秉燭夜遊 (3)

 ※ ※ ※


 膨大な論文が目の前に広がっていた。

 部屋を埋め尽くさんばかりの無数のディスプレイが展開されて、もはや壁のようになっている。

 少しは畳めばいいだろうに、並列に表示されている意図は何なのだろう。

 ええと、ここは確かキャナの私室じゃなかったか。意外にも今まであまり入ることのなかった部屋だったが、こんな研究室みたいなことになっていたのか。

 普段、こんなところで寝泊まりしていて気疲れはしないのだろうか。

 ふと一枚のディスプレイに目が留まる。これだけでもその情報量に圧倒されてしまうくらに、何やらとんでもない内容のように思えた。

 そこらに浮かんでいるディスプレイも大体同じような感じだ。人間を輪切りにしたかのような画像資料も目に付いた。

 本当にこの部屋はなんだ。人体実験室か何かか?

「ちょっと散らかってるけど堪忍な」

 そう言いながらもキャナが部屋をふわふわと浮かび、器用にも壁のようなディスプレイの合間を縫って自在に部屋を行き交いする。これではまるでアスレチックだ。

「適当にそこらに座ってて」

 そこらとは一体何処だ。そう思って少し屈み、周りをよく見回してみると、一応デスクや椅子らしき事務的なセットが目に付いた。こんなものを見落としてしまうほどこの部屋は異様なまでに資料にまみれている。

 うっかりディスプレイに触れてしまわないよう気をつけながらも、そこにあった椅子を引き、座る。

 なんて落ち着かない、圧巻される部屋なのだろう。

 どちらに首を向けてもディスプレイが視界に入らないことはない。よくよく見てみると、どういうわけか真っ新な状態、何も記述されていないディスプレイもいくつか浮かんでいる。あれには一体どんな意味があるのやら。

 ぼんやりと目まぐるしいディスプレイに意識をやっていると、何処からともなくボトルがふわふわと浮かんで俺の手元にやってきた。

 何か端末を弄ってしまったのかとボトルの来た方角を見てみると、ディスプレイ越しにキャナの姿が見えた。

「適当に飲んでて」

 あまり表情も変えず、キャナが言う。

 さっきからだんだんと態度がぶっきらぼうになってきていないか?

 ここが自分の部屋だからということもあるのだろうが。

 ともかく、飛んできたボトルを開ける。凄い刺激臭が漂ってきた。口に運んでみると、また一段とキツい味だ。なんだこれは。栄養剤か? 急激に目が覚めてきた。

 何か間違ったものを手渡されたのかと思ったが、見てみるとキャナも同じようなボトルを、あろうことかグビグビと飲んでいる。顔をしかめるわけでもなく、キリッとした瞳でディスプレイを叩くような勢いで何かに打ち込んでいる。

「ネフネフぅ、ちょっと手ぇ貸して」

『はい、姉御。至急、そちらへ向かうでござる』

 今、ディスプレイにネフラの姿が映ったような気がする。何故ネフラが。そう思ったのも束の間、部屋のインターホンが鳴る。

 キャナが宙に手のひらをパシパシと返すと、部屋の扉が直ぐさま開き、そしてネフラが入室してきた。なんという早さだ。

「おや、これはゼクラ殿。今日はどうしたのでござるか?」

「ああ、少し相談事があってきたんだが」

「ネフネフ、こっちの資料、プロテクト掛かって読めへん。はよぅ解除」

「わ、分かったでござる」

 挨拶する猶予もなく、ネフラは俺に会釈だけで返して、先ほど何も書かれていなかったディスプレイに触れる。すると時計のようなマークを添えて、そこには他のディスプレイと同じくらいにびっしりと情報にまみれた記事が表示されてきた。

 そしてそのディスプレイをキャナの方に向けて飛ばす。そしてキャナの方は綿毛でも手に収めるかのように片手でディスプレイを受け取り、また別なデータを目の前に展開していく。

 なんだか随分と手際がいいじゃないか。見事な連携が取れている。

 一体俺はこの場で何をすればいいのだろうか。

「一応ネフネフに聞いておきたいんやけど」

「な、なんでござるか?」

 急なピリっとした発言に、ネフラの口調も緊張が走る。

「ゼックンの健康状態、寿命の計測ってできてる?」

「え、あ、その……」

「あと一年くらいなん?」

「は、はぁ……そ、その、その通り、でござる」

 ネフラがこちらの方にチラチラと目配せしながら、恐ろしく俺に気を遣うような態度で観念したかのように答えを吐露した。

 さすがというべきか、バレてはいたようだ。

 この事実をずっと黙っていた俺が言うのもなんだが、隠す意味があったのかどうかを疑問に感じ始めてきた。

「ちょっとこっちの資料と、これ、あとこれ見て」

 その答えを聞いて特に怒るような態度は示さなかったものの、何とも酷い目つきでディスプレイからデータを飛ばしていく。ええと、あそこにいるお方はどちらさんでしたっけ。キャナによく似ているような気がするのだが。

「あ、姉御、この資料は……?」

「この理論で、ゼックンの寿命は延ばせる?」

 思いの外、ダイレクトにぶちまけてきたな。先ほどからネフラに対して随分と遠慮もなしにズカズカと踏み込んでいっている気がする。端から見ていて気の毒という感情がわいてくるくらいには。

 俺の方からではそのディスプレイに表示された情報は確認できない。少なくとも俺が見て分かることもそう多くはないだろう。

 ただ、ネフラはその膨大な量の資料を一瞬で目を通し、そして俺がこの場にいる理由を汲んで、瞬時に状況判断ができたらしい。

「結論から言うと可能でござる」

 キャナの眼力に負けてか、えらくまたあっさりと答えた。

 そして、キャナの目つきにほころびが見えた。

「ただこれだと、認可されるまでにどれだけの時間を費やすか……」

 やはり、一番の問題点となるのはその箇所か。そう簡単にはいくまい。一体どのような手段を用いているのかは俺には分からないのだが。

「可能性があるんなら、それでええよ」

「ゼ、ゼクラ殿はどう考えているのでござるか?」

 ネフラがこちらに向き直り、上目遣いで問い訊ねてくる。

 端的に言ってしまえば、生物の寿命を意図的に引き延ばすなどという所業は許されるべきことではないだろう。

 だが、人類の繁栄のためという名目もある。

 そう答えてしまうのが適切だ。しかし。

「俺自身も、望んでいることなんだ」

 そう、答えた。

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