第三章 あんたら、いってえ、なにもの?

        1

 ミヤコと辻村は、浅間通り商店街と浅間神社を繋ぐ赤鳥居を潜った。

 大道芸人が集まっている社務所に急ごうと、全速力で駆け抜けるミヤコを、辻村が呼び止める。

「ミヤコくん。手水舎で手と口を濯がないと。大歳の神様にご挨拶が必要ですよ」

 大歳の神様とは、大歳御祖命のことだ。浅間神社は駿河国開拓の祖神である大己貴命を主祭神とする神部神社に、火難消除、縁結び、安産などの神として信仰される木之花咲耶姫命を主祭神とする浅間神社に、農・工・商の諸産業繁栄の守護神、大歳御祖命を主祭神とする大歳御祖社の三社の総称である。

「そうだったっ。悪ぃ、悪ぃ、大歳さんっ」

 ミヤコは足の裏で急ブレーキを掛け、再び全速力で道を引き返した。手水舎でバシャバシャと手を洗い、口を漱ぐ。

「そんなに焦らなくても、大道芸人さんは逃げやしませんよ」

 ミヤコは辻村が差し出したハンカチを受け取ると、ごしごしと顔を拭く。

「そんなの、分っかんねえだろ。相手は、外人だぜ? 文化の違いってやつで、すっげえ気が短いかもしれないじゃんかぁ。ほら、賽銭だ、賽銭。いちお、挨拶ってやつでさ」

「はいはい、お賽銭ですね。急かさないでくださいよ」

 辻村はミヤコの手からクシャクシャのハンカチを受け取ると、文庫本を読むようにハンカチを広げて丁寧に包んだ。辻村の振舞いや口調は、落語家のようだ。座布団と御囃子があれば「毎度、つまらない話を」と一席でも始められそうな雰囲気を醸し出している。

 辻村は尻ポケットから財布を取り差し、ミヤコの手に五十円玉を、そっと載せた。

「本当は、始終ご縁があるように、四十五円が良いんですが、細かいのがないので、ここは五十円で」

「うわっ、じじくせぇ……ダジャレかよぉ」

 辻村は、にやっと猫のような顔をして「ダジャレではなく、験担ぎですよ」と得意気に笑う。

 験? 験でも縁起でも神輿でも、めでたいんなら勝手に担いでくれりゃあいいけどさ。

 ミヤコは賽銭箱に五十円玉を投げ入れ、鈴尾を両手で掴んで、ぶんぶんと左右に振る。ガランガランと鈴が鳴ったところで、パンと大きく一回拍手をして、ぐぐっと深く頭を下げた。

「というわけだ、大歳さん、邪魔するぜ! 賽銭も、験だかカゴだか知らねえが、色々と担いだしよ。それじゃあなっ」

 ミヤコは、バッと顔を上げ、辻村を置いてきぼりにして、北東に在る社務所を目指し、勢いよく地面を蹴る。

「あ、そうだ。おい、辻村ぁ」

 ミヤコは大歳御祖社の曲がり角に設置された絵馬の奉納所で、速度を緩めて振り返った。

 右手の飴に視線を落としたままの辻村に、ブンブンと手を振る。辻村はターザンのロープのように激しく揺れる鈴尾を両手で掴んで止めながら、渋い顔をミヤコに向けた。

「はいはい、なにか他に、ご用ですか?」

「アタシ、大歳さんにお願いすんの忘れたからさ、代わりに、家内安全、技術向上、商売繁盛、一生健康、不老不死って、お願いしといてくれよな。よろしくぅ!」

 ミヤコはグッと親指を立てると、再び走り出した。

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 辻村は財布を尻ポケットにしまうと、賽銭をそっと賽銭箱に落とし、鈴尾を静かに揺らしてカランと鈴を鳴らす。辻村は二礼二拍手ののち、スッと息を吸って一言。

