第2話 ⑤
――――いったいどうしてこうなった。
護国寺が勧誘を受けてから三日が経った。その間特にこれといった指令や研修を受けたわけでなく、ただ漠然と日々を過ごしていただけである。学校へ行き、放課後は日課の筋トレに励んだ。いざという時に誰かの力になれるよう、備えていてよかったと実感する。
そして今日、連絡先を交換し合ったムサシから、「今日支部に来れるか?」という旨のメッセージを受け取り、彼は帰宅するその足で『L.A.W』日本支部へと向かった。
聞くところによると、入谷昴は昨日帰国したもののまたどこかへ出かけて行ったらしく、会うことはできなかった。その代わりにムサシに案内されたのは、建物地下にあるトレーニング施設であった。充実した設備に加え、壁を隔てた先の部屋は道場のような実践場となっている。つまり模擬戦のようなことができるのだ。
今日ムサシが護国寺を呼んだのは、どうやらここで互いに手合せをしてみないかということらしかった。先日自身の言霊について紹介したものの、実際に身を以て知っておいた方がいいだろう、とのことだ。
まあいいでしょう、とこれに護国寺は頷いた。ムサシの力量を知りたかったという思惑と、何より彼自身の言霊がどの程度のものなのか、正確に測ってみたかったのである。というのも護国寺は人間相手に能力を振るったことがなく、自分でもどの程度戦えるかどうか、頭の中でしかシミュレーションを行ったことがない。車の操作は覚えているが、実際どの程度のエンジンを備えているのか試してみたい、というわけだ。
その手合せが始まって、既に一刻。四度決着がつき。現在の仕合は五本目となる。
――――端的に結果だけを述べるなら、四本全取しているのは柳生武蔵だった。
「うおっ!?」
竹刀が護国寺の頬を掠めた。気圧され、たたらを踏み、思った以上に後ずさる。
突きを放ったムサシは、しかし竹刀をもう既に手元まで戻している。打ち終わりにもまるで無駄がない。即座に迎撃を取れる体勢になっていた以上、仮に踏み込んでいたとしても返り討ちであっただろう。
(強い……っ!)
今日で何度目の感嘆になるか。それほどまでにムサシの剣技は圧倒的だった。
手の内を見せ合うという名目上、当然言霊の使用は認められている。無論加減はしているが、護国寺はその一端を存分に披露している。
対してムサシは、剣術に関しては全力を見せている。その太刀筋は魂すら込めたかのような苛烈な一閃――かと思えば、芸術的なまでの精緻かつ高速の剣技が舞う。見世物としてではなく、『敵を屠る』ためとしての刀が容赦なく護国寺に降り注ぐ。
けれど、肝心の言霊に関してムサシは切れ端さえも見せていない。――――つまりはそういうこと。護国寺は今、一般人と何ら変わりない剣士によって圧倒されているのだ。
(それでもただ負けてきたわけじゃない。慣れていなかった刀の間合いもおおよそ掴めている。いや、真剣なら今頃死んでいるよね的なツッコミはなしで。竹刀とか剣道部じゃないんだから、そうそうそれと対峙したりしないでしょう)
これまで防戦一方だった護国寺が、初めて自ら前へと飛び出した。迎撃の刀を躱し、何とかムサシの懐へと侵入する。即座に拳を打ち込むが、その瞬間には武士の姿はない。流麗な動きで一歩横へ移動し、護国寺の側面へと回っていた。
ゾク、と急激な悪寒が走る。彼は慌てて拳を戻し、なりふり構わず後退した。直後、彼の現前を凄まじい速さの竹刀が通過した。ホッと安堵――する暇もなく、ムサシの刀は追尾するかのように、一直線に護国寺の後を追う。
すんでのところでその間合いから脱した護国寺。一連の動きが目に焼き付いている。振り下ろしてきた、と確認した次の瞬間にはムサシは左手に竹刀を持ち変え、下段から首を撥ね飛ばさんとしてきていた。背筋が凍るほどの精度。常に必殺となり得る首を狙う、武芸者としての力量。
一年や二年の研鑽ではない。途方もないほどの――否、たとえ一生を費やしたとしても到達できるか分からない域に、ムサシの刀は脚を踏み入れていた。
(全力で能力行使したら危ない、なんて考えていられる相手じゃないな、これは。文字通り全力で当たったとしても勝ち目が見えないレベルの熟練者だ。ならば一層、全力をぶつけずにはいられないな)
護国寺は己が言霊を発現させることで、拳に炎を宿した。無論自分に害は及ぼさない。筋力を引き上げているため、突破力は通常の比ではない。
ムサシはそれを見ても力まず、あくまで自然体のまま迎え撃つ姿勢を示す。
重心を低く落とす。護国寺は突撃の準備を整え、そっと掌を後方へと向ける。――ゴオッ!! と爆発的な炎の噴射により、一時的に強力な推進力を得る護国寺。約五メートルあった距離をたちまちゼロにして、一心不乱に拳をムサシ目掛けて打ち出す。
右、左、左、右、左――――嵐のような連打を、ムサシはその悉くを竹刀で撃ち落とす。膨大な手数が交わされる中、男は顔色一つ変えていないのが見えた。
ならば、と護国寺はあえて一つ大振りな攻撃を繰り出す。それを見極めたムサシは正確に手の甲を叩くことで防ぎ、返す刀で狙うは少年の首。銀色の軌跡は正確無比に首筋を断つルートをなぞる。
それこそが少年の狙い目。常に一撃必殺を心掛けるムサシの刀は、隙を見つけたのなら間違いなく首を斬り落とそうとしてくる。分かっているのなら、回避することも容易くなる。それが意図的に誘ったものならば尚更。
彼は全身を深く沈みこませてその一閃を躱す。低い体勢のまま、護国寺は左拳を振り上げた。いくら防御の堅いムサシであろうと、振り終わりの隙を狙えば――――!
