布団の中で

 部屋に戻った後はテレビを見ていたが、あまり面白いと思える番組はやっていなかった。だけどケーブルテレビでは地元中学生のスピードスケートの大会を放送していて、冬季五輪の中継でしか見たことがない競技だったから物珍しさ半分で視聴したものの、熱い試合が繰り広げられていたからつい見入った。


 その放送も終わるといよいよ見るものがなくなり、後は寝るだけとなった。布団は仲居さんが敷いたまま、つまり布団一枚に枕二つという状態である。


「このままでいいの?」


 美和先輩が「さあ一緒に寝よう」と言い出すかと思ったのだが、私に決定権を預けてきた。でも私の答えはこうだ。


「はい。このままで構いません」

「え、本気で言ってる?」

「先輩はもうそういうことしないと信じてますから」


 風呂場で正直に話してくれたし。これで最後と決めて私を誘ったのだし。先輩には何が何でも楽しい思い出を作ってもらいたかった。


「わかった。でも私がオオカミになりかけたら、遠慮無くこれでブッ叩いてくれて良いからね」


 先輩は部屋備え付けの肩たたき棒を振り上げた。なぜか気に入ったようで、テレビを見ながら何回も肩を叩いていた。


「先輩を信じてますって。おやすみなさい」

「おやすみ」


 私は部屋の電気を常夜灯に切り替える。たちまち部屋は薄暗いオレンジ色の空間へと早変わりした。


 同じ布団に二人一緒で寝るのは、私がまだだいぶ小さかった頃に母さんと一緒に寝て以来だ。私は先輩の方に体を横臥させた。先輩は私と同じ方向、出入口のふすまの方を向いている。


 そのまま目を閉じたが、一分も経たないうちに先輩がやおら身を起こした。


「あー、寒い」

「寒いですか? 暖房はちゃんと動いてますけど」

「ふすまの隙間から冷気が入り込んでるっぽいの」


 私は何とも感じなかったが、先輩がちょうど壁になって冷気が届いてないだけなのかもしれない。


「布団をずらすか、左右入れ替わりましょうか」

「いや、こうしよう」


 先輩が枕ごと、身をすっと寄せてきた。その途端、私の心臓の鼓動が急激に速くなる。


「いや?」

「いえ。先輩がそうしたいのならどうぞ」


 私たちは再び、布団の中にに身を潜らせた。


「うん、これで暖かくなったよ」


 至近距離、吐息が顔にかかるぐらいの近さで先輩がささやいて、目を閉じた。常夜灯でオレンジ色に照らされた先輩の寝顔。唇はリップグロスを塗ってないはずなのにツヤツヤしている。


 私は天井を向いた。さっきまでの眠気がウソのように吹き飛んでしまっている。あんまり健康によろしくないなあと思いつつ、常夜灯を見つめた。そのうちまた眠気が来ることを願って。


 しばらくそのままボーッとしていたら、全く唐突なことに、初恋相手の顔が浮かんだ。父さんが前の大学に勤めていた頃の教え子。家に遊びに来たとき初めて見て、ずっとドキドキしっぱなしだった。ゼミの同期とすでに恋仲であると知るまでは。


