激闘騎馬戦

 玄武チームは玉入れで三位入賞。続く「緑葉大障害」と銘打った障害物レースでも三位と四位に入賞して着実にポイントを伸ばしていった。


 しかし、この「緑葉大障害」で事件が勃発した。


 トラックとその内側にある直線コースをフルに使うこの障害物レース。トラックを一周した後に直線コースに入って、そこに設けられた急角度の坂路コースを登りきってゴールとなる。ただしそこまで至る途中では、茶川さんが主体となって念入りに作り上げた数々のトラップが走者を襲う。


 ネットの下をかいくぐったりハードルを飛び越えたりするのは序の口。グルグル回る棒の間をすり抜けたり、サンドバッグ状の重りを吊るした振り子を避けたり、左右から高圧で噴射される水に立ち向かったり。などなど。最後の坂路もワックスが塗られてあるので簡単に上ることができない。果たしてゴールできるのかどうかという声もあったが、一応は全員ゴールすることができた。一応は。


 事件はこの数々の悪辣な罠の中でも最も初歩的なものである「ぐるぐるバット」のコーナーで起きた。垂直に立てたバットにおでこを当てて十回ぐるぐる回ってから、目を回した状態で走るという一番オーソドックスなトラップだ。


 この競技には白虎第二グループで古川さんが、朱雀第二グループで団さんが参加していた。スタートから両者は一、二位を争う好走を続けて、生徒会サブどうしのデッドヒートに応援席は否応無しに盛り上がったのだが……。


『さあ古川と団がぐるぐるバットでぐるぐる回る! ここはきっちり十回回らなければいけません。応援席からもカウントする声が聞こえてきます。はちかーい、きゅーかーい、じゅっかーい! さあここも同時にクリアだ、あーーっ!? 古川、団に寄りかかってそのまま押し倒してしまった!』


 真っ直ぐ走りにくい状態ではあったが、巻き添えをくらった団さんにとってはたまったものではなかった。それでもそのまま競技は続行され、古川さんが一着でゴール。続いて二着に団さん。古川さんも自分のしでかしたことがわかっていたようではしゃぎもせず、団さんとお互い無言で目を合わせようともしなかったから、空気の悪さにこちらも見ていられなかった。


 そして古川さんにさらに悲劇が遅いかかった。


『先程の競技の審議について説明いたします、一着の古川恵選手はバックストレッチのぐるぐるバットコーナー後ろで団六花選手と接触し競技を妨害したため失格とし、かつ白虎チームに対し20pt減点のペナルティとします』


 体育祭実行委員長、林原先輩のアナウンスに歓声と悲鳴が同時に上がった。二着の団さんが一繰り上がりで優勝したものの、顔は全く笑っていなかった。


 三着に白虎第一グループが入って10pt獲得したから実質マイナス10ptになったものの、一着を取った朱雀チームに追い越されて二位に転落。


 古川さんはしばらく坂の上で棒立ちになっていて、第一グループを走った先輩に付き添われてようやく応援席へと戻っていった。遠目から見てもフラフラしていたから、たまらず私は自分の応援席を放り出して駆け寄った。


「古川さん!」

「あ……悪い、話しかけないで欲しい……」


 間近で見た古川さんの顔は、この世の終わりの瞬間に出くわしたかのようだった。


 私の後ろから一人の生徒が間に割って入る。


「ここは私が」

「河邑先輩……」


 河邑先輩が古川さんの肩を抱いて、どこかひと目のつかないところへと連れて行く。こういう場合、友達よりもに慰めてもらうのが一番かもしれない。私は自分の応援席に戻った。


「ちょっと! どこ行ってたの!」


 カクちゃんが腰に手を当てて怒っている。


「騎馬戦の作戦会議があるのに、みんな待ってるんだよ!」

「あっ!」


 次の次の競技が午前競技の見どころ、騎馬戦だった。私は「ごめんごめん」と謝って、カクちゃんの後をついていった。


 応援席の裏側では今津会長がヤンキー座りで待ち構えていた。


「すっ、すみません、遅れました」

「おう。まあ座れ」


 幸いにも怒ってはいないようだ。リレーでの活躍が怒り成分を中和しているのかな。


 会長は騎馬戦に出ないのにも関わらず、どういうわけかすっかり軍師的ポジションに収まっていた。


「さっき対戦相手を決めるくじ引きをしてきたんだが、一回戦は朱雀と当たることになった。こいつらの練習を見たことがあるが、二騎一組になって一騎を潰しにかかる戦法を取るようだ。こいつを破るには四年生の騎馬が重要な役割を果たす」