「今の、ミヤコくんの粗暴な振舞いに、どうか、目を瞑ってやってくださいませ」

 辻村は大歳御祖社に深く頭を下げて、踵を返した。社務所を目指してすっ飛んで行ったミヤコのあとを追って、社務所の在る境内の北へ向かう。

 絵馬の奉納所を通り過ぎると、道が二手に分かれている。東側の道を行けば、古文書や書画などを展示してある、宝物と呼ばれる施設と、神池と呼ばれる広い池が在る。ああ、今日みたいに暑い日は、水辺で涼をとるのがいいですねえ。

 辻村は神池に意識を持って行かれそうになる。そこを、ぐっと踏ん張り、首を横に振る。

 でも、今は我慢の子です。いかんせん、熔接娘を野放しにしておくと、被害が拡大する一方ですからねえ。ミヤコくんは普通に生きているつもりみたいですが、こちら側からしてみれば、特大の火薬玉がマッチ棒を咥えて跳ね回っているようなものですからね。気が気じゃないというか、ああ、全く肝が冷えて、どうにも落ち着けないですよ。

 辻村は東側の道に髪を引かれながら、ミヤコを追って西側の道を進んだ。道幅が、ぐっと狭まってくる。西側には辻村の背丈ほどある石灯籠が連なって並び、その奥に大歳御祖社を守るように檜や桜の小さな森が広がる。樹木の枝葉が幾重にも重なって、蝉の声と日差しを遮るので、静かで、打ち水をしなくても充分に涼しい。

 道の東側にある木造平屋造りの道場斎館の軒先で、涼しげな薄緑色の袴姿の宮司が、竹箒で道を掃除していた。どうやら、道に転がった、道の両側に敷き詰めた細かい玉砂利を、掃いているらしい。辻村は顔見知りの宮司に声を掛けた。

「こんにちは、お暑いのに大変ですねえ」

 宮司は歯を見せて笑い「辻村くんもね」と返した。肩から掛けた手拭いで顔の汗を拭い、竹箒に寄り掛かりながら、右手で北の方角を差した。

「大鳥居のお嬢さんなら、新幹線みたいな速さで通り過ぎたところ」

 新幹線ですか……ミヤコくんのことでしょうから、《こだま》《ひかり》ではなく、他のものには目もくれず、目的地まで超特急の《のぞみ》の速さなんでしょうねえ。

 辻村は宮司に頭を下げ、ミヤコを追い掛けて《斎館》を通り抜ける。西側に広がる森が段々と深くなったところで足を止め、手の甲で頬を伝う汗を拭う。

 目的地の社務所まで、ようやく半分の距離といったところでしょうか。しかし、境内が広すぎるのも、考えものですね。権威を表すにしても、もう少し、コンパクトに設計できたと思うんですけど。神社の建築がどうのこうのではなくて、配置を、もう少し、コンパクトに。機械設計はスペースがあらかじめ決められている状態で、製作する部品を設計するわけですから、非常に効率的だと言えますし。

 辻村は地面を睨んで、脚元に指先でサササと想像の図面を引く。

 僕が図面を引くなら、もっと凝縮して、社務所の位置も……。おや、これは失敬、お浅間さん。これは悪口ではなく、一個人のつまらない愚痴ですから。聞き零していただいて結構です。大は小を兼ねますからね。つべこべ言わず、ええ、はい、歩きます。

 辻村はカッターシャツの襟元を掴んで、バサバサと動かして風を送り、黙々と歩く。ようやく樹木の日陰が途切れると、道がぐっと広がって、東側に社務所の黒い屋根が見える。徐々に人の話し声も聞こえてきて、社務所の前までやってくると、ワッと賑やかになった。

 社務所の玄関前では、大荷物を抱えた様々な国籍の外国人が、ボランティアの腕章を着けた通訳を介して、商店街振興組合の店主たちと会話を楽しんでいる。辻村がざっと聞いた感じでも、英語と中国語、韓国語、フランス語、スペイン語、ドイツ語圏の大道芸人が、この場所にいるらしい。あくまでも「らしい」だ。

