「あっ、見て見て!」


 美和先輩が大声ではしゃぎだした。電車内に乗客はほとんどいないとはいえ、恥ずかしいからあまり声を出さないで欲しいのだが……


「何です?」

「諏訪湖だよ、諏訪湖」


 先輩が車窓の外を指さしたところには、太陽の光を浴びてキラキラと輝く大きな湖。諏訪湖の姿がそこにあった。移動中の電車の中だから建物の影に隠れたり現れたりしてしまっているが、ここからでも雄大さは伝わってくるようだ。


「今日の宿は上諏訪の諏訪湖のほとりでしたよね?」

「そうそう。夜景が超キレイらしいよ」


 どんな夜景が見られるのか楽しみだ。だけど今は上諏訪駅を通過して、もう一つ向こうの茅野駅まで行った。


「さあ千秋、ここからまた歩きだよ」


 私は先輩と一緒に、スマートフォンの地図アプリで経路を確認した。下諏訪駅から春宮までと比べると距離が若干遠いが、温泉に浸かって体力を回復させた私はどんな距離だろうと屁でもない気がしていた。それはきっと先輩とて同じはず。その証拠に、今まで以上に足取りが早くて軽やかだ。


「あ! ここにも御柱があるよ!」

「本当だ」


 通りかかった神社の境内に、諏訪大社のに比べると小さな、それでも人の背丈よりは遥かに大きい御柱が屹立していた。実は下諏訪でも、道すがら見かけた小さい神社に小さな御柱が建っているのを見かけている。


「諏訪地域の神社ってどこも御柱が建ってるんだ。そもそも何で御柱なんだろう?」

「調べてみたんですけど、由来はよくわらないみたいです。結界だとか四天王を現しているとか、縄文時代の巨木信仰に連なるって説もあるみたいで」

「確かにこの地域って、縄文時代の遺跡がいっぱいあるんだよね。河邑さんが聞いたら喜びそうだな」


 そういえば河邑先輩、冬休みは古川さんや郷土研究会のメンバーを集めて地元の古墳巡りをするらしい。古代ロマンに想いをはせる冬休み。


 中央高速道路の下をくぐって宮川を渡ると、T字路に差し掛かった。諏訪大社の案内看板に従うと、左に曲がると前宮、右に曲がると本宮である。私たちは最初の予定通り、前宮に向かった。


 鳥居から拝殿までの距離は意外と長く、坂の上にある。拝殿は小さく質素な作りだった。だけど御柱はやはり大きくて、しかも四本全てを間近で見ることができた。春宮と秋宮では奥側の二本の柱だけ立ち入り禁止の場所にあったために仕切りの柵から遠目でしか見られなかったが、前宮では柵が無いので近くで見放題である。もちろん、ちゃんと神様に参拝した後で鑑賞した。


 坂道を下る途中で、先輩がスマートフォンの時計を確認した。


「思ったよりも結構早い時間で回れてるから、『神長官守矢史料館』に寄ろうか」

「じんちょうかんもりやしりょうかん?」


 予定にはない場所だった。


「ここから本宮に続く道の途中にあるの。結構ヤバイらしいよ」

「ヤバイって……」


 一体何がヤバイのか自分のスマートフォンで調べようとしたら、それに気づいた先輩が「ネタバレはだめだよ」と言って止めてきた。そんなことされたら余計に気になってしまうが。


 しかし私が目の当たりにしたものは確かに「ヤバイ」代物だった。史料館の外観は寝かせた台形と立方体の二つがくっついているような形で、入場料を払って中に入ると、そこにはグロテスクな光景が広がっていた。


 ずらりと並べられた多数のシカの頭の剥製に、串刺しになったウサギの剥製。「脳和のうあえ 鹿の肉と脳みそのえ物」という表示があるおぞましい生肉の模型。一つ一つ目に飛び込むたびに私は「おおう……」と唸ってしまった。


「生で見るとグロいねー」


 言葉とは裏腹に先輩は嬉しそうだ。


 やがて学芸員の人がやってきて、親切丁寧にグロテスクな展示について教えてくれた。諏訪大社前宮で行われていた御頭祭という神事を再現したもので、現在も行われているものの明治時代に大きく形態が変わってしまい、今ではシカの剥製を備えているとのこと。


 神道では血なまぐさいのを嫌うはずなのに、神事で獣の肉を供えるというのは類を見ない。元々諏訪地域ではミシャグジという土着の神様を信仰していたようで、ミシャグジの祭祀の名残ではないかと言われている。