 会長は私たち四年生を見た。騎手の巨漢女子本多小春さん。土台の二木秀子さん、カクちゃんこと赫多かえで、そして私、菅原千秋。


「君らは第一次世界大戦におけるソンムの戦いを知ってるか?」

「はい?」


 会長がいきなり世界史の問題を出してきたものだからキョトンとなった。


「戦車が初めて実戦に投入された戦いだ。迫ってくる謎の巨大な鉄の塊の前に生身の兵士たちは恐怖におののいたそうだ。そして君らはその戦車となってもらう。一騎でだけで良いから適当なヤツを豪快に叩き潰せ。鉢巻を取ろうなんて考えず落馬させろ。あ、怪我だけはさせるなよ」

「そんな無茶苦茶な……」


 そううっかり口にしてしまったら「あん?」と凄んできたので、私は肩をすくめた。


「要は今みたいな感じでビビらせろ、ってことですね」


 カクちゃんが言うと、会長は「そういうこと」と口角を上げた。


「一度ビビらせたら最後、逃げまくるから連携が取りにくくなる。そこを突いてかかれ」


 会長の前では「はい」か「YES」の二択しかない。


 *


『さあ現在青龍が110ptで再びトップに返り咲いています。白虎、朱雀は105pt同率二位で最下位の玄武は85ptですが次の競技は! そう、騎馬戦です! あまねちゃん説明どうぞ!』

『はい! この騎馬戦は一年生から六年生までの騎馬六騎による団体戦で、制限時間三分間の中で相手を全滅させるか、制限時間終了後に残っている騎馬が多いチームが勝ちとなります! 騎馬は騎手が鉢巻を取られたり、落馬したりすればその時点でアウトです!』

『ポイントは?』

『なんと一位40pt、二位30pt、三位20ptとなっていまーす!』

『これは凄い! 玄武は巻き返しの大チャンスだ!』

『はい! ダイナミックで激しい戦いにご注目ください!』


 一試合目は玄武対朱雀。私たちはトラック内側に集合し、それぞれ黒と赤の鉢巻の四人一組の集団六組が互いに対峙する格好となった。玄武チームの騎手たちは実行委員からねじり鉢巻を普通の巻き方に直すように指示されたが、土台は特に何も言われなかったので私はそのままねじり鉢巻を通した。


「準備してください!」


 二木さんが前脚、私とカクちゃんが後脚の部分になって手を組んでしゃがむと、身長177cm体重××kgの本多さんが乗っかってきた。


「うっ」


 もう何度も体験した重みだが、やはりきつい。前にいる二木さんが「行くよ!」と声をかけると、


「いち、にの、さん!」


 で、一気に持ち上げた。


「おおお!?」


 応援席がどよめくのが聞こえる。本多さんの巨体が土台に乗っかると、さらに巨大に見えるからだ。朱雀チームの騎馬たちは誰もが唖然としている。すでに心理的圧迫を加えられているようだ。


 私は歯を食いしばりながらも、どうにか他の騎馬と横一列に整列させることができた。


「よーい!」


 ピストルではなく、ぶおおー、というほら貝の効果音が鳴らされて、大河ドラマ『風林火山』のオープニングテーマがBGMとして流れ出した。


 ずしんずしん、と巨大騎馬をゆっくりと前進させ、その後ろを他の騎馬がついていく形を取る。相手は会長の言う通り二騎一組で固まっているが、出方を伺っているのかなかなか攻めてこようとしない。