パシ、と軽い音が鳴った。それは竹刀が少年の左手首を弾いた音だった。その一撃は本来通るはずだった軌道を強制的に逸らされ、ムサシの真横を通り過ぎた。
(馬鹿な――――――――っ!?)
空振りに終わったはずの刀が、いつの間にか戻ってきていたのだ。それが正確に護国寺の左腕を弾いた、それだけの話である。事実として見るなら簡単だが、当事者の彼にとっては眼を疑う結果であった。ムサシとは生きる時間軸が違うのではないか、と錯覚するほどに。
渾身の一撃を空かした彼の身体は、修正不可能なほど流れてしまっている。全身がピンと伸び天井を目指している。その間にムサシは余裕を持って一歩後退し、最適な間合いから竹刀を振り下ろした。
ぱあん! と、乾いた音が道場に響き渡った。
「いてて……」
護国寺はたんこぶのできた辺りの位置を擦っていた。見事なまでの腫れ具合だ。氷袋を患部に押し当てている
ははは、とムサシは困ったように頭を掻いて、
「すまんすまん、思ったより手強かったもので、つい加減を忘れてしまった」
「手強い? 俺がですか?」
完敗だと自分では思っているので、彼の言葉は単なる世辞にしか聞こえない。
「実際どのくらい戦えるのか、そもそも嗣郎の言霊は戦闘向きなのかさえ分かっていなかったから、それなり以上に戦えるみたいで助かる。事前に口頭で説明してもらったとはいえな」
そう言えば、とずっと気になっていたことを、話の流れに合わせて護国寺は問いただすことにした。
「何で俺が言霊師だって分かったんですか? 俺は日常生活で使ったことはほとんどありませんよ?」
「ああ、それに関して説明が足りていなかったな。三日前に学校全体で健康診断を受けただろう? あの最後のカウンセリングを行った部屋に、監視カメラがあったことには気付いていたか?」
「ありましたねぇ……。ちょっと不審に思ってたんですよ、あの担当医の態度がぎこちなかったんで」
診察室にカメラがあることは不自然ではない。あの密室で患者とトラブルがあった際の対処方法として理解できる。しかしあの担当医は誤魔化そうという意思が強すぎたせいで違和感が生じていたのだ。
「あの監視カメラ、実は一般のものとは違っている。言霊師かそうでないかを見抜く機能が追加されているんだ。原理は……いまいち分からん。科学班にでも聞いてみてくれ」
「やめておきます。専門家の話はまるで付いていけないそうにないから」
「懸命だ」
うんうん、と深く頷くムサシ。彼も一度は聞いてみたことがあって、理解できずに終わったことがあるのだろう。
無垢床材を使用した床はひんやりとして気持ちがいい。きっと多くの言霊師たちがここで実践の腕を磨いていたのだろう。でも今となっては静けさだけが残り、その様子を目に焼き付けることができずに少し残念に思った。
「ムサシさんは言霊なしでも強いですよね。完膚なきまでにやられました」
「手抜きをしたつもりはないぞ。俺の言霊はそう無暗に振るってはまずい代物でな。人に対して初めて使ったのは【静謐姫】が相手のときだった」
【静謐姫】――以前入谷が自慢げに語っていた、ヨーロッパでムサシが打ち倒した【十二使徒】の一角のことだ。聞く限りだと、恐らくムサシは【十二使徒】の実力を肌で知る数少ない生き証人のようである。
当然、そんな貴重な体験をしたのだから、聞いてみたくなるのが人の性だ。特に今後自分が相手取る可能性のある敵なのだから。
「【静謐姫】は……どんな言霊を使ってきていたんですか?」
そう尋ねると、ムサシは視線を宙に彷徨わせながら、反芻するように語り始める。
「そうさなあ……。【十二使徒】は、会いまみえる時は必ず名乗りを上げる。名前と、己の言霊だ。そういう決まりが向こうさんであるらしい。それを信じると、【静謐姫】の言霊は【絶対零度】――平たく言えば氷結能力とでも言うべきか」
――――言霊師の有する能力の由来は、全て四字熟語から引用される。たとえば【一騎当千】なら文字通り千人力の力量を手に入れることができる。護国寺やムサシの言霊ももちろん四字熟語から来ている。
ムサシはなおも続ける。
「知っての通り、ヨーロッパは絶対零度の世界となった。その主犯が【静謐姫】だ。何日か力を溜めて、予告当日に解放させる。もちろんそんな荒業が可能なのは【十二使徒】だけだろう。奴らは言霊の出力が俺たちとは段違いだ。こちらが一とすると、相手は一〇〇……いや二百以上の出力だ」