「そのミシャグジ様を祀っていたのが守矢氏で、代々上社の神事を司る神長官じんちょうかんという職に就いとったんですね。明治時代に入って政府が諏訪大社を統括してからは神職の世襲が禁止されて、諏訪大社から離れることになってしまいましたが、子孫の方が守矢氏に伝わる史料をこのような形で公開しておられます」


 学芸員さんの説明を、私たちは剥製を眺めながら聞いていた。ちなみに剥製は撮影可能だったから、もちろんスマートフォンに収めた。


「後で陽子に送ろうっと」


 先輩は本当に嬉しそうだ。多分、今津会長もこういう珍しいものが好きだから喜ぶだろう。


 奥の展示コーナーは撮影禁止になっているが、そこには戦国時代の武将、武田信玄が当時の神長官、守矢頼実よりざねにあてた書状などが展示されていた。信玄は諏訪を支配した後に諏訪大社の再興に力を入れており、守矢氏とも関係が深かったという。


 一番奥には大昔の上社周辺の様子を描いた絵図が掲げられていたが、御柱まできっちりと描かれていた。その他五重塔のような建物まであるが、はて、こんな建物が近辺にあっただろうか。学芸員さんに聞いてみた。


「神仏習合の時代は寺院もたくさん建っていて五重塔もあったんですが、明治維新後に神仏分離令が出されてそこから起きた廃仏毀釈運動で五重塔を含めてほとんどが壊されてしまいましてね」

「本当ろくなことしないなあ、明治政府は」


 美和先輩が冗談混じりで憎々しげにつぶやいたら、学芸員さんは苦笑いした。改革を成し遂げるには時には古くからあるものを潰さなければならないこともあるのは確かだけれど、当時の人から見ればたまったものじゃなかったかもしれない。


 たっぷりと歴史を堪能した私たちは史料館を後にして、いよいよ四社巡りの最後となる本宮に向かった。県道から標識に従って脇道に入りしばらく歩くと鳥居が見える。その先を進むとまた鳥居があって、ここが境内への入口となっていた。


 境内に入り、入口御門と呼ばれる木製の長い渡り廊下を歩く。渡りきった先をもう少し歩いたら門があり、くぐると左手に拝殿があった。


 四度目の参拝は、より一層気合いを入れて柏手を打った。最後に一礼すると、にわかに達成感がこみ上げてきた。


「何だか心が洗われた気がしますね」

「そうだね。一日でこれだけ神様にお願いしたんだもん」


 戻り際、側にあった絵馬掛けを覗いてみた。時節柄、やはり志望校合格祈願の絵馬が目立つ。しかし私はその中でも凄いものを見つけた。


「先輩、先輩! これ見てください!」

「おおー!」


 私が指し示した絵馬には何と『緑葉女学館に受かりますように!』と書かれていた。しかも書いた子は地元の小学生だ。なぜなら、自分の名前と一緒に記されている小学校名の前に「諏訪市立」とあったからだ。


「諏訪からわざわざ遠い果ての地にある緑葉を受けようとするなんて、物好きな子もいるんだねえ」

「私はもっと遠い東京からですけど、いったん白沢市に引っ越した後で受験しましたからね」


 もっとも北海道からやって来た古川さんという例もいるけれど。とにかくほとんどが地元県民と隣県民で占められている緑葉では、遠方からの生徒は珍しがられるに違いない。


 しかし諏訪の地で緑葉女学館の名前を目にするとは。何かの縁なのだろうか。そう思った私は妙な高揚感に包まれたのだった。


 ここでも御柱をしっかりと鑑賞して、北側の参道に出た。ここは土産物屋が多くて、四社の参道の中では一番賑わっている。その中の一つを覗いたら、萌え系のフィギュアが売られていてこれまた驚いた。店のおばちゃんに聞いたら、諏訪姫というれっきとした諏訪市公認のキャラクターなのだとか。諏訪市半端ないな……。


「これ、生徒会室に飾ろう」

「えっ?」


 というわけで、お手頃値段の小さいフィギュアを買ってしまった。生徒会室には以前にUFOキャッチャーで手に入れた人気漫画『ファストピッチ』の多木星矢のフィギュアと今津会長が持ち込んだなまはげ人形が飾られているけれど、諏訪姫が加わったらもうなんでもあり感な空間が出来上がりそうだ。さながら個性派揃いの緑葉女学館の縮図、と言ってもいいかもしれない。