 外国語は、さっぱり分かりませんね。

 辻村は頭を掻きながら、ミヤコの姿を探す。人混みの中を縫うように歩き、必死で名簿整理をする《太公望釣具店》の会長に頭を下げて、玄関から社務所の中へ。

 社務所の中も、玄関前と同様に人が犇めいている。辻村は大道芸人たちの荷物が置いてある待合室を通って、大広間へ。大広間では全身に刺青が入った国籍不詳の大男が、挨拶代わりのパフォーマンスを披露していた。大男を取り囲むギャラリーの中に、ミヤコの姿も見える。辻村は目を細め、大男を見る。大男の隣で説明する通訳の女子学生曰く、どうやら手に持った鉄パイプを、力尽くで曲げるらしい。

 えーと……とにかく力技というわけですね。

 ミヤコは大きな目をキラキラさせながら、単純に「すっげえなぁ」と感心している。

 ミヤコくんの、ああいう純粋なところは、非常に可愛らしいんですけどねえ。見た目も愛嬌のある子犬みたく可愛らしいですから、口を閉じていれば、年頃の男子は言い寄って来ると思うんですよ。口を閉じてさえいれば。ええ、一言も喋らなければ。

 ミヤコは手を上げて、大男に質問する。

「なあなあ、オッサン。ケツの筋肉でも、その鉄パイプ、曲がるのかよ?」

 ギャラリーから大爆笑が起こり、通訳の女子学生は顔を真っ赤にして凍りつく。ミヤコは至って大真面目な質問らしく、キョトンとして首を傾げている。

 ええ、本当、唯の一言も喋らなければ、ね。

 辻村は、小走りで通訳の女子学生に近付き「訳さなくていいですから」と耳打ちする。

         3

「いやぁ、楽しかったぜ。満足満足ってなもんだっ」

 ミヤコはワハハと豪快に笑いながら、社務所の三和土で爪先をトントンと鳴らし、熔接用の安全靴を履いた。

 上機嫌に鼻歌を浮かべながら、社務所の玄関前へ。時間が経過して、社務所へ来たときよりも太陽の位置は低く、日差しも少しばかり弱くなって、心なしか作業着でも涼しいような気がする。

「よぅしっ、明日の大祭の景気付けに、大拝殿にお参りでもしてっか、なぁ!」

 ミヤコはぐぐっと背伸びをしながら、社務所の北側に建つ大拝殿に向く。浅間神社と神部神社、両社の拝殿である大拝殿は、高さ二十五メートルの社殿だ。大拝殿は《浅間造り》と呼ばれる建築様式で建てられており、社殿の上に更に社殿を建設するといった、いわば社殿の二階建ての外観を持つ。なかでも浅間神社の大拝殿は、木造神社建築最大級の高さを有しており、その高さは約二十五メートル、朱塗りの壁に翡翠色の屋根が、鮮やかな極彩色に輝く、美しさと重厚さを兼ね備えた社殿だ。

 辻村は、三和土に散らかって山になった来客用のスリッパを対にして、下駄箱へ片付ける。

「お参りの前に、お片付けですよ、ミヤコくん」

「分かってる、分かってる。工業の基本は、点検と片付けだからな!」

 ミヤコは三和土に立て膝をついて、辻村を手伝う。

「じゃ、アタシは、スリッパを組み合わせる係で、辻村はスリッパを受け取って、下駄箱に並べて、一心不乱に整頓する係で」

「……僕のほうが、明らかに仕事量が多い気がするんですけどねぇ」

「暑いから、気のせいだら? ブツクサ言うなって、ほい、受け取れっ」

 ミヤコはスリッパを対にしてポイポイと辻村に向かって投げる。辻村はスリッパを受け取り、方向を揃えて丁寧に下駄箱へ。下駄箱が一杯になると、ミヤコは立ち上がり、売店から手頃な段ボール箱を貰って、中に新聞紙を敷き詰める。

「新聞紙は虫除けになりますからね。ミヤコくんは、意外と繊細ですねえ」

「おう、任せろぃっ。通信簿が実習と体育抜かしてオール二とか、腹が膨れりゃ食うもんはこだわらねえとか、めんどくせえから台所用洗剤で頭を洗っちまうとか、そんなつまんねえことは、どうだっていいけど、点検と片付けだけは、しっかりやるのがアタシの信条だっ」

 辻村は手を止めた。梅干しを食べたような酸っぱい顔で目元に皺を寄せ、ミヤコを見る。

 ん? どうした? 臭いスリッパ、あった?