「そんな相手に勝ったんですか? それも、極寒の地で」
「気候に関しては科学班お墨付きの特製スーツがあったし、言霊に対する耐性もあった。まあ凍傷がひどかったのは事実だが……、実力に関しては、一〇〇回やれば一〇〇回負けるほど差があった」
「それ勝てないってことですよね?」
「だから一〇一回目を作り出すほか、勝ち目はなかった。全問正解しても失格になりかねん理不尽を前に、できることは限られていたよ」
彼ほどの手練れであっても苦戦するとなると、単純に考えて護国寺に勝ち目はないということだ。多分一〇〇〇〇回挑んでも勝てやしないだろう。
そんな強大すぎる敵を前に、本当に自分が役に立つのか――――最近はそればかり頭を過ぎる。排除しても排除しても無限ポップしてくる、厄介な敵だ。
少し気落ちしていると、胡坐をかいていたムサシが立ち上がり、
「ともあれ、予告まであと四日。今回の指名はここ日本……、だからと言ってこれまで以上に頑張る、なんてことはないが、それでも母国を潰されるのは不愉快だ。俺たち言霊師が護国の盾となり剣となろう」
言って、彼は握手を求めてきた。
護国寺も彼を見習ってビシッと背筋を伸ばし、ゴシゴシと手を衣服の裾で拭ってからそれに応じた。
「はい。存分に扱き使ってやってください。最大限それに応えられるよう努力します」
「うん、いい返事だ。ミッションは間もなく通知されるだろうから、メールのチェックだけは怠らないでくれ。といっても、まだ新参者の君にそう困難なミッションが来るとは思えないから、そう身構えなくていい」
はい、と返事をして、一足先に道場から立ち去ろうとする護国寺。折角なので隣にあるトレーニングルームを使用してみようと考えているのだ。自重トレ中心だった彼にとって、器具を用いての筋トレは小さな夢の一つである。
若干弾む足取りに、ムサシは不意に待ったを掛けてきた。
「ああ、嗣郎。ところで引越しの件、考えてくれたか?」
「あー……」
先日ムサシから『部屋が余っているから寮で暮らさないか』との打診があったのである。家賃もかからず、食費も出るという優遇っぷり。おまけに支部に滞在できるのだから移動時間も削れる。今の自宅からでは三十分以上掛けていて、何かと不便を覚えることがあった。かく言うムサシは寮生活を始めて一年以上になるらしい。
悩む護国寺に対し、ムサシは気遣う声音で言った。
「確か嗣郎は一人暮らしだったろう? 何かと不便もあるんじゃないか。君の通う高校も、ここからならそう通学時間は変わらないはずだ」
「……確かにそうですね」
両親がいなくなって、彼は一軒家にずっと一人で過ごしてきた。ローンの完済は為されているので、自分の生活費だけを何とか稼いで生きてきた。中学生の時は年齢を偽ってバイトしていて、高校生となった今はほぼ毎日のようにバイトに入っている。だが『L.A.W』に正式入隊した彼には組織から給料が出るため、そのバイトも辞めてしまったが。
――――ずっと寂しいと思って過ごしてきた。
あの家には悲しい思い出がたくさんあって、楽しい思い出はとうに色褪せてしまっていて。しがみ付く理由が見当たらないのは、自分の胸に問いかけても間違いないと断言できる。
理解できている。――理性では、理解できているのだ。
「ありがたい申し出ですが――――やめておきます」
今護国寺には、自分がいったいどんな表情をしているか、皆目見当が付かなかった。そしてムサシがそれを見て、何を感じ取ったかも当然。ただ事実として、ムサシはその理由を聞いたりはしなかった。
ただ一言、そうかと頷いて、
「無粋な真似だったな。住めば都と言うが、その都から退去するよう勧めるとは配慮が足りていなかった。……許せ」
「――いえ、こちらこそ。せっかくの誘いを無下にしてすいません」
スライド式の扉に手を掛ける。今度こそ呼び止められることはなかった。
外に出る。久しぶりに浴びたような気がする日光は、抗いようがないほどに眩しかった。
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