 あのときのドキドキと今のドキドキ、何が違うのだろう。考えても考えても、眠気はまだやって来ない。


 スー、スーと寝息がする。美和先輩が先に寝入ったらしい。それと同時に、鼓動が少し落ち着くのを感じた。


 やっぱりあのときのドキドキとは何かが決定的に違う。先輩がオオカミになる可能性が無くなって、安堵しているだけに過ぎない。


 ――先輩はやはり恋人として見られない


 そう悟った瞬間、申し訳ないという気持ちで一杯になってしまった。


 私は先輩の方に体を向けた。そのときだった。


「ありがとう」


 先輩はかすかに、だけど確かに、そう呟いた。目から一筋の光るものを流しながら。私も眼の奥がじんと熱くなってきた。


 先輩が果たして今、夢か現、どちら側にいるのかわからない。でもどっちだって構わない。耳に届いてくれさえすれば。


「こちらこそ」


 私はそう返事して、先輩の髪を撫でてあげた。小さい頃、寝付きが悪かったら母さんがよくこうやって撫でてくれたっけ。


 私は先輩と向き直ったままで、やがてまどろみに落ちていった……。


 *


「おーい」

「う、うん……」


 右のほっぺたに何か当たる感触がして、私は目を開けて頭を右に向けた。


 美和先輩が肩たたき棒で私を突っついている。浴衣どころか下着しか身につけていない。私は飛び起きた。


「おはようっ」

「な、何で脱いでるんですか!」

「ごめん、早く起きちゃったから一人で朝風呂に行ってきたの」


 先輩はそう言っている間に、早くもハイネックのシャツに袖を通してジーンズを履いていた。


「今の千秋、めっちゃエロいよ」

「エロいって……? あっ」


 私の浴衣は胸元がはだけてしまっていた。単に寝相が悪かったのかそれとも……。


「へっ、変なことしてないですよね!?」

「してないよ。私がその気だったらパンツ脱がしてるし」


 先輩はいたずらっぽい笑みを浮かべて、別に知りたくない情報を教えてくれた。パンツは当然無事だ。


「まだ朝食の時間じゃないし、千秋もお風呂へどうぞ」

「わかりました……」


 私は浴衣を整え直した。


 朝風呂を終えて部屋に戻り、服に着替えると先輩と一緒に食堂に向かった。朝食はバイキング形式になっていたけれど、種類が豊富で何に手をつけていいのかわからない。とりあえず玉子焼きと納豆は決まりだ。


「おはようございます」

「あ、女将さん。おはようございます」


 女将さんは今朝も深緑色の着物だった。


「昨夜はいかがでしたか?」


 私は答えに窮した。いかが、とはどう意味だろうか。普通、そこは「よく眠れましたか?」ではないだろうか。


「気持ちよく寝られました」

「あらあらあら~うふふふふ」


 女将さんは着物の袖で口元を抑えた。先輩の言葉を絶対にそういう意味で捉えている。


「朝食ではワカサギの唐揚げや信州味噌を使った味噌汁など、地元の素材をふんだんに使った料理をお出ししていますからね。ごゆっくりどうぞ」


 女将さんは意味深な笑みを浮かべて去っていった。


「私たち、やっぱり恋人どうしだと思われてますよ」

「思わせたままで良いんじゃないかな。どうせ旅の恥は何とかなんだし」


 ことわざの用法が違う気がする。


「でも娘さんに私たちのことを吹聴したらどうするんです? それを娘さんが学校でしゃべったらどうなります?」


 先輩があっ、と声を出した。


「うん。まあ、その時はその時だね」


 お互い、苦笑いしか出なかった。


 朝食をたっぷり取って、私たちは部屋で少し休憩してからチェックアウトした。女将さんが直々に見送ってくださったので、そのことに対して丁寧にお礼を伝えてから碧雲閣を後にした。


 真っ直ぐ上諏訪駅に向かわず、諏訪湖の方に足を向ける。近くの湖畔の公園に着いた私たちは、一番間近で諏訪湖を眺めることになった。


 雄大さの再認識もさることながら、車や宿からでは見えなかった詳細なものまでが見える。船着場には白鳥を象った遊覧船が停泊しているが、本物の白鳥も気持ちよさそうに泳いでいる。その様子をカメラマンが白い息を吐きながら熱心に映している。私たちもしっかりと、スマートフォンに景色を収めた。


 それから上諏訪駅に行き、土産物店で両親、生徒会へのお土産を買った。いろいろ売っていたが、ここは無難にお菓子を選択。


 後は行きと真逆の交通手段を使って、家に帰るだけである。それでも電車到着まで時間があったから、駅構内にある足湯を利用させてもらった。この地を離れるのを惜しむように、湯の温かさをじっくりと足で味わった。


「年が明けたら千秋も忙しくなるよ。会長選の結果がどうあれ、千秋は役員に内定しているようなものだし。来年度のサブの選定とか、部活動の予算配分とか」

「二度とコン部と美術部みたいな争いは起きて欲しくないことを願います」

「千秋なら私みたいに嫌われてないし、争いが起きても丸く治められるよ。それでもダメなら私や陽子から教わった交渉術を駆使すればいい」


 弱みを握るのは今津会長の助けを借りてやったことがあるけど、やりたくないのが本音だ。脅して宥めすかすのは性格的に絶対無理だ。私なりの方法を模索しよう。


「じゃ、行こうか」

「はい」


 話し込んでいるうちに電車が来る時間になってしまった。名残惜しいが諏訪の地とはお別れだ。


 一泊二日は短かったけれど、まるて一週間ほど時間を過ごしたかのような濃密さだった。冬休みはまだ初めの方だけれど終わるのはすぐだ。冬休みが終われば私は会長選に臨み、先輩は一年以上先の東大合格に向けての猛勉強が始まる。


 帰りは行きと違ってリラックスムードだったから、特急「しなの」では美和先輩は居眠りを決めこんだ。私の肩に頭を預けてきたけれど、私はそのままにしておいた。


 先輩がそうやって寝ている間、私は女将さんがくれたヒントを元に「緑葉女学館をどうしたいのか、緑葉女学館はどうあるべきか」を考えていた。


 諏訪の湯で頭がほぐれた効果かもしれない。おぼろげだけれど、骨格が見えはじめてきていた。肉付けは後だ。まず骨格を。


「ちあき」


 先輩の口からかすかに私の名前が漏れたが、目は閉じたままだった。何の夢を見ているのかわからないが、悪い夢ではなさそうだ。穏やかな寝顔だから。


 私もいったん寝ることにしよう。

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