「オール二……って、五段階評価で?」

「バカぁ言っちゃいけねえ。十だよ、じゅう! 五段階なら限りなく一だって、ワタセンが泣きながら言ってたからよぉ! あんまり泣くもんだから、ドンマイって言ってやった!」

「……食べるものには、こだわったほうがいいと思いますが」

「金がねえのっ。あ、そうだ。ティッシュにマヨネーズ付けて、ガムみたいに噛んでると、腹ぁ膨れるぜ」

「……頭を台所洗剤で」

「いい匂いだから問題ねえ。ほら、手を動かせ、手。片付けをサボる者は、工業高校生の恥だぞ」

 ミヤコは溜めてあった、対にしたスリッパを怒涛の勢いで辻村に向かって投げる。辻村は段ボール箱を脇に抱え、次々に受け取っては、放り込んでいく。

「ジミヘンが毎日、点検、片付けって、口を酸っぱくして言ってましたねえ。今となっては、懐かしいことですが」

 おい、辻村。お前、それ、戦前みたいな口調で話すけど、お前もちょっと前までは高校生だったんだからな。

「おう、点検、片付けができないヤツは、ヘッポコのド三流野郎だ。よぉし、これで最後だ。剛速球、行くぜっ」

 ミヤコは最後のスリッパをぐっと掴み、体を反らし、腕を引いて構える。

 辻村は「はいはい、ボールは駄目ですよ。しっかりとストライクを狙ってくださいね」と段ボール箱をミヤコに向かって傾ける。ミヤコは振りかぶり、三和土を蹴って、豪速でスリッパを投げた。

「っ痛ぇえっ!」

 ボスッという鈍い音が響き、急にバッターボックスに入ってきた男の股間に命中した。

 男は全身茶色、おまけに上半身はずぶ濡れといった風体で、火薬の匂いを漂わせている。

 なんだ、こいつ。うわ、すげえ茶色い。さては日本平動物園から逃げ出してきたオランウータンか、はたまた謎の地底人だな!

「おいお前、オランウータンか? それとも、地底人か? なあ、答えろよ」

 ミヤコは胸を弾ませながら、股間を押さえて蹲る男の背中に蹴りを入れる。辻村は段ボール箱を置いて男を観察するなり「あっ!」と声を上げた。辻村は、止めどなく蹴りを入れるミヤコを止め、蹲る男の背中をさする。

「ミヤコくん、この茶色い人、鎌倉さんです」

「なんだぁ、ただの茶色い鎌倉かぁ」

 ミヤコは肩を落として、チッと小さく舌打ちすると、踵を返す。

 あー、蹴って損したぜ。帰ろ、帰ろ。未知の生物かと思ってワクワクしたアタシのワクワクを返しやがれってんだ。茶色い鎌倉なら、まだ犬のフン踏んだほうがマシってもんだ。

 謎の男こと鎌倉は、蹲ったままの状態で顔を上げ、牙を剥いてミヤコを睨み付ける。

「俺を殺す気か! このドグサレ女!」

「飛び出してきたのは、そっちだろうが。勝手に飛び出してきて、チンコにデッド・ボール食らうなんざ、かっこわりぃ。つか、なんで土まみれなんだよ」

「大人の事情があるんだよ。好き放題ほざきやがって。てめえ、この野郎、俺の股間に何かあったら、損害賠償請求するからな!」

「うるせえぞ、鎌倉。チンコ爆発しろ」

 辻村は「まぁまぁ」と二人の間に入って宥める。鎌倉は辻村の手を払って、壁に寄りかかりながら、よろよろと立ち上がる。

 鎌倉め、子豚を狙う根性の悪いオオカミみたいな顔してるくせして、生まれたっての小鹿のようにプルプルしやがって。チンコの一つや二つ、なんだってんだ。

「なぁ、辻村もアタシの言い分に賛成だろぃ?」とミヤコは辻村に同意を求た。が、辻村はミヤコの目をじっと見て、首を横に振る。

 あ、そう。一つや二つも、ダメ。ふぅん。

 鎌倉は壁伝いにヨロヨロと歩き、社務所の中を見回す。ミヤコと辻村は、鎌倉の後を追った。鎌倉は、何かを探している様子で、部屋を覗き込んでは肩を落とし、柱の陰や、座布団の下まで調べている。鎌倉が畳の継ぎ目に手を掛けるのを見かねた辻村が、再び止めに入った。