 本多さんの体重がじょじょに効いてきて、汗が流れ出てきた。持久戦に持ち込まれたら私の手がヤバイ……。


「だ、誰でもいいからかかってきな!」


 その時、カクちゃんがしびれを切らしたらしく相手を挑発した。すると二騎が左右に別れて挟み撃ちしようとしてきた。機動力で勝ると見て仕掛けてきたのだろうか。


 向かって右側の騎馬と先に接触した。その瞬間、本多さんは吠えた。


「ふんおおおおお!!」

「きゃああああっ!!」


 何と相手の騎馬は積み木を崩すが如く、土台から崩壊してしまった。本多さんののしかかり攻撃に騎手はおろか、土台も耐えられなかったのだ。


 もう一騎の足が露骨に鈍った。


「次、あいつ倒そう」


 本多さんが指示を出すと、私たちは左に進路を取る。本多さんの腕が騎手をとらえて、哀れ、断末魔の悲鳴を上げて先程の騎馬と同じ運命をたどった。


『うわー! これは凄まじい破壊力だ! 残った騎馬は右往左往して本多から逃げていく! しかしそこに勢いづいた玄武チームの騎馬が襲いかかります! これは一方的だ!』


 制限時間を待たずしてほら貝が鳴った。相手は為す術もなく全滅したのである。歓声を浴びる中、私は勝利の喜びを噛みしめる余裕はまだなかった。


「お、下ろそっか……」


 前脚の二木さんも限界だったようだ。私はゆっくりと本多さんを下ろすと、ようやく人心地つくことができたのである。


「おーし、よくやったぞみんな!」


 今津会長が駆け寄って私たちの手を一人ひとり取った。握り返した私の手はプルプルと震えていた。


「おい、大丈夫か?」


 振動が会長にも伝わっていたようだ。


「え、ええ。あと一試合だけなんで」

「最後まで踏ん張れよ。よし、私が特別にマッサージしてやろう」


 会長は私に「いいか?」とも聞かず、自分の両手で私の左腕を挟み込んで、ぐりぐりとこね出した。上手いなのか下手なのかわからないが、くすぐったい。


「良い感触してるなあ、へへへ」

「へへへて、すけべオヤジじゃないんですから……」

「あー、陽子ったらセクハラしてるー」


 いつの間にか、美和先輩が不満顔丸出しで側で突っ立っていた。これは絶対にヤキモチ妬いてるパターンだ。


「そんなに羨ましいか? なら、もう片方の腕を揉んでやってくれや」

「わかった」


 美和先輩は即答して会長と同じように、私の右腕をマッサージしはじめた。


 過去に何回も私にボディタッチしてきたから要領を知っているのか、美和先輩の方がずっと上手だ。


「うわ、会長と副会長にマッサージして貰ってる。いいなー」


 と、聞こえよがしに誰かが言っている。そんなこと言われても私からマッサージして欲しい、って頼んだわけじゃないんだし、仕方ない。


 *


 第二試合の青龍対白虎は青龍の勝利。第三試合の三位決定戦は白虎が勝利した。朱雀は本多さんの暴れぶりがトラウマになったのか、一度も良いところを見せられずノーポイントに終わってしまった。


「よしっ!」

「これで最下位脱出だね!」

「やったー」


 カクちゃんと二木さんと本多さんがガッツポーズする。競技開始前の朱雀は105ptで玄武は85ptだったから、最低でも30ptを確保した玄武が朱雀を追い抜くことがこれで決まった。


 決勝戦で勝てばさらに10pt上乗せで125pt。白虎と並んで同率二位になる。


「玄武チーム、準備してください!」


 実行委員が促すと、私はミネラルウォーターが入ったペットボトル飲料を飲み干した。


「さあ、行きますか!」

「「「おー!」」」


 不思議なことに手の震えは止まっている。マッサージの効果か、はたまたチーム浮上のチャンスを目の前にしてアドレナリンが出まくっているせいだろうか。


 横列に並んだ向こう側、青龍チームには見慣れた顔がある。古徳さんだ。背が小さいので騎手をやっていたが、彼女もまた柔道で鍛えた怪力の持ち主だから、上背の大きい相手を圧倒していた。


 しかし力勝負なら本多さんのが上だろう。しかも背の大きさも今までの相手と比べ物にならない。


「本多さん。最初に一年生の騎馬を狙おうか」


 カクちゃんが提案したが、本多さんは「えー」と渋い顔をする。


「前の試合、それで白虎チームが負けてたじゃん」


 と、二木さんも反対する。一年生はまだ背丈が小さいからみんな真っ先に狙いに行くのだが、青龍はそれを逆手に取って一年生を囮にして、側面に回り込んで白虎チームを撃破していったのだ。


