第4話 ③

 陽が落ちてきた。

『ムサシ』は街の一角にある公園の真ん中で、独り佇んでいた。

 かつては滑り台があって、ブランコがあって、鉄棒があったその公園。放課後はいつも野球少年たちに占拠されるように、それなりの広さを持つグラウンド。楽しさの残像がこびり付いているのか、それらの光景が容易に想像できる。

 ――――しかし、今の公園にその面影はまるでなかった。まるで台風が過ぎ去った後のよう。木々は倒れ、グラウンドは抉れ、何よりムッとするほどの濃厚な血の匂いが漂っていた。

 それらは疑いようもなく戦闘の痕だった。虐殺のそれ、と言うべきか。『ムサシ』には傷一つ付いておらず、地面には人間のパーツが至る所に転がっている。誰しも嫌悪するであろう光景を前にして、男は無表情を貫いていた。

(かなりこの器にも慣れてきたな)

 惨殺された死体の山は、全て『L.A.W』お抱えの言霊師たちだ。柳生武蔵を知っている者からは「目を覚ませ」「戻ってこい」などと声が飛んでいたが、そんなものは直後に悲鳴へと変わっていた。

 そして皮肉なことに、その実戦経験が意識と肉体の誤差を埋めてしまう結果となってしまった。

 男が待機しているのは、【一刀両断】の力を少しでも溜めるためだ。事前に予告したタイムリミットまで、残り三時間程度しかない。本来なら担当の【十二使徒】が事前に霊力を温存した状態で現地へと向かうのだが、【兵隊王】が倒れ急遽男が抜擢されたので一から溜め直しているのだ。無駄遣いはできない。

(私の【百発百中】と合うように宛がわれたこの器……、確かに単なる人間のポテンシャルではない。未だ発展途上の身体能力、齢二十歳にして老練なる技巧。もしもこの器があと十年成熟していれば――――【言霊王】でさえ危うかったかもしれない)

 ふ、と笑みがこみ上げてくる。

【言霊王】は【十二使徒】においても圧倒的な強さを誇る。もはや強弱の概念を飛び越えて、理不尽とさえ言えよう。【不可抗力】――――人間では決して抗えぬ力。そしてそれは人間の器に憑依した【十二使徒】でさえ例外ではない。

 いかに人間離れした霊力を保有していたとしても、結局のところトリガーを引くのは人間である。【不可抗力】は人間の手が介在した干渉を須らく通さない。攻撃を通すには【言霊王】の防御層を上回る莫大な霊力量をぶつけるしかないが、【言霊王】の総量は他の【十二使徒】を大幅に超えている。

(――――だが、【真実斬り】の技術を物にできれば、あるいは【不可抗力】の壁も突破できるかもしれない)

 柳生武蔵の斬りたいものを斬り、斬らなくていいものをすり抜ける剣技。あれさえ習得できれば防御層の内側へ剣を透過させることも可能かもしれない。可能性はある。なにせ【言霊王】が早期に彼を倒したのも、成長されては自分が負ける恐れがあるからなのだ。

(あの男がいる限り、人類掃討は確定事項。ならば私が目を向けるべきはその先……新人類として地球を統べる立場を強固にすることだ)

 上下関係のない【十二使徒】内で、それでも現状地球(はは)に代わり統括しているのは【言霊王】である。あの血気盛んな【獅子王】ですら、自己より強い【言霊王】に従っている。全人類を絶滅させて、一から文明を築く際に発言権を持つのも恐らくは【言霊王】だろう。

 だからこそ、人類掃討の過程の中で奴に対抗できうるだけの力を手に入れておきたいのだ。その鍵となる力こそ、柳生武蔵の【真実斬り】である。

 真髄と言うべき技巧は、そう易々と習得できるはずがない。感覚的な要素が多いので、記憶をサルベージして何とか体験だけを引っ張り上げている最中である。

「む……?」

 微かに空気が震えたのを感知した『ムサシ』。耳を澄ませばドドド、と太鼓を打ち鳴らすような騒音が近付いてきているのが分かった。どうやら軍用ヘリ特有の風切り音のようだ。それも一機どころではなく十機以上の。

