10-2. 王妃様の光

 カシェルは王妃様に向き直ると、小さく頷いた。


「私は子供の頃、ルーン湖のほとりにあるルンベルクという小さな町に住んで居ました。お父さんとお母さんと、弟の4人で暮らしていました。でもある日、私と弟の前に星族が現れて……」

「まさか――!」


 王妃様は吃驚し、カシェルの話を遮る。その翠色の瞳をカシェルに向けたまま、椅子からするりと立ち上がるとカシェルの席へと近づいていく。


「お父さんは……お父さんの名は?」

「アルフレドです。アルフレド=ヴァーレと……」

「――違う。もうひとつの名前よ」

「……シェム。お父さんの昔の名前はシェムです」


 王妃様はカシェルの頬にそっと触れてから少し屈んで、カシェルの顔をじっと見つめる。


「シェム……面影がある。そんな……なんてこと。あなたがシェムの娘、シェンナなのね」

「はい。私の名前は、シェンナ=ヴァーレです」

「だから……だから、この国に居ればよかったのに――!」


 王妃様は突然、その場で泣き崩れた。ディーンがさっと席を立ち、王妃様の横にまわりこみ、肩を抱く。


 カシェルは王妃様が話すことを理解しているようだったけれど、オレには何の話なのか、さっぱりわからない。


「ごめんなさい……シェンナ。わたくしは、シェムを守れなかった……!」

「……王妃様の所為ではありません」


 カシェルは表情を曇らせて、視線を落とした。しばらく、王妃様は涙を流していた。オレはどうすることも出来ず、じっとその様子を見つめていた。


 王妃様は少し落ち着きを取り戻すと、ディーンに連れられて席に戻った。


「ごめんなさい、取り乱してしまって……。まさか、ディーンがシェムの子を連れてきてくれるなんて思わなかったわ」

「母さん、私も知りませんでした。カシェルからルーン湖という言葉を聞いて、何かわかるかと思い……」


 王妃様はディーンに微笑んで、頷いた。少し泣き腫らした眼が、カシェルと重なる。


「ディーン、大手柄だわ。あなたはわたくしの宝物を見つけてくれたのよ……!」


 王妃様は、オレとカシェルの顔を交互に見つめて微笑むと、ゆっくりと話を始めた。


「あなたたちなら分かると思うけれど、わたくしも星族でした。今のあなたたちと同じように、結界を守っていたのです。その時のパートナーが、シェム……あなたのお父様よ」


 王妃様はカシェルを見つめながら、話を続ける。


「ある時……そうね、今のディーンがあなたに近づいたように、この国の王子に見初められて、わたくしは星族をやめて王子の妃となったのです。程なくして先代が亡くなり、わたくしは王妃となりました」

「かあさ……じゃなくて王妃、だからそうではなくて私は……!」


 王妃様はディーンを見て、くすくすと笑う。ディーンはまた顔を赤くしている。これでは、その通りです、と言っているようなものだ。でもオレは、どう反応したら良いのかわからずに、じっと座っていた。


「シェムもわたくしも、殊異として星拠に戻ることは嫌だった。だからシェムも星族をやめて、しばらくの期間、ミストーリ兵として城に仕えていたのよ。でも、きっと何か思うことがあったのね。突然、いなくなってしまったの。それから何年か過ぎた頃、わたくしの元にシェムから手紙が届きました。そこには、ルーン湖という美しい湖のほとりにある、ルンベルクという小さな町で妻をめとり、二人の子供と静かに暮らしている、と書かれていたの」


 王妃様は、カシェルをじっと見つめる。


「あなたのことも書かれていたわ。娘シェンナと、息子バーンは不幸にも自分によく似ている殊異だと」

「お父さんが……」

「星族から隠れるように静かに暮らしていると書かれていた。だからわたくしは、急いでシェムとその家族を探すように、兵を向かわせたの。もちろん、ここに招くために。……けれど、遅かった。戻ってきた兵たちから聞かされたのは、滅びてしまった王国の話だったの。ルーン湖のある、アルヴェという国とその支配下にあった町も皆、何者かによって滅ぼされてしまっていた。それでも兵たちはルンベルクという町を見つけてくれた。でもやはり……そこに生きている人はおらず、シェムを見つけることは出来なかった。兵たちは町の中を探し回り、一軒の家からこの国の国章を見つけ出すと、共に見つかったものを持ち帰って来てくれたの」