「鎌倉さん、なにを探されているんですか?」

「あん? 決まってるじゃねえか」

 鎌倉は眉毛を吊り上げて、ニヤッと笑う。

 悪いこと思いついた狼みたいな顔しやがって。つうか、きっとまた、ロクでもねえ金儲けでも思いついたんだろうな。成功した例がねえのに、懲りねえヤツ。

「大道芸人さんなら、全員、ホームステイ先に行かれましたよ」

 辻村の発した衝撃の一言に、鎌倉は凍りつく。どうやら辻村の読み通り、鎌倉は大道芸人どもを使って、金儲けを考えていたらしい。

 どこで好い加減な情報を仕入れてきたか知らねえが、てめえの金儲けに、ウチの商店街を巻き込むなってんだ。

 ミヤコは鎌倉に顔を向け、両手で顔を挟んで頬の肉を中央に寄せ、笑う。

「やぁい、一足遅かったな。バ鎌倉」

「う、うるせえっ。探せば、どこかに、残ってるかもしれねえだろ!」

 どっかって、どこだよ。

 鎌倉はすっくと立ち上がり、大広間を飛び出した。廊下を走り、待合室へ向かう。待合室の襖を開け、再び柱の陰や座布団の下、天井にへばりついていないかを確認する。無論、人の気配など、欠片もない。鎌倉は待合室を飛び出した。給湯室横の階段を駆け上がり、社務所の二階へ。ミヤコはゆっくりと階段を上り、辻村は給湯室の雑巾で階段の手すりに付いた土を拭う。

「神池で一度じっくり泳いで、土を落としてきてくれませんかねえ」

「無駄じゃね? そしたら今度は、水浸しだぜ」

「鞄の中も、机の中も、探したけれど見つからないのに、まだまだ探す気なんですかね」

 辻村は鼻歌交じりに汚れた雑巾を裏返し、壁、足元を拭く。

 随分な余裕じゃねえか。あ、そっか、一度ライブハウスを酒浸しのゲロ塗れにされてるからか。

「それより、僕と踊りませんか――とは、いかないんじゃねえの。辻村、掃除は任せた」

 ミヤコは階段を上りながら、二階に視線を投げる。ドタドタ響く足音に、バタバタと開閉する襖の音。押入れの収納物の、座布団、スリッパ、式典用の紅白幕や白布などが、宙を飛んでいる。

 ったく、鎌倉の野郎、これじゃ押し込み強盗じゃねえか。金が絡むと、他のことはお構いなしだな。

「おい、鎌倉。いい加減にしねえかっ」

 ミヤコは階段を一気に上ると、脚に力を入れた。

 助走をつけて、鎌倉の背中に飛び蹴りを食らわす。鎌倉は「ほげっ」と間抜けな悲鳴を上げて、二階隅の部屋へ襖ごと倒れ込む。

「ほれ、行くぞ。ったく、こんなに散らかしやがって。ちゃんと片付けろよ」

 ミヤコは倒れた鎌倉の襟元を掴んで、部屋から引き摺り出そうとする。だが、鎌倉も襖にしがみついて、離れようとしない。

 仕方ねえ。襖に紐で縛り上げて、反省するまで神池に浮かべとくか。

 ミヤコは、鎌倉が逃げないよう、頭を強く踏みつけた状態で、紐を探す。

「大」の字に倒れている鎌倉の右手の先に、五センチ程の太さの紐を見つけた。ナイロン製の黒色の紐で、強度も問題なさそうだ。

 おっ、ちょうどいいところに、紐、発見!

