拳豪記(真)
笠丸修司@KTCビギニングノベルズ2月出
イプストリアの空白期
第1話:プロローグ
この男、丈之助の人生は不幸であった。それは農家の五男坊に生まれたことか、否、食うに困った両親に口減らしに売られたことか、否、奉公先が繁盛ならず、故郷に帰らざるを得なかったことか。そして故郷に帰ってみれば、生まれ育った村は関ヶ原の合戦の中心地となり、家や田畑が、根こそぎ無くなってしまったことか。
強者に納め、強者に使われ、強者に壊された。
強くならねば生きられない。丈之助、十歳の決意である。
「――とまあ、なんやかんやで俺はお師様と逢うたんだっけかなぁ」
瓢箪を傾け墓代わりに積んだ石に酒をかけながら男は呟いた。佇む男はこの時代には珍しき、六尺ほどの大男。十の少年は山中で逞しく成長し、丈之助は三十路を迎えていた。
「山に入って、お師様と逢うて、鍛とうてもろうて……」
「……いや正直、最初は殺されると思うとりましたわ」
ははは、と感慨深げに丈之助は呟いた。丈之助が持っている瓢箪が完全に逆さまになり、ぴちょん、と瓢箪から水滴が落ちた。上下にさっさと振るも、酒はもう出てこない。
「……お師様がお亡くなりになって、十年経ちました」
そう言って丈之助は視線を横に移した。そこには人の背丈ほどの荒縄が巻かれた丸太があり、ゴツゴツとした無骨な表面に幾つかの拳打の後が伺える。その丸太には奇妙な点があった。それは拳打で打ち付けたとは到底思えないような傷跡の存在である。拳大に陥没した穴。その穴は、何か重量物をぶつけて砕けた跡では決してなく、ヤスリを掛けたように滑らかにへこんだ跡であった。
「……最後に伝えてもろうた技もこの通りですわ」
そして丈之助は座を正し、積み石に向かい頭を下げる。十歳で山に入った時、おそらく丈之助一人ではそう長くは生きれなかった。師と出会えたから今の自分が此処にある、その感謝の礼である。養う代わりに、業を継げ。その師の言葉は、今確かに果たされていた。
「――お師様。今まで、大変お世話になりました」
長く、深々した座礼の後、丈之助は別れの言葉を吐き出した。そして立ち上がり、振り返る。
「……本日この場から、お師様の、桐生の名を継がせて頂きます」
関ヶ原の合戦から二十年後。齢三十となった桐生丈之助は己の強さを示すために山を下りることを決意する。荷をまとめ、立ち去る桐生丈之助。ざ、ざ、と進みゆく彼の姿を濃い朝霧が包み込んでいった。
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