第2話 言霊師? 知らない単語ですね……

「まさかこんなに若くして精密検査を受けることになるなんてなぁ」

 大病院のロビーにてポツリと独り言を漏らした少年――護国寺嗣郎(ごこくじしろう)はひどく退屈そうに足を伸ばしていた。特にこれと言って特筆すべき点のない、平凡な少年である。髪を染め損なった金髪のヤンキーに見えるわけでも、異世界転生するようなクソニートではなくごくごく普通の学生だ。俳優を参考にした風な髪型に一七〇中盤の身長、体型に気を使っているのかそれなりには身体を鍛えている形跡が見られる。

 平日の昼間だというのにその地元の大学病院は同じ学生服の生徒で溢れ返っていた。当人たちはちょっとした遠足のようなはしゃぎようで、度々引率の教師からお叱りを受けていた。その喧騒の輪から少し離れた椅子に護国寺は座っている。

 本来なら一般の高校生は授業中なのだが、今日は全校生徒で健康診断をより大仰にしたような検査を受けに訪れたのである。これは前もって決められていた行事などではなく、わりと突発的に組み込まれたらしい。学校に一人はいる噂話好きの女子から流布された情報で、基本的にボッチ生活を営んでいる彼の耳に届いた。

 検査といっても全身をくまなくスキャンされたり得体の知れない液体を飲んだりはしていない。身長体重、尿検査、そしてレントゲンを撮られたくらいだ。そのためにわざわざこの病院を押さえる必要性があったのか、疑問に感じるところである。

 護国寺は今、一連の健康診断の最後の項目である『カウンセリング』の順番待ちをしている最中だ。三年生から順に行われているから、二年生で五十音的に早めの彼の前には誰もおらず、次に呼ばれるのは必然的に護国寺の名前ということになる。

「護国寺さん、三番診察室へどうぞ――――」

 と考えているうちに、扉代わりのカーテンから半身を覗かせて看護師がそう告げた。やっとか、と立ち上がり伸びをして、彼は心持ち急ぎ足で診察室へと入っていく。

 入ると真っ先に五十代くらいの医師の姿が目に入った。その恰幅の良い男は、ニコニコと相手に警戒心を与えないように微笑んでいる。壁際には診察用のベッドが置かれていて、デスクの上は少し散らかっている。ちら、とカルテのようなものも見えた。

「どうぞ、護国寺くん。お座りください」

「あ、はい」

 キョロキョロとしていた護国寺は、少し気恥ずかしそうに回転椅子に腰かけた。どうにも医師を前にすると緊張してしまうのは、幼少期での注射の恐怖が関係しているはずだ。「泣いても良いよ」と言われると、余計に泣きづらく思ってしまうのは果たして少数派なのか。

「私はカウンセラーの不渡(ふわたり)、なあに少し簡単な質問をするだけだから、そう固くなることはないよ。むしろ自然体でいてくれた方が都合が良い」

 とはいえ、まだ肩の力の抜けない護国寺。医師は困ったように笑った。

「まあ話しているうちに気も楽になるだろう……。さてさっきも言ったが、そう小難しいことを聞くつもりはない。それにカウンセリングと言っても君自身に心理的問題がない限り、私の仕事もないからね」

「はあ、なるほど」

「まずは護国寺くん、学校生活で何か困っていることはないかね?」

 そう言われても突発的に思い出すような内容はない。ただ「特にありません」では味気ないし、不渡にも申し訳なく感じてしまう。なので、彼は適当に思いついたことを口にした。

「強いて言うなら、再来年の受験のことですかね。自分としては進学したいんですけど、今から不安になっちゃって」

「分かる分かる。私も受験生のときはよくお腹の具合を悪くしてたよ。受験当日なんて胃薬が手放せなかった」

 いくつか言葉を交わしていくうちに、護国寺はいつの間にやら自然体になっていた。話術というのか、プロってすごい。護国寺の提示する問題も大したことがないので、半ば雑談と化している。

 僅かに会話が途切れた隙に、不渡は一度腕時計に目をやった。護国寺も壁時計を見やると、入室して十分が経過していた。

「すまないが、今日はこれまでだね。楽しい時間だったよ、ありがとう」

「いえ、こちらこそ」

 後ろに何人もの生徒が控えているのだから、時間で区切るのは当然のことだ。護国寺はそれに従い、立ち上がり踵を返す。

 その瞬間、チラリとだが彼から見て左上隅に黒い物体が目に入った。気になって注視してみると、それは監視カメラだった。

「ああ、それは元から付いているんだ。病院側から付けろと言われてね」

 彼の視線移動に気付いたのか、不渡はフォローを入れるように先手を打った。診察室で暴れる患者がいた場合などの処置のためだろう、と脳内で理由付けをするが、何故だか少し言い訳臭く聞こえてしまった。

 一礼し診察室を後にして元いたロビーまで戻ると、真っ先にテレビで流れているニュースキャスターの声が耳に飛び込んできた。

『“オーストラリア一帯が滅亡した事件で、世界情勢は非常に不安定になっていました。”その爪痕は今なお、現在に残り続けています――――』

 ――――ほんの半年前、全世界が震撼した。たった今キャスターが読み上げた通り、オーストラリア、ニュージーランドなどがほぼ同時に滅んだのである。核兵器の雨が降り注いだわけでなく、一夜にして海の底に沈んでしまったのだ。

 原因は類を見ないほどの大地震。マグニチュードは計測不可を叩き出し、地震はオセアニア大陸そのものを“割った”。自慢の超高層ビルは根元から折れ、そうでない建物も等しく崩壊した。当然現地の人々は助からず、救助に向かったものの生存者はほとんどゼロだったと聞く。

 さらに今から遡って約一年前にはヨーロッパ諸国が滅びた。これに関しては原因は地震ではなく、急激な気温低下によるものだ。夏から冬へ、なんてチャチなレベルではなく、一気にマイナス二五〇度以下にまで引き下げられたのである。

 絶対零度――――それが何の前触れもなくヨーロッパを襲った。人間が凍り付いてしまう大地となったそこは、まさしく『死の土地』として恐れられている。いずれの自然現象についても根本要因は明らかになっていない。仮説は山のようにあるが、そもそも科学で説明できる領域なのかすら怪しいところだ。

 当然それは世界中に大打撃を与えた。世界市場は混乱し、得体の知れない宗教団体が乱立した。オーストラリアが滅びてからは、より一層気狂いの信者が暴れまわっているらしい。平和な国であったはずの日本でもしばしばテロのような事件が起こっている。

『……貧富の差は拡大する一方で、それに伴い凶悪な事件は増加しています。日本政府にも一刻も早い対応が求められ――――』

 護国寺はそこで意図的にニュースから意識を逸らした。難しい話の上に、聞いていてまったく楽しくない話だからだ。見よ、ロビー内の雰囲気もいくらか淀んでしまっている。

 ソファーに座り、彼は静かに目を伏せた。罪のない人々がどうか死後の世界では安らかに過ごせるよう、黙祷を捧げながら。

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