 ミヤコは紐を掴んで、グイッと引き寄せると、紐の先に付いた黒い物体が姿を現した。黒い物体は、ごん、と鎌倉の頭頂部を直撃して、ミヤコの腕の中へ。ミヤコは黒い物体の正体にすぐに気付いた。

 ギターだ。紐だと思ってたのは、ギターのストラップだったってわけか。しっかし、黒塗りの、かっこいいギターだぜ。まあ、ネックとヘッドが見事に折れてるけど。……で、なんで、こんなところにギターが有るんだ? 神社の誰かが弾くのか?

 モニョモニョと呻き声のようなものが聞こえ、ミヤコは鎌倉を踏む足に力を入れる。

「うるせえ、ちったぁ黙ってろ」

 鎌倉は両腕に力を入れ、背を反らして顔を上げる。

「……お、俺じゃねえ」

「お前の他に誰が喋るってんだよ。ほら、モニョモニョって、また……え?」

 ミヤコは、モニョモニョと聞こえた窓側に視線を向けた。窓の障子に凭れ掛かり、体を小さくして、怯えた目をした青年が三人、立っている。三人とも背が高い。髪の毛や目、肌の色から推理して、欧米系の外国人のようだ。肩まである金髪の青年が、ミヤコの持つギターを指差して、何か言っている。

「ん? 何が言いたいんだ?」

 ミヤコは耳を傾ける。が、金髪の青年が話す英語らしき言葉は、全く頭に入ってこない。

 モニョモニョ、イズ、アニャアニャ……なんのこっちゃ。通訳できるヤツは残ってねえし、困ったな。……期待はしてねえけど、聞いてみっか。

「おい、鎌倉。英語は喋れるか?」

 ミヤコは鎌倉を踏み付けていた足を離し、ベルトを掴んで勢いよく引っ張り上げる。鎌倉は引っ張り上げられた衝撃で吐きそうになりながら、襖の上に座った。鎌倉は金髪の青年を睨み付ける。

「なんだ、こいつら、大道芸人か?」

「分かんねえって。それを聞きたいから、英語は喋れるか、って聞いてんだって」

 鎌倉は胡坐をかいて、膝を叩く。

「へっ、自慢じゃねえがな。俺が喋る英語は大体、ファック、ビッチの二種類だ」

「胡坐かいて、威張って言うセリフじゃねえよ」

 案の定、使えねえ! まあ、アタシも似たようなもんだけど。ファック、ビッチ、このチキン野郎、アイアム・ア・バイシクルぐらいだな、うん。あ、辻村、辻村なら喋れるだろ。高校時代、かなり成績優秀で、大学推薦をいくつも貰ったって、煙水中から聞いたし。

 ミヤコは一階と階段の掃除を終えて階段を上ってくる辻村の襟首を掴み、部屋の中へと引き摺りこんで、金髪の青年を指差す。

「さあ、辻村先生よぉ。こいつが何を言ってるか、通訳しろ、つ、う、や、くっ」

 辻村はミヤコに向かってニッコリと微笑んで、潔く首を横に振る。

「僕ね、英語と体育は、からきし駄目で、高校時代三年間、ずっと成績二でした」

 うおお、意外と使えねえ! 

        5

 ミヤコ、辻村、鎌倉は携帯電話を取り出した。面を付き合わせ、電話帳を検索して通訳ができる人物を探す。ミヤコは鎌倉の携帯電話画面を覗き込む。

「おい、バ鎌倉。英語を話せるやつ、誰かいるら? 後輩とか、同級生とか、先輩とか、教授とか」

「黙れ、大バカ鳥居。自慢じゃねえけどよ、俺はな、人として信頼されてねえし、友達が、いねえんだよ」

 知ってるよ。お前は、人として信用されてねえし、友達、いねえし、足が納豆のぬか漬けみたく臭ぇし、脳みそにウジ湧いてんだろ? そうじゃねえっつうの。ほら、お前の、年下の同級生で、前に見かけたとき、お前にコバンザメみたくひっついてた奴ら。

