は失敗に終わり自由フランスのシャルル・ド・ゴール代表は自決しチャーチル首相は退任の危機にさらされた。

翌年には核爆弾の投下をはじめとしたイギリス本土空襲を行い、その後ゼーレヴェ作戦の決行によりイギリス本土すらも大アーリア帝国は手中に収めた。

イギリスの植民地であったインドは友好国である日本に統治権委託された。

1944年末ようやく事の重大さに気づいた米ソは対アーリア戦争を行う為に国家元首レベルの会談を挙行しワシントン会談を行った。

その同時期に日本はソヴィエトとの不可侵の延長や友好関係の構築など外交交渉を行い阿蔵太朗外務大臣の気さくな外交術によりソヴィエトとの交渉は成功、アメリカに対してもフィリピンの割譲を含んだ不戦条約を締結し日本は完全な守りの体制へと入り12月末に大東亜戦争の終結を宣言した。

1945年6月イギリス本土とイベリア半島へのアメリカ軍の強襲上陸やソヴィエトの侵攻により2面制圧を行い大アーリア帝国を圧倒するもモスクワへの核爆弾の投下が行われソヴィエト政府の首都移転や指揮系統の乱れを起こし、ソヴィエト軍を後退させた。

大アーリア帝国はこれをチャンスとみて9月末にソヴィエトへのさらなる進軍を決意しモスクワやスターリングラードの占領に成功したもののウラル山脈を前に大寒波による冬将軍が到来しドイツは足止めを食らってしまった。

1946年1月にはアメリカ軍によりロンドン奪還が行われイギリスが主権回復するなど大アーリア帝国を後ろから順調に攻め込んだ。

しかし46年2月末には試作型核弾頭搭載型ロケット式輸送機(核ミサイル)の発射・着弾によりアメリカの首都ワシントンが崩壊しアメリカとソヴィエトの両国は正当な首都が壊滅という最悪の結果に

大栄21年5月には米独ソの首脳によるベルリン会談が行われ第二次世界大戦は終結した。

アメリカとソヴィエトは戦費や損失の多さから日本への侵攻は行わずに名実ともに第二次世界大戦の終結した。その後国際連合が創設されアメリカ・ソヴィエト・アーリア・日本が常任理事国となった。

その後の世界は自由資本主義のアメリカ陣営と共産社会主義のソヴィエト陣営、選民主義のアーリア陣営と尊皇民族自決の日本陣営の4陣営による冷戦となった。

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