 加えて足音はしなくても公園を囲むようにして百人以上の気配を察知する。一般人のものではない、明らかに訓練された動き。タイミングを窺っているのか、攻勢を仕掛けてくる様子はまだない。

 軍用兵器と多くの兵士たち。準備を整え、殺すための手筈も用意しているはずだ。通常なら絶体絶命の窮地であっても、男の笑みは深くなるばかりである。

「我が刀に自ら血を吸わせに来てくれるとは、日本人も気が利いている。これがおもてないの心というものかね? 勉強になったよ」

【十二使徒】は抜刀し、天高く吼えるように宣言した。

「我が神名、【修羅王(しゅらおう)】! 地球より賜りし言霊、【百発百中】! 骸なりし言霊、【一刀両断】! 我らが言霊を前にして、何人たりとも逃れること能わず――――ッ!」

 直後、数多の銃声が鳴り響いた。

【羅刹王】が刀を振るう度、悲鳴が木霊していく。



          *



「――――……ほら、いい加減起きなさい」

 ぺシペシと頬を叩かれて、護国寺は目を覚ます。綴町の表情が視界の大半を占めていた。

 反射的に伸びをしようと腕を動かそうとしたところで、左腕に鈍い痛みが走った。怪我をしたままだったことを思い出す。結果的にそれが気付け薬になったが。

 彼が具合を確かめる風に肩を回していると、綴町が若干呆れたような顔をして言う。

「……緊張感足りてないんじゃない? 映画館行くんじゃないんだから。あと頬に畳痕付いてる」

「マジか」

 触ってみると確かに凹凸の痕ができている気がした。ちょっと恥ずかしい。

 動かしづらいが、左腕は何とか使い物になりそうなほどには回復していた。無論全快ではないから、多少動きに制限はかかるだろうけれど。

 時計を探すもどうやらこの奥座敷には時計はないらしく、綴町に訊いて確認すると九時半過ぎとのことだった。窓から見える景色は黒く塗り潰され、街灯も疎らだった。

「今日が終わるまで残り二時間半……。それさえ凌げば、今回はあんたたちの勝ちよ。柳生武蔵は恐らくギリギリに【一刀両断】を放つでしょうから、タイムリミットもだいたい同じくらいね」

「だったら早く向かわないと」

「待ちなさい。あんたの覚悟は知ったけど、勝算はあるのかしら? さすがにないというのなら、無理矢理でも拘束させてもらう」

 そう問われて、護国寺は沈黙してしまう。正直勝算と言えるようなものは用意できなかった。攻守ともに隙がないのだ、まず護国寺が敗北する戦いであるのは明確である。

「……勝てるとまでは言えないけど、【百発百中】に対してはいくつか打開策は思い付いてある。上手くいくかどうかは実際に戦ってみないと分からん。問題は【一刀両断】だな、あれをどう対処すればいいのか…………」

【一刀両断】がある限り、防御の際にどうしてもそれがチラついてしまうのだ。たかが霊力で厚くした程度の防御ではあっさりと破られるだろう。

 それを危惧していると、綴町はケロッとした顔で告げた。

「ああ、【一刀両断】についてはあまり考えなくていいわよ? そこまで大判振る舞いしてこないでしょうから」

「…………何で?」

「日本全土を滅ぼすには【一刀両断】の力を前もってかなり溜めとかないといけないから、いちいち戦ってる時に開放してられないのよ。代わりに必中の方は遠慮なしに使ってくるでしょうね」

