黒馬の王子様

 案の定、グラウンドの前では黒山の人だかりができている。文化祭実行委員は割けるだけの人員を配置したものの、やはり人手が足りずに生徒会サブ総出でヘルプに入ることになった。


 執行役員は誰もいない。というのも実はというと、午前の馬術演技披露は学校説明会の時間とかぶってしまっているのだ。教職員がどうしても午前中に、と言うので仕方なしにこのプログラムを組まざるを得なかった。そのため今津会長たち執行役員は現在、管理棟の視聴覚室の方で来年の入学希望者と保護者相手に説明を行っている。緑葉を受験することが決まっているうらんちゃんもグラウンドまで迎えに来た河邑先輩に連れられて説明会の方行った。


 今津会長が不在の今、何かハプニングが起きたらと思うと不安になりがちだけれど、会長は事前に観客の整理誘導とプログラム進行についての計画を実行委員長の野島先輩に出していた。先輩はそれに基づいてキビキビと指示を出してくれたおかげで、こちらとしても動きやすく観客の整理も意外と順調に進んだ。


 四列で待機列を作って、落ち着きだしたところで古川さんが咳払いを一つして、肉声で「みなさんおはよーございまーす!」と挨拶した。


「後ろの人ー! 私の声が聞こえてたら手を上げてー!」


 なかなか通る声で、列の最後尾の人たちまでパッと手が上がった。


「はーい、今から馬術演技披露を行うにあたって注意点を説明しまーす! 一つ目! 絶対に大きな音や声を出さないこと! 二つ目! 写真撮影する際はフラッシュ厳禁! 三つ目! 立入禁止区域に絶対に入らないこと! 馬を驚かせるような行為をした場合はソッコーでゲラウトヒア! して頂きますんでねー!」


 ゲラウトヒアの発音がやたらネイティブに近くて、それが聴衆の笑いを誘った。


「はーい、今は笑うところですが実際守って頂かないと笑い事じゃなくなりますんでねー! 楽しくマナーを守って鑑賞しましょー! 私からは以上です!」


 と古川さんは締めくくったが、両手をパシッと合わせて「すみません、もう一つ大事なことを言い忘れてました!」と断りを入れてから付け足した。


「馬術演技披露では、我が校の報道部写真班の精鋭も写真撮影をしていまーす! プロ級の腕前で撮られた写真が欲しいという方は特別に無料! 無料で差し上げます!」


 聴衆が色めき立ったが、主に興奮しているのは濃紺のセーラー服と深緑色のジャンパースカートの人たちだった。


「写真を希望の方は、演技披露が終わり次第用紙を配布しますので、必要事項を記入して提出してください! それでは今度こそ、以上です!」


 にわかに会場のボルテージが上がりだしてきたが、うまく捌かないと先程クラブハウスに押しかけたファンのように暴徒化するかもしれない。もっともちゃんとみんな列を作って並んでいるので、彼女たちよりは分別があるだろう。


「それでは列を動かしまーす!」


 私は野島先輩との申し合わせ通りに動いた。一定のところで列をぶつ切りにして少しずつグラウンドに入れていくのだが、その時に抜け駆けがあったり列を崩したりしないように見張りつつ、中に誘導していった。


 ただでさえ広くないグラウンドだから観覧スペースの大きさも充分に取れなかったが、実行委員の指示に観客たちが従いスムーズに動いてくれたおかげで、ギリギリだが全員を詰め込むことができた。混雑具合はラッシュアワーの山手線よりかはまだマシな程度、といったところだ。


 観覧スペースと演技スペースはコーンで区切られていて、私は演技スペース側に入って観衆の整理に当たる。実質的に観衆より最前列の位置にいるが、観衆にも目を配らないといけないので演技をずっと見ているわけにはいかない。


 定刻の午前十時半になり、野島先輩が拡声器を使って一番後ろの人が聞こえる程度の最小限の音量で挨拶をはじめた。


『それではみなさん、お待たせいたしました。ただ今より、麗泉女学院馬術部によります、馬術演技披露を行います』


 大きな音を出さないよう注意したおかげか、拍手は控えめだった。


『まずはじめに、麗泉女学院生徒会会長の愛宕雅さんよりご挨拶がございます』


 野島先輩は拡声器を愛宕会長に渡した。


『みなさま、ごきげんよう。麗泉女学院生徒会の愛宕雅と申します。緑葉女学館様とは、創始者でいらっしゃる藤瀬みや先生が我が校の出身というご縁がございますが、今回初めて馬術部がゲスト参加させて頂くことになりました。県内の中学・高校で馬術部があるのは我が校だけですが、大会では常に優秀な成績を収め続けております。短い時間ではありますが、人馬一体が織りなすパフォーマンスをご覧ください』


 拡声器はさらに馬術部員の一人に渡る。ここからがついに本番だ。


『ごきげんよう。私は麗泉女学院馬術部の部員で高等部一年、臼井と申します。それでは早速ですが本日、演技を披露する人馬を紹介いたします! 高等部二年部員狩野蓮、ならびにスノーフレーク号です!』


