2ー9『清子さんの昼ごはん』

 別荘に戻ってくる頃には、きよくんの気分はすっかり晴れたようで、自然な笑顔が戻っていた。

 一方、ぽんすけはご機嫌斜めだった。戻る途中も、カゴの中から俺のことを恨みがましく睨み続けていたが、あえて触れないことにした。

「ぽんすけくん、羽村はむらさんの方をすごく見ているんですけど」

「あんまり気にしなくていいよ。ワガママ言ってるだけだから」

『んだとぉ! オイラはせーとーな報酬を要求してるだけじゃねぇかぁ!』

 清子くんには聞こえないその反論も無視することも出来るが、これ以上放っておくと中で暴れかねない。仕方なく俺は、少量の固形餌を手に乗せると、清子くんに渡した。

「清子くん、ぽんすけにちょっと餌をあげてみて」

「あ、はいっ。頑張ってやってみます」

 と、清子くんは何故か力み始めた。

「いやいや、そんな緊張しなくていいよ?」

「私、ハムスターにご飯をあげたことはないので」

 そんな大袈裟な、と言いかけて、俺は思い出す。そういえば自分もぽんすけを保護してから、普段はいかない図書館に駆け込んで飼育法を勉強したことがあったっけ。

 そう考えると、勝手がわからない以上、緊張するのは当然の心理か。

『おぉっ、アイツ飯くれるのかぁ!』

 まあ、当事者はそんな気持ちなど微塵も慮ることなく、必死に飯をねだっているわけだが。

「確かにぽんすけは、猛獣と良い勝負の食欲だけど、飯の時はおとなしいから安心して」

「わ、わかりました。ぽんすけくん、おやつですよー」

 清子くんが、ぽんすけにそう声をかける。しかし、奴にその言葉は届いていない。

 だが今は、偶然とはいえ二人の意志は歯車のように噛み合っている。言葉などなくても、人間と動物はある程度わかりあえるらしい。

 これは、動物の言葉を理解出来る俺だけが浸れる、すごく感動的なシーンなのかもしれない。

「うわぁ、すごい食べっぷりですね。朝御飯、まだだったんですか?」

「飯食う時はいつもこんな感じだよ……」

 そもそも、この小さな身体のどこにそんな飯が入るんだろう? 大食いなせいで少し普通のハムスターよりはふっくらしているけど。

 そういえばコイツ、あんまり頬袋に飯を貯めるところを見たことがない。もしかしたら頬袋の中がブラックホールになってるんじゃないか?

 ぽんすけの口に吸い込まれる光景が頭を過り、俺はそこで嫌な妄想をやめた。

 食いしん坊も満足させたことだし、俺は次の仕事へと取り掛かることにした。

 仕事鞄を開けると、まず分厚い手袋を取り出しておく。野生動物を素手で触わるのは危険だし、ましてや噛まれたら仕事どころじゃなくなる。よって、仕事上の必須アイテムと言えば、俺にとってはこれだ。

 清子くんにも渡そうかと思ったが、あるのは予備に回した使い古しのものしかない。うわ若い女の子の肌をこんなもので汚染するのは気が引ける。それに長年使ったものだから、薄くなっている部分もある。

 この起業以来、仕事に関して誰かの手を借りることはなかった。だから手伝ってくれる人に貸す道具は、まったく用意がない。

 せっかく何か手を貸したいと言ってくれているのだから、本格的な作業には参加させないにしても、それなりの物を渡したかった。

 まあ、次の機会があれば、その時には考えることにしよう。

 他に入っているのは、作業終了後、侵入防止の応急処置としてつけておくための金網と、それを手頃なサイズにカットするための切断具。そして、その他の野生動物を家屋に近づけないための忌避剤だ。

 そして最後は、野生動物が住み着いていた場所を洗浄するための道具一式である。

 今日は捕獲器の類は持ってきていない。依頼を受けた時にも話したけど、捕獲するとなると許可が必要で、その申請自体に何週間もかかってしまうからだ。

 しかし、家屋から追い出すだけなら一応問題はない。逆に言えば、今日追い出すことが出来なければ、申請をしてから後日改めて捕獲を目的としてここに訪れないといけない。

 まあ失敗した場合、俺にまた仕事を頼んでくれる保証はないんだけど。

「あ、そういえば羽村さん、お昼はどうされるんですか?」

 ぽんすけの満足そうな様子を見ながら、清子くんがそう問いかけた。仕事支度をしながらも、俺は質問に答えるべく、懐から昼飯を取り出す。

「大丈夫、ちゃんと菓子パンを持ってきてるから」

「え、それだけ、ですか?」

 菓子パンを片手にぶらさげる俺を、清子くんは呆気にとられた顔で見ていた。清子くんを見て、俺も同じような顔になってしまう。

「あの、他には持ってきてないんですか?」

「まあ、この通りパン以外は持ってきてないけど」

「い、いくらなんでも不健康すぎます! 絶対それだけじゃダメです!」

 身を乗り出すような勢いでまくし立てられ、俺はすっかりタジタジになってしまった。

「具合悪いわけじゃないですよね?」

「この通り、仕事出来るくらいには元気だけども」

「お腹空いてないとかじゃないですよね?」

「まあ、腹の虫も頻繁に鳴いてるし」

「はっきり言って、お金がなくてそれしか用意出来なかっただけですよね?」

「……はい」

 俺は、なんだか叱られているような気分になった。というか、肩を竦める俺をきつく睨む清子くんを見るに、これはどうもその通りらしい。

「私、今から御飯作りますから、食べてください」

「作るって、どこで?」

「隣の小屋にも、使用人さんの食事用に小さな台所があるんです。お昼に使っていいって、《こ》子ちゃんが食材を用意してくれていて」

 そうなんだ、と、俺は生返事のような腑抜けた声しか出せなかった。

「というわけで、昼食は私に任せてください」

 今の清子くんは、いつもより自信に溢れている気がした。というか、ようやく何か仕事が出来たということが、嬉しいのかもしれない。

「でもそれって清子くんのために言ってくれたんでしょ? 俺の分までなんて、悪いよ」

「伊智子ちゃんはそんなみみっちいことは言いません。あ、それとも私の料理が信用出来ないんですか?」

 滅相もございませんと、俺が手を振ると、清子くんは「じゃあ、遠慮せず期待していてください」と笑顔を見せた。

 俺は清子くんの料理を食べたことがないから、腕前がどれほどかは知らない。ただ、あんな風に言われたら頷くしかないだろう。あんな誠実な少女の手から生み出される料理が、おぞましい何かでないことを祈っておく。

「じゃあ待ってる間、俺は仕事の下準備を済ませておくから。万が一何かあったら、すぐに呼んでね」

「何かって、なんですか?」

「もしかしたら、そっちにも住み着いてるかもしれないから、気をつけてってこと」

 清子くんはそれを聞くと、恐る恐る小屋の鍵を開け、慎重に中へと入っていった。

 気配は感じないから、恐らくあの小屋の中にはネズミも住んでいないだろうけど、用心に怪我なしだ。

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