 王妃様は、その時のことを思い出したのか、表情を曇らせてしまった。それに気づいたディーンが、口を開く。


「それからしばらく王妃はふさぎ込んでしまって……私とルーセスは子どもながらに王妃を励まそうと、交代で傍にいたんだ。懐かしいな……」

「そうね……。あなた達が居てくれたから、わたくしは立ち直れた」


 カシェルは、ずっと無表情で王妃様の話を聞いていた。


「やっぱりもう、お父さんもお母さんも……」

「……カシェル」


 オレは、重たい椅子を退かしてカシェルのところに行こうとするけれど、うまくできない。そのうちにカシェルが首を横に振り、大丈夫だと目で合図をした。


「お父さんは……時々、湖畔で遠くを眺めていました。きっと、王妃様のことを想っていたのですね」


 そのまま俯いて、カシェルはまた黙ってしまった。会話が無くなり、しんと静まり返る。……今しかない。そう思って、オレは重たい椅子をぐいっと押すとその場に立ち上がり、ミストーリの敬礼をした。


「どうしたんだ、ラスイル」

「ディーン王子。我々の願いをお聞き届けいただけないだろうか」


 オレの顔を見ると、ディーンは眉をひそめる。


「ラスイル。その呼び方は無しだと言っただろう? 私の友人としてラスイルは此処にいる。敬礼をするのもやめてくれ。それとも、私の友人だというのは偽りか?」


 オレは慌てて首を横に振った。 


「いや、偽りなどでは……」


 ディーンの真摯な眼差しに、胸に当てた手を降ろすと、椅子に腰を下ろした。きっと、あの日……友人になろうと握手を交わした時から、ディーンは本当にオレを友人だと思ってくれていたのだ。尤異としてではなく、星族としてではなく、ひとりの人としてオレを友人と呼んでくれていたのだ。


 胸が熱くなるような感情が湧き上がり、じっと真剣な眼差しでディーンを見つめると、唇を噛みしめる。


 覚悟は決まっている……。


「……オレとカシェルに通達が届いた。上位星族として明日、星族の本拠地である星拠せいきょに帰るようにと」

「それで、ラスイルはどうしたいんだ?」

「オレはカシェルと……星族なんてやめて静かに暮らしていきたい。でも、どうしたらいいのかわからない。きっと……何処に居ても、オレたちは追われる」

「行かなければ良いのです!」


 突然、王妃様が大きな声を出すので、驚いて王妃様を見つめた。


「いいえ……シェムの子を、ディーンの貴重・・な友人を、あんな所には行かせません。そんなことは、わたくしが許しません!」


 王妃様はそう言い放つと、凛々しく微笑んだ。ディーンは少し困った顔をして、腕を組んだ。


「王妃、"貴重な"は、余計だと思うのだが……」

「ラスイル、カシェル。ディーンの付き人として明日からミストーリに仕えなさい。この国から出てはいけません。いえ、しばらくはこの城から出ることを禁じます」


 王妃様はそのままディーンを見つめると、またくすくすと笑っている。オレはカシェルと目を合わせたけれど、何も言えなかった。王妃様の命令に謝辞を述べるべきなのかもしれないけれど、言葉が出てこなかった。


「すっかり、食事が冷めてしまいましたわね」


 王妃様は姿勢を正すと、腕を伸ばした。しなやかな指先から、光が溢れるようにキラキラと瞬くと、食卓に舞い降りた。光が消えると、ふわふわと食事から湯気が上がる。王妃様は魔法で食事を温めたようだ。魔法にこんな使い方があったとは知らなかった。


「さぁ、せっかくですから、美味しくいただきましょう。今日は特別な料理にしてもらって正解だったわね、ディーン」

「そうですね、王妃」


 ディーンと王妃様が食器を手に取ったのを見て、オレとカシェルも食器に触れる。


「ラスイル、カシェル。あなた達は今までどんな国を巡ったの? 嫌いなものがあったら残してもいいのよ? ああでも、少しは食べられるようにしないとダメよ。星族の食事よりは美味しいと思うから……」


 王妃様が、オレたちにいろいろと話しかけてくれた。オレとカシェルは、食事をしながら今まで行った国の話をしたり、これまでのことをいろいろと話したりしたが、不思議とルーセス王子のことは何も聞かれなかった。オレたちからルーセス王子の話をするのも良くないと思い、その話には触れなかった。


 思えば、カシェルとパートナーになってから、幾つもの国を巡った。オレは何処の国も似たようなものとしか思っていなかったから、それぞれの国の思い出は余り無い。カシェルが国の名前を羅列して、説明をしている。


 王妃様とディーンは、他国の話を興味深げに聞いていた。イリースでもそうだったけれど、会話をしながら食事をするというのは、良いことだ。食事が、とても美味しいと思う。

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