 私の手には「お静かに!」と書かれた標識がある。それを掲げたからというわけではないだろうけれど、狂騒じみた歓声や拍手は起きなかった。その代わりに聞かれたのはうっとりとした嘆声だった。


 中央にゆっくりと歩み出たスノーフレーク。ただでさえ雪の結晶のような額の白い斑点が黒い体に映えていて美しく見せているのに、上にまたがっている乗馬服姿の狩野さんのたたずまいはまさに白馬の王子様ならぬ黒馬の王子様だった。観衆たちの心がたちまち釘付けになるのを、私は肌で感じ取った。


 狩野さんが馬上で深々と頭を下げると再び嘆声が漏れた。団さんの反応はどうかなと思い彼女の姿を探したが、残念ながら位置的に見えづらいところにいる。だけど観衆の誰よりも熱を上げて、狩野さんを見ているだろう。


『それではまず、馬術における基本の歩き方である『三種の歩度』ついて説明します』


 三種の歩度というのは普通に歩く常歩なみあし、早く歩くする速歩はやあし、歩くというよりは軽く走るのに近い駈歩かけあしのことを指す。それぞれの歩き方を狩野さんとスノーフレークのコンビが実演してみせるたびに観衆の方から熱気のようなものが伝わってきたが、私はそれが暴発しないよう見張りつつ、かつ演技も見つつで首をせわしなく動かすはめになった。


 しかし、ただ馬を歩かせるだけでこれだけ盛り上がるとは。乗り手と馬、どっちもかっこいいとはいえ。


『では、実際に馬場馬術競技で行われる運動を披露いたします』


 馬術というと障害物を超えるというイメージが私の中ではあった。だけどそれは障害馬術という種目であり、狩野さんが披露するのは馬の運動の美しさを競う馬場馬術という種目である。臼井さんの説明によると馬場馬術はさらに規定演技と自由演技という競技に分かれ、規定演技では全ての動作があらかじめ決められているが、自由演技は動作の構成を決めて音楽に合わせて運動する、いわばフィギュアスケートのような競技という。


『今回は、実際に大会で演じた自由演技をお見せします。音楽に合わせて華麗に躍動する姿にご注目ください』


 臼井さんが片手を上げて合図すると、部員たちはラジカセでクラシック音楽を流し始めた。スノーフレークは演技スペースの真ん中で一旦停止すると、狩野さんは右手を斜め下に差し出して一礼した。


 曲はテンポが速めで、それに合わせる格好でスノーフレークの足使いも速歩になっている。時にはくるりと向きを百八十度変えて、時にはジグザグに歩き。まさにフィギュアスケートのように踊ってるかのように歩く。狩野さんは特別スノーフレークに動きを指示しているようには見えず、スノーフレークが意志を持って動いているのではと思わせた。


 私は気がつけば、観衆そっちのけで演技に見入ってしまっていた。観衆の方に注意を向けると、みんな微動だにしていない。誰もカメラやスマートフォンで撮影しようともしない。いや、撮影することすら忘れてしまっているに違いなかった。


 曲がスローテンポになると常歩でゆったりと。再びテンポが上がると今度は駈歩でスキップするみたいに。最後はまたジグザクに歩いて、曲が終わると同時にピタッ、と停止し、狩野さんが一礼した。


 素晴らしい。この一言以外にどう表現しようもない。


 ある人は恍惚として狩野さんたちを見つめ、ある人は感激の涙を流し、ある人は石のように固まり。観衆たちが感激のあまり大声を出してしまわないか警戒したもののついに杞憂に終わった。感激の度合いは声を出すことも適わないほどだった。


 演技が終わった後、我に帰った観衆はこぞって写真配布希望用紙を手に取っていった。


 *


「一番緊張したよ、本当に。あれだけ大勢の前で演技したのは初めてだったからね」


 環川の土手に敷いたシートの上で、狩野さんはようやく人心地がつけたといった感じの笑顔を見せた。


「そう言う割には完璧だったわ。はいどうぞ」


 愛宕会長が水筒に入っていた紅茶を狩野さんのカップに注ぐ。


 愛宕会長が以前リクエストしたとおり、両生徒会のメンバーは環川でランチを取ることになった。ただ午前中にあんな騒ぎがあったせいで警備を置くことになり、両校の生徒たちの土手への立入を禁止したため、若干物々しい雰囲気になってしまったのは残念だったが。


 騒ぎの遠因を作った唐橋姉妹は何食わぬ顔でサンドイッチに手をつけている。ちなみに私たち緑葉生徒会は体育祭の時と同じく、学食を提供している業者の弁当だ。


「一号二号があちこち遊び回っている間、あたごっちたちは大変な目に遭ってたんだぞ」


 今津会長がアジのフライの尻尾を口から覗かせつつ小言を言ったら、姉妹の片方が口を尖らせた。


「遊びたいからという理由で回ってたわけじゃありませーん」

「どういうことだ?」

「雅と蓮に見せてあげたかったの」


 口を尖らせなかった方がデジタルカメラを取り出して動画を再生し、私たちに見せてきた。そこにはさまざまな出し物を、子どものようにはしゃぎながら楽しんでいる双子の姿があった。


