秉燭夜遊 (2)
すっかりくたくたになった身体をベッドに預け、儚く漏れる寝息を添えて、キャナはもうしばらくは動きそうにはなかった。
後の俺ができることといえば、無事に受精が完了して着床にまで至り、胎児がすくすくと育って出産できることを、ただ祈るだけだ。
眠りの妨げにならない程度に淡い電灯を点ける。その無防備な寝顔がよく見えた。さっきまでどんな顔だったのだろう。ほのかに涙の痕が見えた気がした。
「ふみゅぅ~……」
お腹をそっとさすっている。心なしかその表情は幸せそうだ。少なくとも、今このときだけでも俺はキャナを幸せにしてやることができた。そう思ってもいいはずだ。
自分の子供の顔を見たいものだが、その願いは果たして叶うものなのだろうか。
宇宙を映し出すウィンドウを眺める。先ほどとは変わりなく、星々の無数の光は綺麗に瞬いている。
俺もあの星と大差ないのかもしれない。今はこうやって儚くも輝いているように見えていても、本当はもうとっくにそこに存在してしない、なんて。
二十億年前、俺は死んだ。今ここにいる俺は過去の存在と変わらないんじゃないのか。どうして俺は蘇ってしまったのだろう。
何度も、何度も悩んだ。自分の存在意義というものを、ずっと呪っていたから。
今は、そう、贖罪のつもりで生きているようなものだった。
破壊を繰り返してきた、その罪滅ぼし。俺のしてきたことからしたら本当に小さな、小さな、何でもないようなことのように思えてくる。
人類の繁栄だなんて、まるで真逆だ。マイナスをよりゼロに寄せたマイナスにする程度がせいぜい。
だが、どうだろう。もうまもなく、二度目の死が訪れようとしている。
一度目の死は、どんな覚悟を決めていたか。どんな気持ちでいたか。
そして、これから俺は何を思って死んでいけばいいのだろう。
ナモミ、プニカ、キャナ。三人の人類をこの宇宙の果てを漂う『ノア』に置き去りにして、本当に未練がないなんて言い切れるのだろうか。
それはただ、理由を付けて無理やり断ち切ろうとしているだけなんじゃないのか。
どうせ俺は死ぬ。短い余命なのだから。そう、自分に言い聞かせ続けて。
「……ゼックン」
掠れたような声に、俺は振り返る。
「起こしてしまったか?」
ふわふわと、キャナが浮かび上がりながら体勢を立たせる。器用な動き方だ。
「なぁ、ゼックン」
俺よりやや高い視線から見下ろしながらも、何処か含みのある、作り笑顔でまた俺を呼ぶ。
「もしも、ゼックンが望むのなら……もう少し、長く生きられるかもしれへん」
あまりにも眉唾なことを言い出す。何を思って言ったのか、気休めで出た何のことはないでまかせだったのか、それは分からない。
「どういう意味だ?」
「……うちなら、人間の命を研究してきたうちなら、寿命を弄ることができる。そう言ってんねん」
そんなことが本当に可能なのかどうかは知りようはない。ただ、キャナの言葉を真っ向から否定するにまでは至らない。
人類の生物学者として名を馳せた、その張本人が言っているのだから。
「お前がどういうつもりで言っているのか分からないが……、それは、それはどの程度の話なんだ?」
キャナの言葉が渋る。明瞭には答えられないようだ。
「権限。うちの権限を使ってできる範囲内。もし、プニちゃんの力も借りられたら、うちらと同じ、人並みの寿命は得られる……と、思う」
「それは、また面倒そうな話だな」
ルールに束縛されている、という言い方が適切かどうかはさておいて、今の俺たちは
現状、人類は三人しかいないのだからルールなどというものを自由に書き換えられるように思うが、そうはならない。この『ノア』に居住している限りは、管理コンピュータであるマザーノアの許諾が必要不可欠。
そこに関与できるプニカでさえ、突拍子もないルールの書き換えなど御法度だ。
今でこそ、人類は絶滅危惧種という扱いで、生活面含めてあらゆる面でも不自由のないように好き勝手にやってはいるものの、全てにおいてが自由というわけではない。
今、キャナが提案したことは、つまり、俺という個体に手を掛けるということ。
失敗のリスクなど分からない。だが、禁則事項に類する、あるいは近いものであることくらいは俺にでも分かる。
いつだったか、プニカは最終手段として、俺の生殖機能を取り出して、精液の提供だけを重視した機構とする提案をもらった気がする。非推奨とは言っていたが、アレとはまた違う話だ。
人類の繁栄のための苦肉の策ではない、俺自身の延命だけを考えた計画。
寿命ともなれば致し方ない話だが、その寿命を縮める結果となるならば、その許可が下りるようには思えない。いや、思えないだけの話だ。
それに、今、この『ノア』には強い権限を持つプニカだけじゃない。生物学に精通したキャナもいて、さらには高度な文明や文化を持つ機械民族にも保護されている。
簡単な説得にはならないだろうが、その可能性はゼロとは言い難い。
「ゼックン……、ゼックンは赤ちゃんの顔、見たいやろ?」
キャナの細い腕が俺の方に伸びて、そして白い手が俺の顔に触れる。
真正面にキャナの顔が見える。
何かを強く訴えるかのような、儚くも、感情を抱えた瞳だ。
「うちだって、ゼックンのこと、もっと知りたいもん」
ふわふわした、笑顔だった。
「寿命いじるなんてタブーなんは分かってる。でも、うちはゼックンと一緒に、もっと過ごしたいの。わがままやて分かってるけど、しょーもないから。うちの胸んとこ、ホンマしょーもなくてしょーもないんよ」
作られたものではない、そんな優しいふわふわとした笑顔を俺に向けて、そしてその頬を一筋の何かが伝う。
自分の底に沈み込めていたはずの感情が制御利かず、込み上げて沸いて出てくる。
思わず、俺はキャナの背に腕を回していた。
俺は、そのときなんて言えばいいのか分からなかった。
どんな言葉を出せたのか。
肯定だったのか、否定だったのか。
それは「生きたい」だったのか、「死にたくない」だったのか。
キャナの身体を抱き寄せる。返すように、キャナも俺の肩へと腕を回した。
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