番外編

序章 After

腐っちゃうわよ! (前編)

「納得いかないわ。どう考えてもおかしいし」

 不満っぷりを露にした可愛いげのない膨れっ面でナモミが睨み付けてくる。

「何十億年? いくらなんでもそんなに経ってるわけがないって。物理的に、科学的にありえないわ」

 要点は以上のようだ。

 つい今しがた、自分は何十億年の眠りから覚めたのだと告げられたばかり。

 そこで、なるほどそうなんですね、いやあ長かったですね、などとは納得してはくれないようだ。

「そんなに経ってたら死んじゃうじゃない! 腐っちゃうわよ!」

 まるで納得いかないというフラストレーションがリフレインする。

 確かに言い分は分かる。

 にわかには信じがたい話ではある。

「コールドスリープ? 人間を丸ごと冷凍なんてしちゃったら凍死するだけだわ!」

 ぷんすかぷんすかとご立腹具合が伺いしれる。

「コールドスリープといっても、単純に冷凍させるだけじゃないしな。それに冷凍させる以外にもスリープする技術は確立されているぞ」

「ぐぬ! な、なら、どんな方法があるっていうのよ」

 歯痒そうな面構えで依然として睨みを利かせてくる。

「例えばそうだな、カーボンフリーズなんてものがあるな。肉体を硬質化させるコーティングでカチカチにしてしまうものだ。破損しない限りは石ころみたいなもんだし、状態を保つことができる」

「石ころったって、年月が経てばいずれは朽ちたりするもんじゃないの?」

「んん? いや、どうだろうな。この広い宇宙には宇宙が誕生したときの爆発から離散した石ころだってそのままの状態で残ってるものもあるらしいし、よほど著しい事象がない限りは大丈夫だろう」

 環境の変化が激しい場所に置かれたら勿論話は変わるが、そういうイレギュラーな事象を回避している前提ならば問題はあるまい。

 地球では大気の状態が四六時中変化し続けていたと聞く。

 無論コロニー内でも大気の変動はあるが、ある程度は管理されている。管理のされていない大気なんて想像もつかない。

 知識でしかないが、不規則的に天候が変わり、突然人を吹き飛ばすほどの強風に煽られたり、地形そのものが変えられるほどの豪雨が降り続けたり、そういったこともあるらしい。その様は聞いてるだけでも想像を絶する。

 同じ地球上でも周期的に気候も変わり、長期間に渡り、干からびるほどの熱射が降り注いだり、凍てつくほどの寒波に見舞われたりと地球の環境の変化というものに恐怖を感じるばかりだ。

 よくかつての人類、いや地球上に住まう生物たちはそのような環境の中を生き抜いてこれたものだ。

 その著しい変化を前提としてナモミもいぶかしがっているに違いない。

 そんな環境の中でスリープなんてしたら何万年と持たず、粉々になってしまいそうだ。

 だが、ここは宇宙だ。

 大気すら存在しない。

 縁がなければ、何かと接触することすらない。

 星との衝突や引力による星への墜落などのアクシデントも考慮したってなかなか高確率とは言い難いだろう。

「じゃあ何? あたしは冷凍されたりカチカチの石にされてたってことなの? それで何億年も腐らなかったの?」

「まあ、他にも方法はいくらでもある。腐敗させないだけなら菌の活動をとめたり繁殖させないようにするだけでいいわけだし」

「ですが、生物を生命維持したまま長期的に保管する上で重要なことは細胞分裂の抑制、または停止状態にすることです」

 いたのかプニカ。

 いや、まあいなければそれはそれでおかしいのだが。

「細胞にも限界が、つまり寿命があります。延命措置もございますが、極端なものともなれば非倫理的」

 やろうと思えばできることなのだろう。

「えんめーそちって?」

「例えば機能しなくなった臓器を摘出し、バイオ臓器を移植してすげ替えるなどですね。臓器に限った話ではありませんが」

「だが、いずれにせよ、寿命を消したことにはならない。それは誤魔化しだ」

「え? でも悪いとこを交換していくってだけなら実質的に寿命が延びるってだけなんじゃ?」

「……例えば。人間って何処までが個人でいられるかを想像してみてくれ」

「個人?」

「この場にはまあ三人の人間がいるわけだが、全員同一人物なんてことはなく、全くの別人だよな?」

「そらそうでしょ! あたしはあたし、アンタはアンタなんだから」

「ここで俺の腕や脚が機能しなくなり、他の二人から移植しても、俺は俺といえるか?」

「アンタに腕も脚もくれてやりたくないんだけど、まあ変わらないでしょ」

「さらに臓器も丸ごと駄目になって同じように移植したら?」

「え、うん……?」

「さて、俺が俺と言える要素は何処だろう」

「え、あれ? はれ?」

「腕も脚も皮膚や臓器に至るまで全部が交換されてしまったら、それはもはや俺と呼べるのだろうか?」

「大変極端な例ですが、要点としてはそうなりますね。延命措置として全ての部位が移植されてしまった場合、それをそれまでの個人とは呼べません」

 この理屈で個人としてしまった場合、母親から生まれた子供も母親と同一人物という扱いになってしまうだろうしな。もう延命じゃなく新たな生命だ。

「えっと……じゃ、じゃあどうしたらいいのよ」

 すっかり思考放棄した顔をしている。大丈夫なのだろうか?

「ですから、細胞レベルの機能の停止ですね。適切な保存が可能、且つ停止状態からの正常な活動再開が可能であれば冷凍にせよ硬質化にせよ、長期的なスリープには有効な処置です」

 そろそろ許してあげたい。

 そう思い始めるくらいにはナモミも大分哀れな顔をしている。

 説明を始めた俺が言うのもなんだが。

「特にナモミ様は保存方法が幾度と変更された記録があります。よって、スリープの手法がその当時の最新技術でなされた可能性も高いです」

「一体スリープってどんだけ種類あるのよ……」

「一言で言えないほど無数にあります。先ほども話にあがりました直接的に身体を冷凍させるコールドタイプや、硬質化により身体の劣化をなくすカーボンフリーズ、あと長期的な保存方法として非常に有効なのはセルジェリーがメジャーでしょうか」

「せ、せるじぇりー?」

 それは説明しない方がいいヤツなのでは、などと思ってもみるが、俺もよく知らない単語だったので好奇心が抑制を阻害してしまい、プニカの口は滑るように走る。

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