 そう言えば【兵隊王】も似たようなことを言っていたな、とフラッシュバックする。あの男が最初から全力を出せなかったのも、【千軍万馬】の力を温存していたからだと。

 つまり『ムサシ』も【一刀両断】を乱用はできない。当然少しは使ってくるだろうが、そこまで強力なものを振るってはこない。

 護国寺はゆっくり立ち上がって、今度は固まった身体をほぐすためにストレッチを始めた。彼はアキレス腱を伸ばしながら、

「だとすればかなり楽になったな。【百発百中】よりもそっちの方が余程厄介だった」

「楽観的ねえ。その自信はどこから湧いてくるのやら」

「自信とか、そういうんじゃなくてだな。ただ……――――」

 言葉をもにょもにょと濁す。綴町は何だって? と聞き直してきたが、護国寺は軌道修正を図る。

「それより綴町の方はどうすんだ? ていうか、手伝ってくれないの?」

「あんたさあ、話訊いてました? 【十二使徒】同士は戦えないの。私が嗣郎に加勢すると誓約破りは私に降りかかるから、結果としてかなり弱体化しちゃうだろうし」

「訊いてみただけだよ」

 彼女がいれば相当な戦力アップに繋がっただろうが、戦えないものは仕方ない。第一彼女が『ムサシ』と戦えるのなら、護国寺は完全に要らない子扱いになってしまう。

 それに、と綴町は苦い顔をして続けた。

「……手伝いたくても手伝えないわ。私にはきっと【十二使徒】からの追手が来る。確実に【否定姫(わたし)】に勝てる相手となると――――【言霊王】くらいしかいない」

「あいつが……。けど、【一期一会】ってのは相手の記憶から自分を消すんだろ? だったら裏切ったことさえ忘れてるんじゃないか?」

「それがそうもいかないのよ。【否定姫】のことは本能レベルで刷り込まれてるから、いくら記憶が消えても意味ないのよ。『【否定姫】? どんな奴だか忘れたけど裏切ってたよな』くらいは覚えていられるわ」

「……一応聞くけど、死ぬつもりじゃないよな?」

 心配になった。綴町の顔が諦めている風に見えたから。【言霊王】と実際に戦ったことのない護国寺でも、アレが怪物だということは容易に見当が付いた。そんな相手に追われて、彼女はもう半ば死ぬつもりなのではないかと。

 すると彼女はコツン、と護国寺の額を小突いて、

「そんなわけないでしょ。勝てないまでも、タイムリミットまで粘ってみせるわよ。そうでなきゃ裏切ってまであんたの味方になった意味がないもの。あんたに迷惑がかからない位置で適当に相手しておくわ」

「…………そう、か。ならよかった」

 ストレッチを終えて、深呼吸をした。綴町もそれに倣って深呼吸する。互いに緊張しているということが手に取るように分かる。格上に挑むのだ、いつも以上に気を落ち着かせなければならない。

 ただ不思議と恐怖心、あるいは絶望に駆られるようなことはなかった。覚悟ができているというだけでなく、もっとこう――――

「――――さて、行こうか」

 ええ、と彼女が頷く。外に出ると、肌寒い風が吹きこんできた。夜空には高みの見物をしているかのように満月が浮かんでいた。

 今『ムサシ』がどこにいるのか、すぐに分かった。闇が支配している街の中で、ある一転だけに火の手が上がっていたからである。戦闘の痕跡なのは間違いない。

 そこを見据えていると、ツンと肩を指先で突かれた。綴町の方を見やるが、暗がりで表情までは読み取れなかった。

「ねえ、どうしてあんたは人助けなんて始めようと思ったわけ?」

 ピク、と少年の肩が震える。

「だってそうじゃない。散々気味が悪い、呪われていると遠ざけられて、いざその力が役立つと思ったら掌返し。それが人間の本性よ、救う価値なんてあるかどうかも分からない、醜い生き物」

 歯に衣着せぬ物言いに対し、護国寺はコツンと握り拳を額に押し当てる素振りを見せる。それは何かを振り返ろうとしているようであった。

「俺はただ……誰かにとって相応しい自分であろうと思っているだけだ」

「相応しい……?」

「両親が誇れる自分、ムサシさんが頼れる自分。そして――――綴町が負い目を感じない自分。まだ、全然達成できていないけれど」

 っ、と彼女は息を呑んだ。

結局はそれだけのお話だった。救う価値があるのかどうかなんて、少年に判別できるはずもない。つまるところ自分のためなのだ。誰かのため、なんて美化するための単語に過ぎない。

 しばらく綴町は黙っていたが、やがてこちらへ手を差し伸べてきた。

「――――お互い、生きてまた会いましょう?」

 こうして誰かと手を繋ぐのはいつぶりだろうか。護国寺は過去を遡りながらガシ、とその手に応じた。

「ああ。その時はまた、こうして握手でもしよう」

「うん。てか、ホントに生還してよ? じゃないと私も死ぬから」

「愛が重いよ……」

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