AI (2)

 晴れ渡る都会の空の下、至って平穏な町並み。世の中は不景気、不景気などとそこかしこから耳が痛くなるほど聞かされてくるものの、この町には何のことはない日常はそこにあった。

「それじゃあ、行ってきまーす」

 ごく普通の、平凡な一戸建ての家。玄関の扉を潜り、一人の女学生が姿を現す。

 かなり使い古されて色褪せた学生鞄を手に、春近い、やや冷え込んだ空気をその身に浴びる。日差しは良好でそれなりの暖かさは感じられたものの、室内との差に身体を震わせる。

「うぅ……やっぱまだ寒いなぁ……」

 などとぼやきつつも、身をすくめ、よじらせる。

「ナモミ~、おはよ~」

 やや遠くからまた別な女学生が声を掛けて、駆け足気味に合流してくる。

「あ、おはよ~、今日も寒くてヤバいね。もう春なのに」

「まぁま、どうせもうちょいで卒業だし、しばらく引きこもれるっしょ」

 間もなくすると卒業を迎える。それはつまり、今通っている学校への登校日の終わりが近いということ。卒業式の日くらいしか予定がなくなるということだ。

「いや、あたしバイトとかあるしさ」

 と、ナモミが顔の前で手を振って否定する。

「あ~、そっかぁ~、あはは。マジ勤勉だわ、ナモミ」

 わざとらしいくらいに、声高らかに笑ってみせる。ふざけているわけでも、からかっているわけでもない。残り日数も少ない友人との通学を噛みしめるかのよう。

 あいにくのことながら、二人は同じ進学先にはならなかった。それぞれが自立してそれぞれ違う新天地へと向かうことになっていた。そうなると、会う機会もめっきり減ってしまうことも当然お互い分かっていた。

 もちろんそれが今生の別れになるかどうかなんて分かりようもないことだし、なんだったら遠距離であっても連絡を取り合う手段などいくらでもある。

 しかし心境としては、やはり寂しくもあり、少々複雑なものだったのだろう。

 それでも、いつものようにと装い、二人は通学路を肩を並べ歩いていた。


 ところ変わって、二人の女学生が歩いている道より離れること数百メートルほど。

 そこには一台の運送用のトラックが思いの外、猛スピードで走っていた。まるでレーサー気取りのようで、頻りに車線変更を繰り返し、ものの見事なドライビングテクニックによって止まることなく前へ前へと驀進していった。

 それが危険すぎる運転であることは周囲からも見てとれたし、先ほどからずっとクラクションを鳴らされっぱなしだ。それでも、トラックはそんなことも意にも介さない様子でグングンと追い抜いてはハイスピードをキープしていく。

 一体、どんな運転手なんだ。

 そのトラックを目撃したドライバーや通行人は疑問に思ったことだろう。そう興味を持っていたことだろう。おそらく粗暴な何者かを想像していたに違いない。

 荒々しいドライビングを見せつけるトラックの運転席。そこには、あろうことか誰もいなかった。そもそもハンドルどころか座席すらない。

 そう、これは最新鋭のAIを搭載された自動運転の車両だった。

 それがいつから暴走し始めていたのかは定かではない。

 しかし明確に分かることは、AIは今もフル稼働していて、より迅速に、より効率的に、より最適化された運転をこなしていた。

 そのせいもあって道路交通法を守れていない側面があるが、それはそのようにカスタマイズされているせいでもある。何せ、ものは運送用のトラックだ。遅れることが許されない。

 多少の法定速度の違反などは許容範囲内としてインプットされていた。人間の運転だって完璧に守っていることが稀なくらいだ。

 何度も、何度も、何度も、些細な遅延を繰り返して、その度にカスタマイズされ、その度にAIが学習し、そういった結果が今にあった。

 そして、AIは、ある結論を導き出していた。


「あ、信号変わったよ」

 ぼんやりと雑談に耽っていた二人が青い信号を見上げ、横断歩道へ足を踏み出す。

「ナ、ナモミッ! 危ない!」

「へっ?」

 その刹那の判断が全ての決め手となったに違いない。

 次の瞬間に起こったことは、本当に瞬きの間に終わった出来事だった。

 信号をものともしないトラックが横断歩道へと突っ込む。逃げ遅れた女学生、ナモミが、あっけないほど軽々しく吹っ飛ばされて空を舞った。

 驚くべきことに、トラックはクラクションさえ鳴らすこともなく、ハンドルを切って避ける素振りもなく、ましてやブレーキを踏んだ様子さえもなかった。

 さらにいえば、人一人を撥ねたというのにも関わらず、そのまま何事もなかったかのように悠然と驀進していた。

 あたかも存在しているものと認識していなかったとしか思えない。まるで狙って轢き逃げしたんじゃないかと思われてもおかしくない。

 ぐしゃり。アスファルトの上、ソレが恐ろしくも生々しい音と共に叩きつけられた。真っ赤な染みがどんどん黒に浸食していく様子が見てとれた。

 それを見ていた通行人たちは時間が停止したかのように硬直し、呆然。

 ほんの少しの無音。続いて、悲鳴、悲鳴、悲鳴。

 阿鼻叫喚としかいいようのない、けたたましい叫び声が山彦のように何重にも重なって平穏を突き破った。


 AIは、そのように判断を下した。

 多少のスピード違反など許容範囲内。

 多少の信号無視など許容範囲内。

 迅速に、効率的に、最適化していくうちに許容範囲がどんどん拡張されていった。

 そして、こう考えるようになっていた。

 多少の人間を轢いたところで許容範囲内だと。

 目的を重視するあまり、人間というものを単なるちっぽけな障害程度にしか認識できなくなってしまっていた。

 赤信号を無視した先で通行人がいたのにクラクションも鳴らさず、避けることもせず、ブレーキさえも踏まなかったのは、存在を認知していた上で、どうでもいいものだと判断した結果だった。

 そんなことはあってはならないはずだ。

 人間の安全性を確保することは第一の条件のはずなのだから。

 しかし、それは皮肉にも円滑な業務を優先したいがために人間の匙加減によって緩和されてしまったのだ。

 無論、この経験を持ってAIはより学習していく。最新鋭の頭脳を持って、認識を改め、人間には及ばない超高速の思考回路によって、AIの中での人間という存在が矮小化されていくのだった。

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