 だけど本多さんの圧倒的なパワーの前にはどんな作戦も無意味かもしれない。それにカクちゃんの提案は多分、古徳さんとやり合って怪我させまいとする配慮もあるのだろう。彼女の気持ちは汲んであげたい。今流行りの忖度というやつだ。


「私は良いと思う。みんな本多さんを警戒して、白虎チーム戦みたいな動きができないだろうし」

「うーん……」


 本多さんと二木さんは悩んだ末、「わかった、じゃあ一年を狙おう」と私とカクちゃんの意見に賛同した。やはり前の試合で見せた破壊力は魅力的だったようだ。


 私たちは騎馬を組んで、本多さんを乗せた。さっきより本多さんの体を軽く感じる。この前の古文の授業で習った『木曽の最期』で死を間際にして鎧を重たく感じたという、木曽義仲の逆を行くようだ。


「よーい!」


 ぶおおー、とほら貝の効果音が鳴った。


「右行ってー」


 本多さんは向かって右端の、一回り小さい一年生の騎馬を指さした。ところが、


『おーっと! 一騎が果敢にも本多に突っ込んでいく! 古徳だ!』


 何と古徳さんを乗せた騎馬がまっしぐらにこちらに向かってくるではないか。これでは応戦せざるを得ない。


 小さい体と大きな体が接触した。


「ふんおおおおお!!」


 本多さんの太い腕が古徳さんに襲いかかる。私は古徳さんが上手いこと受け身を取って怪我しないように、と祈った。


 だがその瞬間、全身からふわっ、と重みが消えて、どすんっ! と地面が揺れた。


「!?」


 何が起こったのか理解できなかった。さっきまで上に乗っていたはずの本多さんがいなくなって、代わりに古徳さんが私たちを見下ろしている。


「はい一丁上がり、です」


 古徳さんは勝ち誇ったようなドヤ顔になり、地面を指さした。


 本多さんが車に轢かれてペシャンコになったウシガエルのような格好でうつ伏せに倒れ込んでいた。


 終わってしまった……。


「突撃ー!」

「う、うわああー!! 本多さんが討ち取られたー!!」


 乗り手のいなくなった騎馬を解くのを忘れるぐらい呆然としている私たちの横を青龍の騎馬が通り抜けていった。


 *


「あれは仕方ないよ。柔よく剛を制す、って言うしね。相手が悪すぎた」


 私は応援席の後ろ、グラウンドを仕切るフェンスの側で美和先輩に慰められていた。


 だけど私は特に悔しいとか悲しいとかという感情は沸いていない。無感動というわけではないのだが、あっという間に負けてしまったせいで拍子抜けしたのだ。これが惜敗だったら話は違っていただろうけど、青龍チームの誰一人の騎馬を倒せず完封負けでは悔しいも悲しいもあったものではなく、かえって清々しさすらあった。


「本多さんは特に怪我とかはなかったって」

「それは良かったです」

「本多さんには申し訳ないけれど、千秋が土台に変わってて良かったよ」


 確かに、本多さんほど頑丈ではない私だったら怪我をしていたかもしれない。


「千秋、腕のマッサージしてあげる」

「え? もう良いですよ、終わったんだし」


 って言っても先輩が聞くわけがなく、たちまちモミモミタイムが始まった。


「肌がすっごいスベスベしてるよね。張りも良いし。普段からどんなボディケアしてるの?」

「いえ、特に何もしてないですよ」

「へー、羨ましいな」


 先輩は唐突に、私の腕を自分の頬になすり付けた。


「ちょ、ちょちょっと何を……」

「うーん、柔らかい!」


 まるで柔軟剤のCMのようなセリフである。元からスキンシップ大好きで、私に好意があるとはいえ、誰が見ているかもわからないところでこんなことをするなんて。


 先輩もきっと、祭りの熱気に当てられたんだな。


「おいこら美和ちゃん。自分もセクハラしてんじゃんかよー」


 会長の声が私の真後ろからした。でも美和先輩はふふっ、笑うだけで離そうとしない。


 会長は咳払いをして、


「林原から呼び出された。至急、生徒会のメンバー全員を本部テントまで集めてくれってさ」

「本部にですか?」


 体育祭実行委員長からの直々の呼び出し。一体何だろう?

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