3-1 こころづく

 この国に来て、一ヶ月程が過ぎた。


 森の先にもうひとつ町があることを知ったオレとカシェルは、その町を目指し二人で森を歩いていた。鬱蒼うっそうとした森の中は整備されておらず、町に辿り着くどころか、森を抜ける前に帰りたくなった。さすがにカシェルも疲れたのか、ふらふらとその場に座り込んだ。


「ラス……私、田舎では生きてけない」

「そうだな……オレも難しそうだ」


 カシェルの隣に座る。水筒を取り出してカシェルに渡すと、ゴクゴクと水を飲んでいる。オレも、もうひとつ水筒を取り出して水を飲んだ。


「星族を辞めたら、なるべく都会に住んだほうが良いのかも」

「……そうだな」


 カシェルはあの日以来、時折、この話をする。オレはカシェルに何度この話を聞かされても、ピンとこなかった。ただ、この話は嫌いじゃない。星族を辞めたらどんな仕事をするか、どんな家に住むか、叶わぬ願いを二人で語り合うのは、いい暇つぶしだった。


 叶わぬ願い……なんだろうか。


 今のオレたちがある日突然、姿をくらますのは無理だろう。それこそ、忌々しき魔法使いでも現れて、国全体が危機にでも陥ればそれこそ結界の管理どころではなくなるので、どさくさに紛れて逃げられるかもしれない。


 ……可能性としては無くはない。


 カシェルは水筒をオレに渡すと、にっこりと微笑んだ。釣られるように、オレも微笑む。けれど、自分でもわかるくらいオレは笑顔を作るのが下手だ。多分、カシェルより巧く笑える星族はいない。


「ラスイルは『感動』って、したことある?」

「感動……?」

「そう。何かに、心を動かされるような、素敵なコト」

「……あると思うか?」

「無いよね。私も無い。どんなコトが起きたら、私たちは『感動』すると思う?」

「……さぁ、想像も出来ないな」


 カシェルは突然、オレの頬に触れると顔を近づけてきた。すぐ目の前でカシェルが微笑み、額をコツンと合わせる。


「ラス、私がこうしても、何も感じない……?」


 翠色の瞳が目の前で揺れる。綺麗な瞳に、オレだけが映しだされている。


 二人の吐息が静かに重なると、また釣られている……そんな気もしたけれど、カシェルに触れたいと思った。


「カシェルこそ……オレは男だ」

「そんなこと、知ってる」


 オレはそのまま、カシェルの唇に自分の唇を重ねた。自分がそうしたかったのか、カシェルがそうして欲しかったのかよくわからなかった……けれど、何か期待されているなら、それに応えるべきだと思った。


 さっき水を飲んだばかりだからか、瑞々みずみずしい潤いを感じる。そのまま、カシェルを両腕で優しく抱き寄せてみる。カシェルもオレにぴったりとくっついてきた。


 ……カシェルの身体は柔らかくて、気持ちが良い。


「……感動した?」

「うん……」

「……ウソよ」

「ウソじゃない……たぶん」


 カシェルは、腕の中でクスクスと笑い出した。オレも少し笑う。


 ……そうだ。オレもカシェルも感動なんてよくわからない。そんなものは星族には必要のないものなんだ。カシェルから手を離すと、いつもと変わらぬ表情のまま、笑っていた。


「カシェルが変なことを言い出すから、オレまで変な気になってしまったじゃないか……」

「ねぇラス、田舎に住むのもいいかもしれない」

「田舎は無理じゃなかったのか?」

「静かで……何にも邪魔されない」

「ああ……まぁ、そうだな。静かなところで穏やかに暮らしたいとは思う」

「私も、そう思う」


 星族の中では、尤異ゆうい殊異しゅいは特別扱いされる。監視も強く、訓練も厳しかった。こうして結界を守るために国々を転々とするようになって、初めて監視の目から離れる。きっと、オレと同じように、カシェルも窮屈な思いをしていたのだろう。つまらない日々だった。


 でも今は、カシェルとこうしていられる。あの頃に比べれば、今はずっと自由だ。そしてこれからもカシェルとパートナーである限りこの自由は続いていく。そう思えば、あの窮屈な日々にも意味があると思えたし、オレは今が続いていけばいいと思っていた。


 でも、カシェルは今が続くことを望んではいない。いや……今が続くことはないと知っているのだろう。オレたちは死ぬまで続くパートナーというわけではない。


「ラス、そろそろ移動しないと、森を抜ける前に帰ることになっちゃう」

「……そうだな」


 オレたちは立ち上がり、道なき道を歩き出した。

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