宙を見上げて (後編)

 ミザールの端、行く当てのなくなった浮浪者くらいしか立ち寄ることのないスラムの一角。かつては賑わっていた住宅街だったが、中央街のマーケットのしわ寄せが祟ってか、今では廃屋ばかりが立ち並ぶ、掃き溜めのような場所になっていた。

 貧困層はこの場所で飢えて死ぬか、マーケットで盗みを働いて殺されるか、いずれにせよ、ろくな未来のない生活を強いられる。

 ミザールの中央街に住まう富裕層のほんの一部はスラム出身だったという話もあるが、そんなのはよほどの運に恵まれたか、希代の才覚を覚醒させた超人くらいだ。

 スラムに住む者に幸福など訪れるはずがない。それはミザールに住み、関わる者の多くが認識していることだ。

「すっげぇ、ツェリ姉、マジで今日からここに住んでいいのか?」

「ふぇぇ……おうちがおうちみたい……」

「床に穴が空いてないよぉー。窓もついてるぅー」

 そこはスラムの端の端でも、ミザールの住宅区に隣接したところに位置している。より正確に言うなれば、廃屋でも廃墟でもない。アルコル・ファミリーの息の掛かっている土地。金さえ払えれば誰も文句いいようのない場所。

 そんな場所に建っているこぢんまりとした安マンション。スラムとの境界線上にあるそのマンションは買い手のつかない不良物件のはずだった。とはいえ、それはこの場合においては全く意にも介さない。

 何故なら、その物件にこれから住もうとしているのは、スラムの人間だったことに他ならない。

「これからはあんま適当に汚したりはするんじゃないぞ!」

 ブロッサと、それを率いるスラムの子供たち数名。新しい家に感極まっていた。

「でもツェリ姉、他のみんなも連れてこなくてよかったの?」

 ここに連れてきたのは最低限の人数だけだった。ブロッサが関わっている子供たちの人数は少なくはない。全員ともなると家が溢れかえってしまっていただろう。

「本当はみんな連れてきたかったけど、あまりお金使いすぎると直ぐになくなっちゃうからな。大丈夫、ご飯はみんなで食べられるようにするからさ」

 マーケットで大金を手に入れたブロッサは、まず新しい拠点を手に入れることにした。少しでもまともな生活に近づけるようにするための第一歩だ。

「とりあえず、ここにいるみんなでお金を集める。そんで、貯まったらもうちょっと大きい家に住む。そんで、少しずつ一緒に住める子を増やすんだ」

「もうお金いっぱいあるんじゃないの?」

「それにどうやって増やすのー? またボッコボコにして盗むー?」

「バーカ、それはもう止めだって言っただろ? この国は無法都市、ミザールだぜ。ちょいとお仕事を探せば荒稼ぎできるんだ。今まではろくな金もなかったから何にもできなかったけど、今は元金がたんまりある」

 へへん、とブロッサは胸を張って笑ってみせる。対して、他の子供たちといえば不安げな表情ばかりを並べている。

 無論、ブロッサには自信などない。これから上手くやっていける保障もない。

 だけれども、今までのままではない、新しい生き方に変えようと思った。

 死ぬまで生きるだけの先の見えない人生とはおさらばして、これからの自分を、自分たちを開拓していくんだ、と。

 ブロッサ一人ではきっと無理だろう。

 これまでのようにリーダー気取りであれこれと命令で動かすだけではいずれブロッサがいなくなったときには全てが崩れてしまう。だからこそブロッサはみんなで助け合って頑張っていく場所を作ることにした。

「ぼくたちにできるのかなぁ……大人もいないのにぃ……」

「今までだって大人なんていなかったのにずっと頑張ってやってこれたじゃん。弱気になってちゃ何も始まらないよ。お前らも、そろそろあたいに頼らないで頑張れるようにならないと、あの子らに笑われちゃうからな」

 ミザールの中心に近づいているとはいえ、そこはまだスラム。ブロッサや子供たちは未だ貧困層から抜け出ているわけではない。

 もし、ブロッサの手にした大金を全て独り占めしていれば、ひょっとすればもっといい生活にも望めたかもしれない。いっそ、ミザールと言わず、『カリスト』からも出て行くことだって可能だったかもしれない。

 そうしなかったのは、やはりブロッサ自身が望んだことだったから。

 ブロッサの中で、名前もない男の言葉が思い起こされる。

 ひたすらに不器用な男だった。何も手を貸すことはできないと言い切ったくせに、ブロッサに希少な鉱石をくれたばかりか、このミザールで必要となるであろう知識を与えてくれた。大きなチャンスを握られてくれた。

 あの男の本意はブロッサにも分からない。ただ、かつてのブロッサと同じ、奴隷という境遇に同調してくれただけなのかもしれない。

「ツェリーお姉ちゃん、この服どうやって着るの?」

「おいバカバカ、それじゃ後ろ前だよ。こっちで前を留めるんだ。ちゃんと服くらい一人で着れるようになれよ」

「だって今までこんなの着たことないし……」

 今はまだみんなに頼られることは多いだろう。それでもブロッサは、ブロッサがいなくなったことも見据えて、沢山のことを残していきたいと思っていた。

 かつての仲間たち、消えていった仲間たちは、沢山の面倒を見てくれた。数え切れないほど世話になってきた。もしもまだここにいたのなら、同じことをしていたに違いない。そんなふうにも思いつつ。

「ツェリ姉、俺たち、立派になれんのかな」

「なるしかないだろ。生きて、生きて、生き抜いてさ、みんなで一緒に暮らせるようになったらさ、今度は宇宙に出ていこうぜ。そこでまた新しい惑星で楽しく暮らせる場所を探すんだ」

「そんな場所なんてあるのかな」

「ある。宇宙って滅茶苦茶広いんだぞ。で、もしなけりゃあたいたちで作ればいい。あたいも頑張るし、お前たちも頑張る。だからなんだってできるよ」

「うぇ~、なんか滅茶苦茶大変そう」

「そりゃそうさ。夢を叶えるのが簡単じゃつまらないだろ? だからいっぱい、いっぱい、う~んと大変なことを全部ぶっ壊してやるんだ!」

 ブロッサも、子供たちも、揃って笑いだす。

 ふとブロッサは窓の外に目を向ける。

 もう外は暗く、星が瞬いていた。

 宙を見上げて、ブロッサは小さく「忘れてやんないから」と呟いた。

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