「じゃあ一つの目的を達成したことだし、宿に行こうか」


 私たちは来た道を引き返したが、すぐに先輩が駐車場に停まっていたタクシーの運転手さんに声をかけた。


「え、タクシー使うんですか?」

「お金のことなら大丈夫。さあ乗って、乗って」


 後部ドアが開くと、私は先輩に促されて乗り込んだ。正直、歩き疲れていたところだったからありがたいけれど、本当に贅沢な旅だ。


 先輩が行き先を告げて、タクシーは走り出した。十分程走ったところで、諏訪湖畔の道路に差し掛かった。電車で見た雄大な光景が間近に見えている。


「やっぱりでかいねー、諏訪湖は」

「昔はもっと大きかったんですよ」


 美和先輩の発言を、運転手さんが拾った。


「古代の頃だと諏訪大社のところにまで水が来ていたらしいですからね」

「そこまで大きかったんですか」

「ええ。諏訪大社の御柱は見ましたか? あれ、一説では湖水に浮かんでいる船に諏訪大社の位置を知らせる目印だったとも言われてるんですよ」


 へえー、という感嘆の声が私たちの口から漏れ出た。最初は合理的な目的で作られたのが後々宗教的な意味合いを持つようになったとすれば、面白いものだ。


 もう少し運転手さんの話を聞きたかったけれど、タクシーは目的地のホテルに着いた。


 私たちが泊まるホテルは『碧雲閣へきうんかく』という。見た目は高級ホテルのように豪奢でもなければ、歴史の感じられる古い旅館でもなく、無駄な虚飾が一切無い無骨な造りである。出入り口には「歓迎 ◯◯様」の看板が何枚も掲げられているが、その中にしっかりと「高倉様」と書かれているのがあった。私の名前ではないのに、少しこっ恥ずかしい。


 フロントでチェックインの手続きを済ませると、深緑色の着物を着た綺麗な方がやって来た。


「ようこそ碧雲閣へ。女将の御子柴みこしばと申します。これよりお部屋まで案内させて頂きます。どうぞこちらへ」


 土産物コーナーの隣にあるエレベーターに乗り込んだが、形式がだいぶ古そうなものだった。それでも点検記録は今年の十一月の日付になっているから、故障はしないと思いたい。


 四階でエレベーターを下りてすぐのことろにある404号室が私たちの部屋だった。十畳の和室で、中にはいるとすでに暖房が効いていた。


 奥側にある椅子二つと小さな机があるスペース、何と呼ぶのかわからないけれど和室に付き物のスペースの窓からは、諏訪湖が一望できる。落ちかけている太陽からの光の照り返しが宝石みたいに煌めいていて、環川の夕焼けの風景とはまた一味違っている。私たちはそれをすごいすごい、と口にしながら眺めていた。


「気に入って貰えたようで何よりです」


 女将さんがいることをすっかり忘れてしまっていた。


「お二人はどちらから来られたのですか?」

「XX県です」


 私が答えたら、女将さんは目を丸くした。


「あら、偶然ですね! 私も、生まれも育ちもXX県なんですよ」

「諏訪の人じゃないんですか?」

「はい。大学卒業後は観光業に就いてたんですけど、縁あって今はこのホテルで女将をさせて頂いております。XX県のどこにお住まいなんですか?」

「白沢市です。私たち、緑葉女学館に通ってまして」


 すると女将さんは口を抑えてあら~、と間延びした声を発した。


「こんな偶然ってあるのですね! 私も緑葉女学館の出身なんです!」

「ええーっ!?」

「館長先生の牛田由美子先生、私が高校三年生のときの担任だったんですよ」


 館長先生の名前がフルネームでスッと出てきたから、本当にOGのようだ。こっちまであら~、と言いたくなる。


「まさかここで後輩に会えるだなんて思ってもいませんでした。実は私の上の娘もね、今緑葉に通わせているんです」

「お子さんまで緑葉に!?」

「ええ。来年後期課程に進学します。下の娘も来年受験するんですよ」


 何と何と。反射的に、私は本宮で見た絵馬を思い出した。


「あの、もしかして下の娘さん、本宮の方にお参りして絵馬をかけてませんでした? 緑葉女学館に受かりますように、って絵馬があって、お名前も『御子柴』だったんですが……」

「ええ! 見ましたか? あらあらあら~もう、こんなことってあるんですね!」

「もうびっくりし過ぎて何が何だか、です」


 偶然も偶然。やはりこの地に縁があったとしか言いようがない。女将さんの着物が深緑色なのもやはり緑葉のスクールカラーと同じだから、だそうだ。


 女将さんは後輩の来訪に心底嬉しそうにしていたけれど、いくら後輩相手でも敬語を崩さなかったあたりは私たちよりずっと冷静だった。


「もっとおしゃべりしたいのですけれど、まずは旅の疲れを癒やしてください。今から宿の説明をさせて頂きますね」


 女将さんの説明はあまり耳に入ってこなかった。

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