「雅と蓮は私たちよりも人気があるし、下手に校内を動き回れないでしょ? だから私たちが代わりに回って動画撮ってきて、雰囲気だけでも楽しんでもらおう、って思って撮影したの」

「ちょうど雅と蓮のファンたちがクラブハウスの方に釘付けになっている間、どこも空いてたから良かったー」

「二人を犠牲にして自分たちだけ遊びやがって。この姉妹、ほんっっとどうしようもねえな……」


 今津会長にまでそんなこと言われたらおしまいだと思うが、双子はニタニタと笑いつつ舌を突き出した。


「まあ、最初からあなた達の助けは期待してなかったわ」

「僕も同じ」

「ひどーい。そんなこと言うなら見せてやんなーい、あっ!」


 佑奈さんか佐奈さんかどっちかわからないがカメラを引っ込めようとしたら、狩野さんがひったくった。まさかの強硬手段。


「まあ、良く撮ってくれたのはありがたいよ。ん? これはパソコンでゲームをやっているの?」

「うん。情報処理室でやってたコンピューター部の出し物のゲーム。この子めちゃくちゃ上手いから撮らせてもらったんだ」


 動画に映っていたのはうらんちゃんだった。河邑先輩が来年緑葉を受験する自分の親戚だと告げると双子は「わーびっくりー」とわざとらしい反応を見せた。


「説明会が終わった後、まっすぐ情報処理室に向かっていったわ。この子ったら、勉強はちゃんとやってるのかしらねえ……」


 うらんちゃんがプレイしていたのは戦闘機を操って敵を撃つゲームだったが、目を血走らせてコントローラーのボタンを玄人じみた動きで操作し、敵が放つ弾を巧みな動きで避けている。勉強の時間を割いてまでゲームをやり込んでないとできなさそうな芸当だった。


 唐橋姉妹は他にもいろいろな出し物を楽しんでいたが、その様子を愛宕会長と狩野さんは真剣に見入っている。


「みんな楽しそうにしているわね。こういう催し物、麗泉でも出来ればいいのだけれど」

「お化け屋敷に流しそうめんに足湯に……何でもあるもんね。確かにうちでは無理だな。うちだと教師にチャプレンにシスターまで、みんな頭が固いのばかりだから」

「そちらの文化祭では何をやるんですか?」


 団さんが質問した。


「文化祭は無いの。代わりに合唱祭という、コーラス部やクラスごとに聖歌を歌う催し物があるわ」

「聖歌ですか、カトリック系の学校ならではのイベントですね」

「私、合唱祭退屈だからきらーい」

「私もー」


 双子が拒絶反応を示すが、愛宕会長も狩野さんもとがめず、それどころか便乗してきた。


「コーラス部だけで充分なのにみんなを歌わせなくても、と思うわ」

「僕も正直言って嫌だ。高い声が出せないから辛いんだよね」

「緑葉さまの文化祭の方が何万倍も楽しいと思うわ」


 今津会長が「褒めすぎ」と謙遜するが、麗泉生徒会の会長と副会長はため息をついた。同時に、団さんも弁当に目線を落としつつため息をついて、ポツンと漏らした。


「一緒に回りたいなー……」


 狩野さんを案内したい、という本音に間違いない。私はつい、反応した。


「何か良い方法はないのかな」


 私はボソッと耳打ちした。


「あ、ごめん。聞こえてた?」

「ううん、こっちこそ勝手に独り言を拾ってごめん。だけどどうしたもんかな」

「うん、この後のことを考えると、裏道でヘビに出遭ったという思い出づくりだけじゃあ、ね……」


 そう、団さんには狩野さんに想いを伝えるというミッションがある。狩野さんも団さんに良い印象を抱いているに違いないけれど、やはり一緒に回って一緒に楽しんで、ムードを盛り上げた状態で……という展開で勝負をしかけるのがより理想的だろう。


「こら、ヒソヒソ話ししないの」


 唐突に、私たちの顔の間に美和先輩の頭が割って入った。


「話は全部聞いちゃったよ」


 美和先輩は小声で告げた。


「す、すみません」

「良いの良いの。ここは私に任せて」

「えっ?」


 先輩は愛宕会長と狩野さんに話を持ちかけた。


「午後の披露まで時間がありますし、中を回ってみましょうか?」

「はははは、美和ちゃんよ。『腹を空かせたライオンの檻の中に入ってみます?』って言ってるのと同じだぞ」


 今津会長は冗談と受け取ったのか、ケタケタ笑いだした。だけど美和先輩は口角を上げて、自信ありげに言った。


「誰にも知られないよう、中を回る方法がありますよ」

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