 ミヤコは鎌倉に聞いた。

「ほら、えーと……あの、ああ、久米田と小澤とかっていう奴らは? 見た感じ、頭良さそうじゃねえか」

 鎌倉は苦い顔をして、ブルンブルンと残像が現れるほど激しく首を横に振った。

「無理、つうか無駄。あいつら飛行機馬鹿で、四六時中、つうか一年中、重力に勝つことしか考えてねえ。水着の女子と飛行機が、たすけてーっ、って崖に引っ掛かってたら、確実に飛行機を助ける奴らだ。英語が喋れる云々の前に、俺はあいつらと極力関わりたくねえ。というわけだ、辻村、お前がなんとかしろ。お前、成績優秀だったじゃねえか」

 鎌倉は辻村の携帯電話画面を覗き込む。

「ですからね、僕は英語が苦手なんですよ。日本語みたく曖昧さがゼロでしょう? 善悪、善し悪し、右左って言い切ってしまうから、どうも肌に合わないというか。あ、音楽は別ですよ」

 辻村は「ねっ」とミヤコに同意を求める。ミヤコは深く頷く。

 そう、音楽、特にロックンロールは別な。カッコイイし、なんとなくだけど、何を言ってるか、何を伝えたいか、メロディーラインを聴いてれば分かるし。あと、翻訳した歌詞カード、入ってるし。歌詞……歌詞なら、鎌倉はライブに出演して、歌ってるじゃんか。

「鎌倉さぁ、ライブで歌ってるんだから、英語、話せるら?」

 ミヤコは鎌倉を見る。鎌倉は早々に検索を諦めて、携帯電話をしまい、肩を竦める。

「英語の歌詞なんざ、その場で耳で覚えて、歌ってるだけだっつうの」

 だから、その、記憶力を生かせって。使えるのあるだろ、英語の歌詞で。

 鎌倉はミヤコに向かってシッシッと手を払う。

「思い出せってか? ふざけんな。俺は、金が絡んだときにのみ、異常なまでの記憶力を発揮するんだ。俺の記憶力はメーターぶっちぎりになるのは、この外人共が大道芸人だと判明した時点だ。ま、お前が金を払ってくれんなら、別だけどよ」

 鎌倉のシッシッと動く手の掌が、上に向いた。金をねだる動作に変わってミヤコに向く。

相変わらず、最低だな、コイツ。お前の脳ミソの血管がぶっちぎれろ。あと、チンコ腫れろ。先っぽから、蛍光緑色の膿とか、出ろ。

 ミヤコは鎌倉に見切りをつけて、辻村の携帯電話画面を覗き込む。辻村はいくつか候補が有るらしいが、目を細めては首を横に振る、の繰り返しだ。

 困ったぜ。お手上げだ。

 ミヤコは金髪の青年に視線を投げる。英語を喋り続けてはいるが、言葉が伝わらず、酷く困っている様子だ。残りの二人は、うな垂れて手荷物を整理している。

 このままじゃ、可哀想だ。困ってるなら、助けてやりてえし。見たところ、二人が持っているのも楽器みてえだな。あのバカでかいボストンバッグはもしかしてドラムセットか?モニョモニョ言ってる金髪のあんちゃんの持ち物が、この壊れたギターだとすると、ドラムセットの横の細長いのは、もしかして、ベース? じゃあ、こいつらは大道芸人じゃなくて、バンドか? だとしたら、どうしてこんなところで、蜷局を巻いてんだ? それを聞こうにも、英語が話せないとなぁ。煙水中がトーイ……ナンチャラっつう、よく分かんねえ英語のテストで高得点を取ってたから、習っておけばよかった。……ん?

「いたーっ!」

 ミヤコは叫ぶ。金髪の青年が驚いて肩を震わせ、残り二人も何事かと両手で頭を抱えて身を低くする。

 そうだ、煙水中だ! あいつは英語が、ぺらっぺら、だ!

「いた、いたいた、英語、喋れるやつ、いた!」

 ミヤコは携帯電話を操作して、つととととととと、と発信ボタンを押す。

         

 

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